真崎です

沖縄にいます

「子どもフードバンク沖縄」のボランティアで、子ども達と戯れています。

 

「なぁ」

「ん」

 

「名前なんていうん」

「真崎」

「まさき?」

「真崎むっちゃん」

「ブス」

「おいコラ慎め」

 

 

「子どもフードバンク沖縄」という組織が運営している「子どもカフェ」でお手伝いをさせてもらえることになった。この絵は4月に一度訪れた際に低学年の女の子が描いてくれた似顔絵。お礼にアンパンマンの絵を描いたら「下手だね」と言われた。

 

週に3回、小学生くらいの子ども達と一緒にご飯やおやつを作って一緒に食べるこちらの活動。毎回子どもたちが10~20人ほどやってくる。

冒頭の会話は小2男子とのやり取りで、このあと糸電話をヌンチャク代わりに私をボコスコ殴ってきた彼を「それは糸電話の使い方として不適切だよ」と反論の余地もない正論と共に追いかけ回した。至福の時間である。

 


昨日書いたこちらの記事では省略したが、私が沖縄に来たひとつの理由がこちらの活動である。

 

 

沖縄に住む唯一の友人がこの活動に関わっており、彼女が東京に来た際会って話を聞いた。

 

彼女の話によると、沖縄は出生率・離婚率が高く、シングルマザーも多いそう。 戦争を背景とする根深い貧困問題もあり、1日に食べるご飯が学校給食だけという子たちがいるとのこと。

 

貧困問題そのものを解決するアプローチが必要なのはもちろんだけど、一朝一夕でどうにかなるものでもない。今日、明日、明後日。まずは日々子ども達ができる限り満足にご飯を食べられるようにと、子どもカフェは活動している。(と、私は捉えている。HPには「料理や様々な体験教室を通して子どもの自立自活を支える活動・食育の場です」と記載されている)

 

 

「でも、人が全然足らん。ニーズはあるし子どもの人数もどんどん増えるけどスタッフがめっちゃ少ないねん。もっと情報発信をして活動の認知度も上げたいし資金集めもしたいけど手が回らんしノウハウもない。子ども好きでデリケートな子どもにも関われて学習支援もできて文章書いて情報発信してくれる人がほしい

 

「それ私やん」私は言った。

「それ真崎やん」友人も言った。

 

「できる」と言ってはおこがましいけど、学生時代に関わっていたNPOの学習支援活動、社会人になってから飛び込んだ不登校支援の活動、そして1年前に教育の仕事から一転してライターの活動を始めた私。

正直「うおおおおおおここで全部つながるかああああああ」と思った。そして悶絶した。昨日の記事に書いた通り「沖縄に呼ばれた気がした」のである。いいんだ気のせいでも。いいんだ気のせいでも(2回目)。

 

 

で、今週からボランティア開始。

こちら前回のハイライトです。

 

・子ども達が「梅干しは1日1個まで」と渋いルールを定めた

・カフェにある道具で、糸電話、望遠鏡、竹とんぼ、くじ引き、サンタクロースなどを作り、抜群のクリエイティビティを発揮していた

・くじ引きを作った女の子と遊んだ

・「はずれを引いたら当たりね」

・ルールが複雑

・何回引いてもはずれだった

・つまり全部勝った

・ホットケーキを作った

・小2の女の子がひたひたになるほどシロップをかけまくったホットケーキを私にくれた

・シロップの味しかしなかった

・元気な男の子が突然柔道の絞め技をかけてきた

・素で「え、なんで?」と聞いた

・たくさん自己紹介をした

・子1「みっちゃん」

・真崎「むっちゃん」

・子2「めっちゃん」

・真崎「むっちゃん」

・子1「ぺっちゃん」

・真崎「むっちゃん」

・子2「うっちゃん」

・真崎「むっちゃん」

・子1「ぷっちゃん」

・真崎「むっちゃん」

・子2「斎藤さんだぞ」

・真崎「違います」

 

以上です。

 

このブログはもちろん、その他もし発信できる機会があればどんどん活動報告などしていきたいと思っています。

 

cheyonja.ti-da.net

 

 

引き続き、何卒。

 

真崎

 

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「で、なんで沖縄に移住するんですか?」

 

 

6月4日から沖縄にいる。

 

移住5日目の今日は北中城村イオンモール沖縄ライカムにてこの記事を更新している。電源wifi完備でオーシャンビューのイオンが存在する奇跡。あと北中城村を「きたなかぐすくそん」と読めるようになっただけで沖縄レベルが5上がった感ある。

 

移住後は弾丸でシェアハウスをいくつか内見して3日目にはどこかへ入居している計画だったけど、沖縄で唯一の友達が北中城村にいて気付けばその子の家にいる。2週間半の短期山村ホームステイ。夜はいろんな生物がすっげー鳴いてる。

 

 

沖縄に移住した実感は一向に湧かない。フードコードでキーを叩く私の視界左に映っているのはマクドに銀だこにリンガーハット。よっ東京ぶり。波の音をBGMに仕事を~なんておしゃな理想を抱く 私の耳に届くのはイオンの館内放送。結局爆音で岡崎体育を聴きながら作業をしている。先週の私(@池袋)との変わらなさ。

 

 

本題。 

 

 

な。

 

以下最近聞かれた質問と回答です。

 

Q. 沖縄にゆかりがあるんですか?

A. ないです。

Q. 沖縄に住みたい場所があるんですか?

A. ないです。

Q. 沖縄に思い入れがあるんですか?

A. ないです。

Q. なんで沖縄なん?

A. ほんまそれ。

 

この1か月半で耳からバナナが出るほど聞かれた「なんで沖縄なんですか?」に対して未だにうまく答えられず、最近は「な、なんとなく……」とライターとは思えないボキャ貧回答をしている。

 

ただ、理由は説明できないが沖縄に行くと決めた経緯なら話せる。それで良ければ以下に記載するのでヒマな方は読んでください。

 

 

2月末。 

外注委託でがっつり関わり半内勤ライターとして入り浸っていた会社を辞めた。そしてあの時期はライターも辞めようと思っていた。

 

「人気ライターにならなきゃ、10年後も食えるライターにならなきゃ、お金もたくさん稼げて信頼も集める立派なライターにならなきゃ」ともがいて仕事しまくっていた時期があり、その反動で年明けしばらく後に燃え尽きた。フリーだろうが好きを仕事にしようが不安と焦燥感をモチベーションにして走れば短期間で心が死ぬ。会社員時代に学んだはずなのにまた繰り返そうとしていた。

 

会社を辞めた直後に電話がきた。

沖縄に住んでいる友人からだった。お互い関西人で大学時代から仲が良かったが、連絡が来るのは約2年半ぶりだった。

 

友達「真崎元気か?」

真崎「元気ちゃう」

友達「出たな社会不適合」

真崎「アンタもな」

友達「そうやった」

 

真崎「沖縄どう?」

友達「ええとこやで」

真崎「沖縄ってなんかええよな」

友達「人とかめっちゃ適当やからな」

真崎「そうなん?」

友達「夜7時開始の飲み会に人揃うん10時やで」

 

