佐々木ののかについて -「親友」と「嫉妬」のお話-
頑張ってるねって言ってもらうことがあるけど、そんなことはなくて、ただただ自分の至らなさにムカついて瀕死になるので全力投下して、少し浮上してしばらくは心穏やかに暮らせるけど、また自分が許せなさすぎて瀕死、を繰り返しているだけで、生きてくために仕方なく全力でやってるだけです。
— 佐々木ののか | Nonoka Sasaki (@sasakinonoka) 2016年1月31日
こじらせた女を見つけた。
きっかけは、とあるライティング案件。
顔出しでおもしろ要素強めのおでかけ記事を継続的に執筆してほしいというご依頼で、2つ返事で了承した。そしてそのサイトを閲覧しに行ったら、彼女がいた。
名前は、佐々木ののか。
年齢は当時25歳。私の1歳下。
職業はフリーライター。
ライター歴は当時半年。私といっしょ。
彼女が書いた体当たりおでかけ記事(酒に溺れる女の二日酔い対策プランと見せかけて最終的に記憶をなくすほど激安ビールを煽る記事・ラブホでゲスい女子会しました記事・見た目をばっちりキレイにして池袋で逆ナン記事・他多数)を見て、嫌な予感がした。
サイトから彼女のTwitterアカウントに飛んだ。
猿と人間の絶対的な違いは「共感」にあるだとか、アガペー的恋愛が理想だという話だとか、そういう話ばかりしている最近。わたしの興味のある話はとことんお金にならないなぁ。でも仕方ないんだよな。「気持ちよく生きること」が何よりのプライオリティなんだから。
— 佐々木ののか (@sasakinonoka) 2015年11月8日
嫌な予感、的中。
どうしよう、この人わたしとめちゃくちゃポジション被ってる。
(彼女のファン各位、どうかその怒りを明日の希望に変えてください)
年齢や境遇はもちろん、体は張るし女をネタにするし酒は好きだし愛とか共感を突然ひとりで語り出した末に最終結論が「気持ちよく生きることが何よりのプライオリティ」に行き着くちょっとイタくて清々しい思考回路。ツイートから漂う「開き直ったこじらせ臭」には嗅ぎ覚えしかない。
「私はきっと今後、この人の存在を強烈に意識していくことになる」
容易に想像できて戦慄した。
「体当たりでもなんでも来いな駆け出しの若い女性ライター」である私たち。自ずとライバルのような、周りからも比較対象とされるような、きっとそんな存在になるような気がした。
そして、同時に私は直感していた。
「私はきっと、彼女とめちゃくちゃ仲良くなる」
書いては消して書いては消してきたテーマのnoteの1つを書き終えたけど、これを表に出していいのか自信がなくて、親友に送りつけて反応を待っています。
— 佐々木ののか | Nonoka Sasaki (@sasakinonoka) 2016年6月16日
30までにお互い結婚とかしなかったら家族になろうね(悪魔の契約)
— 佐々木ののか | Nonoka Sasaki (@sasakinonoka) 2016年6月18日
大当たり。
とっても仲良くなりました。
アプローチしたのは私。
友情も恋愛も好きになったら一直線。
ある少人数の飲み会で彼女と出会い、後日再会してラーメン屋で「私は佐々木さんのことすごく知りたいしめっちゃ話したいし絶対仲良くなれるしもっとエッセイを書いてほしい」とドストレートに伝えた。
彼女は「やーん真崎さあああん嬉しいですううう;;」などと好意っぽい反応を見せてくれた。しかしこの反応を信じてはいけない。彼女は「コミュ力高めの軽度人間不信女子」である。出会ったばかりの相手が放つ肯定的な言葉など、彼女はきっとニッコリ笑って全てブロックしているだろう。私は彼女のこころの隙間に入って距離を縮める方法を画策し続けた。
決め手は、1つの約束を守ったことだった。
多くの人が簡単に破ってしまうようなSNS上の軽い口約束を、ただ順守した。
小さな約束だけど、これを破ったら佐々木さんはきっと私に対して永遠に心を開かなくなる。どうしても仲良くなりたいから絶対破らないと決めていた。
押しつけがましくも私がそう伝えた時の彼女の反応は、私たちの間にあった薄くて頑丈な壁が消えたことを物語っていた。私の粘り勝ちである。
その後、私は頻繁に彼女の家におじゃまして、一緒にお酒を飲んで朝まで語ったり、一言も会話を交わさず黙々と原稿を書く夜を過ごしてきたりした。
彼女は、最高の友人だった。
考え方や仕事の境遇も似ていた。
なんでも相談できたし悩みは共感し合えた。
駆け出しライターとして、お互い悩んで葛藤しながらも頑張っていこうなと、互いを激励しながらお酒を飲んだ。
「私はきっと、彼女とめちゃくちゃ仲良くなる」
その予感が当たり、嬉しかった。
嬉しくて、忘れていた。
もうひとつ、あった。
「私はきっと今後、この人の存在を猛烈に意識していくことになる」
彼女の書いた記事が、めちゃくちゃバズった。
身も心も凍てつく寒い冬の日、新橋のサラリーマンに「LINEで奥さんに愛してると送ってくれませんか」と彼女が突撃したこちらの記事。仕上がりはとってもハートウォーミング。記事を読んでほっこりした人たちの拡散が相次ぐ相次ぐ。
←この顔が私のタイムラインにも嫌というほど流れてきた。
普段インターネットをほとんどしない周りの友人たちもこの記事は読んでいた。そして賞賛して拡散した。上記アイキャッチのほっこり笑顔で佐々木ののかの認知は顔ごと一気に広がり、目に見えてファンが激増した。
目に、見えたのだ。
私の目には、ハッキリと。
だって私は、彼女のフォロワー数やこれまでの記事の拡散具合など、猛烈に意識しながらずっと観察し続けてきたんだもの。
以下は、私の心に潜んでいた醜態である。
いっそ盛大に引いてもらっていい。
この記事がバズる前は、私のほうがわりとフォロワーが多かった。バズッた直後、一瞬で抜かされた。
フォロワーが増えただけではない。彼女を名指しで褒め称えるようなブログ記事まで目に入ってきてしまい、なぜか胸がチクチクした。
彼女と同席したライター編集界隈の飲み会では、彼女の顔を見ただけで「あ、もしかしてLINE晒しの佐々木ののかさん?」と声をかける人たちの姿もチラホラ見かけた。私に同様の声はかからない。胃がきゅううぅぅっとした。
ウェブ界隈における佐々木ののかの認知度と評価が上がるたび、佐々木ののかの人気が上がってファンが増えるたび、私の中にどうしても消化し切れないモヤモヤが膨れ上がるのを感じた。
