「 たぶん、わりと恵まれて育ったと思います。
1989年に大阪で生まれました。
おにいちゃん2人の末っ子長女です。
小さい頃の記憶……
正直あんまり残ってないんですよね。
お母さんコワいわ~とかはありました。
財布から100円盗ってクッソ怒られたりして。
でも家族旅行とか多くて楽しかったですよ。
中学校のときなんかもうただの優等生ですよ。
成績はオール5だったし塾でも1番でした。
全国模試でも上位入ったりして超天狗です。
ソフトテニス部だったんですけど、前衛メンバーの中で1番上手かったのでエースとペア組んでました。
地方の大会で優勝しては調子のってたと思います。
余談ですけど当時は男子のエースが好きでした。
めっちゃ競争率高かったし見てるだけやったけど。
卒業式で撮った2ショットとか当分家宝でしたよ。
そこは率直にキモい子でした。
経済面で苦労を感じたことはなかったです。
両親ががんばって働いてくれてたので。
それはもうただただ感謝ですね。
高校は西日本で1番学費が高い有名私立でした。
ここでも成績上位10名とかで表彰されてて「わたし天才やな」ってあん時はずっと思ってました。
これは正直わたしあんま上手くなかったです。
コンクールもメンバー落ちしてました。
でも部活内では目立つポジションでしたよ。
劇の脚本書いてダンス作って主役もやってイベント盛り上げて、すっげーシャキってました。
で、そのまま立命館に内部進学です。
人生で受験勉強がんばったことはほぼないですね。
高校受験も成績良かったんで推薦でした。
文系で1番学費高い学部に入ったけど、親が全部出してくれていました。
もう今でも親には頭が上がらないですね。
というか当時より今こそ上がらないです。
バイトはしてましたよ。
遊ぶお金くらいは当然自分で稼いでました。
何のバイト? 4年間ダイソーの店員です。
あと男性向けの怪しいマッサージ店でも働きました。
あ、そうですコレです。
医者マンに「10万で握って」と言われたアレです。
大学時代はマジで楽しかったですよ。
バレーサークルも本気でやりました。
他にもやりたいこと全部片っ端からやりました。
学業もそこそこに新聞記者やってフリーペーパー作ってデカい祭りでMCやってTVレポーターして、就活が始まればインターンに参加しまくり。
典型的な「意識高いシャキシャキ女子大生」でした。
ここまでのつらい経験、となると。
中学で1ヶ月だけ男子にいじめられました。
以来男子がずっと怖かったですね。
モテもしなかったので恋愛弱者まっしぐら。
今でもスクールカースト上位男子恐怖症です。
あとは、小学校5~6年時の人間関係とか。
あの悪名高い「女子グループ」ができ始めた頃です。
誰が好きだ嫌いだ仲間外れだって毎日騒いで、人間不信にならんほうがおかしいですよ。
あとは、テニスのスランプとか。
コンクール落ちですげー泣いたとか。
高校時代は3回恋して全部フラれたとか。
家族内でも一時期いろいろありました。
人間関係のトラブルはまぁちょいちょいありますよね、組織にいると。
でも、まぁ。
大学時代まではそんな感じじゃないですかね。
大した挫折なんかせず、
お金や学力や社会性でそこまで苦労することもなく、
むしろ上記では強者であることが多く、
楽しくお気楽に、ぬくぬく生きてきたと思います。
そんなわたしが、こんなん書くじゃないですか。
食えててすごいねって言わないで。
そんなのどっちだっていいよ。
とか言い出すわけなんですけど。
「苦労したことないからこんなことが言える」
「地に足ついてない脳内花畑の戯言」
みたいなメッセージが、マジで届くんですよね。
いやー、メンタルやられた。
この記事そこそこバズったんですよ。
がんがんシェアされて6万PVくらい伸びました。
それでいて、センシティブな内容じゃないですか。
だからネガコメが一定数くるのはもはや自然の摂理だったんですけどね。
やっぱ否定的な言葉って殺傷力がありますよね。
ネットで9年文章書いてるけど、こればっかりはやっぱり慣れないですよ。
で、コレですよ。
タイトルのやつ。
「恵まれて幸せに育ったわたしコンプレックス」
平たく言えば
”苦労したことないお前の言葉に、説得力はない”
ですよ。
まぁこれ普段は誰が言ってくるわけでもなくて。
ある時期から完全に「自分が自分に向けて」勝手に思い始めたモンなんですけどね。
いまはもうほぼ消えていますよ。
一応言うときますね。
でも、アレですよね。
「恵まれて育ったことがコンプ」とか何様ですよね。
それこそ完全に炎上用ガソリンですよね。
フザけるな気分悪いわと感じる方にはもうひたすら申し訳ないけど、この後読むの止めてもらったほうがいいと思います。
今からこのコンプをこじらせた話ですからね。
大丈夫な人だけ読んでくださいね。
誰からも叩かれずにぬくぬくと穏やかに生きていきたいはずなのに『恵まれて育ったわたしコンプ』みたいな記事を書きたくなるし「書く人間」の衝動性はほんとに厄介
— 真崎 (@masaki_desuyo_) 2017年6月5日
大学3年生で就活始めてから、自己啓発系のキャリアセミナーにドはまりしていた時期があったんですね。
大学生向けのプログラムでした。
”人には使命がある”