真崎「すごい、東京じゃありえんやつや」

友達「東京はすごいちゃんとしてると思う」

真崎「みんなほんまちゃんとしてる」

友達「真崎生きていけるん?」

真崎「無理かもしれん」

 

 

なんやかんやと話して電話を切った私はすぐに【沖縄 バイト】で検索をかけた。平均時給750円くらいの求人を眺めながら後ろにいた同居人に話しかけた。

 

真崎「わたし沖縄住もかな」

同居「沖縄?」

真崎「沖縄」

同居「なんでなん?」

真崎「呼ばれた気がした(気のせい)」

 

同居「ええやん」

真崎「な」

 

で 

 

 

4月に一度沖縄へ遊びに行った。人のいない穴場な浜辺に行って浅瀬で明日を埋めてぼーっと海を眺めながら歌をうたって、夜は外人街でタピオカドリンクを飲みながら女3人で海と花火を見た。「なにこれ最高かよ」と思って移住を決意した。

 

 

 

 

という流れである。

誰か「真崎が沖縄に行く理由」を言語化してください。

 

 

いろいろ省略した話もあるが、大まかには本当にこの通り。それっぽい理由を後づけすることはできるが、実はどれもしっくり来るようで来ていない。それっぽい説明をした方々、あれやっぱり忘れてください。

 

人間の行動を動機づける強い要素でありながら言葉にできない感覚的なソレを「直感」だの「衝動」だのと言うのだと思う。直感や衝動の感覚をあえて言葉にするとたぶん「キュピイイィィィィィィィィイイン」や「ズバアアァァァァァァァァァァァアアアン」や「ドュオオオオォォォォォォォォォオオオン」みたいになる。言葉っつーか効果音だけど。

 

だから私が沖縄に行く理由は「人と気候があったかいから」より「環境を変えたかったから」より何よりも「キュピイイィィィィィィィィイインズバアアァァァァァァァァァァァアアアンドュオオオオォォォォォォォォォオオオン」がきっと一番近い。

 

理由を言葉にする目的はおそらく「自分を納得させるため」と「他人に理解してもらうため」であり、うがった見方をすれば全部言い訳である。腹から湧き上がってくる言葉にならない欲求だけが自分自身を納得させられる最強の理由であり、その欲求に従った結果いま私は沖縄にいて結局のんびりとライターの仕事を続けている。お仕事ください。

 

 

直近の願望は「車ほしい」です。

あとなんなら家も決まっていません。

あと友達もほぼいません。

 

そんな状況も楽しみつつ、このブログでも遠慮なく私の沖縄ライフを発信していきたいと思っていますので良かったら引き続きご覧ください。そして良かったら車と家と友達をください。

  

 真崎

 

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「彼女が喜ぶことは全部やりたいんです」新郎の愛と熱意にやられて、結婚パーティーレポを書きました

 

 

「真崎さん、結婚パーティでゆうちゃんにサプライズしたいんですけど、街中で知らん人集めたりしてフラッシュモブとかできないですか?」

 

どんさんからメールがきた。

ゆうちゃんには内緒のメール。

結婚パーティでゆうちゃんにドッキリを仕掛けて喜ばせたいそうだ。

 

 

「真崎さん、結婚パーティでどんさんにサプライズで何かしたいんですけど、アイデア出すの手伝ってくれませんか?」

 

ゆうちゃんに呼び出された。

どんさんには内緒の呼び出し。

結婚パーティでどんさんにドッキリを仕掛けて喜ばせたいそうだ。

 

 

なんだよこいつら。

いい夫婦かよ。 

 

 

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こちらが、ゆうちゃんとどんさん。

 

昨年に結婚したばかりの新婚カップル。ふたりの出会いから結婚までの軌跡があまりにもグッときたので勝手に記事にした。読んでな。

 

 

「僕たちの結婚お披露目会を記事にしてください」

 

そんな仕事の依頼がきたのは昨年5月。メールの主はどんさん。当時はまだ彼女だったゆうちゃんと一緒に私のブログを読んでくれていたらしい。仕事で繋がったが、同い歳のふたりとはすぐに仲良くなった。今では良き友達である。

 

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写真の通り、どう頑張ってもどんさんは笑顔が胡散くさい。高校時代までは真顔の写真しかないほど表情が硬かったらしいが、大学生の時に特訓してここまで口角が上がるようになったとのこと。すごいね。

 

きっと、いろいろ不器用な男だったんだろう。

 

昔に比べてニンマリした表情を作れるようになったどんさんだが、話していると「不器用なんだなあ」と思うことはよくある。嘘をつけなかったり、言葉のチョイスがちょっとずれたり、リアクションのタイミングがいろんな意味で絶妙だったり。というか写真を見るからに不器用。顔面が不器用。 

 

どんさんは、自分が不器用なことを知っている。

 

だからいつも、不器用なりに全力で、ゆうちゃんへの愛情をあらん限り伝えようとしている。

 

 

仕事を依頼してくれる際、どんさんは私に言った。

 

 

「僕と結婚してくれたゆうちゃんに、僕ができることなんて、ゆうちゃんが喜んでくれるを必死に探すことだけなんです」

 

 

 

グッときた。

 

不器用で笑顔は胡散くさいけど、お世辞抜きにカッコイイ男だと思った。

 

私に仕事を依頼してくれたどんさんに、私ができることなんて、どんさんがゆうちゃんのために出来ることを必死に探してゆうちゃんが喜ぶ仕掛けをマジで至るところに散りばめた素敵でしかない結婚お披露目会のハイライトを必死に綴ることだけなんだ。

 

 ただ、それだけなんだ。

 

 

 

前フリでした。

以下,、本編をお楽しみください。

 

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お披露目会の当日は、爽やかな晴天

 

に恵まれないどんより曇りのお天気。

頼むぜどんさん。

 

新小岩駅から歩いて10分。平和で静かな住宅街の中に現れた、とても雰囲気の良い古民家の貸しスペースが会場だった。

 

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超穴場。

ゆうちゃんのお知り合いがやっている貸しスペースで、スーパーお手頃価格で独占レンタルできるみたい。私もここで結婚パーティしたい。というか結婚したい。施設が気になる方は「空の杜」で検索してね。あるいはここをクリックしてね。

 

 

会場に到着すると、受付にはこのポスター。

 

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ふたりのことが大好きだからこそ言うけど本当に馬鹿だと思う。

なにやってんだ。

 

会場の中に入ると、こいつがいた。

 

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ひとつだけ言っておくと、実物の気持ち悪さは写真の比じゃないからな。

 

泣く子もだまって失禁するこの物体は「ゆうちゃんへのプロポーズを体験させてくれるロボ」らしい。顔部分はiPadで、ゆうちゃんへのプロポーズの手紙を情緒たっぷりに読み上げるどんさんの顔面動画をエンドレスリピートで拝むことができる。誰も得しない。

 

気持ち悪いロボを差し置き、始まりました。

ゆうちゃんとどんさんの「関東公演」。

 

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ふたりにとっては、結婚お披露目会ではなく公演。

公演のお客さんである私たち来場者を楽しませるために、たくさんのパフォーマンスを準備しているそう。ポスターやロボもその一部。

 