モヤモヤ、なんかじゃない。
正体など、とっくに分かっている。
嫉妬だ。
彼女のことが、羨ましく、妬ましかった。
そして、とても悔しかった。
私は、彼女に勝っていたかった。
近いからこそ、勝っていたかった。
明確な勝ち負けなんてない世界だと分かっていても、とてつもなく、どうしようもなく、私は彼女に、精神的に勝っていたかったのだ。
先日とっても仲の良い友達に「こんなこと言うのは申し訳ないんだけど、私はののかちゃんに嫉妬してる!」と面と向かって言われたのだ。
友達にランクをつくるわけではないけれど、その子は指折りに気の置けない存在。そんな相手に面と向かって「嫉妬してる!」と言われたわけなのだが、わたしの気持ちはと言えば、すごく嬉しかった。
とっても仲の良い友達で指折りに気の置けない存在の私は、先日と言うにはかなり前に、彼女に対する自身の嫉妬を告白するというおよそ自己満足な行動に出た。
彼女の家にお邪魔して、朝までお酒を飲んだ時だった。彼女の悩みや今後の方向性などを話していたタイミングだったと思う。
LINE記事がバズったときの「うわあぁぁ……」という感覚も、みるみるファンが増えて彼女のつぶやきやnoteの記事1つにも多くの人が反応することへの羨望も、全部伝えた。
猛烈に嫉妬していた分際で非常におこがましい上に何様すぎる言葉だが「私がこれだけ嫉妬するほどええ文章をいっぱい書いてたくさんの人を惹きつけてんねん自覚しろ」みたいなことを言った気がせんこともない。いい奴。嘘です。
関係性が深い人に対する、嫉妬。
これは、たぶん、とっても複雑な感情である。
負け惜しみでも自己弁護でもない。
彼女の記事がバズったとき、彼女の文章にファンがついたとき、すべての成果をエネルギーに彼女が自分の道を進もうとするとき、私の中には確実に嫉妬以外の感情、「おめでとう」「すごいやん」「がんばれ」「絶対いける」が、存在している。
超アンビバレント。
人間の感情など、矛盾だらけで正常だ。
嫉妬には、相手への羨望、時には敬意が含まれている。
醜くネガティブな感情に思えるかもしれないが「嫉妬するぐらいすげえから!!」という謎の応援メッセージにも変換できるので是非お試しください。
しかし、同じ感情を表すにしても、遠回しに否定するような言い方をされたら、気持ちよくなかっただろうし、わたしたちの友情は決壊、金でも継ぎきれないほどにヒビが入ったかもしれない。そもそも何となくの冷戦状態が続いたのではないかと思う。
「嫉妬の出し方」で、私はかつて大切な人との仲を壊した。私も相手もお互いに嫉妬した。そして出し方を間違えた。金でも継ぎきれないほどのヒビが入った関係性は、何となくの冷戦状態が続いた末に、あっけなく決壊した。
学んだ。
感情は、ストレートに出す。
わがまま末っ子の私にとっては、これが一番健康的に関係性を保つコミュニケーション方法である。我慢はいつか自分も相手も傷つける。ストレート以外の変化球は相手を不快にさせる。
結果は、これ。
親友の「嫉妬してる!」を受けて、わたしは「ありがとう!」と言った。それはストレートに打ち明けてくれたことが単純に嬉しかったのと、嫉妬という感情を抱いてくれたことへの喜びを表現した形だ。
だから嫉妬は溜め込んでもいけないし、悟られないように遠回りな言い方で伝えるのも良くない。黙ってポジティブなエネルギー変換をするか、ストレートに伝えるのがよほどヘルシーなんじゃなかろうか。
悪いが、私たちはわりとお互いが好きなのである。
そしてやっぱり、思考回路も感情の出し方も似通っている。
今さら、嫉妬の1つや2つでどうにかなるもんでもない。
そう言いながら、沖縄に行っても変わらず企画に煮詰まったときは、電話くれる真崎超ラブ(わたしも電話してる) https://t.co/RKMpCnTj99
沖縄移住後も、週3くらいで電話している。
彼女のやりたいことや書きたいことも聞いている。
応援している。
なんならちょっと企画出しも手伝う。
いい記事を書いてほしいと思う。
「いい記事を書いてほしいし、ファンも増えてほしい、なんなら夢も全部叶えてほしいけど直近バズとかは起きなくていいです」
親友・佐々木ののかに対する感情は
これからもずっと、超アンビバレント。
真崎
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「あなたに書いてほしい」「あなたと仕事がしたい」の破壊力
この記事、好き。
株式会社ネットマーケティング、人事・宇田川さんのインタビュー記事。ラブレターのようなスカウトメールを送り、4か月で20名を採用したそう。
初めてスカウトメールをもらったのは就活生のころ。やる気と希望、奥底には不安と恐怖を抱えた子羊就活生だった私は、就活解禁と同時にリクナビマイナビエン・ジャパンに登録。自己PRなどの各種項目をすごい勢いで埋めた。
するとたまに(主にエンターテインメント業界から)それらの媒体を通じてスカウトメールが届いた。
思い出せる範囲の内容になるが「我々は〇〇をモットーに△△のような仕事をしております。真崎様のプロフィールを拝見しました。ぜひ説明会に来ませんか?」みたいな文面だった気がする。
当時は「スカウトメール」の響きに震えた。
「ご、ご指名入りました……!」みたいな気分で驚きと誇らしさを感じていた気がする。結局スカウトをいただいた各社様の説明会に参加したことは一度もなかったけれど。
で、無事に就職して。
無事に2年で3度会社を変えて。
「転職、趣味なん?」と言われて。
きちんと否定はしつつ、転職サイトや求人系SNSに登録するようになった。フリーランスになってからも求人媒体経由でライティング案件をいただくために引き続きそれらのサイトを使用し続けた。プロフィールはびっしり埋めて、ポートフォリオも惜しげなく載せた。
ライターの仕事を始めて半年ほど経った頃から、久々に届くようになった。
そう、スカウトメール。
就活生の時と変わらず「スカウト」という言葉にはなんだか胸がドキンとした。
「ご、ご指名入りました……!」
そんな気分でメールを開いた。
「初めまして。✖✖株式会社の☆☆と申します。
我々は〇〇というメディアで△△のような記事を発信しています。
あなたの経験を生かして、記事を書きませんか?
