真崎ですよ

ライターの真崎です。2016年6月より池袋→沖縄に移住しました。

311と対峙する私の中の本音

 

3月11日14時26分に、黙祷

 

は、結局していない

 

 

あの時のことを思い返すと、今でもとても不思議な気分になり、胸がつまり、自分の思考をうまく言語化できず、というか言語化することを恐れ、うやむやにしたままそのときが流れるように過ぎていく。

 

いろんな人の発信がSNSで流れてくる。

思いを馳せて涙を流した人。

静かに祈り未来を見つめる人。

現地や離れた地から支援活動をする人。

決意を新たにするような感じの人。

 

 

その日は過ぎたけど、今年は言葉にしようと思う。

 

 

 

4年前の3月12日。

震災の翌日。

 

 

昨晩から、なにか苦しかった。

でもそれがなにに対する苦しさなのか分からなかった。

 

次の日に所属していた団体のイベントを控えていた私は、団体のMLに「イベント前にみんなで献血に行こう」と送った。その時はもうなにがなんだか分からず、でもいてもたってもいられず、Twitterで流れてきた「血が足りない」という投稿を読んで思わずメールを送っていた。

 

 

 結局献血には行かなかった気がする。

賢い誰かが「今行っても意味ない」と諭してくれた。

そうなんだ。 

 

 

イベントの前。仲間の家に数人が集った。

テレビは相変わらず震災一色。死者数は表示される度に増えていく。その時の映像で覚えているのは、津波が押し寄せるのを高台から見つめる子どもが誰かに抱きつきながら号泣している映像。

 

それを、部屋で静かに見つめる、当時大学3年生の私たち。

仲間のひとりが「だめだ、泣きそう、だめだ」みたいな事をずっと言っている。

 

その時の気持ちを上手く言い表せない。

が、私はその「泣きそう」な人に無性に腹が立っていた記憶がある。

 

あの時、震災報道を日々目にしながら私のこころに渦巻いていた感情が、あまりにも多様すぎて。しかもその中には、自分でも向き合いたくなかった、自分で「卑しい」と感じてしまうようなものもあって。

その、自分に対する「卑しい」という思いが、「泣きそう」な彼に重なった気がした。

 

 

献血に行こう。

募金しよう。

物資を送ってみよう。

街頭で募金活動をしよう。

 

その行動を起こす私の中には、さっきも書いた「いてもたってもいられない」ような衝動性もあった。胸がぎゅっとつまる。なにか私にできることは。

 

そんな、気持ちが、たぶん、半分くらい。

 

 

残りの半分を占めていたのは、誤解を恐れずに言うなら

 

「圧倒的気まずさ」

 

だったと今は思う。

 

 

最初は半分ぐらいだったこの感覚

日が経つにつれて、6割、7割、、と自分の中で占める割合が増えていった感じがあった

 

 

私がこれを思ったところで誰も得しない。

気まずさとそれに伴う言動自粛に救われる人はいない。

 

 

分かっちゃいるけど止められない。

 

 

ご飯を食べられることが、気まずい。

暖かい布団で眠れることが、気まずい。

友達と笑って過ごせることが、気まずい。

当たり前に家族と過ごせることが、気まずい。

変わらない日常が、なんだかとても気まずい。

 

 

私を突き動かしていたのは、こんなたくさんの「気まずい」だった。

 

誰に責められているわけでもないのに、震災のニュースを見る度、被災地の映像が流れる度、被災者の言葉が響く度、私の中には「気まずい」が駆け巡る。

 

純粋な気持ちで、その悲しみをまっすぐ受け止めて心を痛め、本当にその人たちや現地のことを思って行動できる人になりたいと、こころから思っていた。というか、「自分の理想の自分」だったらそうしていると信じていた。

 

 

中学生の時に、クラスメイトが交通事故でなくなった。

 

悲しかったけど、涙が出てこない。

周りの友達はみんな泣いている。私も泣かなきゃ。

そう思って、頑張って涙を流した、気がする。

もしかしたら本当に悲しくて出た涙かもしれないし、なにが本当の感情なのか結局分からないけれど。

 

でも、その時の感情に似ている。

泣かなきゃ、「気まずい」。

 

みんなで映像を見ながら、本当にこころを痛くしている自分と、「ここで「悲しい」「こころが痛い」と思える自分でいなくちゃ」と思っているような気がする自分。

そんな自分ベクトルな思考に支配されていた時、「泣きそう」な彼の姿と言葉はとても嘘くさく欺瞞に満ちて見えた。

それは自分自身の姿を彼に投影していたのかもしれないと、今なら思う。

 

 

 

悲しい、苦しい、なにかしたい。

気まずい。苦しい。なにかしなきゃ。

どっちも私の中にあるホンモノだった。

 

 

震災から4年の今日。

改めて、自分の気持ちを思い返す。

 

後者の気持ちに少なからず自覚がある以上、震災の時にSNSを横行するような「黙祷」や「回顧」、「決意」をつぶやく気にも真っ直ぐ受け止める気にもなれなかった。一歩引いたところから「この人たちはどんな思いでこれを書いているんだろう」みたいな、ものすごく斜めから見てしまう自分がいた。

それもまた、「気まずさ」の投影なんじゃないかと思う。

 

 

見つめたくなかった感情。

 

だけど今年。

「あれから4年」のニュースを見ながら、黙って隣にいた人がいた。

 

だから、その人と震災の話をした。

言葉にならない私の思いをすべて話してみた。

 

その人の思いも聞いた。

ところどころとても似ていて、なんだか安心して。

だけど、その人は私よりもうちょっと先を歩いているような気がして、なんだかまた胸がチクッとした。

 

 

そこから、いろいろ話して

思うままに浮かぶままにお互いがいろんなことを話して

よいも悪いもひっくるめた本音を話して

 

 

圧倒的に一致したのは

「家族、大切にしたいな」

だった。

 

 

それは、「気まずさ」から来る「震災の教訓」みたいなものではなく、震災と直結することではないかもしれないけど、でも一連のニュースを見ながらとてつもなく湧いてくる気持ち。

 

それまでぼーっと思考を言葉に紡いでいただけだったのに、家族の話になった瞬間、ぶわっと目頭が熱くなった。テレビには、目の前でお母さんが流された女の子のスピーチ。

 

家族がいてくれることが、なんてありがたいのかと素直に思っている自分に気づく。

それって、なんて幸せなことなんだろうと思う。

 

「失いたくないな」

「やっぱ大切やな」

 

そんな会話をしているうちに、いつの間にかテレビでは違うニュースが始まっていた。

 

 

 

3月11日。

 

東北大震災の日。

 

そして、お父さんの誕生日。

 

 

短い時間だけど、実家に電話してお父さんと話した。

ハゲで一重の草食系中年。しかしこの日ばかりは激しく愛しかった。

 

「おめでとう。311やな。」

「ありがとう。お前は911やな。今年はちゃんとお祝いしよな。」

 

 

そんな、私にとっての4年目。

 

 

もしかしたら不謹慎な内容かもしれない。

軽蔑されるかもされない。

そんな「気まずさ」とまた勝手に戦っている自分もいる。

 

けど

 

日をまたいでからになってしまったけど

これを言うことしかできなくてごめんなさい、だけど

 

被災されて亡くなられた方々へ。

心からご冥福をお祈り致します。

 

真崎