真崎ですよ

ライターの真崎です。2016年6月より池袋→沖縄に移住しました。

母と娘の物語 ~娘に「無職になりました」を打ち明けられた、その時母は~

 

 

私の好きな文章を思い返した時に必ず浮かぶ作家さんのひとり

 

さくらももこ」さん。

 

 

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ちびまる子ちゃんの作者さん。

 

 

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(野口さんが好き)

 

 

ちびまる子ちゃんはもちろん昔から大好きだったけれども、とりわけ私が好きななのは彼女のエッセイ本。

 

たいのおかしら (集英社文庫)

たいのおかしら (集英社文庫)

 

 

もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)

 

 

 

「〇〇の〇〇〇〇」シリーズ。

 

小学生か中学生の時地元の図書館で読んだのだけど、静かな館内で声を出して笑うことができない分、アブトロニックかってくらい腹筋震わせて読みふけった記憶がある。

 

アブトロニック

:昔通販で話題だった、お腹につけて猛振動することで腹筋を鍛えましょう的な商品。絶対に自分で鍛えきったんだろうなっていうムキムキのボディビルダーの外人が笑顔で振動しながら勧めてた。

 

 

 

彼女のエッセイを読んだ人なら分かると思う。

 

「身内のことどんだけネタにするんですか」感。

 

 

お父さんが交通事故にあった話とか、おじいちゃんが亡くなった時にその死に顔を見てお姉ちゃんと爆笑をした話など。それはネットでもいろいろ叩かれているのを見た。

 

軽くネットを見たら、どこまで嘘でどこまで本当か分からないような彼女の家族の構成員それぞれについてのことが飛び交っていた。(おじいちゃんが実は嫌な奴で漫画と正反対とか、お姉ちゃんは実はニートで漫画と正反対とか)

 

 

 

実際にこういう内容を書くことを家族が知ってるのか、家族それぞれに許可をとっているのかということも気になるし、その文章が出回ることでネットで好き勝手言われ放題になるのは甚だ迷惑だろうし

 

いくら家族と言えど

やっぱり大衆向けのメディアで家族のするのは

マナー違反であり、控えるべきことである

 

 

 

 

 

 

なんて口が裂けても言えない。

 

「真崎家に私が生まれた以上ごめんね」としか言えない。

 

 

私自身モットーと言うほどカッコいいものではないが、自分自身のことを経験も感じていることも包み隠さず文章で出し切ることが好き。

 

で、家族は昔から一緒の、切っても切れない存在で。

 

ついでにいうか、まあわりと一緒に出し切ってる。

 

 

 

私は、父@なで肩、母@屈強、兄@最近ビール腹、兄@脱サラ、私@目かゆい(今)の5人家族。

 

家族関連のことで今までいろんなことを記事にしてきたけど、とりわけ多く出てきているのは、母。

 

 

母のことを書き出すと、わりと止まらない。

 

・勤続35年の傍ら、最近「有給を取って外国に行きロジャー・フェデラーのテニスの試合を見に行く」という趣味を覚える。

 

・入場で行列ができる試合では前日の夜から会場の前で寝袋を敷いて野宿。

 

SNSの面白さにはまり、mixiで仲良くなった外国在住の友人にチケットを取ってもらい一緒に観戦している。

 

・わりと自由にしている子ども3人に対して「あんたら元気ね~どこにそんな元気があるんやろ~」と言っているけど「あんたや」と子ども3人内心ツッコんでる。

 

・家に侵入した蚊を殺す執念が半端じゃない。

 

facebookで私と繋がりたいらしく検索しているが「見つからんよ~」と言っている傍ら、私の「友達かも」には常に母が表示されている複雑な状況。

 

・しかも母の設定は全体公開。

 

・後ろめたさも感じつつ母のページに飛ぶと、よくある診断アプリ系で片っ端から診断してる。

 

・【あなたを5・7・5で表すと診断】

 

・『オトナっぽい サイケデリック 楽天家』

 

・「爆笑(≧∀≦)ウケル」←自分のコメント

 

