真崎です

沖縄にいます

地方 is さびしい! 都会 is さびしくない! じゃあこのさびしくない山奥 is 何!【奈良・下北山村トライアル移住日記③】

  

 

「誰も知り合いのいない山奥の村」こと奈良・下北山村にきて1ヶ月。

9月11日の誕生日まであと1日。

 

きたる明日は、予定通りいよいよ宿舎にこもって泣きながらAmazonほしいものリストの作成

 

ではなく、昼にはコワーキングスペース・BIYORIで楽しく煮込みハンバーグランチ。夜はレストランバイト先のパートさんたちが「慰労会 兼 真崎さん送迎会」的名目のバーベキューを開催してくれるので、肉や海鮮をゴリゴリに食べて飲んで飲んで飲む。

 

あれ、ふつうに楽しくない?

なかなかどうしてハッピーじゃない?? 

沖縄の自室でタコライス食べてた2年前のぼっち誕生日より、わたし、なんだか明るい未来を生きてない????

 

うれしい予想外。

下北山村での生活が想像の582倍楽しい。

これまでいろんな場所に住んだ経験から「地方 is さびしい! 都会 is さびしくない! だからやっぱりわたしは都会!」と引くほど安直な理由で大阪に戻ったのに、このさびしくない山奥 is 何?

 

ゆるやかだけど濃厚な村暮らし。書きたいことは積もるばかり、でも最後の日記は8月26日。8月27日のことを書く気力・記憶ともにゼロ。

 

ということで、日記の代わりにこの14日間であった印象的なできごとをダイジェストでお送りします。

 

 

バイト先のパートさんたちとカラオケに行った

 

バイト先のレストランがお休みの日。パートさん4人&料理長さんと計6人で、村唯一のカラオケ喫茶に行った。

 

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(パートさんたちが持参してくれた、生ハムと手作りさんま寿司

 

わたしとパートさんたちとでは、年齢が約20~40歳ほど離れている。大人数でのカラオケにおいては、みんなが知っていて楽しめる曲しか歌いたくない。とはいえ初めてすぎるシチュエーション、選曲の正解がなかなか見えない。

「気を遣わずに、好きな歌を歌ってね」と言ってもらえたけど、わたしがマジで気を遣わずに絶叫クリープハイプなどしたら、たぶん、ちょっと、次のバイトが憂憂憂憂憂燦々。

 

最適解は、アン・ルイスの『あゝ無情』だった。

 

ドキドキしながら曲を入れると「いいね~!」「この曲好き~!」と嬉しいコメントをもらい、いざ曲が始まると

 

き~れいでししょ~\フッフー!/

ぎ~らぎらと~\フッフー!/

い~い女で~しょ~\フワフワフワフゥー!/

 

合いの手が完璧。なんだこれ。気持ちいいかよ。

  

パートさんたちが歌った曲だと、美空ひばり川の流れのように』、夏川りみ涙そうそう』、吉幾三酒と泪と男と女』あたりは知っていた。比較的年の近いパートさんがDA PUMPの『if...』を歌ったときは、わたしもめちゃくちゃテンション上がって勝手にオレの行く末密かに暗示する人honeyした。

 

その他に出てきた演歌はあまり知らない。が、どれも歌詞が興味深くてじわじわ聞き入ってしまった。ねっとりとした哀愁たっぷりに歌い上げられる、失恋、不倫、駆け落ち、心中。オイオイすごいな、攻めるな演歌。

  

ビールをジョッキで3杯。焼酎水割りジョッキで4杯。

散々飲んで歌って楽しんで、パートさんの車で宿舎に送ってもらい、親愛なる女友達2人に電話テロして寝落ちした。そして翌朝頭痛で死んだ。

 

 

村のわりと皆さんとバーベキューをした

 

7月にオープンしたばかりのゲストハウス・晴々に宿泊予約したことを村の方々に話すと、「せっかくだからその日にいろんな人を呼んでバーベキューしましょう!!」という話に。

 

その1週間後。

 

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こうなった。夏がきた。

 

村長や役場のみなさん、奈良県庁の方、NPOサポートきなりのみなさん、地域おこし協力隊、本案件のクライアント・SAGOJOの方、フリーのデザイナーさん、フリー(ライ)ターのワテ。総勢20名ほどのそこそこ大規模BBQとなる。

 

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 (ストーブをつかった手作り窯で炊くごはん)

 

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(お昼に川でおすそ分けしてもらったアユ) 

 

お酒の席はとてもとても愉快で怖い。楽しい記憶の片隅には「今すぐ全員の記憶を消して回りたい」と震える黒歴史がチラつく。

しかし現実、記憶を消して回りたいはずのわたしの記憶がもっとも曖昧。酔った。堕ちた。もう9%飲料ぜったい飲まない。あれ完全に合法麻薬。 

 

ともあれ楽しい場だったし、このBBQを以ってわたしの平成最後の夏は完成した。

 

 

めっちゃ大きい蛾がいた

 

 

日々いろんな虫とごいっしょする村暮らし。宿舎のゴキにすら「ただいま」と声をかける余裕まで出ていたところに現れたこの子。

は、ムリムリ規格外。蛾はダメ。デカさもダメ。もう全体的にほんとダメ。

この子が家にヒラヒラ舞い込んできたらどうしようと、ゲストハウスで震える夜を過ごした。無事だった。

 

 

台風21号で一晩停電、真っ暗闇なぼっち宿舎で平成最後のホラーナイトした

 

 

大阪をはじめ関西に大きな被害を残した台風21号。

下北山村も、もれなく彼に荒されていった。

 

わたしは1階あたり10部屋×2階建ての宿舎にひとりで滞在させてもらっている。雨風吹き荒れゴウゴウとうなる川を窓から眺めながら、この日もひとりパチパチとパソコン仕事をしていた。

 

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ら、お昼ごろ。

ふっと部屋の電気が消える。停電だ。

 

驚いたけどまだ外は明るく、少しだけうす暗くなった部屋でかまわず仕事を続けた。途中で寝た。夕方頃、復旧してパチっとついた電気で目が覚めた。

台風はもう遠ざかっていっている。

これでもう今日は大丈夫だろう。

 

なんて、余裕をこいていた。

 

ら、夜。まさかの停電アゲイン。

今度は、マジで、真っ暗。

 

 

スマホとパソコンがなければなにも見えない。ネットも繋がらなくてとてもじゃないが仕事ができる状況じゃない。

半泣きでベッドに寝そべり、そこからはもう純度100%の電子マンガ廃人になった。『累(かさね)』が面白かった。映画観なきゃ。

 

災害の備えをなにひとつしておらず、食料も皆無で「明日の朝までごはんガマンだ~」と思っていたところに、嵐の中ずっと災害対策にあたってくれている村役場の方から食事を心配する連絡が入った。

 

 

本当に本当にありがたい。皆さんも被災者で大変な状況の中こうして住民のために動いてくれている方たちがいるんだなと、しみじみ感謝しながらチキンライス2袋520gをペロリと平らげるタイプのデブ。

 

電力は復旧しないまま寝落ち。

そして早朝、ぱちっと電気とテレビが点いて目が覚めた。

 

電気ってありがたい。明るいってうれしい。インフラを支えてくださる方々、いつも本当にありがとう。 

 

なお、あれ以来ぼっち宿舎に対する怖さが消えた。あの夜に勝る恐怖なし。なんだかちょっとだけ強くなった気がする29歳ギリギリ手前。 

 

 

ツチノコの話やお箸の話、書きたいことはあと8500字くらいあるけど、ちょっと疲れててきたのでまた次に。今度ブログを書くときは29歳です。猛アピ。

 

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台風と、停電と、特別警報と幽霊の冤罪【奈良・下北山村トライアル移住日記②】

 

8月23日(木)

