真崎です

沖縄にいます

ネットワークビジネスから私が感じたこと ~「私は正しいあなたは間違っている」というメッセージを発する人に私はこの身を預けたくない~

 

 

「時間とお金両方を手に入れることが「成功」である」

 

的なことを、目の前のおじさんが話している。

なるほど。

 

 

「人の器とは「選択の幅」だと思う。別に毎日いいものを食べなくても良くて、ちょっと近所の焼肉屋さんに行ってみようとそう思った次の日に、やっぱり本場の焼肉が食べたいと思ってその日のうちに航空券を取って韓国に行って焼肉を食べる。今の自分は、「やろう」と思ったその時にどちらも選択することができる。その選択の幅が「人の器」なんですよ。」

 

なるほど。

 

 

「お金はあるけど時間がない

それが「社長」

 

お金はないけど時間がある

それが「フリーター」あるいは「ニート

 

お金があって時間もある

それが「成功者」

 

お金もないし時間もない

それが(君たち)「サラリーマン」」

 

なるほど。

 

 

目の前のおじさんは、時間もお金も獲得している。家族もいて、出勤などの縛りがないためいつも朝や昼は家族と悠々と時間を過ごし、夜は仲間とビジネスの話をしたりホームパーティを夜な夜な開催したりしている。その仲間内から「年収1000万円」を云人か輩出するのが目標、とのこと。

 

総じて、なるほど。

 

 

一度そのビジネス関連のセミナーに参加したのだけど、その時大きな会場には500人余りの人たち(若者が多かった)がいて、そのビジネスの「成功者」とされるおふたりが登壇されて、なにやらいろいろ語っていた。

 

その時聞いたことは正直ほとんど覚えていないんだけど、会場の雰囲気だけは今でも身体の中に焼き付いている感覚がある。異様だった。

 

 

「このビジネスを成功させた自分の先輩で、(どんな感じか忘れたけどなんかとってもすごい感じの)マンションに住んでいる人がいる」

 

「お金があるから親孝行もできる。親に毎年30万のお年玉渡している」

  

成功に関する武勇伝、主にお金と自由と豪勢な暮らしをアピールするような内容がその人の口から発信されるたびに、会場から「おぉー」というどよめきがおこる。

 

 

「もし目の前に「お金はないけど時間はある」「お金はあるけど時間がない」という男性がそれぞれいたら、あなたはどちらと付き合いたいですか?はいそこの方!」

 

あてられた女性は大学生。

 

「お金はないけど時間がある人」と答えると、周りから「えぇ…」という反応。

 

登壇者の人が「若いねー笑!その価値観あと何年かしたらがらっと変わるよ笑!前に30歳くらいの女性に同じ質問したら即答で「お金っ!!」って返ってきたから笑」

 

 

会場で湧き上がる爆笑。

 

なんなんだろう、これは。

 

 

**************

 

 「ネットワークビジネス

という手法のビジネスがある。

 

その名前を聞いただけで「それって違法じゃないの?」という印象があったり、そうでなくても世間的に不信・懐疑的な目を向けられやすいビジネスなのではないか思う。私自身がそう思っていたから。

 

そのビジネス自体は違法でもなんでもない。

ただこのビジネス(その中でも勧誘行為)を通して様々な被害・相談報告が寄せられるため、そのビジネスを厳しく取り締まるための法律はいろいろと存在している。

 

 

それ自体が違法ではないが、違法な方法で人を巻き込んでいるネットワーカーたちが多くいる。

 

それが、このビジネスの印象を悪くする原因となっている、らしい。

 

少し勉強しただけなので言葉足らずかもしれないけれど。

 

 

 

最初に書いた話は、私がネットワークビジネスに誘われた時の話。特に違法な誘われ方はしていない。最初からそのビジネスの話をすることも聞いていた上でアポを承諾したし、そこで契約を無理強いされることもしていない。目の前のおじさんは健全なネットワーカーであり、真っ当な努力によって財を成してきたのだと分かった。

 

結局私はそのビジネスをやらないと決めたけど、それによってなにか不利益を被ったこともなく、そのおじさんとの縁もあっさり切れている。

 

 

その出会いに感謝したいことは、そのおじさんの話を聞いた時に、自分の中に湧き上がった言いようのない違和感を獲得できたこと。

 

 

 時間もお金もあることが「成功」

 

時間もお金もないサラリーマン

その説明の裏に付随する「だから彼らの末路は「不成功者」である」というニュアンス

 

お金よりも時間のある男性を選んだ女性の価値観はその後「お金優先」に変わると断言した成功者

 

その話を聞いて爆笑する聴衆

成功者の成功談が出る度に「おぉー」と漏れる歓声

 

 

 