そして始まったのは

 

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落語。

初めて見る生落語、非常に良かった。

結婚お披露目会で落語、新しい。

 

ベテランの落語家さんなど、どうお近づきになったのだろう。どんさんゆうちゃんの交友関係は広く、いろんな業界の人たちがいて面白い。

 

例えば

ケータリングは、夫婦行きつけの絶品レストラン『BISTRO ELENA』プレゼンツ。

 

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(ELENAが好きすぎて、料理長を引っ張ってきたらしい)

 

「大好きなんです!美味しすぎるんです!真崎さんにも味わってほしいんです!」と2~3度力説されただけあって、美味しすぎたわ。お腹目立つ服着てたのに気にせず4回お代わりしに行ったわ。

 

そしてシンガーソングライターも歌っちゃう。

だって公演だもの。

 

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私の大切な友人である、しーちゃんこと風見穏香。昨年彼女のワンマンライブをブログで宣伝したら夫婦でライブに来てくれて、ライブ終了後すぐに「しーちゃん、関東公演で歌ってほしいです」とオファーをしたらしい。どんさんの行動は早い。

 

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空と海が地平線で交わる。

別々のものがひとつになる。

 

なんかそんな、夫婦みたいな曲だった。

どんさんの先輩らしき人がちょっと泣いてた。

いい曲つくるじゃん風見。

 

 

そして有名なクリエイターにも会えちゃう。

だって公演だもの。

 

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一部変態の間で大人気の「谷間ダイバー」の生みの親がダイバー達を引っ提げて参加されていたので、26年間まだ誰も飛び込んだことのない未知の谷間へダイブさせてやった。大学時代好きだった人に「こんなにムラムラ来ない巨乳も珍しいね!」と言われた割れ目がこちらになります。

 

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新婦ゆうちゃんの神聖なるキャニオン。

美乳だな。くそ。まあ私のほうがデカいがな。

 

 

公演、とはいえ、結婚パーティ。

やっぱり欠かせないのはこのイベント。

 

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Yes, ブーケトス。

しあわせ絶頂な花嫁が独身女性の群れに向かって投げる花束をもれなくキャッチできた人が「次は私なんだあ☆」と周囲も公認の勘違いに浸れるアレな。

 

写真右端、ポーズだけなら『進撃の巨人』に出てくる奇行種f:id:ai-en-house:20160531042551j:plainみたいな女が私。ブーケ取る気しかないからな。

 

私を含めた独身女性たちが息を止めて構える中

 

新婦ゆうちゃんが

ブーケを

 

 

投げた!!

 

 

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無様

 

もう全身で「うそーん」て言ってるの伝わる。さらにこの後「ゆうちゃんなんでもうちょい左に投げてくれへんかったん?」と新婦に突っかかる。繰り返す醜態。

 

開き直って、たくさんケーキを食べました。

 

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なんやねんこの写真。

幸せか。(間違いない)

 

このあと、ゲストから夫婦にプレゼント。

中身はワインオープナー

 

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もらったオープナーを使って、お酒大好き夫婦の公開共同作業。

 

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ゆうちゃん楽しそう。

 

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無事に栓も開き、高級なワインをグラスに注いで 

しあわせなツーショットをば。

 

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どんさん、悪い顔してんなあ。

このタイミングで胡散くさいやつ出たわ。

 

でも

 

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ふたり見てたら、あったかい気分なるなあ。

 

最後まで愛と笑いがつまった、しあわせいっぱいの結婚お披露目会、改め関東公演でした。

 

 

会場を後にしようとしたら、最後にまた目に飛び込んできた、どんさんがゆうちゃんに送ったプロポーズの手紙。

じっくり読んだよ。

 

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ゆうちゃんへ

 

 

あの時、何気なく声をかけた女の子、すごくたくさんの偶然が重なって知り合えた。奇跡みたいな子だなんて、本当にびっくりした。

 

二人の出会いは運命だったって、お互い笑いながらよく話すけれど、何かが一つ欠けていても、今の二人はないんだなって思うと、本当に幸せな気持ちになる。

 

ゆうちゃんがいてうれたから進めたことが沢山あるし、ゆうちゃんのおかげで絶対に知れなかった事や思いを沢山体験できた。

 

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これまで記念日とか、どれくらい付き合ったねとか言って、もう4年目になるけれど、記念日を忘れるくらい、一緒にいるのが当たり前になって、どれくらい一緒にいるのか分からなくなるくらい、同じ時間を過ごしたい。

 

ケンカもしてみたいし、ムダ遣いして怒られたいし、振り回され対し、困らせて欲しいし、何気ない事で笑い合って、一番の理解者になりたい。

 

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ゆうちゃんは頑固だし、わがままなところもあるけど、何にでも一生懸命で、何にでも挑戦して、沢山悩んで、少しずつでも前進しようとするところがすごく愛しい。ゆうちゃんに振り回されたり、ゆうちゃんのことで悩んだりするのが、すごく大切で、かけがえのない事だ。

 

子供なんて要らない。結婚もしない。彼女も要らないってずっと考えていた自分を完全に変えてくれた。

 

毎日名前を呼び合って、飽きるくらいキスをして、ゆうちゃんを見ながら眠りについて、朝一で目に入るのはゆうちゃんで、ゆうちゃんの事を思いながら仕事をして、ただいまって言って、そんな関係になりたい。

 

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だから、結婚してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「で、最近どうなん?」

 

 

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3か月後、ゆうちゃん召喚。

もちろんどんには秘密な。

 

真崎「結婚してからしばらく経ったけど、結婚生活どうよ?」

ゆう「んーどうかなあ……」

真崎「そろそろどんさんから何かしらボロ出てへん?」

最低。

 

綺麗な雰囲気のままで記事を終えるほど私は心美しい人間ではなく、「新婚夫婦、幸せ絶頂の結婚お披露目会から3か月後の実態は!?」みたいな、三流週刊誌にも載らなそうなゲスで低次元な取材記事を載せたいわけです。 

 

 

真崎「どんさんへの不満はある?」

ゆう「不満……うーん……」

真崎「些細な違和感も掘り起こして」

 

ゆう「うーん…………イベント好きでよく家に人呼ぶわりには、全然準備しないしみんなで飲んでても早い段階で寝るし、そういう時はちょっと"しっかりしてよー"って感じることもあるかもしれないです……」

真崎「その調子やで」

 

ゆう「あとは……」

真崎「あとは……」

 

 

ゆう「ないかなあ」

真崎「うそやん」

 

真崎「遠慮せんで愚痴ってええんやで」

ゆう「うーん…………あ」

 

 

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ゆう「パスケースくれました」

真崎「ええ奴やな」

 

 

ゆう「あと」

真崎「おう」

ゆう「朝ごはんいつも一緒に食べるんだけど、家を出た後必ず『朝ごはん美味しかった、ありがとう』とか『昨日の夜いっしょに食べられて嬉しかった』とか送ってくれます」

真崎「素晴らしい旦那やな」

 

 

ゆうちゃんからどんさんへの愚痴は一向に出てくる気配がなかったので、こちらから変化球を投げることにした。下衆と呼んでくれ。

 

真崎「じゃあさ、ゆうちゃん」

ゆう「はい」

 

真崎「どんさんって突拍子もないこと言い出すやん?」

ゆう「はい」

 

 

真崎「もし、今日家帰ったらどんさんが急に『俺、お笑い芸人になるから明日仕事辞めるわ』って言い出したらどうする?」

 

 

どう?

