「I'm not a girl, not yet a woman」
「私は少女じゃない、でもまだ大人じゃない」とはよく言ったもので、18歳だか19歳だったかの私はそのタイトルに大共感しながら毎日この曲を聴いていた。友人との喧嘩、組織での対立、リーダーの孤立感、失恋、母親との衝突、将来への不安。ちょっぴりセンチな気分になっては静かな地元の街を散歩しながらこの曲を聴いて泣いた。
「私は少女じゃない、でもまだ大人じゃない」
なんて。
そんな美しい思春期の日々とどこかみずみずしかったあの頃の自分を6年だか7年だか前に置き去りにして、先月私は26歳になりました。not yet a woman なんて憂うもんならもはやただの現実逃避。
いやー26。
きたかー26。
え、26?
うそ、26?
まじで、26?
気のせいじゃない?
それなんかの間違いじゃない?
ダニエル・ラドクリフと間違ってない?
26という響きに自分自身が動揺している。かつての私が想像していた26歳の図と現在の私があまりにも剥離しすぎて実感が一切湧かない。26歳ってもっと大人っぽくて格好良くて凛として颯爽として飄々としてカツカツしているイメージで。なんなら10年前に描いた私の未来予想図ではすでに2児の母の予定だったんだけど、あれは「カ・ン・チ・ガ・イ」のサイン?
26歳。
改めて考えてみる。
出演依頼をいただきテレビに出たけどアゴしか映らなかったあの出来事は記憶に新しく、結局収録中ひとことも発さず菩薩のようにニコニコしていた私。そのとき交わされていた激論の中で印象的だったやり取りがある。
私と同年代の美人社長さんが出ていて、その人が仕事を辞めた理由を語った。どうやら「先輩社員のオバサンたちが痛々しくて「こんなオバサンになりたくない」と思ったから」という退職理由らしい。50歳手前のベテランアナウンサーを前にまったく引かずに「オバサンの痛々しさ」を語るその女性。美人。ベテランアナの完璧な笑顔が怖すぎる。
しかし、そこはさすがベテランアナ。
素晴らしい切り返し。
その美人社長の近くに座っていた16歳の天然おばかキャラ芸能人Nちゃんに話をふる。
アナ「でもNちゃんにとっては、あなたもオバサンじゃない?ねえNちゃん?」
N 「うん」
社長「…」
真崎「…(流れ弾を被弾)」
想像もしていなかった。
16歳の子にとっては、26歳もオバサンなのか。
前職まで小~高校生と関わることが多く、生徒からは基本的にあまり「人生の先輩たるお姉様」みたいには見られず同じようなノリとテンションで話すことが多かったから油断していた。実年齢に関わらず「私若い」ってちょっと思ってた。
まじか。
突き付けられた26歳の現実1つ目。
2つ目。
この前大学時代の友人とお酒を飲んだのだけど、その人はもう社会人4年目。昇級して部下もいるらしい。そうか。確かに私の同級生の多くが2012年に大学を卒業して就職したので、真面目に仕事を続けていればもう4年目になるのか。
かたや私。
ピカピカの大学5年生に進級したため同級生より社会人のスタートは1年遅い。社会人になってから3社に「新人」として入社して昇級も部下がつくこともなくキャリアが浅いうちに辞めている。そして現在、ライター界でもバイト先の会社でもまた「新人」からのスタート。その結果「新人歴3年半」という不思議な経歴を手に入れた。
私の中で「新人」と「26歳」が結びつかない。
気持ち23歳で自分の年齢が止まっているような気がしていたのは、そんな原因もあるのかもしれない。
が。
ライターの仕事を始めてから幾日か経った頃、ドカンとご叱責をいただいたことがある。その時の言葉を思い出す。
「あなた、25歳でしょ?」
その言葉は凄まじい焦燥感を駆り立てた。
勝手に「新人」の看板掲げて「皆さま私は新人ですでその辺りどうかご理解よろしくお願いします」と自己防衛に走ろうとしていた自分の存在に気付く。
それは、私とて本意ではない。
そのときは25歳。
そこからさらに年を重ねて、現在は26歳。
その年齢が「社会人」の枠の中でどのような評価を受けるのか突きつけられた。「社会人である以上年齢なんて関係なく誰もが自覚と責任感を持て」なんぞと言われましたら話はそこまでだがしかし、それでも「年齢や若さを理由に甘い顔をしてもらえる確率」は年々低下している、そんな感覚は正直ある。
一方。
同じ年のフリーランスで芸術分野の活動をしている友人がいてつい最近話した。お互いの仕事での話、悩んでいること、凹んでいること、それでも応援してくれたり個人的に仕事を依頼してくれたり時には仕事の関係内外に関わらず本気で叱って育てようとしてくれる人達がいるのは、本当にありがたいねということ。
そして、その後、お互い続けた。
「「これ、30歳になったらそうはいかんよな」」
実際30歳がどんなものか分からないし、30歳の方々に対して喧嘩売っているわけではない。要約すれば「26歳の私たちは正直まだ「若さ」という恩恵を受けている」とお互いが感じていたということだ。ただそれも「ギリギリ」であり、当然今も未来もその恩恵に甘えているわけにはいかないと私も彼女も激しい焦燥感を覚えている。
「まだ26歳じゃない」
「もう26歳でしょ?」
お互い、両方、言われたことがある。
この年齢だとこう、という絶対的な評価はない。
それは大前提。
それでも、頭の中に、ぐるぐると響き渡る。
「まだ26歳」
「もう26歳」
そんな、26歳。
ちなみに。
26歳になったときに「うおーアラサー」と叫んでみたら「え、26歳だったらまだアラサーではなくない?」と言われた。
四捨五入して30歳ならアラサー
ではないのね。
26歳になって最初に知ったトリビア(死語)でした。
真崎
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