一方的に敬愛している塩谷舞さんのブログを拝読して、幼少期の記憶がむくむくと浮かび上がる。
「1999年7月に人類は滅亡する」
フランスの医師・占星術師のノストラダムスがシンプルに怖すぎる予言を残して世界を震撼させた。
小2でこの予言を知った塩谷さんは「小5で死ぬ」という未来の予定に恐怖して毎晩泣いていた、らしい。
一方の、私。
何歳でこの予言を知ったのかは忘れた。恐怖した記憶は不思議とない。「もし真上から隕石が落ちてきたらギリギリで右に避けよう」など、死亡フラグビンビンの予言対策を妄想しては自分と死を遠ざけた。昔から勉強ができるタイプの馬鹿だった。
「どうせ人類は滅亡するから、良かった」
そう思い始めたのは、1999年7月になる少し前。
人類最後の冬を越した後のこと。
死にたくなったわけじゃない。「目前に訪れる死を受け入れ始めた」なんて悟りは一切開いていない。小学校でいじめられるのは予言の時期を過ぎたタイミング。
人類滅亡を歓迎した理由はただ1つ。
買ってもらったばかりの手袋を失くしたからだった。
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地元の近商ストアだか奈良ファミリーだかは忘れたけど、小3の冬にお母さんが手袋を買ってくれた。
茶色と白の毛糸でふわふわに編まれた柄に私が惹かれた。当然とっても気に入った。その手袋をつけて学校に通ったし、スキー旅行にもつけて行った。
でも、気付いたときにはなくなっていた。
いつどこで落としたのか全く記憶がない。ある日突然「あ、ない」となった。
手袋を失くしたショックよりも、私の心を支配した感情。
「どうしよう、お母さんに怒られる」
小学生の頃からとにかく忘れ物が多く、持ち物もよく紛失した。今ならきっと「この子は軽度ADHDですね~」なんて診断を受けた思う。
赤白帽やブルマを家の中で失くす。親に見せて判子をもらわなきゃいけない「けんこうのきろく」はしょっちゅう渡し忘れる。
その度に、お母さんに怒られる。
それが当時の私には一番怖かった。
別にお母さんの怒り方が常軌を逸するわけでも暴力を振るわれることも一切ない。ちびまる子ちゃんのお母さんがよく叫んでる「まる子っっ!!ほんとにアンタって子は!!!」と同じ感じ。お母さんに怒られることを恐れる幼少期。よくある話。
ただ、怒られる。それが、ただ怖い。
忘れ物や失くし物をしたとき、私はできる限りお母さんに隠そうとするようになった。自分から話を言い出さず、時にはウソもつく。
でも、バレる。
失くしたことを怒られる。隠したことも怒られる。泣く。ただただお母さんの怒りを逃れたいために「ごめんなさい」と謝る。謝る。すねる。怒られる。泣く。
怖かった。
だから、手袋を失くして青ざめた。
「買ったばっかりやのに、なんでアンタはそうやってすぐ物を失くすの!!!!!!」
ごめんなさい。ごめんなさい。
ほんとうにごめんなさい。
怒られる未来に怯える私の心を照らしたのは、ノストラダムスの大予言。
手袋を失くしたのは、冬も終わりを迎える頃。すでに手袋をつけなくても不自然ではない気候になった。これで、来年の冬まで手袋をつけることはない。
失くしたことがバレるなら、次の冬。
「そうか!この夏に人類が滅亡するから、手袋を失くしたことはバレない!怒られずに済むんだ!」
小3の私にとっては、学校と家が全宇宙。
出会ったこともない全人類の滅亡より、体験したこともない死より、想像したこともないこの先何十年の未来の消失より、お母さんに怒られることが私には1番怖い。
ありがとうノストラダムス。
隠さず、ウソもつかず、お母さんに怒られずに済むよ。
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地球、滅亡しなかった。
ダムスー。
1999年7月を過ぎて冬を迎える。
たぶん、手袋のことは怒られなかった。
ウソついたっけ。お母さんがスルーしてくれたんだっけ。ちゃんと覚えていないけど、地元の近商ストアだか奈良ファミリーだかで、私はその冬また新しい手袋を買ってもらった。めでたしめでたし。
あれから17年。
私は27歳になった。
8月後半に両親と予約していたマレーシア旅行。ずいぶん前からワクワクしていたのに、あろうことか私は沖縄移住の際にパスポートを失くした。成長してなさ。
バレたらきっと、お母さんに怒られる。
「27歳にもなって、なんでアンタはそうやってすぐ物を失くすの!!!!!」
ごめんなさい。ごめんなさい。
ほんとうにごめんなさい。
気付いたのは旅行3週間前。両親には内緒のまま急いで京都の役所から戸籍を取り寄せ、パスポートセンターに行き、旅行1週間前に新しいパスポートを発行してもらえた。ギリギリセーフ。
でも、ばれる。
それがセオリー。
旅行先であえなく御用。失くしたことを怒られる。隠したことを怒られる。謝る。すねる。終わり。
私が泣くことも、母が執拗に怒り続けることもなくなった。失くし物も忘れ物も未だに多いけど、私も少し大人になって、母も少し年を取った。
1999年7の月、ちぎれそうに後ろ向きだった私は10歳で死んだ。
当時からは想像もつかないくらい、今は前向きに生きている。
1999年7の月、いろんな意味で前向きだった私は9歳で死んだ。
当時と同じくらい今でも怖いけど、当時からは想像もつかないくらい尊敬している母。
また失くし物をしても、「どうしよう、また怒られる」と思っても、ヒゲの長い預言者がまた絶望的なことを言い出しても、もう絶対に喜んでやらないかんな。
母には悪いけど、また怒られて、シュンとして、開き直って元気になって。
私の未来がナチュラルに終わるまで、前向きに生きていく予定です。