真崎です

沖縄にいます

「気遣う」と「気を使う」は違うって習いました ~電車で優先席と普通席が1席ずつ空いていたらどうするかという質問~

 

 

「真崎さんに、質問です。」

 

はい。

 

 

「電車に乗ると、優先席と普通席が1席ずつ空いています。

 

真崎さんは、どうしますか?

 

これは、真崎さんが「気遣いができるかどうか」ということを試すための質問です。」

 

 

えー

 

 

じゃあ「普通席に座る」で。

 

優先席を空けておくのはマナーって思っているのと、普通席が空いているのにわざわざ優先席を埋めるようなこともしないので、筋トレ的に立っておく以外の場合は大体やっぱり普通席に座りますね。

 

 

 

 

「…真崎さんは、気遣いのできない人ですね~。」

 

は。

 

 

「"正解"は、気遣いのできる人は「優先席に座る」です。」

 

正解。

 

 

「優先席に座っておいたら、いざその席を必要としている人が乗車した時に自分が立ち上がって確実に席を譲ることができます。ここで普通席に座る人はただの「傍観者」ですね。我関せずという人です。」

 

 

 

 

 

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こういうときのために

 

「きょとん」という擬音語があるのだと学んだ。

 

 

 

 

*************

 

 

 

上記は、ある組織の中で私が受けた研修でのやり取り。

 

そこには私含め40名弱の人がいて、おそらく最年少が私、一番上で50代の人もいたのではないかと思う。

 

心理関係の仕事に従事する者がそこには集っていて、上記の話をした講師を務めるのはわりと若めの重役2名という感じ。

 

 

 

その時の主題は【「気遣う」と「気を使う」の違い】

 

 

その2名の方は、その2つにおける明確な違いにかなりのこだわりがある様子で、「気を使う」とはなんぞや、「気遣う」とはなんぞやという話を聴衆にも投げかけながら説明をしてくれていた。電車の話は「気遣う」とはなんぞや話の一説。

 

私の「普通席に座る」という回答は、どうやら正解でもなければ面白味にもかけるわでなんかとってもナンセンスですわ~みたいな雰囲気流れている。講師の顔的に。(神経過敏)

 

そして、その「優先席に座る」という"正解"を聞いた聴衆の皆さんは「ほ~」「なるほど~」「たしかに~」という感じですごく関心していたりメモを取っていたりしていて、誤解を恐れず言うなら、前に立つ講師が「カラスは実は白です」って言ったら「たしかに~」「言われてみれば~」となりそうな方達だと思った。

 

 

 

『気遣う』

 

単刀直入に言えば、「相手のため」の行動。

相手がどうされたら嬉しいかということを考えて、それをしっかり実行すること。

その先に「相手も自分も気持ちいい」がある。

 

 

『気を使う』

 

単刀直入に言えば、「自分のため」の行動。

その行動によって自分が相手からどう見えるのかを考え、自分の評価や自己防衛自己保身のための行動をすること。

その先に「違和感」がある。(私の言葉にすると)

 

 

 

カウンセリングルーム。

 

目の前には女性クライアント。

深刻な悩みを話すうちに泣き始めた。

部屋にはすすり泣きの声と音だけが響く。

 

 

その状況で、黙って、待つ。

これが「気遣い」。

 

その状況で、焦って、喋る。

これが「気を使う」。

 

 

その例は分かりやすかった。

実際よくあるシチュエーションで、初期段階でその状況に出会った時に「やばいなんか声かけなきゃ気まずい」みたいにあたふたして声かけしてしまった経験が自分にもあったから。

 

 

 

私は、とても「気遣い」ができなくて「気を使う」をしまくっている人として評価をされていた。電車の回答からも「やっぱりね」的somethingを感じたわけで。

 

 

「今真崎さんは「なにか喋らなきゃ」と思って私に話しかけましたね。それが「気を使う」です。」

 

「この真崎さんのメールは「みんなが送ってるから私も送らなきゃ」と思って送りましたね。それが「気を使う」です。」

 

「真崎さんが私をお昼ご飯に誘ったのは「新人は自分から積極的に上司に関わりにいくべき」という話に慌てて自分もそうしなきゃ評価が悪くなるからですよね。それが「気を使う」です。」

 

 

とてもめんどくさい。(しかし間違いではない)

 

 

 

その環境下でわたしは行動の一部始終を「気遣い」か「気を使う」なのかジャッジされている感覚を受けており、あれもこれも真崎さんは気を使うですねですねですねと言われている内に凄まじい閉塞感を覚えるようになっていった。

 

私がした行動でごく稀に「真崎さん今のが「気遣い」ですね(はいよくできました覚えておきなさい(空耳))」と言われることがあったけど

 

 

内心、すげー反抗期。

 

 

「気遣いさん」を育てたいのかもしれないけど、そのために光らせている目と執拗なジャッジメントが私含め多くのスタッフを「気を使うさん」にしてるんですけど!