台風20号がくる。

早朝に「本日『きなりの湯』が臨時休業です」という村内放送が聞こえた。寝ぼけていたわたしはその放送が夢か現実か分からず、誰かに電話をかけて「今日『きなりの湯』のレストランお休みって本当ですか??」と聞いたら、相手に「そんなことを聞いてくるな!!!」とブチ切れられてビックリした。「これはさすがに夢だ」と思ったらやっぱり夢だった。

すると『きなりの湯』館長から電話がかかってきて、「今日は臨時休業になったので、バイトもお休みです」と穏やかな声で教えてくれた。こっちは現実。下北山村には夢より優しい世界がある。

 

レストランがお休みになる代わりに、大きなスポーツ公園の宿泊施設で、厨房・食堂のお手伝いをすることになった。

この食堂でわたしは毎朝ごはんをいただいているのだけど、朝食中にスマホをさわっていたことなどで、食堂のスタッフさんに何度か注意されたことがあった。

「正直わたしに良い印象はないだろうな、大丈夫かな」と脆弱メンタルが顔を出して、バイト開始までの時間は胃をキリキリさせていた。

 

が、杞憂だった。

わたしに重ねて注意をしたパートさんは、仕事をしながら「どこから来たの?村は楽しい?」と話をふってくれ、安心しながらいろいろ話した。

「野生の猿を初めて見ました、めっちゃかわいかったです」と言ったら、「猿なんかかわいくないよ!シカもウサギもイタチもかわいくない、獣害がひどいからね」と、心底憎々しそうにお話していた。

 

空いた時間にボーっとしていたら、料理人さんが「ここ、特別警報出たよ」と教えにきてくれた。

特別警報って、警報よりヤバいやつでは。

そういえばさっきから暴風で窓がガタガタ鳴っているし、雨の音もザザザやシトシトではなくズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボである。

 

洪水や土砂崩れなど大丈夫かなとソワソワしたけど、料理人さんは「大丈夫だよ~」と笑った。心配しても仕方ないなと思って、とりあえず無心でたくさんたくさんお皿を洗った。

 

バイトを終え、お風呂に浸かり、部屋に戻ってテレビをつけた瞬間に停電した。心臓がヒュッとした。

 

本当になにも見えない。どんなに目を見開いても闇、闇、闇。このシチュエーション、完全にホラーものの大好物。

いま目の前に白装束の女がいても分からない。その図を想像してしまい、怖さすぎてパニックになり、ブルブルと壁をつたいながら部屋のドアまでたどり着く。

鍵を開けてドアを押す。開かない。

めちゃくちゃ押す。開かない。鍵をひねってもう一度押す。開かない。押す。開かない。タックルのように押す。開かない。マジで開かない。

幽霊だ。死んだ。

 

半泣きで這いながら部屋に戻り、手探りでなんとかスマホを見つけて懐中電灯をつけ、部屋の隅で三角座りしながら復旧を持つ。

5分ほどで電気がつき、安心して再びドアに向かう。

ドア、引いて開けるタイプだった。ごめん幽霊、完全に冤罪。

 

 

8月24日(金)

この日は台風も遠ざかり、レストランも通常営業だった。前回の出勤から少し日があいたので、若干ドキドキしながらバイト先に向かう。

 

お店に入ると、ちょうど館長と最年長のパートさんがいて「今ちょうど真崎さんの話をしていたんだよ」と話しかけてくれた。

どうやらパートさんが「真崎さんは女の子なんだから、宿舎のシャワーじゃかわいそう。お風呂のことはもっと気遣ってあげないと!!」みたいなことを言ってくださったらしい。それを受け、館長はわたしがいつでも温泉に入れるよう手配をしてくれた。

「温泉のスタッフにも伝えておきますから」と館長。「よかったね」とパートさん。なんだか猛烈にジーンときてしまった。

 

「真崎さん、下北山村はね、本当に人がいいんですよ。下北山村派遣でよかったと思います」

トライアル移住初日に、奈良県庁の方がおっしゃっていたことを思い出す。滞在10日目、今のところこの言葉には150%同意しかない。

 

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(イタリアンの料理長がサクッとつくってくれた、まかないカルボナーラ。その辺のお店で食べるやつより俄然おいしい)

 

お盆も終わり、台風明けなこともあってお客さんは少なかった。ランチ休憩を終えてから4時間くらいの間、お客さんは1組しかこなかった気がする。

 

「やることないと逆にツライでしょ」とパートさんがいろいろと仕事をふってくれ、「お客さんいない間に座っときなさい」とイスを用意してくれ、「アイスあるよ!コーヒーも飲んでいいよ!」と料理長さんが冷凍庫をあけてくれ、くれくれ尽くしで怒涛の親切。「夜食にどうぞ」と、いつの間にか五穀米おにぎりまで握ってくれていた。こころがホクホクと満たされる職場だ。

 

お客さんの中にも、少しずつだけど顔見知りの方が増えていく。あるおじさんは、わたしが京都在住だと知ると「御所にある『一番星』っていうラーメン屋行ってみて!!おいしいよ!!!」とものすごく勧められた。行ってみようと思う。

 

tabelog.com

 

 

8月25日(土)

村では、土曜の9時半から「土曜朝市」が開催される。

「開始5分前くらいから来たら面白い光景が見れます」と聞いていたので、開始10分前から市場の前でスタンバイ。

 

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市場の前に、わらわらと村民の皆さんがやってくる。

 

村内では、普段このようにたくさんの人が集まる場面を見ることがない。村で知り合ったお姉さんに「めちゃ人来ますね」と言ったら「いや、でも今日これ少ないほうですね……なんでだろう……」とおっしゃっていた。

 

面白い光景=村民がめっちゃ集まって朝市開始とともに中になだれ込む様子、らしい。

この日はいつもより少なかったそうで、面白さレベル的には半笑いくらいだったようなので、また来週も見にきてみる。

 

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(とはいえ、この日もすごい勢いで野菜が売れていった)

 

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わたしもゴーヤとかぼちゃとブルーベリーをお買い上げ。

このブルーベリーは、バイト先のパートさんがご自宅で作っているものだ。バイトのときにおすそ分けしてもらうこともあり、下北山村に来てからめちゃくちゃアントシアニンを摂取している気がする。視力が良くなればいいのに。(裸眼 右0.2 左0.3)

 

宿舎で少し休んだあと、今日もレストランに出勤。

空き時間に『きなりの湯』館長から「よかったら、施設のFacebookページで発信をしてみてくれませんか??」とお話をもらった。もともとの仕事に近い業務内容で力になれることが嬉しく、快諾させていただく。

 

「発信できるようなことが少ないかもしれませんが」と館長はおっしゃっていたけど、発信できるようなことは、マジで、ガチで、めちゃくちゃある。

 

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村の特産品野菜「春まな」を使ったおいしいうどんに素麺にスイーツ、香りのよいお茶、花粉症に効果てきめんな柑橘「じゃばら」の調味料やジュース、美人の湯、イタリアンシェフがつくるこだわりのレストランメニュー(なお最高に美味い)

村民の方がつくる各商品のパッケージもかわいい。

わたしには宝(発信ネタ)の宝庫である。ウキウキしながらFacebookページ用の写真を館内でぱしゃぱしゃ撮って回った。

 

この日初めてパートさんとLINE交換をする。嬉しくてムズムズした。

 

 

8月26日(日)

バイトのときに、見知らぬ男性から「もしかして、トライアルステイの方ですか?」と声をかけていただく。わざわざ会いに来てくださったそうで、ご挨拶させてもらった。

その男性は、大越元さんという方で、わたしの大好きな求人サイト「日本仕事百貨」でライターをされていたらしい。今は、紀伊半島の暮らし方・働き方・過ごし方を紹介するローカルメディア「kii」を運営されている。

 

