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真崎ですよ

ライターの真崎です。2016年6月より池袋→沖縄に移住しました。

『「死にたい」と言っている人に「君が死ぬのは哀しい」と言う』を見て思ったこと

生きづらい方へ

 

私のfacebookフィードである時期めちゃくちゃシェアされていたこちらの記事。シェアこそしていないけど私も好きな記事。

 

「死にたい」「手首を切った」

そんな相談に水谷さんはどのように答えているのですが?という質問に

 

「水谷です。君が死ぬのは哀しいです。」

それだけです。

 

(記事より抜粋) 

 

 

その下にもいろいろ続くけど、まずここ。

 

前提を伝えると、この水谷先生の言葉自体がどうとか、シェアしている人達自身にどうこう言いたいのではないということ。

 

 

いろんなコメントと共にシェアされてきた。

「さすが水谷先生」

「確かにそれしか伝えられないかもしれない」

「「死なないで」と言わない優しさ」

的な。

 

 

 

もやもや。

 

こういうの、すげーもやもやする。

 

 

 

 

*************

 

 

ある通信制高校で働く友人とディナー。

随分前の話。

 

高校には中学時代不登校だった子が多いらしい。

そして手首を切ってる子もちらほらいると。

 

 

「もし、自分のクラスの生徒が手首を見せてきて「先生、実は私切ってるんだ」ってカミングアウトしてきたらどうする?」

 

 

その友人に聞かれて考えた。

 

なんて答えたっけ。

アドリブにとっても弱い私はかなり考え込んだ記憶がある。

 

 

その友人は教えてくれた。

 

「そういう場面を想定した研修がある。ロールプレイングで2人1組になって、生徒役の人がカミングアウトして、教師役の人が声をかける。

 

その研修では「こう答えましょう」と教えられる。」

 

 

 

"教えてくれて、ありがとう" 

 

 

 

不安ながらにカミングアウトしてきたその子をまずはしっかり受け止めてあげる、的な意図だった気がする。

 

 

なるほど、そういう研修があるのか。

 

確かにいざそういう状況になった時に、どう声をかけるのかっていう引き出しがあった方がいいかもしれない。

 

 

いいかもしれない、けど。

 

 

もやもや。

 

 

やっぱり湧き上がる、すげーもやもや。

 

 

 

**************

 

 

もやもやと向き合ってみた結果出てきたのは

 

 

「あの記事を読んで「確かにそれしか伝えられないかもしれない」「「死なないで」と言わない優しさ」的なことを思って「死にたいと言っている子がいたらそう言うんだ」と思った人にもし私が「君が死ぬのは哀しいです」と言われたら、よく分からんけどなんか嫌。

 

 

「その研修を受けて「こう答えましょう」「はーい」となった人にもし私がリスカを告白して「教えてくれてありがとう」と言われたら、よく分からんけどこれも嫌。」

 

 

だった。

(一応補足すると切ったことはない) 

 

 

 

一度ある場所で「対子どもに関するカウンセリングマニュアル」みたいなものを学んだ時があって。※前職ではないです

 

そのマニュアルの中に「子どもが不登校のことや自分のつらい気持ちを話してくれた場合、しっかりと共感、涙を流せたらベスト」という内容があったんだけど、率直な感想を言えば「相手のことナメすぎやろこれ」と思った。

 

 

私がその子どもなら、(そのマニュアルに従って)涙なんか流されたら、なんかもう逆に屈辱。

 

 

ちなみに、その共感の先には「信頼関係構築、なんでも言える関係性づくり、「この人の言うことなら聞いてみよう」という尊敬獲得」という目的があることを習っていたので、尚更そう思ったのかもしれない。

 

 

それ自体が悪いとかじゃないけど

 

もっと純粋に、相手のしっかり姿を見て、相手の言葉を全力で聴けやって思ってしまう。

 

 

「こういう場合にはこう言う、こうする」

「そうすると相手はこう感じる、こうなる」

 

そんな事を考えながら話を聴いてほしくないし、そこから出るマニュアル的な言動は一体「誰のもの」で「誰にあてられたもの」なんだと疑問に感じてしまう。

 

 

 

その感情ともしかしたら同様のものを

どことなくマニュアル的に変化しての

 

「君が死ぬのは哀しいです」

「教えてくれてありがとう」

 

から感じたのかもしれない、と思う。

 

 

 

多少なりとも心理学とかかじった身でこんなこと言うと無責任な気もするけど

 

「もう頑張っている人に「頑張れ」は言ってはいけません」

 

「「死にたい」という人に「死んじゃダメ」は言ってはいけません」

 

っていうやつ

 

言ってることは分かるし状況次第

でもなんかやっぱり「どーなん」って思う自分がいる。

 

 

心理学をかじったであろう人達になにかを相談した時、幾多の状況で返ってきた「真崎はそう感じているんだね」っていう言葉に対して、その人の言葉でなく「どこかのテキストから引き抜いてきたんだろうな」と興冷めしてしまう自分がいる。

 

 

過去の内輪ネタになってしまうけど、講師の人が使っていた「あなたには価値がある」という言葉を、同じ空間内でみんなが誰かに対して使い始めた時に「それは誰の言葉なんだろう」とずっともやもやしていた自分がいる。

 

 

 

 

なんか、すごく、ほんと上手く言えなくてもどかしいんですけど、「そういうことじゃないやん」って思います。

 

 

言葉に捉われすぎ

 

心理学的なものに捉われすぎ

 

その先の結果に捉われすぎ

 

その人自身ではなく「こういうタイプの人」という枠と偏見に捉われすぎ

 

 

 

結局「もし私やったら」という仮定ケースの話しかできないけど

 

もっと「私自身」を見てほしいし

「私の言葉」を聴こうとしてほしいし

 

その先に「その人自身」の言葉と存在を感じたいって思う。

 

 

 

基本そんな行動は「この人信頼できる」と思った人にしかとてもじゃないけどできない。

 

 

だから、その分その話が終わったときに

ちょっと極端な返答やけど、その人が

 

 

「死ぬとか絶対許さん」

「切ったらあかんて」

「お前ほんま自己中やな」

「もうちょい頑張ってみよや」

 

 

とか言うてくれても

 

「マニュアル」には反しているけど、嬉しい気がする。てか私は嬉しい。

 

 

 

 

 

あああああああああああん。

 

 

これなんかまとめるん難しいいいいいいいいん。

ちゃんと人様に伝わるのか不安んんんんんんんん。

ちょっと途中で現実逃避したくて「東京喰種(グール)」の3巻読んでたあああああああああああん。

 

 

 

要約すると(立て直し)

 

 

水谷修さんは中学時代から尊敬しています

 

・水谷さんの「君が死ぬのは哀しい」はなんか響きます

 

・だからといって「この状況ではこの意図でこの言葉がいいんだな」と暗黙のマニュアル化されることが怖いです

 

・言葉の引き出しができる意味でありがたくは思います

 

・けど「この状況このタイプの人にはこの言葉とこの行動」的な引き出され方をされたら私の場合は相手に対して壁をつくってしまう感覚があります

 

・マニュアル的でなくもはやちょっと的外している言動だったとしても、その人がきちんと私と向き合ってくれた上でくれる言葉や行動に、とても嬉しさを感じます

 

 

真崎

 

 

************

 

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