一番最初の記憶は五島列島。
沖縄、北海道、広島、金沢、サイパン、中国、フランス、キャンプ、川、登山、海水浴、温泉、など、など、など。
母が無類の旅行好きということもあり、小さい頃から家族であらゆる場所に旅行に行っていた記憶がある。
兄がふたりいる私の家族は5人構成。
末っ子の私が今年26歳を迎えるとなると、次男は28歳、長男に至ってはついに30代の大台にのった。生まれた瞬間医者看護婦各位から「イケメン」ともてはやされた長男の腹がみるみる出ていく姿は見るに堪えない。
最後に5人で旅行に行ったのはいつだったか。
もうまったく思い出せない。
おそらく10年以上前。
母からの旅行の誘いに対して、長男が早々に抜けた。
彼が家族の誰かと旅行に行ったのはいつなんだろう。唯一実家に残っている兄弟なのだけど。(私:東京、次男:オーストラリア)
私も、家族で過ごす時間よりも、友達と飲んだり新しい場所や出会いを求めたりひとりでいる時間が大切だと感じるようになったりで、徐々に家族との時間に占める割合を減らしていったと思う。
でも、まあ、家族ってそういうものな気もする(悟り)
シェアハウスに住んでいる。池袋。
住人は真崎家同様5人。
写真の顔見せはおそらくNGなので各々から連想されるものを画像検索してとってきて勝手に貼った。
踊れるでき女K(画像:ビーバー)
リビングに靴下Y(半沢直樹)
ちっさいおっさんO(ピスタチオ)
本当に小さいM(「哺乳類 最小」で検索)
そして真崎。以上5名。
ソファにいるのはカピバラさん。ペット。
元々はMYO(みょ)の3人が昨年4月に一軒家を借りてシェアハウスを始めた。
Kと私が加わったのがその約半年後の11月頃。
MYO(みょ)は大学時代からかなり仲の良かった友人たちで、かねてより受けていた同居の誘いを呑ませてもらった形になる。
我が家では、月に1度「家族会議」を行う。
仲が良いとはいえ他人同士。
互いに心地よく住むこと、そしてお互いにコミュニケーションを深めていくことを目的として「金銭管理」「必要物資」「物申したいこと」「(個人ベースの)1か月の振り返りとこれからについて」を話し合っている。
5人の共同生活では当然のことながら性格や暮らし方に違いが出る。しっかりしてる人してない人もいるわけで。
その結果「物申したいこと」のコーナーでは「物申す側」「物申される側」に激しく分かれが生じる。
私がどちらになるかは毎度わりと明確で
・真崎が人の納豆を食べる
・真崎が掃除当番の日を忘れる
・真崎がLINEを返さない
・真崎のつけまつげが洗面台に放置されてる
・真崎のつけまつげが洗濯機から出てきた
・真崎のつけまつげが階段に落ちてた
・真崎のつけまつげが虫に見えて怖い
あいつら厳しい。
この時間は大体Yと一緒に首を垂れてる。
5月の家族会議が行われたのが5月10日。
議題はいつもの内容。
に、加えて。
「今後のシェアハウスの在り方」
について話すことになった。揃いも揃ってクソ真面目なメンバーなので。
(Sさん)
私が入居してからここまでの半年間だけで、シェアハウスの中の雰囲気は大きく変わったと思う。個人的に。
それは良い悪いという話ではなく、ただの感覚的変化。
きっと最初から住んでいる3人のとって、その変化はもっと大きなものではないかと思う。
住み始めは、よく5人で夜遅くまで話した。
全員揃わなくても、リビングには3~4人が常駐(必ず真崎含む)。深夜1時頃から「で、誰が最初にお風呂入る?」なんて話になることもザラで、最後の人が3時頃に入浴。
うちらこのままの生活続けたら睡眠不足と生活サイクルやばいよな、なんて話しながら、それでもその時間が楽しくてついつい話してしまう。人好き話好き楽しいもの好きが揃えば必然。
それは、とりあえずほぼなくなった。
家にいる時間が短くなり、帰宅時間のズレが以前より大きくなり、家にいても各々の部屋にいて各々の時間を過ごすことが増えた。
仕事を増やした人。
仕事のチーム内での立場が変わった人。
新しい事業を始めた人。
仕事を辞めた人。(真崎)
など。
それぞれの生活が大きく変化し、家の中でお互いに出し合っていたエネルギーを各々が各々の場所で放出するようになっていった。
シェアハウスの名前は「あいえんや」
最初に住み始めた3人が決めた。
・愛と縁に溢れた場所
・誰が来ても「ただいま」「おかえり」って言える場所
的な由来があった気がする(うる覚え)。
当初はよく人を家に読んで〇〇パーティ的なものを開催し、よく人が泊まりに来ていて常ににぎやかな雰囲気だった。
それは、少しずつ少しずつ変化。
パーティも減ったし泊まる人も減った。
5人で過ごす時間も減った。