ご連絡お待ちしております」
閉じた。
この「あなた」は代替可能。私の名前は一切なくそのままコピペして他のライターさんに送ってもなんら違和感のない文面だった。率直な感想としては「誰が記事を書いてもいいんだろうな」だった。
もちろんお仕事の話がいただけるだけでも嬉しい。ライターの仕事を始めた当初、どこに行っても誰それ構わず「お仕事ください!なにか書かせてください!」と叫んでいたときは、こうしてお仕事案件を振っていただけるのは喉から四足が出るほどありがたいかった。
ただ、少しずつ特定の編集さんやディレクターさんとの仕事が増えてきて、好きな方々とイイモノを作ろうと奮闘することに味をしめるようになってきた私は、「誰でもいいからとりあえずたくさん記事を書いて」という案件に心が動かなくなっていた。(2年目のぺーぺーライターが生意気言ってんじゃねえという声が勝手に聞こえてビビりながら書いている)
全然スカウトされている気持ちにならないスカウトメールに、ほんの少し虚しさと侘しさを感じたりした。
最初にリンクを載せた「メスライオンさん」に「〇〇さんに興味がある!お話したい!こちらの想いも伝えたい!一緒に働きたい!」、みたいな内容なのかは分からないけど、ありったけの想いがつまったラブレターのようなスカウトメールをもらえる人が羨ましいなと思った。
身近でメスライオンさんからスカウトメールをもらった人がいたけど、「転職する気は一切ないけど、これはちょっと心動いたわ笑」と嬉しいような困ったような顔で笑っていた。ハンパねえ。
猿まわしに見惚れてたら両親とはぐれるハプニング(26歳)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年5月1日
「ほらサメさんがいるよ」
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年5月1日
「しゃめしゃん(⍢)」
「サメさん」
「しゃめしゃん(⍢)」
2歳くらいの女の子とお母さんの会話が可愛いすぎて魚どころじゃない(ひとり水族館中)
そのメールが届いたのは、5月に両親と福岡旅行をしていた時だった。
両親とはぐれてぼっち水族館をキメていた私がふと仕事用のメールボックスを開くと、ブログのお問い合わせフォームから1通のメールが届いていた。
ブログ記事の下記に載せているお問合せフォームからメールがくると嬉しい気持ちになる。ブログの感想かしら~とワクワクした気分でメールを開いた。
メール内容は、お仕事依頼だった。
以下、ご本人から許可をいただいたので、本文を抜粋しながら掲載します。
***********************
真崎 様
(最初のご挨拶や会社説明など)
真崎さまの記事をいくつか拝見させていただきました。
はじめはスネークセンターの記事を拝見したのですが、他にも自殺の食い止め記事など、面白い記事から社会的問題にフォーカスした真剣な記事まで幅広く執筆しておられ、まんまと読み入ってしまいました。
ネタの切り口も面白いですが、どうすれば人に見られるかといった客観性を意識したものが多く、ぜひ弊社媒体の成長にご協力いただけないかと思い、ご連絡差し上げた次第です。
(ここで案件の詳細。メディアの趣旨、大切にしたいこと、ライターに求めること、なぜ私に依頼するか、ライターに提供したいことを非常に丁寧に説明してくださっていました)
とても発想力のあるお方なので、寄稿以外の案件もご相談できればと思っております。
(もろもろの締め文章)
**************************
率直に言う。
すっげー嬉しかった。
たったこれだけの短い文章ではあるけど、私の記事をほんとにじっくり読んでくださったことが文章全体から伝わってきた。具体的な言葉で良い点を伝えられて心がくすぐったかった。
取材記事やネタ系記事をはじめいろんなジャンルに手を出してきたし、すべて楽しんで書いてきたけど、特に「死にたいと思っている人」に向けて「とりあえず死んでくれるな」と密かに思いながら文章を書くときに一層強い意志が宿る私にとって、自殺の名所・東尋坊の茂幸雄さんインタビューを読んだ記事例に挙げてもらえたことはとても光栄だった。
見てほしいものを見てくださった。
それが、単純だけど嬉しかった。
嬉しかったし、一気に信頼感が湧いた。
これまでご依頼をいただく時は「"ライターさん"にこういう仕事を頼みたい」という内容のご連絡が多かった。私の個人的な繋がりの依頼を除き、そういう時は非常に恐縮ながら「ご依頼の案件内容」「報酬」を基準に、自分のキャパと相談してお請けするかどうか決めた。
でも、今回は違った。
立ち上げようとしているメディアへの強い想い。ライターへの敬意。そして文章全体から感じる、送り主の真っすぐな人柄と仕事への熱量。
ご依頼内容や報酬に関係なく、「この方と一緒に仕事をしてみたい」という一心でご返信をした。
旅系の記事企画であまりにも胸がときめくアイデアが浮かんで担当の方にメールを打つ手が武者震いでぷるぷるしている
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年5月12日
後日、その方(以後Aさん)にお会いした。
改めていただいた案件についての想いや今後の展望について伺った。
Aさんへのトキメキひとつで会社まで出向いたけど、よくよく聞けば案件自体も超こころときめく内容だった。
まもなく本格リリースを迎えるそちらのメディアに、継続的に記事を寄稿させていただけることになった。6月からずっとAさんと企画をつめている。今の今まで驚くほどずっと企画をつめている。
「真崎さんが今いちばん書きたいことって何ですか??」
「真崎さんのTwitterやブログの~~~~や~~~~という内容に、私は読んでいてすごく引き込まれました」
「だから~~~みたいな内容が、誰かの背中を押したり、心にグッときたりするんじゃないかと思いました」
「ただ面白いで終わらず、読み物として誰かに刺さるものにしたいんです」
私が出す企画に、Aさんはものすごい熱量でフィードバックをくださる。時間がないからと妥協点を探すようなことは絶対にされない。
なにより、うぬぼれを承知で書くが「真崎さんならもっといいモノを作ってくれる」というAさんからの期待を言葉の端々から感じるので、やっぱり嬉しくなる。応えたくなる。
だから、私も全力で返す。遠慮はしない。
沖縄にいながらもメールや電話のやり取りを重ねて、ようやく企画が固まった。
いよいよ執筆開始。胸が高鳴る。
「海の見えるカフェで海風を浴びて波の音を聴きながら作業したい」という夢を先ほどカフェで叶えてきたのだけど19時閉店につき場所をかえてもはや海の前で原稿書いてる pic.twitter.com/9eCgexIfZk
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月5日
ありがたいことに、いろんな方からお声がけいただいて記事を書かせてもらっている。私にご依頼される背景は、各方々によって違っているだろう。どのご案件でも、振っていただき書くと決めたら真剣に書く。当たり前だけど。
その中でも、今回のAさんように「こんなメディアを作りたいからこそ、真崎に書いてほしい」と真正面から想いをぶつけてくださり名指しで剥き出しの期待をかけてくれる方とのお仕事は、記事への熱に「〇〇さんの想いに応えたい」という人情系熱量がプラスされる。とても強く爽快なエネルギーである。
Aさんだけではない。「お前はワシが見つけた原石や」と言って聞かず、マンツーマンで日々顔を合わせながら一緒に就活記事を作りまくった編集長パイセン。「真崎さんの熱量がほしい」とお声がけくださり、私の何百倍も凄まじい熱量とバイタリティを持ってコンテンツ作成に取り組む坂口ナオさんなど。「その人と一緒にお仕事をできることが嬉しいし燃える」と感じさせてくれた編集さん方には本当に感謝している。
「あなたに書いてほしい」
「あなたと仕事がしたい」
その言葉と熱意の破壊力で、私の心は簡単にぶち抜かれる。
落としやすい女です。
真崎
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心霊現象のおかげで震える夜を過ごした話、聞いとく?