バイトを終えて宿舎に戻り、kiiの記事をゆっくり拝読する。

そして、和歌山県海南市のトライアルステイ案件を見つける。

 

【和歌山にて季節労働!FROMFARMプレゼンツの「農柑援農」/ 和歌山県海南市下津町】

 

ミカンを狩ってみたくなった。

どうしようかな、応募しようかな。

 

以前からわたしは「全国に顔見知りのバイト先を作りたい」と友人に公言していた。各地の知り合いの元で、季節労働、お店の手伝い、その他お互いのニーズが一致する形(ライターの仕事には一切こだわらない)で働かせてもらいながらその地で暮らす。

そんな場所をどんどん増やしていきたいと思っているし、下北山村トライアルステイに参加した動機にもその下心は含まれている。

 

期間が終わったあとも、なんらかの形で関わり続けたい。ふんわりとそんな気持ちが湧くほどには、すでにこの村をけっこう好きになっている。

 

 

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人生28年目の壁、ソフトクリームがきれいに巻けない【奈良・下北山村トライアル移住日記①】

 

 

 

こちらの案件を受け、8月14日から下北山村で1ヵ月間のトライアルステイをしている。

週4は村の温泉施設レストランでバイト、週3は村のいろんな人・場所を巡りながら記事とマップ作成を行うことになっている。

 

夜道を歩いていると目の前をシカ3頭が駆け抜けていくなど日々いろんな刺激があり、書きたいこともどんどん降り積もって「溜まり溜まって逆に書けないよ~~~ファオファオ」みたいな状態になってしまった。

 

そこで、とりあえず頭の整理とデトックスをかねて日記を書くことにする。

 

 

8月15日(水)

今日から温泉施設『きなりの湯』にあるレストランでバイトが始まる。お盆&村のお祭り日のため、施設の館長いわく「1年でいちばん忙しいかもしれない」とのこと。わたしの人生、安定して間が悪い。

 

パートさんは懇切丁寧に仕事を教えてくれて、わたしは必死についていく。それでも、普段の2倍近い忙しさらしく、まぁテンパった。

 

「真崎さん、慌てない。とにかく、慌てない」

慌てると動きがカサカサごきぶりめいてくるわたしと幾度となく衝突しかけたパートさんに諭される。深呼吸、と言われて、慌ててラマーズ法をする。 

 

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夜には、祭りの花火が上がる。

 

山間部のため、花火の音が山の中で反響しまくってものすごい爆発音になっていた。大迫力。

 

一昨年は沖縄で、去年は高知で、それぞれ当時好きだった人と花火大会に行った。ふたりとも今は隣におらず、なんならわたしはその地におらず、初めて訪れる山奥の村でパートさんたちと並びながら花火を見上げている。人生だなぁと思う。

 

 

8月16日(木)

バイト2日目。

28歳最後の月にして「ソフトクリームをきれいに巻く」という最難関ミッションにぶつかる。

 

上から垂れてくるクリームをコーンにくるくる巻けばいいわけで、パートさんたちは涼しい顔でカンタンそうにソレをやってのける。

でも、いざ自分の番がくるとまぁ巻けない。パートさんたちの前ではあれほど素直に巻かれていたクリームが、わたしの目の前では縦横無尽に暴走している。クリーム、わたし限定で反抗期じゃない?

 

失敗したソフトクリームは、パートさんがマグカップにつっこんでくれて「こっそり食べていいよ」と言ってくれた。落ち込んで食べるソフトクリームも、甘くておいしい。

 

村の伝統野菜「春まな」を使った「マナソフト」は、栄養満点だし苦みもなくてとても食べやすい一品である。

しかしお客さんの子どもには、「おいしいお野菜のソフトだよ~」とニッコリしても「野菜などお呼びでない」という顔面でバニラを注文される。どこに行ってもバニラは正義だ。

 

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パートさんとは、カラオケの話で盛り上がった。

 

「この村でカラオケできる場所はあるんですか?」と聞くと、「カラオケ喫茶が1つあるくらいだから、カラオケ好きな人は家にカラオケセットを持っているのよ」とのこと。

家同士の距離があるため、夜中に熱唱することも可能だそう。自宅でオールすることもあったそうで、カラオケにかける情熱がすごい。

 

 

8月17日(金)

バイト3日目。

皆さんから「大丈夫?疲れていない?」と気をかけてもらう。あまり疲れている感覚がなかったので「なんか思ったより大丈夫です!!」と元気よく返したその夜、宿舎に帰って即気絶した。10時間ほど眠り続けて、目覚めたらまぁ朝だった。

 

「初めての場所で、初めての仕事をして、初めましての方とたくさん出会っているんだから、身体は元気でも精神的にはかなり疲れているんだと思いますよ」

 

そう言われると、そうだなぁと思った。

でも、初めましてドーピングがない日々のほうが、わたしの精神には堪える。ヒマに疲れていた頃は「毎日はしゃぎ疲れて深く眠るような人生にしたいな~」と思っていた。この寝落ちはいい兆候である。

 

 

8月18日(土)

バイト4日目。

終わってから『きなりの湯』に入る。ここは少しトロリとした湯質で、なんだろう、肌がツルツルになるぞっ!みたいな説得力がすごい。

温泉が身近にある地域、とてもいいなと思う。

 

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きなりの湯HPより)

 

 

8月19日(日)

バイト5日目。

「少し慣れてきたころに、ものすごく初歩的なケアレスミスをするあるある」で、この日のわたしは開始1時間で「食券にテーブル番号を書き込む」というめちゃくちゃ大事な作業を2度も忘れた。

 

パートさんたちはめちゃくちゃ優しく、わたしの度重なるミスにも怒ることなく「慣れてくるとこういうことがあるから気をつけてね、私たちもみんなそうでした」と諭してくれる。

さらに、ミスが続いてちょっと凹んでしまったことに気付いてくれたのか、昼食を厨房にオーダーするときには「真崎さんのおにぎり、愛を込めて握ってあげて~!」と大きな声で叫んでくれた。

厨房からは「はいよ~!」とこれまた大きな返事。愛のこもった五穀米おにぎりは美味しく、いろんな感情を噛みしめながら半泣きでムシャムシャと食べた。復活。

 

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(まかないの真菜ソーメン。わたしが一番好きなメニュー) 

 

バイトの終わり頃、パートさんからカラオケ飲み会に誘われる。28日の火曜日に、4人でカラオケ喫茶へ行くことになった。嬉しい。

 

カラオケと言えば、最近はもっぱらひとりカラオケで、誰にも気遣うことなくひたすらクリープハイプと米津玄師を熱唱するワンマンプレーを繰り返していた。

久々の大人数(ワイ基準)で、しかも年代も大きく異なるメンバーである。

選曲の正解が分からず、とりあえず70~80年代の流行りを調べて、自分でも歌えそうな曲を探した。今のところ、最適解はサザンだ。

 

 

8月20日(月)

木~日がバイトで、月~水が休み&取材の日。今日は下北山村に来て初めてのお休みになる。起き、チャリで近くの宿泊施設まで行って朝食をいただき、宿舎に戻り、また寝た。2時間くらい寝た。至福。

 

お昼には役所の方がいろいろ村を連れまわしてくださった。コワーキングスペース『BIYORI』スタッフの女性とご挨拶。年が近いので嬉しい。

 

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また、元小田急の車掌さんである役場の方にもお会いした。

小田急、よく使ってました!品川とか羽田空港行くときに!」と食い気味で主張したら「あ、それは京急ですね」と絶妙な空気が流れる。

わたしは小田急ユーザーであることをなぜか必死に主張し、最終的には「下北沢から鈍行で藤沢まで行きました!!!!!」と、リアクションの余地もない事実を鼻息荒めに伝えた。

その方は「おぉ~すごいですね!」と爽やかな笑顔で対応してくれた。いい人だ。

 