”お前は何のために誰のために生きるのか”
そんな感じで、自分の想いとか人生の目的についてひたすら向き合うみたいなことを、こう、すっげー集中してやるんですね。
そのセミナーに1度参加すると、次回からは「アシスタント」として参加できるんです。
参加する大学生をサポートする役割です。
もうめっちゃアシスタントやってました。
セミナー受講生は、自分の「過去・現在・未来」をゴリゴリに深堀していくんですね。
過去はすべて今と未来に繋がってるからっていう。
だからまずは過去をガッツリ振り返るんです。
受講生には、つらい過去を抱えた人もいました。
成功体験が少なくて自信が持てず、自分の未来に希望を持てない人もいました。
そんな受講生の背中をガッツリ押せる人たち。
それが「過去の過酷な経験を乗り越えてきた人たち」だったんです。
両親の不仲や家庭崩壊
家族内で包丁を向け合う事件
ひどいイジメからの不登校
家が貧しく中学からバイトを開始
怪我で栄光街道から堕ちたスポーツマン
etc
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・
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彼らは、そんな境遇をかつては恨んでたらしいです。
でも、越えてきてるんですよね。
過去を糧にして、すげー前向きな姿でセミナールームに立ってるんです。
そんな人が、悩む受講生に言うわけですよ。
「大丈夫」
「できる」
もうね、説得力がヤバい。
言葉から溢れるパワーがすごい。
受講生の顔が、憧れと尊敬と「そうか、自分にもできるんだ!」みたいな荒ぶる胸の鼓動からギラギラし出すのが分かるわけですよ。
それ見たアシスタントのわたしが何思うかって。
「それ、ワテにはできねぇ」なんですよ。
ないですもん、乗り越えた過酷な過去なんて。
ぬくぬく生きてきて自己肯定感も高めがデフォ。
わたしの激励なんかなんの力もねぇなと。
受講生からも「いや、なんも苦労してないお前に言われたくねぇから」と思われてんじゃないかってビビってましたから。
*********
大学4年からは教育系の活動を始めました。
社会人になってからは不登校支援の会社に行きました。
大阪の貧困地域に住む中学生。
勉強が苦手すぎて自信皆無の生徒。
「不登校の自分はもうこれから社会で生きていけない」とふさぎ込む生徒。
に、対して。
かつて経済的な苦労をしてきたけど、自分の努力で奨学金を得て大学に通う人の。
かつてまったく勉強できなかったけど、猛勉強して名門大学に入った人の。
かつて不登校だったけど、いま"社会"で立派に生きている人の。
かける言葉も、
もはや存在までもが、
圧倒的に子どもたちの希望なんですよね。
わたし、ビックリするくらい添えなかったんですよ。
勉強の教え方もヘタくそで。
真崎の教え方は「勉強デキる人目線」と言われて。
不登校の子から「先生にはわたしの気持ち分からない」と言われて。
全部、自分の力量不足や共感性のなさじゃないですか。
やのに、ここでコンプこじらせるんですよ。
「恵まれて幸せに育ったわたしコンプレックス」です。
めっちゃ覚えてますもん。
信頼する友だちに泣きながら言った言葉。
「わたしも勉強苦手やったらよかった」
「わたしも経済的な苦労すればよかった」
「わたしもつらい経験しとけばよかった」
「そしたら、もっとあの子の気持ち分かるのに」
いや、もう見当はずれもええとこやろと。
あらゆる人に対して失礼極まりない思考ですよ。
こんな考えなんも相手のためじゃないですよ。
自分のことしか見えてないですよ。
自分の存在価値を勝手に見失ってる奴ですよ。
「経験さえあればこの場で自分は必要な人間でいられる」っていう自己愛溢れるソレなんですよ。
わたしの目ぇ覚ましてくれたの、前職の上司です。
阿部さん。
この方、わりと不登校業界の重鎮なんですよ。
もう10年以上ここで頑張ってはる人です。
でも、不登校の経験まったくないですからね。
そやけど生徒からめっちゃ信頼されてますからね。
子育ての経験もないけど親御さんたちの相談に絶えずのりまくってますからね。
「相手の話を徹底的に聴くこと」
「生徒をよく観察して指導方法を考えること」
「必要なのは共感じゃなく情報と選択肢の提供」
阿部さんに教えてもらったコレ。
わたしの恵まれコンプ脱出のきっかけでした。
要は「経験はそんなに関係ないぞ」ってやつです。
相手の力になるうえで、大きな付加価値にはなるけど絶対条件ではないってやつです。
その通りすぎて首もげる。
そんなコンプを最近思い出しました。
ある人の記事を読んで「あぁこれめっちゃ共感するけどわたしには書けへんやつや、経験もないのに書いたらアカンやつや」と思ったのがきっかけです。
それを記事の筆者に伝えたら
「お前にはお前のできること書けることがあるだろ」
と一喝されて首もげました。
今後ともくだらぬコンプで腐らぬよう、自分のできることをやっていきますね。
長い話聞いてもらってありがとうございました。
それではまた。」
真崎
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