人間はヒマか悩むかすると人生を回顧し出すんですってね。知らんけど。
しばらくは締切のないのんびりした日々を過ごしたいなぁと思っていたら、念願叶ってこの2ヶ月が誠にヒマ。そろそろ耳からキノコ生えそう。
沖縄でいっしょにお仕事してた方と久々に会ったら「お、売れっ子ライターの真崎さん~!!」と声をかけてくれ、残念ながらまったく売れっ子ではなく最近全力で暇している旨を伝えたら呼び名が「暇っ子ライター」に変わった。
— 真崎 (@masaki_desuyo_) 2019年2月16日
例にならって人生回顧。
せっかくここ6年で実家含めて11回引っ越ししてあちこち住んだので、これまでの住んだ場所とともに当時の思い出を振り返るなどしました。
4837字。ヒマなら読んでね。
横浜・白楽・ひとり暮らし(2013.4~6)
就職で上京。23歳、人生初めてのひとり暮らし。
家は駅から徒歩5分の小さな2階建てアパートで、家賃は4万5千円。
エイブルの営業マン曰く「東急東横線上の駅近でこの条件の物件はなかなかないですよ~~!」とのことで、内覧したら角部屋日当たり最高なので即決だった。6畳1間でも収納なくてもユニットバスでも日当たりさえ良ければそこはわたしの都。
しかし、この家にきて2週間後に 仕事がアレになる。
一時的に全気力をなくし、毎日毎晩ずっとこの部屋にこもってサンサンと日光を浴びながら何本も映画とドラマを観続けた。『SPEC』に支えられたのもこの時。
のちに大阪で就職が決まって、この部屋を引き払い、京都の実家に戻った。
が、その会社も秒でメンをヘラって2ヶ月で退職。
その3週間後にまた横浜で就職が決まって次の家です。
横浜・天王町・ひとり暮らし(2013.11~2014.11)
横浜駅から相鉄線で3駅。「横浜のベッドタウン」と言われていた当時の天王町で、わたしと同い歳の3階建てアパートに住んだ。
家賃は4万7千円。駐輪場なし。許可をもらってアパート前に適当に止めていた自転車は12月24日に盗まれた。ハッピークリスマス。
この部屋、屋内に洗濯機を設置できるのはよかった。
が、ホースを通す口を開けると狂気のドブ臭が漂ってくる難点があり、洗濯のたびに半泣きでファブリーズをふった。
もともと物欲も少なければ、当時はお金もロクにない。
布団とちゃぶ台とテレビしかない6畳1間に客人は驚き、ある友人には「え、独居房??」と本気で心配された。シャバです。
勤続2年目に差し掛かり、仕事で激病みしていたころに「池袋でシェアハウスするからおいでよ」と大学時代の友人たちが誘ってくれた。すがるように引っ越した。
東京・池袋・シェアハウス(2014.11~2016.6)
(家族会議)
楽しさで言えば、このシェアハウス「あいえんや」での暮らしに勝る家はない。
メンバーは気心知れた友人たち、かつ昔はがむしゃらに「出会い!感謝!圧倒的成長!」と自己啓発畑を駆けぬけた仲間である。
居心地のよさはもちろん、「自分と他人は違う」という大前提に立って対話ができる貴重な空間だったと思う。
(メンバーたちの結婚やらで一昨年解散した)
ただ、池袋への愛着はゼロ。
なんせ街が暗い。
高いビルが立ち並ぶ駅前は日照面積がとにかく狭くて「ここは終末の地……??」と錯覚するほど薄暗い。
しかし終末にしては人が多い。めちゃくちゃ多い。なんだかんだで東京の繁華街。埼玉の植民地。振り返ればコスプレイヤー。隣にはアニメイト本店。
土日にはまともにカフェにも入れず、パソコン作業場所を探すだけで疲弊して帰宅したことも何度もある。
東京に病んだ。
そして「ゆるくて暖かそうだから」というIQ5の理由で沖縄移住を決める。
沖縄・宜野湾・シェアハウス(2016.6~11)
(同居人のお兄さんが漬けたスク)
貯金5万でツテほぼゼロの沖縄移住。