北中城村の部屋にたどり着いたのは午前2時。
家主も寝てしまい家の中は真っ暗だった。
1日中仕事をしたのちお酒も飲んだその日は上機嫌かつ疲労困憊。2階の寝室まで上がることさえ億劫だった私は、キッチンスペースにある椅子を3つ並べて簡易の寝床をつくって倒れこんだ。
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「1人で住むのめっちゃ怖かってんで。金縛りには遭うし、2階やのに窓の外に黒い影映るし、風吹いてないのにドアがバァァンって閉まる音するし」
家主である友人が話していた。
6月に今の家に越してきた家主は、シェアメイト2名が入ってくるまで約3週間ほど一人暮らしをする予定だった。しかし一人で住むにはだだっ広いうえに上記の心霊現象である。怖すぎ。私むり。
ちょうど那覇で数件の内見を終えて「那覇には住まんなあ」と思ったばかりの家なき子だった私に「シェアメイト来るまで泊まっていいよ」と家主が声をかけてくれたので、お言葉に甘えて2週間半の山村ホームステイを始めた。
家はまじでデカかった。
たまげた。
家族単位でシェアハウスできるレベルの広さ。大きな庭とベランダもついて、ベランダからは海が見下ろせる。さらにこの家の家賃が恵比寿の1LDKと大して変わらないんだからすごいよ北中城村。やったね北中城村。
一瞬で部屋が気に入った。確かに広くて静かで夜は外も真っ暗で怖いっちゃ怖いけど、その恐怖心をはるかに凌ぐレベルで気に入った。
そもそも私は心霊的サムシングとは無縁の26年間を送っている。「20歳までに1度も霊を見なかった人はその後ずっと霊を見ることはない」という話も都合よく心の底から信じている。
今更、私の身の上に心霊現象など起きはしないだろう。いつの間にかそう思い込んでいたかつての私の頭を花瓶でかち割りたい。
あの日の話に戻る。
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簡易の寝床でゴロゴロしていたら、酔いとともに眠気が覚めてしまった。徐々にハッキリしてくる意識。そして高性能かつ空気の読めない私の脳は、あの日の家主の言葉を高音質でリピート再生し始めた。
「1人で住むのめっちゃ怖かってんで。金縛りには遭うし、2階やのに窓の外に黒い影映るし、風吹いてないのにドアがバァァンって閉まる音するし」
……眠れねえ。
ガチャ、ガチャガチャ
玄関のほうから音がした。
この音は聞いたことがある。
ドアノブを回す音だ。
午前3時半。こんな時間に村の中を歩き回って勝手に民家のドアを開けようとする人が……いたら確実にヤバイ奴やん。
慌てて立ち上がり、玄関の施錠を確認した。カギは閉まっている。良かった。万が一閉め忘れていたら、そう思うと体が震えた。
イヤな気配と予感がした。
台所にあった裏口をバッと見た。
ガチャ、トントン、ガチャガチャ
やばい。
やばいやばいやばいやばいやばいやばい。
これいよいよなんかやばい。
絶対外にやばい人おるやん。
めっちゃ裏口ガチャガチャされてる。なんならちょっとノックしてる。え、開けると思う?この状況で開ける人がいると思ってはる?
スマホを握りしめて台所の電気を消し、振り返ることなくダッシュで2階に上がった。
恐ろしい不審者の訪問を予感していた私は、ガタガタと震えながら2階に駆け上がって広いスペースに倒れこんだ。
電気をつけてしまうと位置がバレてしまう。そう思って部屋は真っ暗なままにしておいた。だだっ広いスペース、景色も見えないほど真っ暗な窓の外、そして家の中。10畳をゆうに超える何もないスペースの真ん中に寝転んで身を縮めた。
寝たい。
寝たい寝たい寝たい寝たい寝たい寝たい寝たい。
というかいつの間にか意識を失った末に気付けば朝だったみたいな展開をください。
カチャ……
スッ……
ガタッ……
ビクウッ
微かな物音にも敏感になり、階下で音がするたびにガタガタ震える手でスマホのライトを点けて階段をのぞきに行った。未だに当時の自分の行動が理解不能。
寝室には家主が寝ている。ひとりで寝ているときは部屋に鍵をかけている。大正解だよ家主。これであんたはセーフティゾーンだよ。
ここで気付いた。
なんで私わざわざ開放感溢れる広いスペースにいるの?
私の荷物を置いた空き部屋に転がり込んだ。震える手で鍵を閉めた。暗闇に耐え切れず電気をつけた。床に倒れこんだ。最小音量でポップな音楽をかけて気を紛らわした。
午前4時。
ドッドッドッとダイレクトに聞こえてきた心臓の音が落ち着いてきた。体の震えも収まった。音楽のおかげで微かな物音は聞えなくなった。
良かった。
あと1時間もすればきっと空も明るくなるだろう。
充電が切れて音楽が止まった。
充電器は階下に置いてきてしまった。不覚。
まあ無音は怖いけどもう大丈夫だろう。
寝よう。
そう思って、目を閉じた。
バアァァァン
今までで一番大きな音がした。
この音は聞いたことがある。
玄関のドアが勢いよく閉まる音だ。
入ってきた……?
え、入ってきた……?
入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃった入ってきちゃったどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしょうどうしよう
体がすごい勢いで震え出した。
そしてこれはもう感覚的すぎて説明できないのだけど「これは不審者じゃない」と自分の直感がそう訴えていた。不審者というか「これは生きている人の仕業じゃない」が正しい。
目をつむるのが怖くてカッと見開いたまま天井を見上げていた。
手で耳をふさいだ。
それでもガンッやカタカタッと微かに音が聞こえてくるので、耳を高速でふさいだり閉じたりした。
自分の声で物音をごまかすために小さな震える声で歌もうたった。ブルーハーツの『青空』を選曲した。
私のこの姿もなかなかの地獄絵図だったと思う。
極限の精神状態で歌をうたいながら、どのくらい時間が経ったんのだろう。
ようやく空が明るくなり始めた。
部屋に微かな光が差した瞬間、体中の力が一気に抜けた。手も耳から離した。歌うのも辞めた。空が明るくなると、不思議と物音に対する恐怖心がなくなった。
そして、夢にまで見た、気絶の瞬間がきた。
目が覚めたのは、朝の8時。
階下に下りても、特に変わった様子はなかった。人が入った様子も、荒らされた様子も、なんらかの気配も。
家主に昨夜の一部始終を話した。
彼女は爆笑していた。
「真崎ほんまウケるwww耳ふさぎながら歌ってたやつ動画撮りたかったwwww」と壊れたように笑っていた。
彼女は霊感が強く、心霊現象に遭遇した経験も数知れない。「アッチは人の恐怖心に反応して出てくるから怖がったらアカンで。言うても物音立てたり影見せてきたりするだけやし大丈夫やって」と言った。心強い。