・複雑な気持ちでページを閉じる娘。

 

 

 

 

 

 

ここまでが、前フリ。(長め)

 

 

私が今、頭を痛めていること。

 

 

今の私の状況を、まだ親に言っていない。

 

(≧∀≦)スゲエヤベー

 

 

「別に言えば良くない?」

「お母さん許してくれるでしょ」

 

ここ2年間の私の文章を読んでくださっている方だったら、きっとそう感じてくれるだろうなと思うし、私も今更これで母が激昂するなんて思ってない

 

のが、9割くらい。

 

 

 

「自転車で行っていいのは、家から半径1km以内ね」

 

小学生の時言われていた。

それを破って遠出したら結構怒られた。

 

 

 

「受験なしでいい大学入れる高校行きなさいね」

 

「産業社会学部なんて行ってどうするの」

 

「国際関係学部に行っておいたら一番就職に有利なの」

 

「あんたはなんにも分かってないねんから、一番偏差値の高い学部に行っておくのがいいの」

 

「マスコミなんてやめとき、お休みないから」

 

「図書館司書の資格取っておいた方がいいよ」

 

「福利厚生きちんとした優良企業に行くのが一番」

 

「お兄ちゃん(次男)が病気した時も、ちゃんと会社が守ってくれていたでしょ」

 

 

 

母は、昔とても苦労した人だった。

 

 

よく「親がしっかりしてなかったから」という話をしてくれるのだけど、中学時代から自分でご飯やお弁当をつくっていたり、猛勉強して安定した就職を勝ち取り、今の今まで続けていて、経済的な面でがっつりと家を支えてくれている。

 

両親が共働きというのもあるかもしれないけど、兄弟3人とも私立の大学(私に至っては西日本一学費の高い高校と大学、且つ長男と私は5年通学)を卒業させるということがどれだけすごいのかということを、働き始めてから少しずつ感じるようになってきた。

 

 

苦労してきた分、母は超現実主義者。

 

且つ、子どものことを大切にしてくれている。

 

 

その結果、進学、就職、その先の未来設計に関して、かつてはものすごく「こうしろああしろ」が強かった。

 

 

「国際関係学部ではなく産業社会学部に行きたい」

 

その学部への興味はもちろんだけど、母の言うことを聞くということに反発したかった私が申し出たら、すごい勢いで怒鳴られた。

 

「なんで産業社会学部なんか言ってみなさい!!!!」

 

あなたに反発したいから、なんて言えない。

怒っている人が怖くて黙り込んでしまうのは、この家で獲得した昔から変わらない私のくせ。

 

 

「国際関係学部にしておきなさい、ね?」

 

最後に優しく諭す母に対して、私は沈黙しながら「国際関係学部に行きたい理由はなくてもいいんですね」と思っていた。

 

 

 

就職に関しても、揉めに揉めた。

 

 

1社目が社長と2人の会社ということに、やはり母は多大な不安を覚えていた。

 

それを「初めて」自分の意思で振り切って、私は横浜へと旅立って

 

 

 

横浜生活、開始7日目。

 

クビになった。(絶望)

 

 

収入源を失った中で、いろいろと不安があるはずなのに

私の中で真っ先に出てきた不安は

 

 

「お母さんに、なんて言おう」

 

だった。

 

 

そこから1ヶ月の引きこもり期間、母から連絡が来た時はあたかも「今頑張って働いてますよ私」みたいな感じを出していたと思う。

 

 

 

しばらくの引きこもり生活に飽きた私は転職活動を開始、2週間で内定をもらって「終活ってなんなんだ」と思っていた

 

が、2ヶ月で半ノイローゼ退社。

 

 

その時、実家から会社に通っていたのだけど、最後の出勤を終えて会社から出た私が真っ先に思ったこと

 

 

「お母さんに、なんて言おう」

 

だった。

 

 

そこから2週間は、どうしても打ち明けることができずに、朝6時に起きてスーツに着替えて「行ってきます」と仕事に行くとみせかけて近くの図書館に夜までこもる生活を続けた。

 

 

母に打ち明けたタイミング。

 

