真崎です

沖縄にいます

4度目のひとり暮らし。独身おひとりさまでもいい、と思ったはずなのに。

  

masaki-desuyo.hatenadiary.jp

 

ひとり暮らしができなくなった。

 

前は平気だった。でもできなくなった。シェアハウスを経験してからできなくなった。たった2ヶ月だけ住んだ高知のマンションもつい先日解約してしまった。

 

寂しすぎたのだ。

 

ひとりで暮らすのが、本当に寂しい。ただ「寂しい」というだけの感情が、わたしには泣けるほど苦しかった。

わたしの暮らしに「他人」がほしい。

言葉を交わして笑って過ごせる「他人」がほしい。

 

 

昨日から大阪でひとり暮らしを始めた。

なんでやねん。

 

 

2017年10月。

沖縄が大好きすぎて「もう永住する!」とわめき始めた矢先に高知で恋人ができ、「やっぱりオラは高知の嫁になる!」とあっさり高知移住した。

 

しかし、お相手マン以外に知り合いの少ない環境で、毎日ひとりでスタバと家を往復しながら記事を書き、スタバ&コンビニ店員さん以外と会話をしない日が1週間を超えたあたりからメンが怒涛にヘラった。寂しさはここまで自分を病ませるのだと初めて知った。

 

取材に同行してくれたり「人間と話すために会社入りたい」と死んだ目で話すわたしに会社を紹介してくれたりと、お相手マンは非常にいい人だった。

しかし、病んで心の器が0.1ミクロンサイズになっていたわたしはその親切を上手く受け取れず、結局移住してたった1ヶ月半後に「関西に住むことを考えている」と話した。お相手マンは止めなかった。

 

関西に戻ってしばらくは京都の実家にこもり、4月から6月は大阪に住む知人のマンションで初めましてな女の子と2人でルームシェアをした。

そして昨年高知でドはまりしたよさこいをするため、大阪の「夢源風人」というよさこいチームに入った。

 

 

昼間は隙あらばライター友達に連絡してカフェでいっしょに仕事をしたり、関西のあちこちで日々開催されるイベントに出向いたり、そこでできた友達とランチや飲みや銭湯に行ったり。

夜はよさこいの練習に行ったり、そのままメンバーの誰かとご飯を食べたり、飲んだり、家に帰って同居人ガールの入れたおいしいコーヒーを飲みながら恋バナしたり、週3で近所の銭湯に行ったりして

 

気付いた。

大阪、引くほど楽しい。

 

東京でも感じていたが、都会はおひとり様が生きやすい。

たくさんの出会い、娯楽、仕事、イベント、人の数だけ多様な生き方。誰とも近すぎない距離感が根暗なわたしにベストマッチ。都会or地方の二項対立は食傷コンテンツだが、少なくとも寂しがりやすぎる今のわたしには都会が合っているように思えた。

 

手を伸ばせばあらゆる「楽しい」が転がっている大阪なら、たぶん大丈夫だろう。そして、もう二度とできないと思っていたひとり暮らしをまた始めてみることにした。

 

 

関西にくる前から持て余していた結婚願望にしたがって沖縄ぶりのアプリ婚活を始めてみるも、それよりも楽しいことがありすぎてすぐ放置。

沖縄ではアプリを始めてから3週間で彼氏ができた。が、すぐ燃え上がって即鎮火。B'z稲葉さんの言う通り、出会いも別れもEasy come Easy go。

 

「なんか、誰かと付き合ってるときのほうが、ひとりでいるより孤独なんですよね」

伏し目がちにセンチなセリフを吐いたら、既婚者パイセンに「それは、お前が相手に勝手な期待を寄せすぎる未熟な恋愛初心者だからだ」と一蹴された。どうも28歳ラブビギナーです。

 

 

「結婚したい」の奥にある感情は、いつだって「ひとりじゃ寂しい」だった。でも、相手がいれば、結婚すれば、孤独じゃなくなるワケではない。むしろ、誰かといるからこその孤独もあるのだと、自他両方の体験から知ってしまった。

 

だったら、ひとりでもよくない?

そのほうが、ぶっちゃけラクじゃない?