そして
間もなく、ひとりが家を出るという状況
で、
家族会議。
「あいえんや」の在り方。
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納豆を2パック食べた後、会議に挑む。
O以外はその時納豆を食べた。
納豆ゴミの処理について会議で議論を交わした。
リビングのゴミ箱に納豆ゴミ捨てるなとなった。
私だ。
で、シェアハウスの在り方について話す。
それぞれがそれぞれの場所にエネルギーを注ぐ。
家の中で関わる時間が減った。
部屋に籠ったりして会話を交わすことが減った
人を呼ぶこともパーティすることも減った。
で
個人的な結論を言えば
「むしろ、それが自然じゃない?」
と思った。
真崎家での生活を経て。
シェアハウスを始めて。
改めて思うのは
「家族は、物理的にバラバラになっていくもの」
な気がするということ。
ずっと家の中と家族の構成員それぞれ、要は「内側」にがっつりと意識を向け合うということはなく、どこかのタイミングでそれぞれの場所、「外側」に向かって自立をしていく。
それによって、一緒に過ごす時間も減り、場所も離れ離れになっていくことは、「家族」っていうコミュニティにおいては全く不自然でも気まずいことでもないと思う。
で、それが「シェアハウスの"家族"」においても同じなんじゃないかと、あいえんやでの暮らしを通して感じるようになった。
なんというか
「団結」を経て「自立」が始まったという感じ。
例えば。
家にいると。
毎日誰かと楽しくお話して。
ついつい夜遅くまで話し込んで。
週末には必ずパーティして。
人もよく来て。
週に1度は一緒に晩御飯を食べて。
毎月1度はみんなでおでかけして。
ということをずっと続けることは
実は、もしかしたら「不自然」なんじゃないかっていう。
共にするのが「家」であり「生活」であり
関係性を「家族」とおくなら。
(浦安鉄筋家族(かつての愛読書))
家族ができた最初って、たぶん、うきうきですやん。
日曜日はみんなでご飯食べようね!
誕生日とクリスマスは家族でお祝いしようね!
年に2~3回はみんなで旅行行こうね!
みたいな。
本当の家族も、ノリ的にはシェアハウスも。
で
長男が高校入ったくらいからちょっと状況とか変わってきますやん。(仮想設定)
部活とか精出しますやん。
友達と遊びますやん。
バイトとかし出しますやん。
女の影とかできますやん。
で、家族との時間減りますやん。
それぞれの時間楽しみだしますやん。
それって、きっと至極当然な流れで。
一抹の寂しさはあれど本質的に悲しむようなことではないですやん。たぶん。
寂しいけど頑張ってね、つって。
陰ながら応援してるよ、つって。
でも、たまには帰ってきて顔見せてよ、つって。
たまには旅行とかも行こうね、つって。
そんな状況になった時、個人的には
日曜日はみんなでご飯食べようね!
誕生日とクリスマスは家族でお祝いしようね!
年に2〜3回はみんなで旅行行こうね!
っていうのがいつの間にか「義務」とか「ルール」と化することが懸念で。
そうなってしまうと息苦しくなりそうで。
そのための、5月「家族会議」だったと思う。
私達「家族」がこの状況の変化の中で「なにを大切にして」「なにを手放していくのか」ということ。
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特に特別なコンセプトも特別な決まり事も各種楽しそうなイベントを決めるのとをしなくてもいいよね
ってなった。
話そうときたけど、話せば話すほどどうにかつくろうとしていた「型」がぼやけて、むしろいらなくねってなっていった。
「束縛も我慢もなしで!」が形になった。
あとは、なにも決めなくても、普段はそれぞれの時間を過ごそうとも、必要な連絡をその時々取り合って、話したい時に話して、こうやって月1の「家族会議」だけあってお互いのことや思っていることを話せたら、今更頑張って特別なことをしなくても、もうそれで十分「繋がり」は感じられるくね?ってなった。
なったのかな。
私はそう思った。
その形の方が、前より「家族」っぽいなと思った。
(浦安鉄筋家族(兄の影響ではまる))
長々と、なんか長くなった。
他人との共同生活はほんと勉強になります。
で、形は変われど個人的には引き続き楽しいです。
そもそも結構なレベルでメンバー信頼しています。
だから勝手にやってほしいし
でも寂しいときは構ってほしいし
つけまつげくらいは許容してほしいです
(わがまま末っ子)
真崎
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