編集者の先輩からは「お前は人生なめているのか??」と怒られた。なめてない。ちょっと浅はかなだけ。
沖縄でさっそく詰みかけた私を救ったのは、唯一かつ極太なツテだった女友達。
移住から3週間はめちゃくちゃデカい彼女の家に居候し、その後に彼女が以前住んでいたシェアハウスを紹介してもらった。持つべき友は彼女。
池袋のときは違い、1人暮らし×3のようなシェアハウス暮らし。
男性ふたりとの共同生活だったので「真崎大丈夫? やらかしてない??」と心配されたが、ライフセーバーのお兄さんと致したのは『東京喰種』の話ぐらい。家主とは奥さん共々いまも仲良くしてもらってる。
入居から4ヵ月で退居という悲劇。
が、ホームをレスする直前で東京の編集者さんから「真崎さん、3ヶ月ほどセブに移住してみませんか!!?」とメールが届く。神はいた。「行きます!!」とほぼ即レスでセブ行きが決まった。
フィリピン・セブ・ルームシェア(2016.12~2017.2)
(セブでのお仕事パートナー&家主まゆゆ)
初の中期海外暮らし。
暖かい気候、気さくで楽天的な現地人、なんとなく沖縄と雰囲気が似ていたセブは居心地がよかった。
フィリピン人はとにかく気さくで、例えばカフェでONE PIECEアプリを開いたら『Oh, ONE PIECE!I love it!』と店員さんが話しかけてくれる。拙い英語で「今はアーロン編です」と伝えた。
道にはゴロゴロと野犬がいて、時々ふつうにヤギもいて、早朝にはコォォォォォォォォケコッッコォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォゥという断末魔のような鶏の絶叫が聞こえる。見る聞く全てがオール非日常。
基本的には取材&記事を書きつつ、休みの日にはまゆゆといろんな場所に遊びに行った。シキホール島まで行って黒魔術も受けた。惚れ薬も買った。
物価も安く、日本人も多く、現地の人はフレンドリー。
セブでの暮らしは思いのほか過ごしやすかった。汚れまくりの大気を除いては。
車の渋滞が世界ワーストレベルのセブは、大気が排気ガスと砂埃まみれだった。
「空気がキレイな場所じゃないとアタイ生きていけない……」と、最後の数週間はひたすらに沖縄に戻ることを夢見ていた。
沖縄・沖縄市コザ・社員寮に居候(2017.3~4)
(社員マンたちと食べる白菜しゃぶしゃぶポン酢)
「家なし仕事もロクになしですがセブから沖縄に戻ります」とFacebookに投稿したら「うちの寮使う? 無料でいいよ」とゴッドな社長さんが声をかけてくれた。アーメン住みます。
そこはまごうことなき男子寮だった。
「真崎大丈夫?やらかしてない??」 例外なく大丈夫です。みんな本当にいい奴で、かつ仕事熱心なのであまり家にもいない。過ちが起きる隙すらなかった。
立地的には少し不便なコザだけど、せんべろ居酒屋、おしゃれ立ち飲み屋、隠れ家的なジャズバーなど、ステキな飲み屋が徒歩圏内に点在している。
コワーキングカフェで夜まで仕事をして、終わったらその場にいる人たちと飲みに行き、ベロベロで寮に帰る。なかなかヘブンな日々だった。
1ヶ月こちらでお世話になり、次に住む物件を見つけたところで退居させてもらった。
沖縄・宜野湾・ゲストハウス居候(2017.4~10)
(BBQの準備をするアメリカ人同居人)
パリピ(当社比)の家主が運営している外国人向けゲストハウスに移った。
家主との出会いは、セブに行く前このゲストハウスで開かれたホームパーティ(パリピ!)だった。友達に誘われて参加し、まぁとても楽しかった。
で、楽しそうなあの家に住めたら最高だなぁと思っていたタイミングで急きょ住人募集が出たのである。奇跡だ。
「募集要項:男性」とあったが無視して応募した。
