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真崎ですよ

ライターの真崎です。2016年6月より池袋→沖縄に移住しました。

「批判」について私が思ったことを率直に書き上げてみました

真崎の雑記

 

 

まず第一に感じたのは「きっつい」でした。

 

 

きっつい。批判て。

 

あとは率直にムカつきました。

 

 

 

そう言うときっと語弊があるので

ちょっと説明させて下さい。

 

 

記事批判にはおおまかに2種類あると思っていて

1つ目が「記事の内容に対する批判」

2つ目が「記事の執筆者に対する批判」

2つ目のことを時に「誹謗中傷」と呼ぶと思うんですけど

 

このブログを書き始めてから3度ほどそれに近しい文言を発見して、その度にこころがずっしりと重くなりました。昨日は重すぎて記事消しました。消してる自分が悔しいです。

 

 

書いてる内容が内容で、ポリシーが「等身大で素直な想いを書く」というところなので、内容や表現に関する批判というか注意みたいなものはちょくちょくもらいます。

 

この見方は視野が狭い

言葉遣いが荒い

改行多すぎ(よくある)

長い(よくある)

くどい(よくある)

 

そういうのも見た瞬間は「うっ」とくるんですけど、率直にありがたくも受け取れますし、なによりもその人と「コミュニケーションの余地がある」ことが救いだと感じています。例を挙げれば「ご指摘ありがとうございます」「いえいえそんな」みたいなやり取りです。

 

そういう場合のあちらからの伝え方は攻撃的でないことが多く、重ねてなんとなく「私を応援してくれている」というエネルギーが伝わってくるのもありがたいです。(勘違いだったらそれはそれで幸せです)

 

 

 

「記事の執筆者に対する批判」

っていう言い方が的を得ているのかは分からないですけど

 

要は「執筆者を傷つけたい」「執筆者を否定したい」「執筆者が「間違っている」と突きつけたい」みたいな感じだと思っています。ここで言う「間違っている」というのは、内容を通り越した「執筆者の価値観・人格・存在」的なところです。

 

 

発信者の意図を100%掴むことはできません。

 

ただコミュニケーションは「受け取り手がどう感じるか」が8割だと思っていて、とりあえず私はある文章を「これは私を傷つける目的だ」という受け取り方をしてしまいした。意図するところと違うならば恐縮なんですけど「だったら表現変えて出直してよ」とも思っています。

 

 

ベテランのブロガーさん達からしたら、こういう「批判に対する批判」的な記事って結構NGって言われそうです。余計相手を煽るというか、批判のループというか、「気にしているのを出したら負け」的な。

 

「煽り(スルー)耐性」という言葉も頻繁に耳にするぐらい、発信者や表現者には「気にしない」というスキルが必須になることは私も感じています。わりと身に着けたいです。

 

 

なので、今回ぽっきりにします。

 

今回はとりあえず書いてみます。

 

 

 

最初にも書いた通りなんですけど

そういう批判はきついしムカつきます。

きつかったしムカつきました。

 

 

私はいい子でも優等生肌でもないので「批判は私を向上させてくれる促進剤なんだ☆こうして送ってくれる人に感謝して今日も成長するぞ☆」みたいなことは一切思いません。(2つ目の批判に対してです)

 

そういう批判を受けた時は、まず本気で落ち込みます。

5割方泣きます。

あんまりメンタルが強くないのでできれば止めてほしいと思っています。

 

 

で、ムカつきます。

 

受け取ったその時というのは私も感情的になっているので、喜怒哀楽の哀の後には相手に対して「明日風邪引け」「歩道でつまづけ」「満員電車で腹壊せ」みたいな小4レベルの呪詛が頭の中を駆け巡ったりしています。

 

ちょっとスピリチュアルですけど、そういうエネルギーって結構相手に届いたりしてしまうと思っていて、そうなったらそうなったでこっちの本位ではないから困ります。

 

「お前のかあちゃんデベソ」って言われたから思わず感情的に「お前のとおちゃん五十肩」って言い返したとして、実際に相手のお父さん五十肩だったらちょっと申し訳ないなっていう、なんかそんな感覚です。

 

 

で、やっぱりつらい気持ちになります。

 

昨日も咄嗟にTwitterで「批判つらたん」(「たん」って死語なんですかね)ってつぶやいてたんですけど、もし私が執筆者を傷つける目的で発信をした場合「批判つらたん」な相手を見れたら多分「よっしゃ、やったったで私」ってほくそ笑む気がするんですね。

 

 

で、それってめっちゃ癪やなって思いました。

 

「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」

ってTOKIOの長瀬さんも歌ってたと思うんですけど、私が傷ついて喜ぶ人のために私はブログを書いてるんじゃないんですわと。

 

 

 

 

「批判する人は満たされていない人」

「いま愛や承認に飢えている人」

「だから「可哀想な人」と思っておけばいい」

「執筆者のことを奥底で羨ましいと思っている」

「だからむしろ「私のことが羨ましいのね」ぐらいで思っておけばいい」

 