夜には、役所の方が和歌山の北山村にある温泉施設に連れていってくれた。おいしいビュッフェをいただき、ほぼ貸し切り状態の温泉に入る。大正解すぎる休日の夜である。

 

8月21日(火)

『BIYORI』で仕事。東京で開催されるアートイベントのガイド作成をお手伝いする。

 

夕方には仕事を終えて、三重県・熊野市にあるイオンまで買い物に行った。車で40分ほど。

村にはコンビニとJAが1軒ずつあるが、食材や日用品をまとめて買いたいとき、村民は大体みなさん熊野か奈良の橿原市に行くらしい。

 

 

8月22日(水)

『BIYORI』に行く前に、村の無人市で野菜を買った。

 

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 (ナスとししとう、それぞれ50円)

 

BIYORIでは、キッチンを自由に使わせてもらえる。調味料も調理器具も過不足なく揃えられているため、もうちょっとした我が家気分でお昼ごはんを作らせてもらった。 

 

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(ナスとししとうをみりんと吉野の麹味噌で炒めただけのソレ)

 

お手製の梅ジュースを飲み、シンプルな野菜料理を食べ、BIYORIスタッフさんとBIYORI内に事務所を持つデザイナーさんと3人で楽しくおしゃべり。

とても健康的でいい時間を過ごした気がする。

 

帰りに送迎してくれた役所の方が、「いい天気だったし、川に行ったらよかったのに」と言っていた。

たしかに、せっかくこの場所にきたのにずっとパソコンに向かっているのは、なんだかとてももったいないなと思った。今度晴れたら川に行こう。 

 

 

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4度目のひとり暮らし。独身おひとりさまでもいい、と思ったはずなのに。

  

masaki-desuyo.hatenadiary.jp

 

ひとり暮らしができなくなった。

 

前は平気だった。でもできなくなった。シェアハウスを経験してからできなくなった。たった2ヶ月だけ住んだ高知のマンションもつい先日解約してしまった。

 

寂しすぎたのだ。

 

ひとりで暮らすのが、本当に寂しい。ただ「寂しい」というだけの感情が、わたしには泣けるほど苦しかった。

わたしの暮らしに「他人」がほしい。

言葉を交わして笑って過ごせる「他人」がほしい。

 

 

昨日から大阪でひとり暮らしを始めた。

なんでやねん。

 

 

2017年10月。

沖縄が大好きすぎて「もう永住する!」とわめき始めた矢先に高知で恋人ができ、「やっぱりオラは高知の嫁になる!」とあっさり高知移住した。

 

しかし、お相手マン以外に知り合いの少ない環境で、毎日ひとりでスタバと家を往復しながら記事を書き、スタバ&コンビニ店員さん以外と会話をしない日が1週間を超えたあたりからメンが怒涛にヘラった。寂しさはここまで自分を病ませるのだと初めて知った。

 

取材に同行してくれたり「人間と話すために会社入りたい」と死んだ目で話すわたしに会社を紹介してくれたりと、お相手マンは非常にいい人だった。

しかし、病んで心の器が0.1ミクロンサイズになっていたわたしはその親切を上手く受け取れず、結局移住してたった1ヶ月半後に「関西に住むことを考えている」と話した。お相手マンは止めなかった。

 

関西に戻ってしばらくは京都の実家にこもり、4月から6月は大阪に住む知人のマンションで初めましてな女の子と2人でルームシェアをした。

そして昨年高知でドはまりしたよさこいをするため、大阪の「夢源風人」というよさこいチームに入った。

 

 

昼間は隙あらばライター友達に連絡してカフェでいっしょに仕事をしたり、関西のあちこちで日々開催されるイベントに出向いたり、そこでできた友達とランチや飲みや銭湯に行ったり。

夜はよさこいの練習に行ったり、そのままメンバーの誰かとご飯を食べたり、飲んだり、家に帰って同居人ガールの入れたおいしいコーヒーを飲みながら恋バナしたり、週3で近所の銭湯に行ったりして

 

気付いた。

大阪、引くほど楽しい。

 

東京でも感じていたが、都会はおひとり様が生きやすい。

たくさんの出会い、娯楽、仕事、イベント、人の数だけ多様な生き方。誰とも近すぎない距離感が根暗なわたしにベストマッチ。都会or地方の二項対立は食傷コンテンツだが、少なくとも寂しがりやすぎる今のわたしには都会が合っているように思えた。

 

手を伸ばせばあらゆる「楽しい」が転がっている大阪なら、たぶん大丈夫だろう。そして、もう二度とできないと思っていたひとり暮らしをまた始めてみることにした。

 

 

関西にくる前から持て余していた結婚願望にしたがって沖縄ぶりのアプリ婚活を始めてみるも、それよりも楽しいことがありすぎてすぐ放置。

沖縄ではアプリを始めてから3週間で彼氏ができた。が、すぐ燃え上がって即鎮火。B'z稲葉さんの言う通り、出会いも別れもEasy come Easy go。

 

「なんか、誰かと付き合ってるときのほうが、ひとりでいるより孤独なんですよね」

伏し目がちにセンチなセリフを吐いたら、既婚者パイセンに「それは、お前が相手に勝手な期待を寄せすぎる未熟な恋愛初心者だからだ」と一蹴された。どうも28歳ラブビギナーです。

 

 

「結婚したい」の奥にある感情は、いつだって「ひとりじゃ寂しい」だった。でも、相手がいれば、結婚すれば、孤独じゃなくなるワケではない。むしろ、誰かといるからこその孤独もあるのだと、自他両方の体験から知ってしまった。

 

だったら、ひとりでもよくない?

そのほうが、ぶっちゃけラクじゃない?

 

また誰かといたくなったら動き出したらいいや。30になる前に~なんて焦燥感で動いても気力がもたない。自分のタイミングがあるだろうし、なければないでどうにでも楽しく生きよう。

 

そして、ペアーズのアプリをスマホから消した。

 

 

**

 

そんな折、友人から一冊の本を紹介された。

 

 

「約50年も連れ添った最愛の奥さんを病気で亡くした旦那さんが、死ぬ間際に妻の残した詩と、彼女に対するメッセージを朝日新聞に投稿したら、ネット上でものすごく話題になったんですよ。その旦那さんが書かれた本です」

 

とのことで、まずはその「妻の残した詩」を読んだ。

 

「七日間」

 

神様お願い この病室から抜け出して

七日間の元気な時間をください

 

一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい

あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ

 

二日目には趣味の手作り 作りかけの手織りのマフラー

ミシンも踏んでバッグやポーチ 心残りがないほどいっぱい作る

 

三日目にはお片付け 私の好きな古布や紅絹

どれも思いが詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね

 

四日目には愛犬連れて あなたとドライブに行こう

少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く

 

五日目には子どもや孫の 一年分の誕生日会

ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ

 

六日目には友達集まって 憧れの女子会しましょ

お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの

 

七日目にはあなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ

大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう

 

神様お願い 七日間が終わったら

私はあなたに手をとられながら

静かに静かに時の来るのを待つわ

静かに静かに時の来るのを待つわ

 

あぁ、と思った。

 

 

そして、本を読んだ。

 

この本は、夫である英司さんが「妻のいた記録」を残すために書かれたものらしい。

「人間は生涯で3回死ぬ。一度目は、肉体がなくなったとき。二度目は、人々から忘れられたとき。三度目は、生きていたことの記録が消滅したとき」

妻の容子さんをこれ以上死なせたくない。その思いが、朝日新聞への投稿、そして本という形になった。

 

この本に載っているのは、容子さんが亡くなるときの様子、容子さんに対する英司さんの気持ち、そして容子さんが亡くなる2年前からふたりで始めた交換日記。

この交換日記「二人の物語」では、大学時代にふたりが出会ってから、交際、就職、同居、結婚、出産と、今に至るまでの出来事と当時の気持ちをそれぞれ綴り合っている。

 