アゲでファニーでエビバディシェアハピな空間だったので、家ではよくパーティが開かれたし、各国からの宿泊客ともよくお酒を飲みながら話した。
が、わたしはそもそも根暗非パリピ引きこもラーなので、大体のパーティーは途中抜けして部屋にこもる or 家に帰らず車にこもるなどした。
理解ある家主は「場に人数が増えるごとに口数が減って最終的に消えるむーちゃん」としてわたしを紹介してくれ、おかげで遠慮なくパーティ中に沈黙・失踪することができた。
「死ぬほどの恋がしたい」らしい家主。
「好きなタイプは安心と信頼のマスオさん」なわたし。
あらゆることが正反対な家主とは『テラスハウス鑑賞&意見交換』がとても捗り面白かった。その記事が上のやつ。
そんな楽しいゲストハウス暮らしは、うっかり高知に彼氏ができて「わたしは土佐の嫁になる!!」と宣言して終了した。
高知・高知市愛宕町・ひとり暮らし(2017.11~2018.1)
(移住1日目に参加したライター交流会、ビールが積まれていた)
もはや移住ではなく短期留学と化した高知暮らし。
土佐の嫁? 私が言った? 気のせいじゃない?
夏に実施したよさこい移住応援隊インタビューでは「よさこい好きの場合、よさこいオフシーズンの移住はあまりオススメできない」みたいな話も聞いていた。ほんそれ。孤独死するかと思った。
沖縄移住が大成功だったので油断していた。フリーランスの地方移住はもうちょっと戦略練らなきゃ孤独に負ける。
ただ高知はよさこいともども変わらず愛していて、なんだかんだで3ヶ月に1度くらいは足を運んでベロベロ酒を飲んでいる気がする。こちらもゆるくて気さくな県民性が心地よく、あと県民の肝臓の強さには毎度ビビる。
大阪・新大阪・ルームシェア(2018.4~6)
(同居人ガールとうどんパーティ)
「パラグアイで現地民に1年間よさこい指導!!」という企画に応募をしたのがこの時期。
受かれば7月からパラグアイのため、受かる前提で短期入居できる家を探したところ、知人の紹介で新大阪でのマンション暮らしが決まった。
いろんな家に住んだけど「家主不在で初対面の人とルームシェア」というのは初めて。
ドキドキのお相手は年下のかわいい女の子。コーヒー好きでよく豆から挽いてコーヒーを淹れてくれた。夜にふたりでスイーツとコーヒーを嗜みながら恋バナするなどしていた、あのかわいい日々たるや。
大阪北部で大地震が起きたとき、わたしと同居人ガールはともにこの部屋で被災。その日は本震の恐怖に震えつつ、ふたりで力を合わせて地震対策と物資調達をした。
非常時になったとき、すぐ近くに頼れる誰かがいる状況のなんと心強いことか。人知れず結婚願望が爆上がりしたのもこの時期だった。
短期入居の約束だったので、白目で次の物件を探した。そして結局再び独居。
大阪・市内某区・ひとり暮らし(2018.8~2019.9予定)
イマココです。
今の家、間取りは1K、最寄り駅から徒歩2分、徒歩5分以内で3沿線利用可、梅田まで10分弱、日当たりそこそこ良好、オートロック、2口ガスコンロ、家具家電がひと通りとウォーターサーバーまでついて家賃が3万5千円。
一家心中か猟奇殺人のあった事故物件としか思えなかったが、フタをあければ家主さんのただのご厚意。この世は神で溢れている。
そんなステキな我が家も、今年の9月末に強制退去が決まっている。この世は不条理。
この家を出た後、どこでなにして生きるかはまったくの不明。
引き続き大阪でよさこいやってるかもだし、ただ気持ちとしては沖縄バックが大優勢だし、かと思えばまたパラグアイとか言ってるかも。
30年目のハッピー五里霧中ライフ、引き続きこんな感じで生きていきます。
ただそろそろヒマが過ぎる。
よければ皆さんかまってください。
真崎
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