 

批判に対するアドバイスとしてよく見かけるものであり、実際に私が落ち込んだ時にこういう思考や解釈の仕方を多くの人から教えてもらいました。

 

なので、この思考癖をつけることが1つの「スルー耐性」になるのだと思い、今回もそのように対処しようかと最初は思いました。

 

 

 

が、私にはちょっと合いませんでした。

 

 

(アドバイス下さった方々の意図は「私を励ます」「私のこころを軽くする」だと思うので、それは本当に有難かったというのはしっかりお伝えしたいですし、皆様の意図は必ずしも下記のものではないという前提を置かせて下さい。)

 

  

 

解釈の仕方が間違っているのかもしれませんが、私的にはこれが発信者に対してどこか「上から目線」な感じがしてしまいます。

 

別にいい子ちゃん的な意見ではなく、単純に私が「いかなる相手であろうと「上から目線」で話してくる奴がとてつもなく嫌い」という万年反抗期の中にいるからだと思っていて、上記思考がどうしてもそんな「嫌いな人」に自分が成り下がってしまう気がしてしまうからです。

 

「愛に飢えている」「承認を求めている」「羨ましがっている」っていうのは、もしかしたらそうなのかもしれないとしても、もし自分だったらそんな風に勝手に分析されて「可哀想なやつだ」「残念なやつだ」とどこか見下されるような風に思われたら、それはそれでムカつきます。(一方で「されても仕方ないことしてるやろ」とも思っているパラドックス

 

それに、そう思い込もうとしても、こころのどこかには「傷ついたと泣いたり怒ったりしたい自分」がやっぱりいて、それを抑圧して誤魔化してもどこかで爆発する気がしてしまいます。

 

だから、合いませんでした。

 

 

 

じゃあどうすれば。

 

きっとこれからも批判を浴びる機会なんて山ほどあると思うし、耐性を身に着けずに1回1回落ち込んでいたらとてもじゃないけど身が持たない気がします。

 

 

なので、当面の対策としては

 

①人に泣きつく

②人に愚痴る

③人に励ましてもらう

 

にしました。

というか昨日もそうしました。

 

 

批判を受けて1つだけ良いことがあったとすれば、自分がそれで落ち込んだ時に「応援と激励が30倍返ってきた」っていうことでした。

 

その方たちの多くはかねてから繋がっている知人友人仲間の皆さんで、メンタルが弱くて何度も潰れそうになってきた私をいかなるシーンでも支えてきて下さった方々です。

 

愚痴や泣き言は相手のエネルギーも奪う行為なので程々にする必要はありそうですが、皆さんまだ私を受け止めるキャパがありそうなので(本当に図々しい)素直に頼らせてもらおうかと思っています。 

 

 

それで耐性が身に付くかは分かりませんが、しばらくはそれで様子を見ていこうと思っています。皆さん引き続きよろしくお願いします。

 

 

 

あと、もし私自身に対して批判したい方がいたら、一番のお願いは「できれば止めてもらえませんか」です。

 

「批判は1人前の証」ともよく言われますが、未熟な私はその嬉しさを受け止めるよりも「ちょ、まじ勘弁してください」ってなります。まだ前田敦子みたく強くはなれなさそうです。

 

 

できるか分かりませんが、今後個人批判的な内容のものは「読まない」のスタンスでいこうと思っています。

 

そういう文は出だしのエネルギーで悪い予感がするので消します。個人SNSで書かれたら対処できないので頑張ってスルーを貫きます。見ちゃったらこっそり人に寄りかかって泣いてネット上では飄々としてみます。

 

 

 

 

あと、最後にすごい「正論」を吐きます。

 

この世で最も説得力のない手段です。

 

 

「人を傷つける」目的の言葉や行動は、同じエネルギーがその人に跳ね返っていると思っています。同じだけその人も傷つくと捉えています。

 

その人に対する情は一切ないので「勝手に傷つけ」と思っているのですが、一方で、なんかこう、この「誰も得しない感」がものすごい無駄だなと感じています。私も嫌ですし、かといって言った方も本質的にはマイナスの影響を受けるっていう、この感じ。

 

「私が傷つく」というのは相手にとって本質的なメリットではないはずで。それによって肯定される者は誰もいない気はします。

 

 

だから、というのも変ですが、やっぱり止めてほしいというのが1番です。

 

 

ただの正論です。

もはや正論でもないかもです。

 

批判は理論的に飾っていても結局感情論なことが多い分、正論は尚更無意味でむしろ着火剤にしかならない気もします。

それでも書かずにはいられないあたり、私もイライラしてるわーと今思いました。

 

 

あー。

 

こんなこと書いたって批判や誹謗中傷はきっとなくならないので、それはそれでとっても無意味なことした気分です。しかも早朝4時から。もうすぐ朝キャバ出勤時間。

 

結構感情的に書いたので、私思ってたよりも高ぶっていたみたいです。泣いて怒ると後が眠いですね。

 

 

真崎

 

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