 

それって超皮肉なんですけど!

 

というか実際「気を使うさん」を多く生産できた方がコントロール面でなにかとそちらにご都合良い感じになるからそうしているのかと思える雰囲気満載なんですけど!

 

 

みたいな感じ。

 

 

なんだろう。

 

「こうして人は「人の顔色を伺う」「周りからの評価を気にする」「自己防衛自己保身のための行動を(半ば無意識にでも)選択する」ということを学習していくのではないか」という模範例を見た気分になった。

 

 

そして私は未だに電車の例は納得してない。(反抗期)

 

 

 

 

 

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ここからは余談。

 

上とはほぼ別の話になるし、ここからは「気を"使"う」の漢字表記は出てこない。

 

 

 

 

 

先週、私が勝手に文章を通してお世話になりましたと感じている坂爪圭吾さんのイベントに参加した時の記事。

 

 

この時に自分が書いていたこと。

坂爪さんに話しかけたいけどくすぶってる自分の心情。

 

 

『私がチキっていたもう1つの理由。

 

坂爪さんが以前のブログに「気を遣うのも遣われるのも大嫌い」みたいなおとを書いていて、そのずっと前のブログには「一緒にいて「時間を奪われた」と感じる人も正直いる」という記載。

 

困った。

 

「初対面で気を遣わずに話すってどないしたらいいですのん、、、、」と勝手にひとり打ちひしがれ、嫌われる勇気をなかなか持てない私はどんどん後退していった。』

 

 

 

そこからずっと「気を遣う」について考えていた。

 

 

で、相談した。

シェアハウスの同居人に。

 

初対面でわりと誰とでも仲良くできちゃう系男子。

相手にとって心地よいコミュニケーションをなんとなく感覚で自然とやっているんだろうなって感じる系男子。

 

彼とは基本的に感性が似ており、お互い思ったことはわりと9分9厘打ち明け合ってると私は勝手に思っている。

 

 

 

「なあ、「気を遣わん」ってどういう状態なん?」

 

「え。」

 

 

「前にこうこうこういうイベントがあって、その人に話しかけにいこうと思ったんやけど、その人は「気を遣う」のも「気を遣われる」のもめっちゃ嫌いみたいな人やってん。」

「うん。」

 

「初対面で「気を遣う」をせず話すってどうやったらいいか分からんかってんけど、そもそも「気を遣わん」ってどういう状態なんやろって思って。」

「あーなるほどな。」

 

 

 

彼と話している時は、たぶん一切の緊張なく思ったことを話していると思う。じゃあそんな彼と一緒にいる時に「一切気を遣ってないか」と言われたら、そんなことはないよねってところでお互い同意した。

 

 

じゃあ、「気を遣わない」ってなんなのか。

 

これ頭で考えれば考えるほど深みに嵌まる系の問いだと、分かっちゃいるけど引き返せそうもない。

悶々女子のめんどくささ。(でもそんな自分が嫌いじゃない)

 

 

 

 

「気を遣うのって、そんなにあかんの?」

 

 

ほ?

 

想定外の返答。カウンターパンチ。

 

 

 

「別に、気遣って相手が喜んでくれたり居心地良いって感じてくれたら良くない?」

 

 

あ、それは間違いない。

 

なんか言葉に捉われまくってたっぽい。

 

 

 

個人的解釈だけど、坂爪さんが書かれていた「気を遣われる」っていうのは、最初の例でいう「気を使う」的な

 

愛想笑いとか

無駄にテンション高いとか

矢継ぎ早に話題出す(沈黙しない)とか

異様に褒めてくるとか

 

その後ろに「気まずい空気にならないように」「相手に嫌われないように」的な空気感が漂っている気配がする場合で

 

そういう時は、なんとなく「違和感」が生じる。

あるいはその妙なエネルギーのパワーに気圧されて居心地の悪さを感じたりする。

 

 

たぶん、「気を遣わないように」なんて意識もその一種で、そんな言葉に捉われて自分の一挙一動を選択することで逆に「気を使う」に嵌まりこんでいくことは、上記の場所でしっかり学ばせてもらった。

 

 

 

「気を遣うとか遣わんとか別にどっちでもええやん。なんにせよ、とりあえず相手が喜んでくれたり居心地良いって思ってくれたらそれでOKやろ。」

 

 

全然OK。

 

もうこれ考えんのやめよ。(ちょっと飽きた)