真崎です

沖縄にいます

「自分が悪い」と自責の念で苦しいときは一旦他人のせいにしてみる

 

「人のせいにしてはいけません」という学級目標を小学生のときに共有し「自責の人であれ」と大学時代の先輩から叱咤激励され「他人は変えられない変えられるのは自分だけ」という心理学に心から共感し、身の回りで起こる事象すべてを「自分の責任」と表面的にでも捉えるようにしていた私が今から推奨するのは「たまには他人のせいにしよう」というもの。

 

今回このメッセージを届けたいターゲットは「『自分が悪い』『自分がダメだ』『自分が変わらなければいけない』と思い込んで自分を変えようと思うほど苦しくなって動けなくなるそんな自分が死ぬほど嫌い」という方であり、少なくとも「上司のせい会社のせい政治のせい社会のせい親のせいだ」などと普段から健康的に他責の愚痴を吐けている方には必要のないメッセージになる予定。あとは「私が悪い」「いやそんなことないよ」「ううん私が以下略」な状況を特に変えたくない方にも不向き。

 

 

「他人のせいにする」

この言葉だけで激しく抵抗感を持つ人や「他人のせいにしていても問題は解決しない」という素晴らしい正論を述べてくださる人もいると思う。が、とりあえず最後まで読んでいただけると非常に幸い。正しいだけで何も解決しない綺麗な言葉よりは多少建設的な意見ができればと。

 

まずは、このメッセージを書きたくなった背景、自責の念に押しつぶされて死にたかった頃の私の話から書いてみる。

 

 

自分が悪いから変わらないといけない、でも体が動かない

 

子ども教育の世界で生きていこうと決めたのは、大学4年生のときのこと。

 

ある教育系の活動の中で将来に悲観的だったり学校来てなかったりネグレクト受けてたり手首切ってたりする子ども達と関わるうちに「こんな子ども達に寄り添って彼らが希望を持って生きていけるよう支援できる大人になろう」と決意。そして当時から人の生死に敏感だったため「誰も死んでほしくないから頑張る」とも思っていた。

 

「人のせいにしてはいけません」

「自責の人であれ」

「他人は変えられない変えられるのは自分だけ」

 

総じて「起こり得るすべての事象を自分の責任と捉えて行動すること」は、当時の私を構築する大切な信条のひとつであった。

 

 

そして、教育業界へ就職。

1社目はいろいろあって2か月でクビになったものの、転職で不登校業界へ滑り込む。

 

その会社で起きたことは以下の記事の通り。

 

 

端的にいうと、仕事でやらかした。

 

そこから社内で最低な評価をいただくようになり「傲慢で自分を過信して欺瞞に満ちたあなたは今すぐ変わらないといけない」と日々ありがたい言葉を重役クラスの皆さまにいただくことになる。

 

 

全部自分が悪いと思った。

まじで自分クソだなと思った。

本気で「変わらなきゃ」と思った。

 

でも「変わらなきゃ」と思うと頭も体も動かなくなって、変わるために仕事外の時間で努力しようと勉強や自己改善的な何かの準備していたのに手につかず固まったまま気付けば朝という日が続き「車に轢かれたい」「電車に飛び込みたい」と願いつつ行動に移せない自分を責めながら会社に通った。誰も死んでほしくないが自分は死にたかった。

 

  

上記ブログは「『変わりたいと思えませんでした』と言って会社を辞めた私は、上手く社会に適応できないなりに自分らしく自分を生きていこうと思いました」という美談オチ。

 

しかし、現実はそんなに美しくない。

 

仕事を辞めて身体は楽になったけど「自分が悪いのに変わるための努力もできず『変わりたくない』なんて思ってる自分は最低だ」という気持ちはべっとりと心に張り付いたまま。

 

 

そして、間もなく3社目に転職。

2社目で働いていたときから3社目の社長の不登校に関するブログを読み「こんな人と一緒に活動したい」と思っていたので、採用が決まったときはもう夢みたいな気持ち。

 

 

 

3社目でもこじらせた。

 

詳細は割愛するが、とにかくいっぱいいっぱいで仕事でもよく失敗して当然ご叱責は受けてその度に激しく落ち込んで「やっぱり自分はダメなんだ」と悩んだ。

 

2社目の時と同様「自分が悪いし出来が悪いから成長できるよう努力しなきゃ」と家に帰って残った仕事に取り掛かるも、頭がフリーズしてPCを開いて画面を見つめて動かないまま気付けば数時間泣き続けている、そんな日もあった。

 

 

再び激しく自分を責めた。

やっぱり変わらなければと思った。

 

でもどんなに強く自己変化を望んでも、自分も状況もまったく変わらなかった。

 

 

ターニングポイントは入社4か月目。

上司に「退職したいです」と告げたときのこと。

 

 

「『自分が悪い』と自分を責めて落ち込んでいるときほど実は内心で他人を責めている」

 

退職したい理由を話すとき、もう退職するしいいやという開き直りと、この上司はたぶん受け止めてくださるという信頼もあり、そのとき思っていたことをすべて話した。

 

それは「自分が悪いから」「自分が迷惑をかけるから」というものではなく、ここに書くことも憚れるほど自分本位で好き勝手な本音、というか愚痴だったと思う。その本音を出すことが怖くてその話し合いでもパニック状態だったけど、上司が「大丈夫、いいよ、言ってみな」と言って聴く姿勢をつくってくれたので言えた。

 

 

結果的に、それで楽になった。

自分でも驚くほど気持ちが変わった。

 

自分自身の心も楽になり、上司も業務内容を配慮してくださるようになり、その後数か月は仕事も楽しく絶好調という状態が続いて「働くって楽しい!!!」と初めて思えるように。めでたし以下略。

 

 