読んでまた、あぁ、と思った。

 

 

この本の中で英司さんは、奥さんのいない猛烈な喪失感を今も抱えている。

亡くなった容子さんも、本当はもっと英司さんと共に生きたかったであろう、無念を感じていたのだと思う。

 

 

だからこんなことを言うのは不謹慎かもしれない。

でも、強く思ってしまった。

 

あぁ、この関係、めちゃくちゃ羨ましいな。

 

 

隣の芝は青いという。実際に、同年代の友人たちが続々結婚して幸せそうな様子をばらまく各種SNSを見ると「あっお」と思う。

でも、このご夫婦のソレは青さが違った。どこまでも広がる青々とした芝生はとても美しく、焦燥感など混じる余地もない。ただただ純粋に「こんなに愛せる人と伴侶でいられる人生、とても素晴らしいな」とわたしに感じさせた。

 

 

ひとりは、本当にラクだ。

 

自分のペースで働いてお金を稼ぎ、好きなときに遊び、好きな人たちとワイワイし、好きな場所で暮らし、日々を自分の好きに生きられる。

もともと単独行動が好きで、ご飯ぼっちも映画ぼっちもブラブラぼっちも昔から。ちょっとした寂しさなら、大阪の街がすぐに埋めてくれる。

今の生活には大きな不安も不満もない、のは間違いない。

 

 

でも、英司さん容子さん夫婦の姿を見て思い知らされる。

「本当はわたしも、こんな伴侶を求めているのに」

 

 

ひとりがラクなのは、誰とも深く向き合わずにいられるからだ。

特定の誰かと共にいて向き合い続けること、その中で自分が傷つくこと、自分が嫌われること、自分が乱れることを思うととても怖い。

自分自分で生きてきた自分のベクトルは、気付けば自分にばかり向いている。それも、実はすごく怖いことだと思うのだけど。

 

このご夫婦がもつ無念や喪失感、その奥にある深い愛を目の当たりにすると、そんな自分、そして「ひとりでいい」という開き直りに対してなんだかモヤモヤとした気持ちになってしまった。

とんでもない本を紹介されてしまったと思う。

 

www.sunmark.co.jp

 

 

本の帯には、容子さんの日記の一部が書かれていた。

 

”もしあなたがいない時間に私が死んでも、決して後悔しないでくださいね。あなたと関わってきたそれまでの時間が大事なのだから。

突然なにがあっても、私はあなたに感謝し、ずっと愛して、幸せですからね”

 

こんなに強く深く、誰かと想い合ってみたい。 

そんなことを思いながら、借りたばかりの1K単身部屋でこの文章を書いている。

 

 

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踊って踊って会社をやめた

 

関西でそこそこ有名な私大に通い、学生向けのセミナー運営やら教育NPOの活動やらで周りに頼られて尊敬されて意識ばかりが高くなり、「私はどんな会社に入っても大活躍する人財になれる」と確信しながら就活に臨み、某社社長にスカウトされる形で就活を終える。

 

そんな大学生活5年間を経てムクムク肥大化した自尊心は、新卒入社した会社を2ヶ月でクビになった瞬間破裂した。

 

 

その会社は、もともと社長がひとりで経営していた小さな教育企業だった。社長と私、ふたりで力を合わせてがんばろう、思ったことはなんでも言い合おうと誓った。そして入社後「社長の教育は正しさの押しつけだと思ってしまいます」と思ったことを伝えたら衝突。わたしは仕事が手につかなくなり、社長との仲もどんどん気まずくなり、入社から2ヶ月後、Facebookメッセンジャーで解雇通知をもらった。

 

”会社になんの利益も残さないお荷物”

”給料泥棒”

 

そんな言葉をSNSに書かれたような気もするが、当時はショックと怒りと悲しみで狂っていたのでよく覚えていない。

 

 

1ヶ月の引きこもり期間と3週間の転職活動を経て、クビから2ヵ月後に無事入社した会社は、心を病んで2ヶ月後に辞めた。

 

体育会系の不登校支援団体に入るも、入社1ヵ月後に犯した大きなミスをきっかけに、私の社内評価は最悪になった。

 

”傲慢で自信過剰で向上心も気遣いもない”

”頭の回転も遅いしマナーもなっていない”

”今のあなたは社内の最底辺”

”自分の悪い点を認めて変わる努力をしなければ、一生あなたはこのまま”

 

日々そう突きつけられて、自分は最悪なんだ、変わらないとダメなんだ、そう焦って必死に勉強やトレーニングを重ねた。するとなぜか勤務中に涙が出るようになり、窓を見ると飛び降りたくなり、トラックを見ると轢かれたくなった。

変わるための努力を身体が拒否した。変わらなきゃダメなのに、変わらなきゃここにいる価値はないのに、なにも変われなかった。

 

「変われないから辞めさせてください」と上司に泣いて伝えた。「君はクライアントを放置して逃げるんだからね」と言われた。最終出社日、上司に挨拶をして回ったが目を合わせてもらえなかった。

 

 

「新卒後3年以内に会社を辞めたら、どこにも転職できない」

そんな脅しが耳ダコだった当時に、私は半年で2社を、しかも1社はクビで辞めた。

 

もう、この社会に私の居場所はないのでは??

 

こわくなって、咄嗟にパソコンで「経歴 詐称 方法」とググった。1番目に出たのはYahoo!知恵袋で、「経歴詐称はいけません」がベストアンサーだった。 

 

 

 

退職してから、すぐに転職活動をした。

 

第一志望は、個人塾を運営する教育企業だった。面接に行くと、履歴書を見た社長が「この経歴じゃなかなか転職は難しいかもね」と言った。絶望した。

 

「今まで会社で経験したこと、言われてきたことが、キミにとって大きな傷になっているね。自信を失くしているのがよく分かる」

 

私は、傷ついて自信を失っているらしかった。

半年前まであんなに自信のカタマリだったのに、自信というヤツは随分カンタンに消えてしまうんだなぁと思った。

 

面接を終えてから2時間後、友人のもとで倒れていたら電話がかかってきた。先ほどお話した社長からで、「採用することにしたから」と言われた。嬉しくて叫んだ。無事に転職先が決まった。

 

 

この会社がダメなら、もう私の人生は終わりだ。

 

そう思い、文字通り決死の覚悟で入社した。

2013年、11月のことだった。

 

 

****

 

 

入社から、1年半。

やっぱりわたしはダメ人間だった。

 

この会社では、自分なりにやりがいを見つけて働けていた。

上司の考え方にも共感でき、同僚も優しく理解があり、その中であらゆる業務を任せてもらっていた。1から企画した大きなイベントが成功して、後日社長に「よくやったね」と褒められた時には、この上なく誇らしい気持ちになった。

 

でも、仕事の8割は空回っていた。

授業準備に教室管理に事務作業、うまく処理し切れない多様な業務。受験のプレッシャー、成果が出ないからと担当生徒の親御さんからかかってくる退塾連絡、苦手すぎて胃痛のする営業、保護者からの子育て相談にも的確な言葉を返せない。多発するケアレスミス。そのたびに届く上司からの叱責電話やメール。読むのが怖くて開封ボタンを押すのに1時間かかることもあった。

 

24時間、仕事のことが頭から離れなかった。

翌日のことを考えると気持ちが鬱々とした。家でも会社のブログを書かなきゃいけないのに、文章を書くことだけが好きで武器だったのに、なにも書けないまま2時間涙を流して固まり続けたこともあった。

 

 

1年半の間に、何度も何度も「もうムリだ」と思った。社長に「すみません、もう辞めたいです」と伝えたこともあった。

 

「本当に辞めたいの?」

社長はこう聞いてくれた。

 