これどう?

 

 

 

ゆう「えー、毎日面白くなりそう」

 

 

(´◉◞౪◟◉)

 

 

真崎「ええんや」

ゆう「だって楽しそうじゃないですか?」

真崎「仕事辞めてもいいの?」

ゆう「まあ私も働いているので、彼の収入がなくなってもしばらくはなんとかなると思います」

真崎「たくましいな」

 

ゆう「あーいいなあ。面白そうだなあ」

真崎「ゆうちゃん、私の負けやわ」

 

 

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どんさん

ゆうちゃん

 

これからも、ずっとそんな感じでな。

 

 

真崎

 

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「こいつは大丈夫」と思ってくれる友人各位と「この子はどうにもならん」と諦める母について

 

 

「あんた、シェアハウス出るの?」

 

ばれた。

 

 

6月に沖縄へ移住することが、自ら報告する前になんらかの形で母に伝わってしまった。

私の名前でエゴサすればこのブログは即ばれる。母はただのmixi中毒でネットの世界には疎いだろうとタカをくくっていたのけど、ばれたのか。見てるのか。

母、見てるのか。

 

「なんで言わへんの?」

「どっかで言うつもりやったよ」

 

「どっかっていつ?」

「移住した後」

 

それは親不孝だよ真崎、と懇意にしている方から叱責されたのはゴールデンウィークの帰省時。「だって...」とへの字口な私。

 

 

1社目をクビになったこと、2社目を2か月で辞めて転職活動していたこと、横浜から池袋に引っ越したこと、3社目を辞めてフリーランスになったこと、これらすべて母には事後報告した。

 

事後であれば、母がなんと言おうと手遅れである。「フリーランスなんて食べていけるわけないでしょ、会社続けなさい」なんて万が一言われても「でももう会社辞めちゃったしフリーランスなっちゃったし食べていけちゃってるもん」と返せたなら「んもうアンタは」で話は終了。相手がどうしようもない現実を先につくってしまうに限る。

 

 

母に止められたら止まりかねない。

怖いもん。

 

 

でも、今回は事前にばれてしまった。

 

 

「あんた東京好きって言うてたやん」

「東京嫌いになったなんて言うてへんやん」

 

「じゃあなんで沖縄行くん」

「なんか行きたくなってんもん(雑)」

 

 

そして、予想通りやってきた。

 

 

「沖縄って怖いんやで」

「犯罪率すごい高いんやで」

「東京みたいに夜遅くウロウロできへんのやで」

「東京みたいにたくさん仕事ないんやで」

「食べていけるか分からへんのやで」

「今までみたいに周り友達おらへんのやで」

「今までみたいに助けてもらえへんのやで」

「台風だって多いんやで」

 

「あんたみたいなんが行って大丈夫なんか?」

 

 

怒涛のネガティブキャンペーン

 

 に

 

プチーン

 

 

「こうなるからイヤやってんやん」

「なにがイヤなん」

 

「なんでいつもそうやって不安ばっかり煽るん」

「不安煽ってるんじゃないやろ」

「煽ってるやん、そんなん言われんでも大丈夫や」

「なにが大丈夫なん」

「行ってみななんも分からんやん」

「だからs「もう分かってるっt「分かってへ「分かってるや「分か「だから分かってるって言うてるやん!!!!!」

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

3月末に沖縄行きを決めてから、同居人、身近な友人知人、仕事関係者の方々、そしてSNSでもそれとなくお知らせしてきた。

 

反応は、大きく分けて2つ。

 

「めっちゃいいね。楽しんで」

「沖縄に家ができた。楽しみ」

 

以上。

わりとゆるい。

 

もちろん「家は?」「車は?」「仕事は?」と聞かれることもあり、今のところ「決まってない」「持ってない」「なんとかなる気がする」としか答えられていない。当時の有り金は5万のみ。

 

それでも「へーでも大丈夫だろねー」とみんな言う。そして沖縄いいねー海いいねー移住いいねーあったかいのいいねー泡盛いいねーエイサーいいねーと私のわくわくを助長してくれるような言葉を皆さま重ねてくださる。

 

みんなそこまでの関心を持って言葉を発しているわけではないかもしれないけど、それでも私にはその適当さも含めてありがたい。そして私自身も「まあいろいろなんとかなるだろう」と思っている。

 

たぶんみんな「こいつ大丈夫」と思ってくれてる。

そして私も「わたし大丈夫」と思っている。

 

 

以前は、そうじゃなかった。

 

三浦しをん舟を編む』を読みながらつぶやいた)

 

 

「会社、まだ辞めないほうがいいよ」

 

2社目の会社で心が死にそうだった頃、会社を辞めるかどうか相談した友達の多くにそう言われた。

 

理由はさまざま。

1社目も2か月でクビになっているのに次も2か月で辞めたらヤバイという人。最初は苦しくて当然だし2か月では仕事の楽しみも嬉しさも分からないという人。ネガティブな気持ちで辞めたら自分を嫌いになるよという人。

 

かくなる私が一番「今辞めたらやばい」と思っていた。

 

今辞めてしまったら。

こんな私を雇ってくれる会社などない。

こんな根性のない私ができる仕事などない。

こんな私は仕事を辞めたらもう食っていけない。

こんな私は社会に居場所などない。

こんな私はとりあえず将来めっちゃやばい。

 

本当にそう思い込んでいて、「不安」をモチベーションに仕事を続けていた。社会的な死をなにより恐れた。心が死ぬことよりも社会的に死ぬほうが怖かった。

 

 

(中略)

 

 

あれからいろいろあって、座右の銘が「意外となんとかなる」になった。

 

会社は結局ネガティブな状態で辞めた。でもその後「なんとかせねば」ともがく私と「なんとかしてやろう」と手を差し伸べてくださる各種皆様とのマッチングに次ぐマッチングにより、その後いろんなことが多分なんとかなった私は「いろんなことは意外となんとかなるのかもなあ」と思うようになった。

 

もしなんとかならない由々しき事態が起きたらどうなるか考えたけど、そのときは座右の銘が「意外となんとかならないかもしれない」に変わるくらいしか思いつかなかった。とりあえず何か起きたときに考えようと思った。

 

 

そして、不思議なことが起きた。

 

 

3社目の会社を辞めること、フリーになること、朝キャバをやること、ライターの仕事を減らしたこと、突然沖縄に行くと言い出したこと。

 

それらすべてに、「やめときなよ」と言う人が誰もいなくなった。

 

いいじゃん、面白そう、やってみなよ、真崎がそう思うならそうだよ、どうにかなるよ、どうにでもなるよ。

 

そんな言葉しか返ってこなくなった。

 

 

私が「不安」をモチベーションにしているとき、周りは私に不安をあおった。

 

