「こいつは大丈夫」と思ってくれる友人各位と「この子はどうにもならん」と諦める母について
「あんた、シェアハウス出るの?」
ばれた。
6月に沖縄へ移住することが、自ら報告する前になんらかの形で母に伝わってしまった。
私の名前でエゴサすればこのブログは即ばれる。母はただのmixi中毒でネットの世界には疎いだろうとタカをくくっていたのけど、ばれたのか。見てるのか。
母、見てるのか。
「なんで言わへんの?」
「どっかで言うつもりやったよ」
「どっかっていつ?」
「移住した後」
それは親不孝だよ真崎、と懇意にしている方から叱責されたのはゴールデンウィークの帰省時。「だって...」とへの字口な私。
1社目をクビになったこと、2社目を2か月で辞めて転職活動していたこと、横浜から池袋に引っ越したこと、3社目を辞めてフリーランスになったこと、これらすべて母には事後報告した。
事後であれば、母がなんと言おうと手遅れである。「フリーランスなんて食べていけるわけないでしょ、会社続けなさい」なんて万が一言われても「でももう会社辞めちゃったしフリーランスなっちゃったし食べていけちゃってるもん」と返せたなら「んもうアンタは」で話は終了。相手がどうしようもない現実を先につくってしまうに限る。
母に止められたら止まりかねない。
怖いもん。
でも、今回は事前にばれてしまった。
「あんた東京好きって言うてたやん」
「東京嫌いになったなんて言うてへんやん」
「じゃあなんで沖縄行くん」
「なんか行きたくなってんもん(雑)」
そして、予想通りやってきた。
「沖縄って怖いんやで」
「犯罪率すごい高いんやで」
「東京みたいに夜遅くウロウロできへんのやで」
「東京みたいにたくさん仕事ないんやで」
「食べていけるか分からへんのやで」
「今までみたいに周り友達おらへんのやで」
「今までみたいに助けてもらえへんのやで」
「台風だって多いんやで」
「あんたみたいなんが行って大丈夫なんか?」
怒涛のネガティブキャンペーン
に
プチーン
「こうなるからイヤやってんやん」
「なにがイヤなん」
「なんでいつもそうやって不安ばっかり煽るん」
「不安煽ってるんじゃないやろ」
「煽ってるやん、そんなん言われんでも大丈夫や」
「なにが大丈夫なん」
「行ってみななんも分からんやん」
「だからs「もう分かってるっt「分かってへ「分かってるや「分か「だから分かってるって言うてるやん!!!!!」
「……」
「……」
お金がなくてもこんな晴れの日にぼーっと湖眺めているだけで幸せな気持ちになれるなあ(親の金で旅行中です)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年4月30日
3月末に沖縄行きを決めてから、同居人、身近な友人知人、仕事関係者の方々、そしてSNSでもそれとなくお知らせしてきた。
反応は、大きく分けて2つ。
「めっちゃいいね。楽しんで」
「沖縄に家ができた。楽しみ」
以上。
わりとゆるい。
もちろん「家は?」「車は?」「仕事は?」と聞かれることもあり、今のところ「決まってない」「持ってない」「なんとかなる気がする」としか答えられていない。当時の有り金は5万のみ。
それでも「へーでも大丈夫だろねー」とみんな言う。そして沖縄いいねー海いいねー移住いいねーあったかいのいいねー泡盛いいねーエイサーいいねーと私のわくわくを助長してくれるような言葉を皆さま重ねてくださる。
みんなそこまでの関心を持って言葉を発しているわけではないかもしれないけど、それでも私にはその適当さも含めてありがたい。そして私自身も「まあいろいろなんとかなるだろう」と思っている。
たぶんみんな「こいつ大丈夫」と思ってくれてる。
そして私も「わたし大丈夫」と思っている。
以前は、そうじゃなかった。
「ちょっとニブちんで、自分の世界があるひとのほうがさ。香具矢の世界や、したいことにも、口を挟まないだろうし。お互いに相手に期待しすぎないというか。放任主義というか」
