真崎です

沖縄にいます

「食えててすごいね」って言わないで

 

 

「会社を辞めて好きなことを仕事にするためにフリーのライターになってちゃんと食えててすごいね」

 

 

って、ボクの周りで真崎の話が出るよ。

 

そう前職時代の上司が教えてくれた。

嬉しかった。

 

 

嬉しかったけど、「食えてて」という言葉に、かつて 自分が感じてきた抑圧が重なる。

 

他意なく褒めてくれた上司の気持ちと裏腹に、わたしの心は少しチクリとした。 

 

 

  

塾講師時代、わたしの担当生徒に絵を描くことが大好きな女の子がいた。

 

彼女がpixivに投稿した絵を見ては「マジで上手いよね」といつも感嘆しながら伝えた。「でもこんなことできても将来食えないですけどね」と彼女は毎回言った。

 

照れ隠しの謙遜じゃない。

「将来食える保証のないスキルに価値はない」と本気で思っているトーンだった。

 

彼女の言葉を受けたわたしはTwitterイラストレーターアカウントの投稿を見せたりしながら「インターネットのおかげで素人の絵や文章が世に出るチャンスは格段に広がっているよ」みたいな話をした。

 

 

「食えるかどうか」の文脈に乗ってしまった。

わたしもズレていた。

 

 

法や倫理に背かないかぎり働き方や生き方に正解はない。「好き」を仕事にしようがしまいが「食えるかどうか」が基準になろうがなんでもいいしどうでもいい。すべては個人が好きに選択すればいい。

 

だけど子ども教育業界にいたときにわたしが感じたのは「将来食える仕事に就くこと、そのためのスキルや知識(ときに学歴)を身につけることが大正義」という空気だった。

 

家庭や学校。子どもの半径5mm圏内にいる大人たちが積極的にそんな空気を醸していた。

 

なんならわたしも無意識に出していたかもしれない。だって当時は「お金を稼いで生活していくためにも会社は辞められない」と思っていたもの。

 

 

 

 

「劇団の活動がすごく楽しくて、20代の中頃はバイトしながらずっと脚本書いて舞台やってた。真崎さんと同じ27歳くらいのときは貯金なんて1円もなかったよ」

 

そう笑う脚本家のお姉さんはめちゃくちゃセクシーだった。

 

好きのままに動き続けた結果、あるとき彼女の書いた脚本が全国放映されるヒット作になった。いまも脚本やライティングなど「書く」で食っている。

 

 

で。

 

このお姉さんがめちゃくちゃセクシーなのって、「食えてるから」じゃない。

 

 

それはそれでスゲーけど、そうじゃない。

食えるようになる前の話を聞いていても、お姉さんの生き方はすごく真っすぐで芯があってカッコよかった。

 

「食えててすごいね」じゃない。

それ以前の部分で、わたしにとっては、もうすでにめちゃくちゃすごくてクソカッコよかったんだ。

 

 

「食える」を、価値基準にしないで。

「食えてるからすごい」にしないで。

 

 

食えようが食えまいが関係ない。

「好き」は遠慮なく愛でてよ。 

 

食えない「好き」を無価値にしないでよ。

あなたの大切な「好き」でしょう。

好きなだけで最強の価値でしょう。

人生を楽しくするのは「好き」の濃度でしょう。

 

「好き」を「食う」に変えることもできる。

「変える必要」すら別にない。

 

それも含めて個々の自由で正義でしょう。

押しつけないで。

押し込めないで。

 

 

「食えててすごいね」って言わないで。

 

そんなのどっちだっていいよ。

 

 

真崎

 

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