「代官山は、カラーがないから住みやすいの」
そう話す友人・佐々木ののかは、代官山という一等地にひっそりと建つ築50年のトタン小屋に住んでいる。街のカラーは知らないが、台風がくれば一発で吹き飛びそうなボロ家の個性は逆にすごい。
「なんか、代官山って表面的なんだよ。街並みも人も、表面的にオシャレで立派。で、それだけなんだよね。それ以上のものがないから、思い入れも生まれない。だから、逆に安心するの」
そんな話をしながら、代官山の街をふらふら歩く。
赤信号に足を止める。
向かいの歩道には、ふわふわの小型犬をつれたご婦人。
高そうなコートを着ている、気がする。
「なるほど、あれが代官山か」
「真崎、それはさすがに偏見」
その日は彼女の物件探しを少し手伝った。
ネコが飼える家に引っ越すらしい。
「どの辺がいいの?」
「特にココってとこはないんだよね」
「中央線沿いは?」
「中央線沿い?」
「吉祥寺とか、高円寺とか、荻窪とか」
「絶対ダメ!!!!!」
彼女が叫ぶ。
ビックリした。生理前かよ。
中央線周辺は、言わずと知れた人気居住エリアである。
不動産・住宅情報サイトのSUUMOが発表した『住みたい街ランキング2017・関東』では、吉祥寺が恵比寿を抜いて、堂々の1位を獲得した。
少し下位だが、18位に中野、24位に荻窪がランクインしている。
佐々木ののかは、もともと下北沢に住んでいた。
その後2ヶ月だけ荻窪に住み、代官山に流れついた。
荻窪に住んでいた期間はかなり短いけど、その街自体はわりと気に入っていたはず。
「荻窪よかったんじゃないの?」
「荻窪はよかったよ」
荻窪が好きながら、たぶん他の中央線エリアも好きになれると思うのだけど。
「なんでイヤなの?」
少し悲しげな顔の彼女に聞く。
「だってさ、
荻窪、エモいじゃん……」
「荻窪はエモいの。てか中央線沿いってエモさがすごいの。
うっかりエモい場所に住んじゃったら、街に愛着湧くじゃん。そうなると離れられなくなっちゃう。
だからエモい場所には住みたくないんだよ。だからエモさのない代官山なんだよ。代官山はラクなんだよ。わたしが住むには、荻窪はエモすぎるんだよ……」
思い入れを持つのが怖くて住めない荻窪・中央線。
思い入れがないから安心して住める代官山。
「なんかアレみたいだね」
「なに」
「荻窪は本命の既婚者、代官山はどうでもいいセフレ」
「あ、そんな感じ。あと下北沢は別れた元カレ」
*****
「荻窪はエモい」
「代官山はエモくない」
その感覚は、なんとなく分かる気がする。
なんでだろう。
荻窪や中央線エリアが持つ独特のエモさはなんだろうねって話をしたら、彼女は「地元感」と翻訳した。「地元じゃないのに、なんか地元なんだよね」と。分かる。
彼女はその「地元感」に対して「なんか実家っぽいんだよね。近づくと離れられない、ズブズブの共依存的な安心感がイヤ」と、エッジの効いたこじらせを見せた。
じゃあ「場所のエモさ=地元感」かといえば、彼女は「でも、下北沢はエモいけど地元って感じではないんだよね~」と言う。
分からないけど、分かる気もする。
私が17年間住んでいた、京都・精華町。
ザ・地元である。
豊かな自然が多く、都会ではなくとも開発の進んでいる町で、わたしも好きな場所ではある。
でも、精華町はエモくない。
完全に感覚の世界だけど、精華町はエモくないのだ。
地元だけどエモくない。
地元感もなくはないけどエモくない。
小学校と中学校は町立校に通っていたので、思春期の思い出もたくさん詰まっている、のに、なんかエモくないのである。
一方で、大久保はエモい。
この駅からバスで15分の高校に通っていた。
駅前のミスドを見ると、部活帰りにみんなと寄り道して2つも3つもドーナツを買って電車に乗り込んだことを思い出す。
マクドに行くと、部活が休みの日にみんなで寄り道してポテトのLサイズを食べながらひたすらキャイキャイ話した恋バナを思い出す。
高校まで続く長い坂道を見ると、高1のときに好きだった男子を誘って夜の帰り道をドキドキしながら歩いたことを思い出す。「そっち危ないから」といそいそ道路側に来てくれて死んだ。その後フラれてまた死んだ。
大久保駅から出て街を歩き、いろんなお店や道を見るだけで、どうしようもなく嬉しくて切なくて愛しい気持ちが込み上げてくる。そうこれはエモ。
このエモさの正体はさすがに分かる。
思い出ノスタルジーである。
過去の強い思い出がある場所には、その人にしか感じ得ないエモさが宿る。
精華町での思い出は「弱い」のかもしれない。
大久保自体は、フツーの住宅街である。
住んだことがない人をも郷愁に巻き込む中央線的なエモは、たぶんこの街にはない。
沖縄の今帰仁村は、来た瞬間にエモかった。
この村は、とにかく「僕のなつやすみ感」がすごい。
透き通る広い青空、緑、花、虫の声、美しい海、スイカ、地元にいるおじいやおばあ。
初めてなのに懐かしい。
愛着の有無に関わらず感じられる今帰仁村のエモは、中央線のソレと同じ類かもしれない。
地域に根付く「エモ」の正体をひも解く文章を書いているんだけど、書けば書くほど沼だし、そもそも「エモ」を下手に言語化したら一気にエモさが失われていく気がして「なんてナンセンスな作業なんだ……」と絶望しながらなお書き進めている。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2017年12月19日
「次に住む場所さ、下高井戸ってどうかな……?」
佐々木ののかが私に聞く。
「どこそこ?」
「京王線の駅」
「エモさは」
「たぶん代官山以上、荻窪未満くらい」
「分かりみ」
地名の響きと京王線という立地によるイメージ。
「なんかエモい」「なんかエモくない」
根拠はないけどなんかあったりなかったり。
そんなエモ。
真崎
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