しばらく経ってから、このときの話を上司と話す機会があった。

 

真「あの話するまで、自分責めまくって頑張ろうとしたけど全然変われなくて。話してからびっくりするぐらい楽になったんです」

 

上司「内容はどうあれ本音を言えてよかったね。それを言ってくれるのを待ってた。あのときのキミの状況だと『自分を責めている』というのは、実は正しくない。『自分が悪い』と自分を責めて落ち込んでいるときほど実は内心で他人を責めているんだよね

 

 

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ああ、それ間違いないですわ、と。

上司のその言葉は驚くほどスッと私の中に染み込んでいき、現在の私の価値観を構築する上でも重要な存在になっている。

 

長い自分語りになってしまって恐縮だが、ここからその上司の言葉を自分なりにかみ砕いて説明していきたい。

 

 

「他人のせいにする」のではなく「他人のせいにしている自分の本音に気付く」

 

「自分を責めている」というのは、実は正しくない。

 

上司の言葉はその通りで、振り返ればあの時完全に私は「自分が悪い」と表面的に思おうとしていたその心の奥底で「私のつらさや苦しみを分かってくれない上司や会社が悪い」と思っていた。事実ベースで語りにくい話だが、おそらく間違いない。

 

そうすると、変わらなきゃと思っているのに変わるための行動が取れなかったこともつじつまが合ってくる。もし変わってしまったら「自分が悪いから変わらなきゃ」を認めてしまったことになるからである。

 

それは、都合が悪い。

だって悪いのは自分じゃなくて周りのはずだもの。

 

 

これまでの自分の人生を振り返っていても、本当に「自分が悪い」「自分に責任がある」と思えていたら、他人に相談することも含めて必ず問題解決のための行動を起こしていた。「自責の人であれ」とはおそらくこういうこと。私の周りでもすべてを自責と捉えて行動し続ける人たちがいて本気で尊敬している。

 

ただ、そんなに強くないきっと人もいる。

他人や環境のせいにしたくなる・してしまうことは全然不自然でも悪いことでもないと思う。

 

しかし「人のせいにしないこと」が美徳であり正しいことだと教育やら何やらで固定概念化しているのか、他人や環境に対して不満を持っている自分が悪いと思い込んでしまい「周りのせい」に硬くフタをして「自分のせい」にすり替えてしまう。

 

自責の念で苦しくて動けなくなっている人の中では、このような現象が起きているのではないかと思っている。

 

 

それは、きっと苦しい。

 

自分の本音がかき消されているから。

自分の中の自分が必死で叫んでいるのに、自分自身がその声を無視して社会適応用に取り繕った「自責っぽいもの」を自分の意思だと勘違いしているから。

 

 

自分が悪いのに変わるための行動ができない。

心の奥底では周りが悪いと思っている。

 

その先になにがあるのは「自分も他人もまとめて全員嫌いになる」という不毛な結果ではないだろうか。誰も得しない感がすごい。

 

 

だから、まさにいま自責の念で苦しいと感じている人には「他人のせいにすること」というよりも、「実は他人のせいだと思っている自分の本音に気付くこと・認めること」を問題解決のきっかけとして提案してみたい。

 

そこに気付いて、「他人のせいにしちゃいけない」と否定せずに認めることができれば、まず自責の念がちょっとだけ軽くなる。そしてその次に取る行動が変わる気がする。

 

私の場合は上司に思っていることをぶつけた。理解のある上司で良かったと同時に、一見みっともなく自分本位な行動ながら本音を話してみる選択ができて良かったと思っている。あのまま自分を責め続けるよりは。

 

 

ただ、その行動のハードルは高い。

私は性格上わりと誰が相手でも言いたいことを言ってしまうのだけど、それが苦手な人だってきっといると思う。

 

組織の中で相談できる人をつくるのが個人的にベストだと思うけど、それが難しい場合でも、他人のせいにしている自分を認めた後に取れる行動はある。

 

 

① ノートに愚痴を書きなぐる

どうせ誰も見ないので溜まった不満を延々と書きなぐってみると案外すっきりすることがある。

 

② 小さな破壊行動

イライラが募ったときに、その感情と一緒に新聞紙やトイレットペーパーを「ふんっ」と思いっきり破くと感情が消化されて気持ちが楽になる。これは心理学の先生に教えてもらった。ビリギャルのさやかちゃんも勉強でストレスが溜まったらいらないお皿を袋に入れて割っていたらしいので効果あり。

 

③ 外部機関への相談

労基やカウンセリングなど、外部で第三者の専門家が相談にのってくれる機関もいろいろとある。ひとりで上手く気持ちを処理できない場合はそういった機関頼るのもアリだと思う。

 

 

少なくともこのような改善手段は浮かぶ。

完全に解決するかは分からないがやってみる価値はあるはず。そのまま自分を責め続けるよりは。

 

「他人のせいにするなんてそんな」と思うならぜひ自力でと思うのだけど、それで苦しくて消えたくなるなら一旦他人のせいだと開き直った方がだいぶ健康的。周り的にもたぶん助かる。

 

 

まとめに入ると

 

・自責の念で苦しいときには「もしかしたら自分じゃなくて他人が悪いと思っているのかも」という可能性を疑ってみてほしい

 

・もしそうだったとしたら、とりあえずその気持ちを自分で否定せずに一旦認めてみてほしい

 

・その後は、直接当事者にぶつけるなり社内や社外の第三者に相談するなりノート書くなり新聞破るなりお手洗いにこもってトイレットペーパーを引きちぎるなりしてみてほしい

 

・すると、もしかしたらほんの少しだけでも気持ちが軽くなったり状況が改善したりするかもしれない

 

・しなかったらなかったらすみませんその時は私のせいにしてください

 

 

真崎

 

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