お世話になっている家は自宅兼クリスチャンの集まる教会でもある。教会は悪霊に襲われやすいそう。悪魔が人々の信仰をジャマしたいらしい。
早く、家を、探そう。
今はクリスチャンホームに滞在中で、教会的な場所は霊が集まりやすいとのこと。「でも霊は音ガンガン鳴らすくらいしかしてこんから大丈夫やで」と言う家主は毎晩金縛りにあってるらしく「金縛りはかかか科学的に説明できるやつでな」とビビりどもりながら反論している。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月10日
このブログを書いている間に家主が出かけた。
夕方に家を出てまだ帰ってこない。
空が、暗くなってきた。
部屋が、暗くなってきた。
怖くなんかない。
怖くなんか、ない。
真崎
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お仕事(ライティング)の依頼やブログ感想
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「子どもフードバンク沖縄」のボランティアで、子ども達と戯れています。
「なぁ」
「名前なんていうん」
「真崎」
「まさき?」
「真崎むっちゃん」
「ブス」
「おいコラ慎め」
女の子が「おねーさん描いてあげる」と言ってくれて、男の子がとなりで「ばばあーばばあーばばあーばばあー」って言ってくるのを耐えながら待ってたらこんな可愛い絵を描いてくれた pic.twitter.com/wSlZ58gFfj
「子どもフードバンク沖縄」という組織が運営している「子どもカフェ」でお手伝いをさせてもらえることになった。この絵は4月に一度訪れた際に低学年の女の子が描いてくれた似顔絵。お礼にアンパンマンの絵を描いたら「下手だね」と言われた。
週に3回、小学生くらいの子ども達と一緒にご飯やおやつを作って一緒に食べるこちらの活動。毎回子どもたちが10~20人ほどやってくる。
冒頭の会話は小2男子とのやり取りで、このあと糸電話をヌンチャク代わりに私をボコスコ殴ってきた彼を「それは糸電話の使い方として不適切だよ」と反論の余地もない正論と共に追いかけ回した。至福の時間である。
昨日書いたこちらの記事では省略したが、私が沖縄に来たひとつの理由がこちらの活動である。
沖縄に住む唯一の友人がこの活動に関わっており、彼女が東京に来た際会って話を聞いた。
彼女の話によると、沖縄は出生率・離婚率が高く、シングルマザーも多いそう。 戦争を背景とする根深い貧困問題もあり、1日に食べるご飯が学校給食だけという子たちがいるとのこと。
貧困問題そのものを解決するアプローチが必要なのはもちろんだけど、一朝一夕でどうにかなるものでもない。今日、明日、明後日。まずは日々子ども達ができる限り満足にご飯を食べられるようにと、子どもカフェは活動している。(と、私は捉えている。HPには「料理や様々な体験教室を通して子どもの自立自活を支える活動・食育の場です」と記載されている)
「でも、人が全然足らん。ニーズはあるし子どもの人数もどんどん増えるけどスタッフがめっちゃ少ないねん。もっと情報発信をして活動の認知度も上げたいし資金集めもしたいけど手が回らんしノウハウもない。子ども好きでデリケートな子どもにも関われて学習支援もできて文章書いて情報発信してくれる人がほしい」
「それ私やん」私は言った。
「それ真崎やん」友人も言った。
「できる」と言ってはおこがましいけど、学生時代に関わっていたNPOの学習支援活動、社会人になってから飛び込んだ不登校支援の活動、そして1年前に教育の仕事から一転してライターの活動を始めた私。
正直「うおおおおおおここで全部つながるかああああああ」と思った。そして悶絶した。昨日の記事に書いた通り「沖縄に呼ばれた気がした」のである。いいんだ気のせいでも。いいんだ気のせいでも(2回目)。
小2男子の悪口ボキャブラリー、ブスとデブとハゲしかない。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月7日
で、今週からボランティア開始。
こちら前回のハイライトです。
・子ども達が「梅干しは1日1個まで」と渋いルールを定めた
・カフェにある道具で、糸電話、望遠鏡、竹とんぼ、くじ引き、サンタクロースなどを作り、抜群のクリエイティビティを発揮していた
・くじ引きを作った女の子と遊んだ
・「はずれを引いたら当たりね」
・ルールが複雑
・何回引いてもはずれだった
・つまり全部勝った
・ホットケーキを作った
・小2の女の子がひたひたになるほどシロップをかけまくったホットケーキを私にくれた
・シロップの味しかしなかった
・元気な男の子が突然柔道の絞め技をかけてきた
・素で「え、なんで?」と聞いた
・たくさん自己紹介をした
・子1「みっちゃん」
・真崎「むっちゃん」
・子2「めっちゃん」
・真崎「むっちゃん」
・子1「ぺっちゃん」
・真崎「むっちゃん」
・子2「うっちゃん」
・真崎「むっちゃん」
・子1「ぷっちゃん」
・真崎「むっちゃん」
・子2「斎藤さんだぞ」
・真崎「違います」
以上です。
このブログはもちろん、その他もし発信できる機会があればどんどん活動報告などしていきたいと思っています。
引き続き、何卒。
真崎
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「で、なんで沖縄に移住するんですか?」
6月4日から沖縄にいる。
移住5日目の今日は北中城村のイオンモール沖縄ライカムにてこの記事を更新している。電源wifi完備でオーシャンビューのイオンが存在する奇跡。あと北中城村を「きたなかぐすくそん」と読めるようになっただけで沖縄レベルが5上がった感ある。
移住後は弾丸でシェアハウスをいくつか内見して3日目にはどこかへ入居している計画だったけど、沖縄で唯一の友達が北中城村にいて気付けばその子の家にいる。2週間半の短期山村ホームステイ。夜はいろんな生物がすっげー鳴いてる。
チュ、チュ、チュ、チュってこんな夜に可愛らしい小鳥の鳴き声が聴こえてくるのでベランダに出て耳をすませていたら家主が「その声ヤモリな」と教えてくれて気持ちのやり場がない。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月7日
沖縄に移住した実感は一向に湧かない。フードコードでキーを叩く私の視界左に映っているのはマクドに銀だこにリンガーハット。よっ東京ぶり。波の音をBGMに仕事を~なんておしゃな理想を抱く 私の耳に届くのはイオンの館内放送。結局爆音で岡崎体育を聴きながら作業をしている。先週の私(@池袋)との変わらなさ。
本題。
なんで沖縄に行くんだろう… 「書くことが好きだから」と、ブロガーの私がライターになって1年間で感じたこと - 真崎ですよ https://t.co/o6BZUJ0aq0
