平成の始まりとともに生まれ、平成の終わりとともに20代を終え、昭和生まれな皆さんに「あ、どうもアテクシ平成元年生まれですぅ」と茶番なマウントを取り続けた半生でした、どうもすいませんでした。
そもそもの始まりは中学1年生、ソフトテニス部に入部して生まれて初めて「先輩」という存在ができた時のこと。
1年生同士で固まっていると、親睦を図ろうとする2年生の先輩たちがやってきて、開口一番「ねえねえ、もしかしてみんなって平成生まれ??」と聞いてきた。
「あ、はい、平成元年生まれです!」
「「「「「 若~~~~~~~い!!!!! 」」」」
13歳と14歳の会話です。
よくよく話を聞けば、先輩たちは「1年生」「下級生」「年下」よりも「平成生まれ」に強いヤングみを感じているらしかった。
私たちと先輩との間に手でカベを作りながら「はい昭和と平成の境~~~笑笑笑」みたいなことを言い出す先輩。
コミュ力高めの1年生代表がすかさず「え~~~そんなん全然変わらないですよ~~~!!」と返すも、先輩は「いやいや、ちゃうねんな、昭和と平成ってだけでホンマに全然ちゃうねん」とこの世の酸いも甘いも舐め尽くしたような憂い顔でつぶやく。どうしたよ。昭和生まれになにがあったよ。
当の自分たちは、あの頃「平成元年生まれ」であることを特別喜びも誇りもしていなかったと思う。先輩とのこのやり取りにも「なにがそんなに??」と面食らったぐらいだ。
そんなわたしが元年生まれマウンティングを乱発するようになってしまう、その背景には主に昭和61~63年生まれな先輩たちによる「ギリギリ昭和生まれネガキャン」があることを主張しておきたい。
高校のチア部、吹奏楽部、大学のバレーサークル、就活のOBOG訪問、就職した会社、会社主催のパパママランチ会、朝キャバの待機室、内勤ライターバイト先の会社、年上マン達との合コン、いちばん最近だとよさこいサークル「夢源風人」に入会してからもそう。
いくつになってもどんな組織に行っても変わらない。
ギリギリ昭和生まれとギリギリ平成生まれがエンカウントすれば、そこにはあの頃先輩がまざまざと見せつけた「生まれた元号による体感年齢の壁」が発生してしまう。昭和側の攻撃はいつだって「平成と昭和の差をなめんなよ」という自虐型精神パンチ。
最初こそ中学のときと同様「いやいや!そんな全然変わんないっす!」とオロオロと下手な返しをしてきたけれど、年と経験を重ねるごとに "生意気な後輩" という処世術を身につけた結果——
「え~真崎平成生まれなん!!?」
「そうっすそうっす、ギリ元年っす」
「うわ若ぁ~~」
「うわなんやねんお前腹立つわ~www」
こうなった。茶番マウントの誕生。
改めてこの会話を可視化すると胃にくる。
いま死んだ目でこれ書いてる。
そしてこんなやり取りもきっと明日で死滅する。
「君何年うまれ?」「2019年です」「えっ、てことは元気モリモリご飯パワー元年生まれ!? 職場に元気モリモリご飯パワー生まれがいるってこえー!!俺も年取ったなー!」
— まどべ豪雨 (@Gou_u_Madobe) 2019年3月31日
笑う。うそ笑えない。
これそのまま言ってる自分が浮かぶ。職場ないけど。
まだ見ぬ新元号の眩しさがもうすごい。旧元号の元年生まれ如きが太刀打ちできる気がしない。
平成元年マウンティングは気持ち本日、正式には4月末に完全終焉。
ギリギリ昭和とのヒリヒリしたやり合いで無駄にモリモリ肥大した我が平成の虚栄心を、いつかどうか元気モリモリご飯パワー元年生まれの若者に踏み潰されたい。
なんて、新元号発表の前日たる本日になんか平成なことしておきたくて中身皆無なこれ書いた。
平成元年生まれの断末魔ブログ。どうせ明日のツイッターは新元号での大喜利祭りですからね。
真崎
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