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年2月28日
真崎はこういう人とパートナーになった方がいいと恋愛の先輩から言われたのを思い出して馬締にときめき始めてる。
「会社、まだ辞めないほうがいいよ」
2社目の会社で心が死にそうだった頃、会社を辞めるかどうか相談した友達の多くにそう言われた。
理由はさまざま。
1社目も2か月でクビになっているのに次も2か月で辞めたらヤバイという人。最初は苦しくて当然だし2か月では仕事の楽しみも嬉しさも分からないという人。ネガティブな気持ちで辞めたら自分を嫌いになるよという人。
かくなる私が一番「今辞めたらやばい」と思っていた。
今辞めてしまったら。
こんな私を雇ってくれる会社などない。
こんな根性のない私ができる仕事などない。
こんな私は仕事を辞めたらもう食っていけない。
こんな私は社会に居場所などない。
こんな私はとりあえず将来めっちゃやばい。
本当にそう思い込んでいて、「不安」をモチベーションに仕事を続けていた。社会的な死をなにより恐れた。心が死ぬことよりも社会的に死ぬほうが怖かった。
(中略)
あれからいろいろあって、座右の銘が「意外となんとかなる」になった。
会社は結局ネガティブな状態で辞めた。でもその後「なんとかせねば」ともがく私と「なんとかしてやろう」と手を差し伸べてくださる各種皆様とのマッチングに次ぐマッチングにより、その後いろんなことが多分なんとかなった私は「いろんなことは意外となんとかなるのかもなあ」と思うようになった。
もしなんとかならない由々しき事態が起きたらどうなるか考えたけど、そのときは座右の銘が「意外となんとかならないかもしれない」に変わるくらいしか思いつかなかった。とりあえず何か起きたときに考えようと思った。
そして、不思議なことが起きた。
3社目の会社を辞めること、フリーになること、朝キャバをやること、ライターの仕事を減らしたこと、突然沖縄に行くと言い出したこと。
それらすべてに、「やめときなよ」と言う人が誰もいなくなった。
いいじゃん、面白そう、やってみなよ、真崎がそう思うならそうだよ、どうにかなるよ、どうにでもなるよ。
そんな言葉しか返ってこなくなった。
私が「不安」をモチベーションにしているとき、周りは私に不安をあおった。
私が「不安」じゃなくなったとき、周りは途端に不安をあおらなくなった。
かつての私の心情であれば、たぶん周りは沖縄行きを止めたかもしれないし、私も不安で足を止めたかもしれないなあと思う。
良いのか悪いのか、私も周りも、だれも特に私のことを心配していない感じがして、それがとてもラクで嬉しくて、なんともありがたいなあと思った。
猿まわしに見惚れてたら両親とはぐれるハプニング(26歳)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年5月1日
「……」
「……」
「行くなら行くって、ちゃんと報告しなさい」
「ん、ごめん」
「いつ行くん」
「6月」
「もうすぐやん」
「もうすぐねん」
「アンタはほんま」
「私が沖縄住んだらいつでも遊びに来れるやん」
「……」
「……」
「……お母さん、あそこ行きたいわ」
「どこ」
「美ら海水族館」
「任せろ」
母との関係性は、すこぶる良好、だと思う。
これでも、母は不安を煽らなくなったほう。昔は私の考えが変わるまで怒鳴ることだってしばしばあった。今回のような会話は新しいことを始める際の儀式みたいなものだと思っている。
友人たちから感じる「こいつは大丈夫」とはまた別の、「この子はもうどうもならんねやろな」みたいな、信用よりも諦めに近いなにか。
お母さんが口うるさいのは諦めるから、私が将来も考えず好き勝手ふらふらするのも諦めてね。
友人との関係性とは違って、親子の間にある信頼関係って、諦めに似ているのかもなあと思った。
真崎
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