私が「不安」じゃなくなったとき、周りは途端に不安をあおらなくなった。

 

 

かつての私の心情であれば、たぶん周りは沖縄行きを止めたかもしれないし、私も不安で足を止めたかもしれないなあと思う。

 

良いのか悪いのか、私も周りも、だれも特に私のことを心配していない感じがして、それがとてもラクで嬉しくて、なんともありがたいなあと思った。

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

「行くなら行くって、ちゃんと報告しなさい」

「ん、ごめん」

 

「いつ行くん」

「6月」

「もうすぐやん」

「もうすぐねん」

「アンタはほんま」

 

 

「私が沖縄住んだらいつでも遊びに来れるやん」

「……」

「……」

 

 

「……お母さん、あそこ行きたいわ」

 

「どこ」

美ら海水族館

「任せろ」

 

 

母との関係性は、すこぶる良好、だと思う。

 

これでも、母は不安を煽らなくなったほう。昔は私の考えが変わるまで怒鳴ることだってしばしばあった。今回のような会話は新しいことを始める際の儀式みたいなものだと思っている。

 

友人たちから感じる「こいつは大丈夫」とはまた別の、「この子はもうどうもならんねやろな」みたいな、信用よりも諦めに近いなにか。

 

 

お母さんが口うるさいのは諦めるから、私が将来も考えず好き勝手ふらふらするのも諦めてね。

 

 

友人との関係性とは違って、親子の間にある信頼関係って、諦めに似ているのかもなあと思った。

 

 

真崎

 

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「全部できんでええねん、そのためのチームやろ」-新米ライターの私が編集長パイセンに教わった6つのこと

 

「闇を抱えたビジュアル系ミュージシャンみたいな見た目の方やなぁ」

 

編集長パイセンの第一印象。

ラルクのyukihiroに笑えるほど似ている。

 

(編集長パイセン)

 

 この1年間で最もお世話になった方なので、感謝の気持ちも込めてパイセンから学んだことをまとめてみようと思う。私が下手な文章でヘタな内容を書けばパイセンの株も暴落するプレッシャーで既に吐きそう。

 

目次

0. パイセンとの出会い

1. 俺は上司ではなくパイセンやからな

2. このタイトルで誰が記事読むねん

3. お前の文章は漢字だらけで硬すぎる

4. お持ち帰りされたかったらシェリーを頼め

5. 文字起こしまとめみたいなお前の取材記事をちゃんとフーリエ変換しろ

6. 全部できんでええねん、そのための「チーム」やろ

 

 

0. パイセンとの出会い

 

「私、このままじゃライターとしてやばい」

 

そう思い始めたのは昨年の7月某日。朝キャバのお客さんとテキーラの飲み比べをして盛大にリバったトイレの中だった。

 

朝キャバの売り上げと朝キャバネタのブログ記事PVを伸ばす一方でライター収入や実力は一向に伸びた気がしなかった私は、どこかの会社に潜入して誰かに直接ライティングの指導をしてもらおうと考えた。

 

そして、Wantedlyで目ぼしい求人を貪っていて発見したのがこの記事だった。

 

www.wantedly.com

 

スマ活(※現在はLIFE SCOPE)は60万人の就活生全員が、周りに流されず自分なりにキャリアを築くように意識づけること。読んだ人を動かすことができる記事を増やしていきましょう。

 

「人の心と足を動かす文章を書きたい」と息巻いていた当時の私はこの言葉に心がドキドキそわそわした。

 

ライターとして応募しているのに、プロフィールがスカスカな人も少なくありません。情報がなさすぎて、何も判断できません。「まずは会って、話してみて見極めてください」っていうポジションじゃないですよね?

 

プロフィールがスカスカだった私は急いで全項目を埋めた。そして「はっ!まんまと行動させられた!」と素直に感動し、この記事を書いた方に「私もこの記事みたいに人の心と足を動かす文章を書きたいです!!」とエモいメールを送って応募した。

 

面談担当が、その求人文章を書いた編集長パイセンだった。

 

闇をかかえた(以下略)な見た目で驚くほど早口、書く仕事を始めてから7年、理系出身で非常に論理的、理詰めで人を潰せるタイプ、散らかった情報を綺麗にまとめるのが得意、ライティング以外にも作詞作曲や動画制作などもこなすモノづくりのオールラウンダー。全体的に私と正反対な印象を受けた。早口が唯一の共通点だった。

 

この人とやっていけるだろうかと不安になりつつ、無事に採用された。後々理解したが、一緒に記事をつくる上で、この「正反対」が非常に重要だったらしい。

 

 

 

1. 俺は上司ではなくパイセンだからな

 

 

入社直後に投稿したこのつぶやきを見たパイセンは「俺は上司様じゃない」と私に言った。じゃあ誰ですかと突っかかったら「ちょっとだけ経験の長いパイセンや」と言われた。その日から編集長パイセンは編集長パイセンになった。

 

パイセンの中にある想いは「良いモノ・面白いモノをつくりたい」ただそれのみだった。よって良いモノづくりを阻害する全ての要因を排除したいとよくよく語っていたパイセンは、「上司・部下という面白くない上下関係(パイセン主観)」を早々に排除した。

 

わたしの特性を知ってか知らずか分からないが、これは非常にありがたかった。「1年間は文句を言わず上司の言うことに従え」という英才教育を施す会社であっさり心を病んで2か月で退職した私は「上司・部下」の関係性にトラウマしかなかったからである。

 

敬語は崩さなかったが、パイセンとは非常にフランクに話せた。私の生意気な意見も文句も聞いてくれて、対等な目線で議論し合える環境をつくってくれた。

 

 

2. このタイトルで誰が記事読むねん

 

 

『「あの頃のゲーム」を超える「これからのゲーム」は僕らがつくる。開発のプロと全国の熱いゲーマーが集うハッカソン開催』

 

これは、私が入社後に初めて書いたハッカソンPR記事である。そしてこのタイトルは、パイセンと隣に並んでチャットワークで2時間アイデアを飛ばし合いながら作成した。

 

「どんなタイトルが正解かは俺にも分からん。ただお前がつけたタイトルでは誰も読まへんのは分かる」

 

私が提出した初稿のタイトル【ゲーム好きな学生向けハッカソン開催】を見たパイセンは苦言を呈した。戸惑った。それまでタイトルの重要性を意識したことがなかった。(ライターとして致命的なやつ)

 

イデアをぶつけながら完成したタイトルを見て「これならペルソナに刺さるし情熱を感じる」と言ってくれた。それまでペルソナの意味を知らなかった。(勉強不足すぎて恥なやつ)

 

そのときからタイトルづけの意識が変わった。読んでほしいターゲット像と記事のメッセージを明確にして、SEO記事であればキーワードも組み入れつつ、短く明文化するよう心がけた。

 

 

3.  お前の文章は漢字だらけで硬すぎる

 

 

 

前章の「苦言を呈した」は、ブログならともかく就活メディアに載せる記事だったら「注意された」とパイセンに変更されたかもしれない。

 

「お前の記事は漢字が多すぎやし変に難しい言葉使おうとするから硬すぎる。南無妙法蓮華経みたいに漢字続きになっても気にならん感覚はおかしい」

 