1社目の時は、転職活動中。

2社目の時は、転職先が決まった後。

 

 

次の働く先さえ決まっていれば、「もー」ぐらいの感じで済むと思っていたのだけど、1社目のときはもうすぐで内定出るのにってタイミングで母から「来週遊びに行くね(≧∀≦)」と連絡。なんでやねん。

 

 

 

高島屋の高層階。

 

目の前には高級和食。

母のおごり。

 

目の前で嬉しそうに料理を写メる母。

すげーカミングアウトしずらい。

 

 

「お母さん、実は…」

「んー?」

 

「会社辞めることなった」

 

 

 

 

「そーなの?えーそう。へー!」

 

 

 

え。

 

 

「へー!」て。

 

 

 

え、「へー!」て。

 

 

 

「なんでなん?」

「クビなった」

 

「だからそんな会社辞めといたらよかったのに」

「うん、ごめん」

 

「どうすんの?」

「今転職活動してる」

 

「ふーん」

 

 

 

「まあ、いつでも家帰ってきなさい」

 

「別にご飯ぐらいは食べさせてあげるわよ笑」

 

 

 

 

 

2社目退職のカミングアウト。

 

横浜に面接に行ってその日に内定、その翌日。

 

 

いつもより早い時間に家にいる私。

部屋の電気をつけていたら、家に帰ってきた母が早速私の部屋へ来た。

 

 

「どうしたん?早いね。」

「うん」

 

 

 

「会社、辞めたんやろ?」

 

 

へ。

 

 

 

「知ってたん?」

 

「まあ、親やからね。気づくよ。」

 

 

 

「で、いつ辞めたん?」

「2週間前」

「そんなに前!?」

それは気づいてなかったらしい。

 

 

「でも転職決まったよ」

 

「どこ?」

「横浜」

 

「また横浜ー!?」

「うん」

 

「あんた次はもうゴールデンウィークくらいまで辞めんといてよ。」※当時11月。

 

 

「でもまあ、もし辞めたら家帰ってきてもいいってことは思っといていいよ。ご飯くらいは食べさせてあげるわよ笑。」

 

 

いつも、最後はこれ。

 

 

 

昔は怖くて仕方なかった。

支配的で威圧的な母の存在が

 

嬉しくてありがたくて愛情感じすぎて

 

結構、これ書きながら、涙出そうなくらい。

 

 

 

最初に貼り付けたブログ記事。

 

「母とゴールデンウィーク」ってのは

「私ちゃんとゴールデンウィークまで続けられましたよー」っていう、母にどやってしたときの記事。

 

しばらくの研修期間を経て正社員になった時は、その契約書を写メって「私頑張ってますよー今度こそ安心して下さいよー」の意味を込めて送った。

 

 

そして、娘は引き続き仕事に精を出し

 

遠く離れたところに住む母は、

今日も忙しく働きながら

 

遠くで頑張る娘に想いを馳せ

こころの中で

 

「頑張れ」

 

と、笑顔でつぶやいた。

 

 

 

 

めでだし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

からの、無職。

 

母ごめん。

 

 

 

しかも今回は転職活動してない。

転職先見つけてから「辞めちゃったけどまあ大丈夫だよ次がんばるからさ☆」ができない。

 

朝のクラブで生計立てながらライターというかコラムニストというかなんか「書く人」として生きています、これからそこで大成目指して頑張りますって

 

伝わるかな。

 

いや伝えな。

 

 

母、今まで優しかったけど。

 

「母こんなに優しかったの」って感動してたけど。

 

 

ちょっと、前例ない。

 

 

きっと今までの感じではいかないんだろうなと思うけど、いつまでもこのままって訳にもいかないので

 

来週のゴールデンウィーク

3~4日は両親と温泉旅行。

 

 

そこで、打ち明けてこようと思てます。

 

「悲劇の湯けむり旅館」

みたいなサスペンスシチュエーションになりませんように。

 

 

 

で、その様子はまた記事にします。

 

家庭事情も赤裸々。

私が真崎家に生まれた以上仕方ない。