— さのかずや / TORCH Inc. (@sanokazuya0306) 2016年6月6日
な。
以下最近聞かれた質問と回答です。
Q. 沖縄にゆかりがあるんですか?
A. ないです。
Q. 沖縄に住みたい場所があるんですか?
A. ないです。
Q. 沖縄に思い入れがあるんですか?
A. ないです。
Q. なんで沖縄なん?
A. ほんまそれ。
この1か月半で耳からバナナが出るほど聞かれた「なんで沖縄なんですか?」に対して未だにうまく答えられず、最近は「な、なんとなく……」とライターとは思えないボキャ貧回答をしている。
ただ、理由は説明できないが沖縄に行くと決めた経緯なら話せる。それで良ければ以下に記載するのでヒマな方は読んでください。
沖縄産テラフォーマーズとの闘いに勝利したことをここに報告します
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月5日
2月末。
外注委託でがっつり関わり半内勤ライターとして入り浸っていた会社を辞めた。そしてあの時期はライターも辞めようと思っていた。
「人気ライターにならなきゃ、10年後も食えるライターにならなきゃ、お金もたくさん稼げて信頼も集める立派なライターにならなきゃ」ともがいて仕事しまくっていた時期があり、その反動で年明けしばらく後に燃え尽きた。フリーだろうが好きを仕事にしようが不安と焦燥感をモチベーションにして走れば短期間で心が死ぬ。会社員時代に学んだはずなのにまた繰り返そうとしていた。
会社を辞めた直後に電話がきた。
沖縄に住んでいる友人からだった。お互い関西人で大学時代から仲が良かったが、連絡が来るのは約2年半ぶりだった。
友達「真崎元気か?」
真崎「元気ちゃう」
友達「出たな社会不適合」
真崎「アンタもな」
友達「そうやった」
真崎「沖縄どう?」
友達「ええとこやで」
真崎「沖縄ってなんかええよな」
友達「人とかめっちゃ適当やからな」
真崎「そうなん?」
友達「夜7時開始の飲み会に人揃うん10時やで」
真崎「すごい、東京じゃありえんやつや」
友達「東京はすごいちゃんとしてると思う」
真崎「みんなほんまちゃんとしてる」
友達「真崎生きていけるん?」
真崎「無理かもしれん」
なんやかんやと話して電話を切った私はすぐに【沖縄 バイト】で検索をかけた。平均時給750円くらいの求人を眺めながら後ろにいた同居人に話しかけた。
真崎「わたし沖縄住もかな」
同居「沖縄?」
真崎「沖縄」
同居「なんでなん?」
真崎「呼ばれた気がした(気のせい)」
同居「ええやん」
真崎「な」
で
友人ゴリ押しのプライベートビーチ。さっきまで刺すような豪雨やったのに奇跡の晴れ間。 pic.twitter.com/pdD19prj61
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年4月9日
4月に一度沖縄へ遊びに行った。人のいない穴場な浜辺に行って浅瀬で明日を埋めてぼーっと海を眺めながら歌をうたって、夜は外人街でタピオカドリンクを飲みながら女3人で海と花火を見た。「なにこれ最高かよ」と思って移住を決意した。
という流れである。
誰か「真崎が沖縄に行く理由」を言語化してください。
いろいろ省略した話もあるが、大まかには本当にこの通り。それっぽい理由を後づけすることはできるが、実はどれもしっくり来るようで来ていない。それっぽい説明をした方々、あれやっぱり忘れてください。
人間の行動を動機づける強い要素でありながら言葉にできない感覚的なソレを「直感」だの「衝動」だのと言うのだと思う。直感や衝動の感覚をあえて言葉にするとたぶん「キュピイイィィィィィィィィイイン」や「ズバアアァァァァァァァァァァァアアアン」や「ドュオオオオォォォォォォォォォオオオン」みたいになる。言葉っつーか効果音だけど。
だから私が沖縄に行く理由は「人と気候があったかいから」より「環境を変えたかったから」より何よりも「キュピイイィィィィィィィィイインズバアアァァァァァァァァァァァアアアンドュオオオオォォォォォォォォォオオオン」がきっと一番近い。
理由を言葉にする目的はおそらく「自分を納得させるため」と「他人に理解してもらうため」であり、うがった見方をすれば全部言い訳である。腹から湧き上がってくる言葉にならない欲求だけが自分自身を納得させられる最強の理由であり、その欲求に従った結果いま私は沖縄にいて結局のんびりとライターの仕事を続けている。お仕事ください。
村から那覇までバスで1時間。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月8日
片道650円。
神様、私に車をください。
直近の願望は「車ほしい」です。
あとなんなら家も決まっていません。
あと友達もほぼいません。
そんな状況も楽しみつつ、このブログでも遠慮なく私の沖縄ライフを発信していきたいと思っていますので良かったら引き続きご覧ください。そして良かったら車と家と友達をください。
真崎
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「彼女が喜ぶことは全部やりたいんです」新郎の愛と熱意にやられて、結婚パーティーレポを書きました
「真崎さん、結婚パーティでゆうちゃんにサプライズしたいんですけど、街中で知らん人集めたりしてフラッシュモブとかできないですか?」
どんさんからメールがきた。
ゆうちゃんには内緒のメール。
結婚パーティでゆうちゃんにドッキリを仕掛けて喜ばせたいそうだ。
「真崎さん、結婚パーティでどんさんにサプライズで何かしたいんですけど、アイデア出すの手伝ってくれませんか?」
ゆうちゃんに呼び出された。
どんさんには内緒の呼び出し。
結婚パーティでどんさんにドッキリを仕掛けて喜ばせたいそうだ。
なんだよこいつら。
いい夫婦かよ。
こちらが、ゆうちゃんとどんさん。
昨年に結婚したばかりの新婚カップル。ふたりの出会いから結婚までの軌跡があまりにもグッときたので勝手に記事にした。読んでな。
「僕たちの結婚お披露目会を記事にしてください」
そんな仕事の依頼がきたのは昨年5月。メールの主はどんさん。当時はまだ彼女だったゆうちゃんと一緒に私のブログを読んでくれていたらしい。仕事で繋がったが、同い歳のふたりとはすぐに仲良くなった。今では良き友達である。
写真の通り、どう頑張ってもどんさんは笑顔が胡散くさい。高校時代までは真顔の写真しかないほど表情が硬かったらしいが、大学生の時に特訓してここまで口角が上がるようになったとのこと。すごいね。
きっと、いろいろ不器用な男だったんだろう。
昔に比べてニンマリした表情を作れるようになったどんさんだが、話していると「不器用なんだなあ」と思うことはよくある。嘘をつけなかったり、言葉のチョイスがちょっとずれたり、リアクションのタイミングがいろんな意味で絶妙だったり。というか写真を見るからに不器用。顔面が不器用。
どんさんは、自分が不器用なことを知っている。
だからいつも、不器用なりに全力で、ゆうちゃんへの愛情をあらん限り伝えようとしている。
仕事を依頼してくれる際、どんさんは私に言った。
「僕と結婚してくれたゆうちゃんに、僕ができることなんて、ゆうちゃんが喜んでくれるを必死に探すことだけなんです」
グッときた。
不器用で笑顔は胡散くさいけど、お世辞抜きにカッコイイ男だと思った。
私に仕事を依頼してくれたどんさんに、私ができることなんて、どんさんがゆうちゃんのために出来ることを必死に探してゆうちゃんが喜ぶ仕掛けをマジで至るところに散りばめた素敵でしかない結婚お披露目会のハイライトを必死に綴ることだけなんだ。
ただ、それだけなんだ。
前フリでした。
以下,、本編をお楽しみください。
お披露目会の当日は、爽やかな晴天
に恵まれないどんより曇りのお天気。
頼むぜどんさん。
新小岩駅から歩いて10分。平和で静かな住宅街の中に現れた、とても雰囲気の良い古民家の貸しスペースが会場だった。
超穴場。
ゆうちゃんのお知り合いがやっている貸しスペースで、スーパーお手頃価格で独占レンタルできるみたい。私もここで結婚パーティしたい。というか結婚したい。施設が気になる方は「空の杜」で検索してね。あるいはここをクリックしてね。
会場に到着すると、受付にはこのポスター。
ふたりのことが大好きだからこそ言うけど本当に馬鹿だと思う。
なにやってんだ。
会場の中に入ると、こいつがいた。
ひとつだけ言っておくと、実物の気持ち悪さは写真の比じゃないからな。
泣く子もだまって失禁するこの物体は「ゆうちゃんへのプロポーズを体験させてくれるロボ」らしい。顔部分はiPadで、ゆうちゃんへのプロポーズの手紙を情緒たっぷりに読み上げるどんさんの顔面動画をエンドレスリピートで拝むことができる。誰も得しない。
気持ち悪いロボを差し置き、始まりました。
ゆうちゃんとどんさんの「関東公演」。
ふたりにとっては、結婚お披露目会ではなく公演。
公演のお客さんである私たち来場者を楽しませるために、たくさんのパフォーマンスを準備しているそう。ポスターやロボもその一部。
そして始まったのは
落語。
初めて見る生落語、非常に良かった。
結婚お披露目会で落語、新しい。
ベテランの落語家さんなど、どうお近づきになったのだろう。どんさんゆうちゃんの交友関係は広く、いろんな業界の人たちがいて面白い。
例えば
ケータリングは、夫婦行きつけの絶品レストラン『BISTRO ELENA』プレゼンツ。
(ELENAが好きすぎて、料理長を引っ張ってきたらしい)
「大好きなんです!美味しすぎるんです!真崎さんにも味わってほしいんです!」と2~3度力説されただけあって、美味しすぎたわ。お腹目立つ服着てたのに気にせず4回お代わりしに行ったわ。
そしてシンガーソングライターも歌っちゃう。
だって公演だもの。
私の大切な友人である、しーちゃんこと風見穏香。昨年彼女のワンマンライブをブログで宣伝したら夫婦でライブに来てくれて、ライブ終了後すぐに「しーちゃん、関東公演で歌ってほしいです」とオファーをしたらしい。どんさんの行動は早い。
空と海が地平線で交わる。
別々のものがひとつになる。
なんかそんな、夫婦みたいな曲だった。
どんさんの先輩らしき人がちょっと泣いてた。
いい曲つくるじゃん風見。
そして有名なクリエイターにも会えちゃう。
だって公演だもの。
一部変態の間で大人気の「谷間ダイバー」の生みの親がダイバー達を引っ提げて参加されていたので、26年間まだ誰も飛び込んだことのない未知の谷間へダイブさせてやった。大学時代好きだった人に「こんなにムラムラ来ない巨乳も珍しいね!」と言われた割れ目がこちらになります。
新婦ゆうちゃんの神聖なるキャニオン。
美乳だな。くそ。まあ私のほうがデカいがな。
公演、とはいえ、結婚パーティ。
やっぱり欠かせないのはこのイベント。
Yes, ブーケトス。
しあわせ絶頂な花嫁が独身女性の群れに向かって投げる花束をもれなくキャッチできた人が「次は私なんだあ☆」と周囲も公認の勘違いに浸れるアレな。
写真右端、ポーズだけなら『進撃の巨人』に出てくる奇行種みたいな女が私。ブーケ取る気しかないからな。
私を含めた独身女性たちが息を止めて構える中
新婦ゆうちゃんが
ブーケを
投げた!!