図星だった。漢字を多用して難しい言葉を使ったほうが頭良さそうやしなって思って文章書いてた。(エゴとバカ丸出し)

 

私のくだらない虚栄心はさておき「読者が読みやすいかどうか、読者にどんな印象を与えたいかをきちんと考えろ。それに合わせて表記や単語を使い分けろ」とのアドバイスだった。

 

 

4. お持ち帰りされたかったらシェリーを頼め

 

真崎「パイセン」

パイ「ん」

 

真崎「最近何回かデートしてる人おるんですよ」

パイ「真崎もついにか」

 

真崎「いつもバー行くんですよ」

パイ「おお、その後なんかあるんか?」

真崎「ないっす。午前2時頃に解散っす」

 

パイ「お前それはアカンやろ。お持ち帰りされたかったらシェリーを頼め

 

真崎「なにそれ」

パイ「相手が分かる奴やったら"今日はOK"って伝わるから、次のデートで試してみろ」

真崎「いや、いいっす」

 

 

5. 文字起こしまとめみたいなお前の取材記事をちゃんとフーリエ変換しろ

 

 

 

「お前、この記事でなにが言いたいの?」と、インタビュー記事の初稿を見たパイセンにこの言葉を何度も突き付けられた。

 

「~~な理由ってタイトルやけど、その理由を30秒以内に答えろ」と、タイトルと内容が噛み合っていなかったときに詰められた。

 

「お前、結局聞いたこと時系列にまとめてるだけやんけ」言い返せずに小声でサーセンと謝った。

 

インタビュー記事をまとめるのが病的に下手で詰められっぱなしだった私に、パイセンはいつも「ちゃんとフーリエ変換しろ」と言ってきた。フーリエ変換とは、実変数の複素または実数値函数を別の同種の函数に写す変換である(wikipediaを棒読み)。

 

 

ここでパイセンが言うフーリエ変換は「で、要はなにが言いたい記事なの?」ということである。

 

 

インタビューは情報がとっ散らかる。

その中から、最初に核となるメッセージを決めろ。

その核をもとに背骨を通せ(=筋が通るよう全体の構成を考える)。

あとは必要な情報で肉付けしろ。

 

見切り発車で記事を書き始めて迷子になってしまう悪癖のあった私は、パイセン流の「フーリエ変換的」記事作成方法を今も愚直に守っている。

 

そして内心「やたら理系用語を多用しよって」と毒づいている。(ほかにも因数分解量子力学の話があったが面倒くさいので割愛)

 

  

6. 全部できんでええねん、そのための「チーム」やろ

 

 

 

真崎「パイセン」

パイ「ん」

 

真崎「この前、別の編集者さんとこで原稿書いて提出したら、めっちゃ赤入れ丁寧にしてくださって、血文字みたいになった原稿返していただいたんですよ」

パイ「うわーその編集さんの気持ち分かるわー真崎の原稿ツッコミどころ直しどころ多すぎやからなー俺も大変やからなー」

真崎「サーセン」

パイ「日本語くらい正しく使ってほしいわー」

真崎「サーセン」

 

 

真崎「パイセン」

パイ「ん」

 

真崎「私もっといろんなこと出来るようならなアカンなーってちょっと焦ったんですよね。良い企画出すのもキレイな構成も上手なタイトルづけも影響力持って拡散するのもデータ解析とかも」

パイ「……」

 

真崎「じゃないとライターとしてアウトな気する」 

パイ「俺はそうは思わんなあ」

 

 

('ω')

 

 

パイ「正しい日本語で文章書くのは大前提な。で、もちろんなんでも出来たほうがええし、ライターにはそれが求められてるかもしれん」

真崎「ウス」

パイ「でも、俺は求めん」

真崎「ほ」

 

パイ「お前がなんでも出来るライターなら、俺らがチーム組む意味ないやんって俺は思うけどな」

真崎「チーム?」

 

パイ「俺は、情報整理とか構成、ペルソナに合わせた見せ方を考えるのが得意で」

真崎「ウス」

 

パイ「お前は俺が得意なやつが苦手や」

真崎「ウス」

パイ「特に整理整頓が下手」

真崎「ウス」

パイ「部屋汚いやろ」

真崎「ウス」

 

 

パイ「ただ、たまに特大ホームラン打つやろ」

真崎「ホームラン?」

 

 

パイ「お前の強みは、人を惹きつける文章を書けるところ。共感の波を起こしたり、あとは単純におもろかったりな。職人よりタレントっぽい」

真崎「ウス」

パイ「俺は裏方に徹する職人派」

真崎「ウス」

 

パイ「お前の情熱は人に届く。だから、お前は書きたいと思った記事を情熱込めて書いて、俺はその記事がより届きやすくなるように整理してタイトルも考え直す」

真崎「ウス」

 

 

パイ「俺がフォローできるから、お前は空振り三振を恐れんと特大ホームラン狙って毎回おもいっきり振り切れ」

 

 

 

お互いの想いや情熱は共有して、モノづくりの過程で出てくる苦手なことは得意なチームメイトに補ってもらって、一緒にええモノつくったらいい。

 

 

パイ「そのためのチームやろ」

 

真崎「ウス」 

 

 

 

 

言うのも憚られるほどのド基礎から、パイセンには本当に多くのことを教わった。6つでは収まらないほど教わった。

 

当時や今も先輩ライターさんや編集さんの指導を仰いで鍛えてもらっているので、すべての成長がパイセンのおかげな訳ではもちろんない。

 

 

でもパイセンは、ライターとしてくすぶっていた私に、すごく大切なことを教えてくれた。

 

 

それは、「誰かと一緒にするモノづくりはとても楽しい」だった。

 

 

 

感謝してもし尽くせない。

 

今はもう会社を辞め、パイセンと一緒に仕事はしていない。ただまたいつか一緒に記事づくりが出来たら嬉しいなと思っている。

 

 

 

そんなパイセンが、ライター・ディレクターの求人出していました。

 

 

www.wantedly.com

 

 

何卒。(宣伝)

 

真崎

 

 

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「書くことが好きだから」と、ブロガーの私がライターになって1年間で感じたこと

 

  

 

わたしやわ。 

 

あと「書くのが好きだからライターになりたいですって言ってる奴は例えば昔書いていたmixiの日記が知人にちょっと人気だっただけで文章書くのが得意だと勘違いして、ライターになってから"なんか違う"ってつまづく」みたいなつぶやきも過去どこかで拝見したけど、その分かりやすい具体例がもろ私です。

 

冷や汗かきつつ「書くことが大好きで大学時代から書いていたmixi日記や細々更新していたアメブロ日記が身近な友人に好評だったので調子にのってライターになった女」の1年や今感じていることを書こうかと思います。

 

この記事では「ブロガー=自分のブログ(=自分の言葉を発信できるweb媒体)を持ち、好きなことを書いて発信している人」とします。そうすると、私は1年前に調子のってライターになったブロガーです。

 

「ブロガー=イケハヤさんみたいな人=ブログを書くことで収入を得て生計を立てている人」というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、私のブログ収入は0円です。余談まで。