「でも、正社員というカードを失って、この社会で生きていく自信がありません」

私の返答は、いつだって自信なさげでクズだった。

 

会社に属する以外の生き方を、私は知らなかった。

知ったところで、自分の力で生きていける自信なんて前職と前々職の会社に置いてきていた。どんなに辛くても、仕事中に涙が出ようとも、社会で生きていくために、私はこの会社を辞めるわけにはいかなかった。

 

社長や同僚の配慮のもと、わたしは会社に、正社員の肩書に、そこで得られる収入にすがり続けた。

 

 

 

日々の業務をなんとかこなし、横浜駅から電車にのり、東急東横線で自宅のある池袋に向かう。電車の窓にうつるわたしの顔は、たぶん、けっこう死んでいた。

 

 

池袋駅に到着する。

 

ここから自宅までの徒歩15分が、日々の中で1番、わたしの心が躍る時間だった。

 

東口を出てから、明治通り沿いをずっと左に進む。iPodの音量をグンと上げ、PerfumeAKB48RADWIMPSきゃりーぱみゅぱみゅなど、アップテンポな音楽を流しながら、鼻歌にしては大きすぎる声量で歌い、ステップを踏んで歩く。

 

下手くそだけど、踊ることが大好きだった。

 

音楽を聴けば身体が動き出すのは、今も昔も、自信があってもなくても、ずっと変わらない私のクセだった。

音楽を聴いて踊っているときだけは、辛さも苦しさも全部忘れた。

 

この帰宅時間がとても愛しく、家につくのがもったいなくて遠回りをする。薄暗い風俗街を、変な目で見られながらウキウキと踊って歩いた。

 

そして、家についたらゴールデンタイムは終了。

シェアハウスの同居人たちと軽くダべり、ご飯を食べ、お風呂に入り、寝て、朝がきて、「また朝が来た」と落ち込みながら仕事に向かう。

 

それが、ビビりな私の手放せない日常だった。

 

 

*******

 

 

2015年3月某日。

 

業務を終えて、死んだ顔で東急東横線に乗って、池袋駅から音楽を聴いてウキウキ歩いて、家について、ゴールデンタイムは終了、のはずだった。

 

 

家には、シェアハウスの同居人であり、ダンサーのかなえちゃんがいた。かなえちゃんと並んでソファに座り、ボーっとテレビを眺める。

 

お互いダンスが好きで、2人揃えばちょくちょくダンスの話をする。この日は、私が映画『ハイスクールミュージカル』のダンスが好きだという話をした。

 

 

 

かなえちゃんと一緒に動画を見た。サビの踊りを見て、思わず体がウズウズと動き出す。

 

「かなえちゃん、これフリ覚えて教えてよ」

そんなムチャぶりをした。

 

「いいよ、覚えるから10分だけ待って」

マジか。10分後にレッスンが決まった。

 

 

10分後、サビのフリを完璧にマスターしたかなえちゃんが、リビングでマンツーマンレッスンをしてくれた。

 

「ウィ、オールインディス、で腕を3回曲げて、最後に手拍子パンッ!」

「腕を3回曲げてって、こう?」

「ちょっと違う、それじゃゴリラ」

「ウホッ!(パンッ)」

 

ふざけてゲラゲラ笑いながら、ひとつずつフリを身体に落としていく。気付けば住人たちも1人また1人と帰宅して、私たちのレッスンを眺めていた。

 

3月のまだ肌寒い時期。かなえちゃんとわたしは気付けば汗びっしょりで、半袖で踊り続けていた。

 

フリ落としを始めてから2時間。こんなに早く時間が経つ感覚は久しぶりだった。

 

「ひと通りできた? じゃあ音楽流してやろか」

「え、は、まだムリ、ムリムリムリ」

「下手でもいいから! 合わせてるうちにできる!」

「スパルタ!」

 

そこからは、延々と、何度も何度も音楽に合わせて踊り続けた。2人の姿が窓ガラスにうつる。かなえちゃんの踊る姿はかっこよく、わたしのソレは無様を極めた。

 

「わたしがかっこよく踊れるまでやる」

「真崎、それいつ終わんねん」

同居人の男が笑う。

 

音楽がかかる。踊る。踊る。踊る。

また音楽をかける。踊る。踊る。踊る。

 

窓ガラスにうつる自分の姿を見る。無様。

 

 

顔を見る。

めちゃくちゃ、楽しそうに笑っている。

 

 

楽しくて楽しくて、本当に楽しくて、日付が変わるまで何時間もずっと踊り続けた。

かなえちゃんもしつこく付き合ってくれて、終わりと同時に2人で笑いながらぐったり床に倒れ込んだ。

 

真っ赤な顔の私を見て、同居人の男が嬉しそうに言う。

「真崎の楽しそうな顔、めっちゃ久々に見たわ」

 

そういえば、彼にはここ最近、悩み相談で暗い顔を見せ続けていた。こんなに楽しい時間も、こんなに笑った顔も、随分久しぶりだった。

 

 

「わたし、分かったかも」

そう口から漏れた。みんな「?」という顔をした。

 

踊って分かった。 

わたしの身体は、ちゃんと自分の「好き」「楽しい」を知っていた。

 

なにをすれば自分の心が喜ぶのか、身体はいつも覚えていてくれた。わたしの魂は、たぶんもっと純粋に喜びたがっていた。

 

 

”給料泥棒”

”傲慢で自信過剰”

”変わる努力をしなければ一生このまま”

 

”自分は最悪なんだ”

”こんな自分は、この社会で生きていけないんだ”

”会社に属さない自分に居場所なんてないんだ”

 

そんな言葉と臆病な理性で、ずっと自分を殺してきたんだと思った。

 

 

不安払拭とお金のために無理して働いても、どうせ精神的にじわじわ死ぬ未来は見えていた。

 

だったら。

好きなことをしてのたれ死ぬほうが、きっと私にはいい人生だ。

 

 

その晩、わたしは会社を辞めることに決めた。

 

 

*****

 

 

翌日、社長と話す時間をもらった。

 

「1度思いっきり好きなことをやって生きていってみたいので、会社を辞めたいです」と伝えた。

 

「好きなことって?」

「踊ることと、書くことです」

 

神妙な顔をしていた社長が、ハハッと笑った。

 

「その理由ならいいよ、応援する。若いうちに思いっきりやりな。あと変な男には騙されないように」と、笑いながら社長は言ってくれた。ありがたくて泣いた。

 

そうして、「ここを辞めたら死ぬ」と思っていた会社を辞めた。

 

 

その後、実績のないままライターを名乗って仕事を始め、がむしゃらに書いて発信する仕事をしていたら「高知でよさこいを踊りませんか?」という仕事依頼がきた。それがきっかけで真剣によさこいを始めた。

 

仕事を辞めて3年経った今、私は、書いて、踊って、生きている。

ブランクは長かったが、最近はわりと人生が楽しい。

 

#わたしの転機

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン「りっすんブログコンテスト〜わたしの転機〜」

 

追記:

上記の「りっすんブログコンテスト」に応募したこちらの記事、ありがたいことに優秀賞をいただきました。

大好きなエッセイストの紫原さんをはじめ、作家の能町みね子さん、ジャーナリストの望月優大さんから、光栄すぎるコメントもいただけて家宝級メモリアルです。

 

www.e-aidem.com

長野県・上山田温泉と、わたしの尊い女友達たちのこと。

 

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答えてくれる人のいる人生はきっと心健やかで、「温泉に行きたい」とメールした数秒後に「行きたい」と返信をくれる女友達がいるわたしの人生はきっと最高に尊い

 

 

 

昨年11~12月。

高知に移住したものの「8日間コンビニとスタバの店員さん以外の人と直接会わない話さない」みたいな日々を過ごし、寂しすぎて心が死んだ。

 