 

また誰かといたくなったら動き出したらいいや。30になる前に~なんて焦燥感で動いても気力がもたない。自分のタイミングがあるだろうし、なければないでどうにでも楽しく生きよう。

 

そして、ペアーズのアプリをスマホから消した。

 

 

**

 

そんな折、友人から一冊の本を紹介された。

 

 

「約50年も連れ添った最愛の奥さんを病気で亡くした旦那さんが、死ぬ間際に妻の残した詩と、彼女に対するメッセージを朝日新聞に投稿したら、ネット上でものすごく話題になったんですよ。その旦那さんが書かれた本です」

 

とのことで、まずはその「妻の残した詩」を読んだ。

 

「七日間」

 

神様お願い この病室から抜け出して

七日間の元気な時間をください

 

一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい

あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ

 

二日目には趣味の手作り 作りかけの手織りのマフラー

ミシンも踏んでバッグやポーチ 心残りがないほどいっぱい作る

 

三日目にはお片付け 私の好きな古布や紅絹

どれも思いが詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね

 

四日目には愛犬連れて あなたとドライブに行こう

少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く

 

五日目には子どもや孫の 一年分の誕生日会

ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ

 

六日目には友達集まって 憧れの女子会しましょ

お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの

 

七日目にはあなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ

大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう

 

神様お願い 七日間が終わったら

私はあなたに手をとられながら

静かに静かに時の来るのを待つわ

静かに静かに時の来るのを待つわ

 

あぁ、と思った。

 

 

そして、本を読んだ。

 

この本は、夫である英司さんが「妻のいた記録」を残すために書かれたものらしい。

「人間は生涯で3回死ぬ。一度目は、肉体がなくなったとき。二度目は、人々から忘れられたとき。三度目は、生きていたことの記録が消滅したとき」

妻の容子さんをこれ以上死なせたくない。その思いが、朝日新聞への投稿、そして本という形になった。

 

この本に載っているのは、容子さんが亡くなるときの様子、容子さんに対する英司さんの気持ち、そして容子さんが亡くなる2年前からふたりで始めた交換日記。

この交換日記「二人の物語」では、大学時代にふたりが出会ってから、交際、就職、同居、結婚、出産と、今に至るまでの出来事と当時の気持ちをそれぞれ綴り合っている。

 

読んでまた、あぁ、と思った。

 

 

この本の中で英司さんは、奥さんのいない猛烈な喪失感を今も抱えている。

亡くなった容子さんも、本当はもっと英司さんと共に生きたかったであろう、無念を感じていたのだと思う。

 

 

だからこんなことを言うのは不謹慎かもしれない。

でも、強く思ってしまった。

 

あぁ、この関係、めちゃくちゃ羨ましいな。

 

 

隣の芝は青いという。実際に、同年代の友人たちが続々結婚して幸せそうな様子をばらまく各種SNSを見ると「あっお」と思う。

でも、このご夫婦のソレは青さが違った。どこまでも広がる青々とした芝生はとても美しく、焦燥感など混じる余地もない。ただただ純粋に「こんなに愛せる人と伴侶でいられる人生、とても素晴らしいな」とわたしに感じさせた。

 

 

ひとりは、本当にラクだ。

 

自分のペースで働いてお金を稼ぎ、好きなときに遊び、好きな人たちとワイワイし、好きな場所で暮らし、日々を自分の好きに生きられる。

もともと単独行動が好きで、ご飯ぼっちも映画ぼっちもブラブラぼっちも昔から。ちょっとした寂しさなら、大阪の街がすぐに埋めてくれる。

今の生活には大きな不安も不満もない、のは間違いない。

 

 

でも、英司さん容子さん夫婦の姿を見て思い知らされる。

「本当はわたしも、こんな伴侶を求めているのに」

 

 

ひとりがラクなのは、誰とも深く向き合わずにいられるからだ。

特定の誰かと共にいて向き合い続けること、その中で自分が傷つくこと、自分が嫌われること、自分が乱れることを思うととても怖い。

自分自分で生きてきた自分のベクトルは、気付けば自分にばかり向いている。それも、実はすごく怖いことだと思うのだけど。

 

このご夫婦がもつ無念や喪失感、その奥にある深い愛を目の当たりにすると、そんな自分、そして「ひとりでいい」という開き直りに対してなんだかモヤモヤとした気持ちになってしまった。

とんでもない本を紹介されてしまったと思う。

 

www.sunmark.co.jp

 

 

本の帯には、容子さんの日記の一部が書かれていた。

 

”もしあなたがいない時間に私が死んでも、決して後悔しないでくださいね。あなたと関わってきたそれまでの時間が大事なのだから。

突然なにがあっても、私はあなたに感謝し、ずっと愛して、幸せですからね”

 

こんなに強く深く、誰かと想い合ってみたい。 

そんなことを思いながら、借りたばかりの1K単身部屋でこの文章を書いている。

 

 

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