無様。
もう全身で「うそーん」て言ってるの伝わる。さらにこの後「ゆうちゃんなんでもうちょい左に投げてくれへんかったん?」と新婦に突っかかる。繰り返す醜態。
開き直って、たくさんケーキを食べました。
なんやねんこの写真。
幸せか。(間違いない)
このあと、ゲストから夫婦にプレゼント。
中身はワインオープナー。
もらったオープナーを使って、お酒大好き夫婦の公開共同作業。
ゆうちゃん楽しそう。
無事に栓も開き、高級なワインをグラスに注いで
しあわせなツーショットをば。
どんさん、悪い顔してんなあ。
このタイミングで胡散くさいやつ出たわ。
でも
ふたり見てたら、あったかい気分なるなあ。
最後まで愛と笑いがつまった、しあわせいっぱいの結婚お披露目会、改め関東公演でした。
会場を後にしようとしたら、最後にまた目に飛び込んできた、どんさんがゆうちゃんに送ったプロポーズの手紙。
じっくり読んだよ。
ゆうちゃんへ
あの時、何気なく声をかけた女の子、すごくたくさんの偶然が重なって知り合えた。奇跡みたいな子だなんて、本当にびっくりした。
二人の出会いは運命だったって、お互い笑いながらよく話すけれど、何かが一つ欠けていても、今の二人はないんだなって思うと、本当に幸せな気持ちになる。
ゆうちゃんがいてうれたから進めたことが沢山あるし、ゆうちゃんのおかげで絶対に知れなかった事や思いを沢山体験できた。
これまで記念日とか、どれくらい付き合ったねとか言って、もう4年目になるけれど、記念日を忘れるくらい、一緒にいるのが当たり前になって、どれくらい一緒にいるのか分からなくなるくらい、同じ時間を過ごしたい。
ケンカもしてみたいし、ムダ遣いして怒られたいし、振り回され対し、困らせて欲しいし、何気ない事で笑い合って、一番の理解者になりたい。
ゆうちゃんは頑固だし、わがままなところもあるけど、何にでも一生懸命で、何にでも挑戦して、沢山悩んで、少しずつでも前進しようとするところがすごく愛しい。ゆうちゃんに振り回されたり、ゆうちゃんのことで悩んだりするのが、すごく大切で、かけがえのない事だ。
子供なんて要らない。結婚もしない。彼女も要らないってずっと考えていた自分を完全に変えてくれた。
毎日名前を呼び合って、飽きるくらいキスをして、ゆうちゃんを見ながら眠りについて、朝一で目に入るのはゆうちゃんで、ゆうちゃんの事を思いながら仕事をして、ただいまって言って、そんな関係になりたい。
だから、結婚してください。
「で、最近どうなん?」
3か月後、ゆうちゃん召喚。
もちろんどんには秘密な。
真崎「結婚してからしばらく経ったけど、結婚生活どうよ?」
ゆう「んーどうかなあ……」
真崎「そろそろどんさんから何かしらボロ出てへん?」
綺麗な雰囲気のままで記事を終えるほど私は心美しい人間ではなく、「新婚夫婦、幸せ絶頂の結婚お披露目会から3か月後の実態は!?」みたいな、三流週刊誌にも載らなそうなゲスで低次元な取材記事を載せたいわけです。
真崎「どんさんへの不満はある?」
ゆう「不満……うーん……」
真崎「些細な違和感も掘り起こして」
ゆう「うーん…………イベント好きでよく家に人呼ぶわりには、全然準備しないしみんなで飲んでても早い段階で寝るし、そういう時はちょっと"しっかりしてよー"って感じることもあるかもしれないです……」
真崎「その調子やで」
ゆう「あとは……」
真崎「あとは……」
ゆう「ないかなあ」
真崎「うそやん」
真崎「遠慮せんで愚痴ってええんやで」
ゆう「うーん…………あ」
ゆう「パスケースくれました」
真崎「ええ奴やな」
ゆう「あと」
真崎「おう」
ゆう「朝ごはんいつも一緒に食べるんだけど、家を出た後必ず『朝ごはん美味しかった、ありがとう』とか『昨日の夜いっしょに食べられて嬉しかった』とか送ってくれます」
真崎「素晴らしい旦那やな」
ゆうちゃんからどんさんへの愚痴は一向に出てくる気配がなかったので、こちらから変化球を投げることにした。下衆と呼んでくれ。
真崎「じゃあさ、ゆうちゃん」
ゆう「はい」
真崎「どんさんって突拍子もないこと言い出すやん?」
ゆう「はい」
真崎「もし、今日家帰ったらどんさんが急に『俺、お笑い芸人になるから明日仕事辞めるわ』って言い出したらどうする?」
どう?
これどう?