 

****************************************

目次 

・ライターになって得た3つの喜び

・ライターの「書く」と、ブロガーの「書く」の、圧倒的感覚差

・今後(沖縄生活)について

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ライターになって得た3つの喜び

 

 

「なんか違う」

 

つまづいたのは、ライターを始めてから2か月目のことでした。早。

 

ライターになる直前に書いたブログ記事が偶然バズりました。ライターになったばかりの昨年4月、そのバズ記事を「実績」だと勘違いしながら興味のあった会社にノコノコ出向いてメディア担当者さんに面談させてもらったところ

「たとえバズっても読者がたくさんいても個人ブログは実績はならないよ。ここで書きたいなら、クライアントに報酬をもらい相手の意向に沿って文章を書く商業ライティングの経験をしっかり積んできてね」

 

 と言われたので、それから半年ほどコツコツ商業ライティングを頑張りました。

 

未経験OK案件をたくさん受けて、スポーツ・美容・健康・アプリ紹介など、いろんな分野に手を出して日々記事を量産していました。

 

その一方で副業だった朝キャバでの出来事や日々の雑感を時々ブログに書きました。ライターとして書いた記事とブログ記事をぽんぽんとSNSに投稿していました。ブログのほうが圧倒的に良い反応をもらえました。

 

商業記事を見て「なんか真崎っぽくない文章だね」と友達から指摘を受け「いやいや、私の個性や主張は求められてないからさ」みたいなことを当時は言っていました。

 

ただただ必死でした。

当時のモチベーションは「焦燥感」でした。

 

あの頃ライターとして私が感じていたポジティブな感情と言えば、納期までにきちんと記事を収めることができた安心感、たまに記事を褒められたときの嬉しさ、お給料が振り込まれたときのありがたみ、この3つだったと思います。

 

 

その後、私がもっと違った部分で「ライターとしての楽しさ」を感じられるようになったのは、以下3つの転機のおかげでした。

 

 

1つ目は、「Plus-handicap」で記事を書き始めたことです。

 

ここで得たのは「自分の情熱に合致する記事を発信できること」でした。

 

「生きづらさ」は私にとってどんぴしゃの関心分野でした。不登校・キャリア教育・発達障害摂食障害・自殺など、あらゆる生きづらさに焦点をあてた取材記事やコラムを書いては「誰かが死ぬ前に届け」と思って発信していました。

 

 

 

2つ目は、渋谷のITベンチャー企業・Giveryで内勤ライターとして採用してもらったことです。

 

ここで得たのは「誰かと一緒にモノ作りをする楽しさ」でした。

 

こちらでは、就活メディアでコラムや内定者・社員インタビュー記事を書いていました。この1年で最もお世話になった編集長パイセン(見た目は闇を抱えたビジュアル系ミュージシャン風)と毎日顔を合わせて企画を考え、書いた記事を目の前で編集してもらい、私もあーだこーだと口出ししながら記事を作り上げることは本当に楽しかったです。

 

 

 

3つ目は、WEB制作会社の㈱LIG主催の記事作成ハッカソンで最優秀賞を取ったのがきっかけで、仕事依頼、特に取材・インタビュー記事の執筆依頼が増えたことです。

 

ここで得たのは、「人の話を聴けるワクワク感」でした。

 

この1年でざっと60名くらいの各種皆さまにお話を伺いました。知りたがりで好奇心旺盛、他者の価値観や人生に興味津々の私にとっては、インタビュイーのお話を聴けることはワクワクの連続でした。取材後はいつも興奮気味に「絶対いい記事書こう」と熱くなっていました。

 

 

3つの転機でライターの仕事に楽しさを見出しせた私は、それなりに充実した日々を送ることができていたと思います。

 

 

ライターの「書く」と、ブロガーの「書く」の、圧倒的感覚差

 

 

私は、「書くことが好き」だからライターになりました。

好きを仕事にしたくてライターになりました。 

 

 

そして、ライターになって得た喜びは

 

「自分の情熱に合致する記事を発信できること」

「誰かと一緒にモノ作りをする楽しさ」

「人の話を聴けるワクワク感」

 

 でした。

 

 

「書くことが好き」を理由に始めたライターの仕事で、私は「書くこと」を楽しんでいませんでした。

 

 

気付いたときは、わりと衝撃を受けました。

でも納得感はありました。

 

 

 

 

ライターの仕事をしている中で、個人的にいま一番大変だと感じるのは「記事を書くこと」です。

 

ライターさんによって記事作成スピードは様々ですが、私の場合、最近は取材記事1本で早くても6時間、進むのが遅ければ12時間を超えることもあります。文字起こし抜きで、です。

 

取材からどの部分を拾ってどう構成してどんな言葉で始めてつなげて締めようか。文字起こし原稿を何度も読み返して手元の紙にあれこれメモして必死に脳内整頓。

 

やりがいはものすごくあります。

ただただ、すごく大変って話です。

 

 

 

で、差の話です。

 

 

書く前・書いている時・書いた後。

「書く」を時系列に分けて考えます。

 

ライターとして記事を書くとき、楽しいのは「書く前」で、嬉しいのは「書いた後」、「書いている時」は生みの苦しみでウオーンてなります。

 

ブロガーとして記事を書くとき、圧倒的に楽しいのが「書いている時」です。苦しいなんて感じたことはないです。

 

ブログを書く私は大義名分を持ち合わせておらず、「好きだし書きたいから書く」というシンプルな動機で言葉を紡ぎ出す作業は快感でしかないです。

 

 

好きじゃなかったからライター辞めますって話じゃないです。

 

ライターの仕事は好きです。

ただ書くことはしんどいです。

 

「(ブログで好きなことを)書くことが好き」と「(ライターで請けた仕事の記事を)書くことが好き」を同種だと勘違いしてしまうと私は苦しくなってしまったので、自分はそれぞれどこに楽しさを感じているのか自覚しとけって自戒です。

 

そのうえで、自分がどう日々を過ごしたいのか。どう生きていきたいのか。自分の心に嘘をつかずに向き合えって自らに突き付けている感じです。

 

 

今後(沖縄生活)について

 

 

6月から沖縄に住みます。

 

沖縄でもライターをするつもりです。

 

筆力のなさで誤解を招いたかもしれませんが、総じてライターの仕事は好きで、情熱も持っています。書くのは大変だけど、いいものつくるために気張っています。

 

よかったらお声がけください。沖縄・九州あたりの取材とか、もしやらせてもらえるなら是非振っていただきたいです。

 

 

あとは、東京での生活よりも、気持ちのんびり暮らすつもりです。

 

自分の心にある「好き」「楽しい」にもっと従って、たぶんもうちょっと自分の文章を書く時間を増やすと思います。もうちょいブロガー感出している気がします。

 

空いた時間はキレイな海の見えるカフェに行って、オープンテラスで太陽の光と爽やかな風を浴びながら自分の書きたいことを思う存分書く、みたいな日々を過ごして自己陶酔している予定なので、暇な人は遊びにきてください。

 

 

真崎

 

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お医者さんはメニエール病だなんて言うけれど

 