とても、嫌だった。

  

良く分かんないけど。

 

 

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私の周りにも、多くのネットワーカーがいる。

 

ネットワークビジネスの形をとっている企業は私が思っている以上に多くあり、身近で活動しているネットワーカーたちも、どの企業の製品を扱っているかはバラバラ。私の周りだと大体5社くらいがよく聞く名前。

 

 彼らの中には、大きな志とピュアな想い、そしてその製品に対する確信と愛情を持って、真っ当な形で人に勧めている人たちもいる。そして、その想いや志を伝播させてどんどんそのビジネスに人を巻き込んでいっている人たちもいる。

 

というか、そういう人たちが意外と多い。

 

それは私の中で新鮮な発見であり、ネットワークビジネスに対する価値観を大いに転換させてくれた。彼らの中でとても尊敬できる人たちも多く存在している。

 

 

 

 

 でも、一方で

 

とても思うことがあった。

 

 

 

それぞれの企業でビジネスをしているネットワーカーたちと話した。

 

彼らがそこでビジネスに従事する理由は様々である。

 

 

「健康という観点から世の中を変えたい」

 

「身近な人たちを幸せにしたい」

 

「人生の選択肢の幅を広げたい」

 

「強い組織づくりの方法を学びたい」

 

「この素晴らしい製品を多くの人に知ってほしい」

 

「時間とお金を持った成功者になりたい」

 

「他者に「時間とお金を得た生き方」を広めたい」

 

 

 

どれも確かなその人たちの想い。

 

それを聞いていて、私自身そんなに崇高な想いを持って仕事に取り組めているだろうか、人生を生きているだろうかと自己評価が起きるくらいに、それぞれがまっすぐだった。

 

 

 

 

 

 

確信を持っているのは、分かった。

 

 

 

 

 

 

すごいな、って思ってた。

 

 

 

 

 

 

 

その一方で、時々感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

私には、その確信こそが、怖かった。

 

 

 

 

 

「このビジネスをやったら、絶対今よりも良くなれるのに」

 

「今の仕事を続けるよりも、こっちの方が良い未来があるのに」

 

「その企業の製品よりも、絶対こっちの製品の方がいいのに」

 

「その企業の理念よりも、絶対こっちの企業の理念の方が崇高で本物なのに」

 

 

 

 

 

なんで、やらないんだろう

 

 

 

という言葉。

 

たくさん聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからだよ」

 

と、思った。

 

 

怖かったけど、友人に直接伝えた。

 

「そんな風に思っている人の元でやりたいなんて、私やったら絶対思わへん」

 

 

違う企業でネットワーカーをしている友人たちが、目の前でそれぞれの企業と製品の話をして、互いの企業に対して指摘し合うような姿を見たとき、なんだかよく分からないけど、すごく悲しくて泣きたくなって耳をふさぎたくなった。

 

自分のやっていること、扱っているものに対する自信と確信は、それを他者に勧める上で非常に大切な要素だと思っている。勧める人がそれ自体を良いと思っていないものを誰が買うんだろうと思う。

 

 

だけど、「確信を持つこと」と「それ以外を否定・批判すること」は、まるで違うと私は感じている。

 

 

確信の先にある「盲目感」が、怖い。

 

 確信のあまり、相手が見えなくなることが、怖い。

 

確信のあまり、「相手が間違っている」という無意識の思い込みが発生するのが、怖い。

 

 

「成功者」 のおじさんと話したときや、セミナーで「成功者」の話を聞いたとき、なんですごく嫌だったのか今なら分かる。

 

 「時間もお金もないサラリーマン」の私が、不成功者。

 

つまるところ「幸せな人生ではない」「この先幸せな未来が待っていない」と暗に示されたことが、とても不愉快だった。

 

 

このおじさんは、私のなにを知っているのか。

 

 

私が

 

なぜこの仕事を選び

どんな想いを持って

なにに価値を感じ

日々の中でどのような喜びに立ち会い

どんな悩みと向き合おうとしているのか

 

その人は、知る由もない。 

 

 

 

たとえその人が今していることにモヤモヤとした想いを抱えていたとしても、たとえその人の選択が自分にとって「それでいいの?」なものだったとしても、関係ない。

 

その人には、その人のストーリーがある。

他者がかんたんに否定できるものではない。 

 

 

「私は正しい」

「あなたは間違っている」

 

 それが無意識下だったとしても相手には伝わる。そのメッセージは、人の心を頑なにし、自分から遠ざける。

 

 

正しいか間違っているか。

そんなことは心からどうでもいい。

 

 きっといかなるビジネスでも

ひいては人との関わりにおいても

 

 

 

そんなメッセージを発する人に、私はこの身を預けたくない。