アイプチという化粧道具がある
奥二重な母親と線の気配すらない完全一重の父親の元に生まれた私。
25年目の、一重。
四半世紀目の、一重。
「親のどちらかが奥二重だったら20歳過ぎたあたりくらいから二重のラインがついてくる人も結構いるよ」と小学生時代に励まされた記憶があるけど、そうなるともう奥二重と一重のハーフの中ではそろそろ重鎮なんじゃないかなってぐらいに、一重。
アイプチという化粧道具がある。
まぶたをクッとしてペタッとしてギラッとさせる。要はのりを使って二重まぶたをつくるための化粧品。
私がアイプチを使いだしたのが高校1年生の頃。
自分の容姿に激しく自信がなく、重ねて中学時代に男子からいじめられた経験が尾を引いて「可愛くない私は男子から陰口を叩かれる存在だ」という強迫観念が頭にこびりついて、手を出したのがアイプチ。
目が大きい方が、かわいい、らしい。
以来アイプチが手放せなくなり、アイプチで二重にしないことにはちょっと外に散歩すら行けないレベルで依存していた。
アイプチを続けているうちにまぶたに二重のラインが癖づいてそのうち二重になるよ、という言葉を信じて人工二重を続けること10年。25歳、安定の一重。
アイプチをしているときだけ自分の容姿に微かな自信を持てた。
目が大きいね。目力あるね。めぐりめぐって「かわいいね」。
その一方で、自分の素顔への自信は失われる一方。
アイプチをしていない顔を他人に見せられない。親友にさえ見せられない。だって可愛くない。周りもきっと二重の私がふつうだと思っている。今更こんな胡麻みたいな目に戻れない。いや胡麻よりは大きい。
そんな恐怖とともに、10年間手放せなかったアイプチ。
を、手放したのが今からちょうど1年前くらい。
ちょっといろいろあって数日間毎日泣き続けていたら、涙のせいか突如アイプチののりがくっつかなくなった。
猛、焦り。
塗っても塗ってもぺろんぺろんはがれる。
焦って、焦って
開き直った。
その日入れていたすべての予定にすっぴんで参加した。
アイプチや化粧を手放せなかった私にとって、その決意たるや人生に2~3回あるかないかレベル。大げさでなく。
最初の予定の場所についたとき、ドアの手前で絵にかいたような硬直。
奥には殿方ふたり。
対するは真崎@顔面無防備。
冗談ではなく、心臓をバクバク鳴らしながら、ドアを開けた。
結論から言えば、なんてことはなかった。
「全然ふつうだよ」で終了。
「なんならそれはそれでアリだよ」で終了。
「むしろアイプチの二重は不自然だったよ」で終了。
早く教えてほしかった。(特に最後)
あれほど執着していたアイプチをその日以来手放した。その日に捨てた。
目は小さくなったけど、なんというか、顔が軽くなった感覚。
一重には一重の化粧があって、それはそれでなんだか味がある。
手放した先を想像したときには不安と恐怖しかなかったけど、手放してしまえば一瞬で。むしろ前より小さくなったこの目で勝負できた方がなんだか清々しい。
いろいろと、なんかそういうことな気がする。
だから、よく分からないけどたくさん絡みついていた執着を手放して、これからまたたくさん言葉を綴ってみようと思う。
二重じゃなくてもいい。
華がなくてもいい。
賞賛されなくてもいい。
賞賛されるための行動をしなくてもいい。
不安や恐怖はつくりもの。
やってみないと分からない。
だから、今からまたたくさん書いていく所存です。
p.s
そういえば奥二重になりました。