ゆう「えー、毎日面白くなりそう」
(´◉◞౪◟◉)
真崎「ええんや」
ゆう「だって楽しそうじゃないですか?」
真崎「仕事辞めてもいいの?」
ゆう「まあ私も働いているので、彼の収入がなくなってもしばらくはなんとかなると思います」
真崎「たくましいな」
ゆう「あーいいなあ。面白そうだなあ」
真崎「ゆうちゃん、私の負けやわ」
どんさん
ゆうちゃん
これからも、ずっとそんな感じでな。
真崎
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「こいつは大丈夫」と思ってくれる友人各位と「この子はどうにもならん」と諦める母について
「あんた、シェアハウス出るの?」
ばれた。
6月に沖縄へ移住することが、自ら報告する前になんらかの形で母に伝わってしまった。
私の名前でエゴサすればこのブログは即ばれる。母はただのmixi中毒でネットの世界には疎いだろうとタカをくくっていたのけど、ばれたのか。見てるのか。
母、見てるのか。
「なんで言わへんの?」
「どっかで言うつもりやったよ」
「どっかっていつ?」
「移住した後」
それは親不孝だよ真崎、と懇意にしている方から叱責されたのはゴールデンウィークの帰省時。「だって...」とへの字口な私。
1社目をクビになったこと、2社目を2か月で辞めて転職活動していたこと、横浜から池袋に引っ越したこと、3社目を辞めてフリーランスになったこと、これらすべて母には事後報告した。
事後であれば、母がなんと言おうと手遅れである。「フリーランスなんて食べていけるわけないでしょ、会社続けなさい」なんて万が一言われても「でももう会社辞めちゃったしフリーランスなっちゃったし食べていけちゃってるもん」と返せたなら「んもうアンタは」で話は終了。相手がどうしようもない現実を先につくってしまうに限る。
母に止められたら止まりかねない。
怖いもん。
でも、今回は事前にばれてしまった。
「あんた東京好きって言うてたやん」
「東京嫌いになったなんて言うてへんやん」
「じゃあなんで沖縄行くん」
「なんか行きたくなってんもん(雑)」
そして、予想通りやってきた。
「沖縄って怖いんやで」
「犯罪率すごい高いんやで」
「東京みたいに夜遅くウロウロできへんのやで」
「東京みたいにたくさん仕事ないんやで」
「食べていけるか分からへんのやで」
「今までみたいに周り友達おらへんのやで」
「今までみたいに助けてもらえへんのやで」
「台風だって多いんやで」
「あんたみたいなんが行って大丈夫なんか?」
怒涛のネガティブキャンペーン
に
プチーン
「こうなるからイヤやってんやん」
「なにがイヤなん」
「なんでいつもそうやって不安ばっかり煽るん」
「不安煽ってるんじゃないやろ」
「煽ってるやん、そんなん言われんでも大丈夫や」
「なにが大丈夫なん」
「行ってみななんも分からんやん」
「だからs「もう分かってるっt「分かってへ「分かってるや「分か「だから分かってるって言うてるやん!!!!!」
「……」
「……」
お金がなくてもこんな晴れの日にぼーっと湖眺めているだけで幸せな気持ちになれるなあ(親の金で旅行中です)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年4月30日
3月末に沖縄行きを決めてから、同居人、身近な友人知人、仕事関係者の方々、そしてSNSでもそれとなくお知らせしてきた。
反応は、大きく分けて2つ。
「めっちゃいいね。楽しんで」
「沖縄に家ができた。楽しみ」
以上。
わりとゆるい。
もちろん「家は?」「車は?」「仕事は?」と聞かれることもあり、今のところ「決まってない」「持ってない」「なんとかなる気がする」としか答えられていない。当時の有り金は5万のみ。
それでも「へーでも大丈夫だろねー」とみんな言う。そして沖縄いいねー海いいねー移住いいねーあったかいのいいねー泡盛いいねーエイサーいいねーと私のわくわくを助長してくれるような言葉を皆さま重ねてくださる。
みんなそこまでの関心を持って言葉を発しているわけではないかもしれないけど、それでも私にはその適当さも含めてありがたい。そして私自身も「まあいろいろなんとかなるだろう」と思っている。
たぶんみんな「こいつ大丈夫」と思ってくれてる。
そして私も「わたし大丈夫」と思っている。
以前は、そうじゃなかった。
「ちょっとニブちんで、自分の世界があるひとのほうがさ。香具矢の世界や、したいことにも、口を挟まないだろうし。お互いに相手に期待しすぎないというか。放任主義というか」
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年2月28日
真崎はこういう人とパートナーになった方がいいと恋愛の先輩から言われたのを思い出して馬締にときめき始めてる。
「会社、まだ辞めないほうがいいよ」
2社目の会社で心が死にそうだった頃、会社を辞めるかどうか相談した友達の多くにそう言われた。
理由はさまざま。
1社目も2か月でクビになっているのに次も2か月で辞めたらヤバイという人。最初は苦しくて当然だし2か月では仕事の楽しみも嬉しさも分からないという人。ネガティブな気持ちで辞めたら自分を嫌いになるよという人。
かくなる私が一番「今辞めたらやばい」と思っていた。
今辞めてしまったら。
こんな私を雇ってくれる会社などない。
こんな根性のない私ができる仕事などない。
こんな私は仕事を辞めたらもう食っていけない。
こんな私は社会に居場所などない。
こんな私はとりあえず将来めっちゃやばい。
本当にそう思い込んでいて、「不安」をモチベーションに仕事を続けていた。社会的な死をなにより恐れた。心が死ぬことよりも社会的に死ぬほうが怖かった。
(中略)
あれからいろいろあって、座右の銘が「意外となんとかなる」になった。
会社は結局ネガティブな状態で辞めた。でもその後「なんとかせねば」ともがく私と「なんとかしてやろう」と手を差し伸べてくださる各種皆様とのマッチングに次ぐマッチングにより、その後いろんなことが多分なんとかなった私は「いろんなことは意外となんとかなるのかもなあ」と思うようになった。
もしなんとかならない由々しき事態が起きたらどうなるか考えたけど、そのときは座右の銘が「意外となんとかならないかもしれない」に変わるくらいしか思いつかなかった。とりあえず何か起きたときに考えようと思った。
そして、不思議なことが起きた。
3社目の会社を辞めること、フリーになること、朝キャバをやること、ライターの仕事を減らしたこと、突然沖縄に行くと言い出したこと。
それらすべてに、「やめときなよ」と言う人が誰もいなくなった。
いいじゃん、面白そう、やってみなよ、真崎がそう思うならそうだよ、どうにかなるよ、どうにでもなるよ。
そんな言葉しか返ってこなくなった。
私が「不安」をモチベーションにしているとき、周りは私に不安をあおった。
私が「不安」じゃなくなったとき、周りは途端に不安をあおらなくなった。
かつての私の心情であれば、たぶん周りは沖縄行きを止めたかもしれないし、私も不安で足を止めたかもしれないなあと思う。
良いのか悪いのか、私も周りも、だれも特に私のことを心配していない感じがして、それがとてもラクで嬉しくて、なんともありがたいなあと思った。
猿まわしに見惚れてたら両親とはぐれるハプニング(26歳)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年5月1日
「……」
「……」
「行くなら行くって、ちゃんと報告しなさい」
「ん、ごめん」
「いつ行くん」
「6月」
「もうすぐやん」
「もうすぐねん」
「アンタはほんま」
「私が沖縄住んだらいつでも遊びに来れるやん」
「……」
「……」
「……お母さん、あそこ行きたいわ」
「どこ」
「美ら海水族館」
「任せろ」
母との関係性は、すこぶる良好、だと思う。
これでも、母は不安を煽らなくなったほう。昔は私の考えが変わるまで怒鳴ることだってしばしばあった。今回のような会話は新しいことを始める際の儀式みたいなものだと思っている。
友人たちから感じる「こいつは大丈夫」とはまた別の、「この子はもうどうもならんねやろな」みたいな、信用よりも諦めに近いなにか。
お母さんが口うるさいのは諦めるから、私が将来も考えず好き勝手ふらふらするのも諦めてね。
友人との関係性とは違って、親子の間にある信頼関係って、諦めに似ているのかもなあと思った。
真崎
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