誤診を疑いながらあの日のことを書きますね。

 

3月30日深夜3時。

 

飲み会で強めのビールを2杯あおって帰宅、夜中1時から始めた文字起こしを終えてそのまま布団の中に入った私は疲労と酔いに任せて即落ちする予定だった。

 

 

「……なにこれ」

 

 

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なにこれ、なんてキレイ……

 

じゃなくてなにこれすっげー気持ち悪い。静止しているはずの景色が寝転んだ瞬間いきなり左回転。ぐるぐるバッド3時間くらいやり続けたら味わるんじゃないかなってレベルの激しいやつで脳内エレクトリカルパレード状態。気持ち悪くて寝返り打ったら5時間級にレベルアップで逃げ場なし。

 

あまりの気持ち悪さにのたうち回ること数分か数十分か数時間。気付けば無事眠りに落ちていたようでめでたしめでたし、本当の地獄は朝からでした。

 

 

朝8時。

 

ちゅんかちゅんかとスズメの鳴き声とともに爽やかに目覚めた私。この日は夕方に取材が1件、がんばるぞーなんて爽やかな気合いで身体を起こした瞬間エレクトリカルパレード再来。ひどいよミッキー。目に映るすべての景色と物体がねっとりと左回転して気持ち悪いのなんのって。

 

酔っ払いかなゾンビかなって足取りでフラフラと階段を上がってリビングに入ると私の顔を見た住人が「ちょ、顔真っ青やぞ」と驚き顔。「お、そっちは顔オッサンやぞ」なんて返しにもキレはなし。

 

「どうしたん?」

「なんか昨日の夜から目眩がすごい」

 

「どんな感じ?」

「景色がずっと左回転してる」

 

「二日酔いちゃう?白湯飲みや」

「そうする」

 

ぬるめのお湯をコクコクと飲んで一息。

ふぅ。

 

 

 

トイレにダッシュ

 

便壺を覗き込むようにかがんだ瞬間に口から清流。

いよいよやばそう。

 

出すだけ出してリビングに戻り、低めのソファにゴロンと寝転がったらやっぱり天井がぐるぐる回って気持ち悪い。寝転がるのが一番しんどそうなので、燃え尽きた矢吹ジョーばりのうなだれ感を漂わせながら座り込む。

 

「もしかしたら貧血じゃない?」

「それあるかもなあ」

「これ飲んでいいよ」

 

女子力高めな住人がベリーの鉄分たっぷり健康ジュースを分けてくれた。ありがたやーと濃い赤紫色のジュースをコクコクと飲み干す。

 

 

 

トイレにダッシュ。(デジャヴ)

 

これが本当のキャッチ&リリースってな具合にさっき入れたやつ全部出た。苦しさに涙をボロボロ流しながら振り絞る。でも出ても出ても胃腸あたりで消えないモヤモヤ感。腸炎にかかった人がよく「トイレと友達になった」なんて言ってるけど、こちとら便器とマブダチ。いろんな意味で汚い私をも全力で受け止めてくれる包容力にしばし身を預けた。

 

フラフラとリビングに戻って考える。

今日、取材だいじょうぶ……?

 

 

あるのは眩暈と吐き気のみ。熱は全然なかったので朝の間に2つの症状をどうにかすれば間に合うかもしれない。念のため担当者の方にご連絡を入れておき、取材のために準備開始。

 

「しゃべったら気持ち悪いねんけどさ」

「うん、それヤバない?」

「慣れたら大丈夫やろ、練習させて」

 

オッサン顔の同居人を捕まえて話す練習。

 

「今日仕事ないん?」

「今日は休み」

 

「仕事楽しい?」

「おーめっちゃええ感じやで」

 

「なぁ」

「ん?」

 

「気持ち悪い」

「おれ?」

 

ごめん違う、と言えずにトイレへダッシュ

ごめん、違うからな。 

 

取材の途中に気持ち悪くなったらどうしよう。最悪な状態を回避するため今のうちにすべてを出し切る決意。人差し指と中指をノドの奥まで突っ込んで号泣しながら便器と向き合う。すべては取材のため。かつてないほどに意識高い嘔吐。

 

もう絶対出し切って胃の中からっぽのはず。でも出るの。これぞ0→1。トイレん中で完全にイノベーション起きてんの。

 

一向に症状が改善されないので、改めて担当者の方にお電話でご相談。ありがたい&申し訳ないことに、私が行かなくてもいいように調整してくださりました。ご迷惑をおかけして不甲斐ない。

 

 

さて。

 

「これほんまなんなんやろ」

「二日酔いなら吐いて治ってんで」

「うん、たぶん二日酔いじゃないと思う」

「病院行ったら?」

 

病院にきた。

お医者さまと対峙。

 

「眩暈がするの?」

「はい」

「ここまでひとりで来れた?」

「はい、歩いているときが一番ラクなので」

「え」

「え」

「寝転ぶよりも?」

「寝転ぶのが一番しんどいんです」

「え」

「え」

 

眼球の動きを簡単にチェック。

ボールペンの動きを追えって言われて目の前で縦横無尽に動かされるペンをオエッてなりながら目で追う。ふむぅとお医者さん。

 

ついでにCTスキャン。異常なし。

 

ついでに点滴。

私の腕に針をさす看護師さん。

 

ラクに寝ていてくれていいですよー」

「寝転ぶのが一番しんどいんです」

「え」

「え」

 

ベッドの上で矢吹ジョーになること1時間。クラクラ感は若干残りつつも、朝昼に比べるとだいぶ景色が静止画モードに戻った。超ラクー。

 

そして診断。

 

「軽いメニエール病ですねー」

「メニエール?(ティッシュみたい)」

若い女性がなりやすいんですよー。疲労やストレス、不規則な生活が原因ですねー」

「(覚えしかない)」

「お薬出すので眩暈がしたら飲んでねー」

 

眩暈に毛が生えたくらいのもんだと思っていたところ、周りの各種皆さまから「えええええええええええええええええ」と予想外の反応。

 

メニエールなら無理しないほうがいい。

仕事はいいからとにかく休んだほうがいいよ。

遊んでストレス発散するといいよ。

うちのお母さんもなってたよ。

なかなか治らないらしいよ。

ストレス感じたらまた眩暈出るよ。

漢方薬がいいらしいよ。

エトセトラエトセトラエトセトラ。

 

たいへーん。

 

ということで、お言葉に甘えて1か月ほど全力で安静にしていた。時々仕事しつつも基本的には精神的に不健康なことしないようにした。

 

あの強い眩暈は発症した翌日以降まだ出ていない。そして私たぶんメニエールじゃなくねって思っている。そもそも眩暈は耳鼻科にかかるのが常識らしいのに私がかかったの内科でして。耳鼻科行くにはもう症状が収まりすぎていまして。

 

でもそのかわり風邪やら皮膚の感染症やら謎の顔面腫れ上がりやら軽く体調不良フィーバー起こしてた。

 

無理なんかしてた覚えはないけど、こんだけ重なるのは身体がなんかしらサイン出してんなーってことで、とりあえず6月から沖縄に住むことにしました。その話はまた後日。

 

真崎

 

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