見かねた東京の女友達がLINEグループ「寂しい人たち」を作ってわたしをぶち込む。

グループのメンバーは3人。

こっちもいい具合に寂しくて笑う。

 

 

寂しさがわたしの臨界点を超えた12月8日。

グループにこのLINEを投下した。

 

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すぐにメンバー全員の既読がついた。

 

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1分後に温泉旅行が決まった。

寂しい奴らのフットワークはマジで軽い。

 

 

あれから2ヶ月と少しが経った、昨日2月22日。

 

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寂しい人たち、佐々木ののかナカノヒトミと3人で、長野県の上山田温泉に行ってきた。

 

フリーで書くことを仕事にしている彼女たち。

好きなことしかできない。

正直に思ったことしか言えない。

コミュ力は高いけど防御力は弱い。

ニコニコする根暗。

両人わたしのドンピシャすぎるよ。

 

合流したのが昨日14時で、解散したのが今日の12時。

たった22時間の楽しい愛しい寂しくない旅行記を脳内リプレイしながら、長野駅でひとりこのブログを書いている。

 

ここからダラダラと温泉旅行を振り返る。

 

興味のない人にも、離脱前にこれだけは伝えたい。 

女友達と温泉街で飲むビールは、世界一の美酒です。

 

 

それではハイライト。

 

 

愛されフォルムすぎるナカノ。

新宿から高速バスで小諸駅にやってきた佐々木ののかと私を、長野県在住のナカノが車でピックアップ。

 

目的地の上山田温泉街までは車で約1時間。

気持ちいい晴天のもと、ウキウキなドライブが始まる。

車内にうっすらと男性の断末魔みたいな声が響いていると思ったら、BGMがクリープハイプだった。

 

途中で、上田市にある「道と川の駅 おとぎの里」に寄る。

 

 

やらかす。

 

 

おとぎの里から上山田温泉街への道中。

前日が朝4時就寝につき寝不足な佐々木ののかが、どんどん大人しくなってくる。

 

のの「ごめん、ちょっと10分だけ寝ていい?」

ナカ「いいよいいよ、気にせず寝てて」

真崎「のんのんおやすみ」

のの「ごめんね~おやすみ~…」

 

真崎「ナカノ、今日の晩ごはんってさ」

のの「5枚つづりのチケットで食べ歩きだよ」

真崎「ありがとうのんのん、でも寝ような?????」

 

この後も同様のやり取りを繰り返す。

結局佐々木ののかが1睡もすることなく目的地に着いた。大丈夫かよ。

 


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ナカノが見つけて予約してくれたこちらの宿。

全体的に最高だったのでよかったら泊まってください。

またこの後で露天風呂のことなど書きます。

 

 

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時刻は16時。

まだ飲み歩きタイムには早いけど、せっかくなので硫黄のかおり漂う温泉街をプラプラとお散歩する。

 

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ナカ「ここ、わたしの推し廃墟なんだよ」

のの&真崎「推し廃墟!!!!」

 

この廃墟は元ホテル。

取り壊すにも修繕するにもお金がかかり過ぎるらしく、どうにも手が出せずに放置されたままとのこと。

 

ナカ「ここなにかに使えないかな」

のの「中にコケとか植えたいよね」

 

 

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全員「「「 この廃墟もすごいね 」」」

 

 

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のの「真崎、新世界だぞ」

真崎「串カツとハイボールしたい」

のの「またやろうな」

 

 

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真崎「らぶ・ちびくろ」  

ナカ「らぶ・ちびくろ」

のの「らぶ・ちびくろ」

真崎「声に出したくなる日本語」

 

 

 

目に入るあらゆるモノの揚げ足をとって発信することがライフワークなネット民3人です。

 

 

 

時刻は18時半。

ここからわたしたちの夜が始まる。

 

peraichi.com

 

この日は「戸倉上山田温泉バル」なるイベントの開催日。

 

あらかじめ5枚つづりのチケットを購入し、温泉街にある飲食店、遊戯店、温泉やホテルを訪問。

各地でチケット1枚と引き換えに、規定サービス(焼き鳥2本とビール、射的、温泉利用など)を受けることができる。

 

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イベント参加店は全31店。

 

真崎「チケット5枚分、どこ行く?」

ナカ「射的がいっぱいある」

のの「とりあえず射的は1つ行こう」

 

真崎「あとは」

ナカ「スイーツとかもあるね」

のの「え~迷うね~~、でもとりあえずは」

 

真崎「ホルモンかな」

ナカ「ホルモンだね」

のの「ホルモンだろ」

 

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ホルモンしました。

チケット1枚でホルモン1人前とドリンク。

迷いなく2枚を消費してホルモンホルモン。

 

 

 

焼き鳥、ホルモン、長野名物のおやきを食べて、各店でもれなくアルコールを摂取。

長野の外気が冷たすぎてあまり酔っ払えなかったけど、3軒で合計3時間、食べて飲んで愉快な気持ちになる。

 

旅館に戻るまえに、ファミマで買い出し。

 

のの「これは全員な」

ワンカップ大関を強制購入させる女。

 

 

旅館に戻ったら、いよいよお楽しみの温泉。

 

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上山田ホテル公式HPより)

 

3人で貸し切り状態だった露天風呂。

手前が熱め、奥がぬるめなお湯で、手前で体をあたためた後に奥の湯へダイブして長々と湯に浸かる。

 

温かいお湯に浸かると、ふにゃふにゃと心がほぐれる。

ゆるむと、歌う。

 

真崎「どこっかに~ 元気を落っことしても」

二人「……」

 

真崎「葛っ飾 柴っ又 あく~びをひと~つ」

ナカ「真崎さんがずっとソレ歌うから頭から離れない」

真崎「こち亀で洗脳」

 

ふにゃふにゃとサウナに移動。

サウナの隣には謎のティースペースがあり、頭に「???」を浮かべながらみんな全裸で紅茶を飲む。とてもおいしかった。

 

 

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存分に長風呂をして、部屋に戻って最終ラウンド。

 

お風呂あがりの、アルコールを入れながらの、日付をまたぐ時間帯の。

頭がふわふわする要素フルコンボ状態。

 

少しの眠気を感じながら、とりとめのない会話をする。

 

 

ナカ「死にたいって思うことある?」

真崎「ある」

のの「ある」

 

ナカ「どんなとき?」

真崎「つらいことから逃げたいとき」

ナカ「同じだ」

真崎「ぶっちゃけ全然死にたくないけど、死んだら今後一切の苦しさから解放されるんかな~とか思うと、どっちがええんやろなって思ったりはする」

 

のの「わたしは、どんな時だろ」

真崎「のんのんは、逆につらいことがあっても対人関係で苦労しても『アイツを殺すまで生きる』って生き続けてそう」

のの「分かる、否定できない」

 

 

ナカ「ののかちゃんみたいに、怒れるのいいなと思う」

 

のの「ナカノは怒らないの??」

ナカ「うん、なんか怒り方が分かんないんだよ」

 

真崎「のんのんは、昔から怒るときあった?」

のの「うん、中学の教室で1回イス投げたよ」

真崎「思春期のナイフ全開かよ」

 

のの「ナカノ、めっちゃ怒ったエピソードとかない?」

ナカ「う~ん、、、、あ、1つあるよ」

のの&真崎「おおお!!!どんな!!!(身を乗り出す)」

 

ナカ「大学時代だけど、旅行先で元カレにキレて」

のの「キレて??」

 

ナカ「その場でバス乗って長野に帰った」

真崎「ウケる」

 

 

ナカ「怒れる人、羨ましいんだよね」

真崎「うそ、なんで?」

 

ナカ「怒りをモチベーションにしている人って、文章とか、音楽とか、なんかすごい力強いじゃん。わたし、そういうのないから」

 

真崎「確かに、怒りのエネルギーって強いけど」

ナカ「うん」

 

真崎「ナカノが言う人たちは、怒りの表し方というか、ただただアウトプットが上手いんやと思う」

ナカ「あぁ~」

真崎「ツイッターで『安倍ガァー』ってキレてるおっさんとか見てられへんやん」

ナカ「あぁ、そうだね、そうだ」

 

 

のの「ナカノはそれでいいと思う」

ナカ「そうかな」

のの「怒りなんてないほうが健全ってかヘルシーだよ」

 

真崎「怒りたい?」

ナカ「ううん、そういえば全然」

真崎「なんやね~ん」

 

 

午前1時半、就寝。

 

 

 

7時に起きるぞ~と意気込みながら、7時55分起床。

半分死んだような寝ぼけ顔で朝食会場へ行く。

女友達との旅行は気兼ねなく死ねるからいい。

 

のの「納豆、3パックまるまる食べちゃうんだよね」

ナカ「マジか」

真崎「分かる、1パックじゃご飯に比べて少ない」

のの「えっ、わたしご飯なしで3パックだよ」

真崎「えっ」

ナカ「えっ」

 

 

午前10時、チェックアウト。

 

お昼の解散までにはまだ時間がある。 

30分ほどドライブして、到着したのは上田駅近く。

 

 

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ナカ「古本屋さんとカフェが一緒になったお店なんだ」

のの「え、なにこの最高の場所」

真崎「永遠にいられる」

 

たくさんの本を手に取り、読み、いろいろ買った。

「ここに来たら本買いすぎちゃうんだよ~」と眉尻を下げるナカノは、暮らしがテーマの大きめな本を2冊抱えていた。

 

 

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至福のひとときを過ごして、ふたりとはここでお別れ。

 

のの「次いつ東京くるの?」

真崎「ん~4月くらいかな~」

のの「ダメだよ、3月」

真崎「早い」

 

 

信頼できる女友達と行く、一泊二日の温泉旅行。

心がとてもゆるんだ。

なんだこの最高すぎる娯楽。

 

このブログを書いている21時半。

もうこの出来事が3日前くらいに思えてしまう。

長野駅でバスを待つわたしも、明日の朝には大阪。

 

 

ナカノ、のんのん。

寂しいわたしの誘いに秒でのってくれてありがとうな。 

次は別府な。

 

 

そんなワタクシゴト日記です。

持つべきものは優しく根暗な女友達。

 

 真崎

 

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だから、わたしは結婚したい。

 

「みんなが結婚するから私も結婚しなきゃ」

 

そんな他者比較から慌てて婚活を始めるアラサーアラフォーに苦言を呈する文章をよく見かける。他人がどうこうに関係なく「自分がどうしたいのか」と真摯に向き合えよってやつ。

 

そうなの、まさにその通りなの。

 

ところでわたしは結婚したい。

だってみんなが結婚するからです。

 

 

******

 

先日、池袋に行ってきた。

 

1年半前まで住んでいたシェアハウスが解散することになったのだ。

 

大学時代からずっと仲の良い女。

ひたすらノリの合う男。

他の住人も愉快で気の合うメンバーばかり。

 

そのシェアハウスでは、「他人との共同生活」という緊張感をほんの少しだけ残しつつ、家族以上に家族な居心地のよさを感じながら暮らしていた。

 

 

冬になると、正方形の小さなホットカーペットに5人がギュっと固まる。

そして、フニャフニャと当て所もない会話をする。

 

「あったかい」

「居心地ええな」

 

「なんかさ」

「うん」

「わたし、あんま彼氏いらんかも」

「分かる」

 

その頃はみんなで「はぁ~彼氏ほし~」と口癖のように言っていた時期。

たまに奮い立って合コンに行ったりしては、仲良くなった人と2~3回会ってそのまま終わる、みたいなことを繰り返していた。

 

 

「この家におったらさ」

「うん」

「寂しくないから彼氏いらんってなる」

 

「分かる、それちょっとヤバいよな」

「ヤバいけど抜けられへんよな」

「一生結婚できひんやん」

 

 

「え、いま彼氏彼女おる人??」

 

「………」

 

 

「ちょwwやばい全員フリーかよwwwww」

 

「そしたらみんな一生ここで暮らそwww」

「いやホンマそうしよwwww」

 

そうケラケラ笑いながらダラダラ夜更けまで話す。

 

 

とても楽しい日々だった。

 

この家なら、このメンバーなら。

ずっと一生いっしょに暮らすのも楽しいかもしれない。

 

そんなことを思いながら、ふらっと沖縄移住して自ら出て行ったのだけど。

 

 

********

 

 

解散パーティ当日。

 

10畳のリビングには、現住人の5人、元住人のわたし、よく遊びに来る友人たち、そして男性メンバーの彼女がいる。

 

「シェアハウス出た後どうするん」

ピザを齧りながら、メンバーの一人に聞いた。

 

「ん~彼氏と同棲する」

「マジか」

「たぶんその人と結婚するわ」

「マジか」

 

 

「そっちは??」

メンバーの男友達にも聞いた。

 

「俺は、もう入籍すんで」

「マジか」

「だから一緒に暮らす」

「マジか」

 

んふふ、と彼女がかわいく笑う。

お前、ホンマいい子捕まえたな。

 

 

そうか、そうよな。

 

そら、みんな結婚していくわな。

結婚したいって言ってたもんな。

言うてうちら28歳やもんな。

そこそこ好き勝手したし次行きたいよな。

 

 

”そしたらみんな一生ここで暮らそ”

”いやホンマそうしよ”

 

 

そんなこと言って笑いながらも、この空間が一時的なものやって、全員分かってたもんな。

 

 

 

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ひとり暮らしができなくなった。

 

前は平気だった。

でもできなくなった。

シェアハウスを経験してからできなくなった。

たった2ヶ月だけ住んだ高知のマンションも、つい先日解約してしまった。

 

 

寂しすぎたのだ。

 

 

ひとりで暮らすのが、本当に寂しい。

ただ「寂しい」というだけの感情が、わたしには泣けるほどに苦しかった。 

 

わたしの暮らしに「他人」がほしい。

言葉を交わして笑って過ごせる「他人」がほしい。

 

 

でも、誰でもいいわけじゃない。

 

沖縄で3つのシェアハウスに住んで分かった。

 

ただ「他人」なだけではダメらしい。

慣れもあるけど、そもそもの波長があるらしい。

波長が合う人とじゃないと、落ち着いて同じ空間にはいられないらしい。

 

 

池袋のシェアハウスは、波長が合っていたらしい。

 

じゃあ、そんなシェアハウスを探せばいい。

ひとりで暮らしたくないなら、そんなシェアハウスを探してまた住めばいい。

 

 

 

 

”彼氏と同棲する”

”たぶんその人と結婚するわ”

”俺は、もう入籍すんで” 

 

 

 

でも、みんな結婚していった。

 

 

 

若者が集まるシェアハウス。

そこには思っているよりずっと短い消費期限がある。

 

池袋のシェアハウスは、メンバーの結婚・婚約とともに期限を迎えた。

 

結婚でなくても、転職、移住、世界一周。

メンバーのあらゆるステージ変化に合わせて、シェアハウスは簡単に形を変え、最後には消滅する。 

 

 

 

 

住む場所を変え、場の形態を変え。

たくさん体験してたくさん思考した。

 

「自分はどうやって生きていきたいか」

経験と感情に照らしながら、何度も自問した。 

 

 

そして、こう思うようになった。 

 

 

ひとりは寂しい。

こころ許せる他人といっしょに暮らしたい。

 

 

その手段として、「結婚」が一番分かりやすい。

 

だって、みんな結婚していくんだもん。

 

 

 

だから、わたしは結婚したい。

 

今はそんなお気持ちです。

 

 

  

真崎 

 

 

 

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