「こころ平穏に生きていく」には汗と涙と部活が必要
肩こりが、改善した。
いやいやいやいや。
まてまてまてまて。
まじかー!
そうきたかー!
もう肩こりが治るのとか諦めてた。高校の吹奏楽時代に発症してからもう丸12年目のお付き合い。クラリネットってめっちゃ肩こるんだって。
いまの仕事もパソコン作業だしFカップだし他人の目に対して神経質なの身体に出るし巨乳だし肩こりから逃れられる日がくるなんて思ってなかったからビックリしたよ。あとセブ行く前に下着買いに行ったら「もうすぐGですね」って言われたよ。その時は爆乳を名乗る。
「このまま朝が来なかったらいいのに」っていう定番メンヘラナイトがここ数か月ほど来ないので精神的にだいぶ健康的になってきた感ある
— 真崎 (@masaki_desuyo_) 2017年1月9日
最後のメンヘラナイトがいつだったか思い出せないけど、たぶん去年の春、沖縄移住を決める前後あたりはまだまだヘラってた。メニエール病もどき(脱水症状だった疑惑が濃厚)こじらせてた辺りは「もう1秒たりとも何かを頑張りたくない」みたいな精神状態だった。
去年のわたしは、頑張っていた。
他人様の努力に比べりゃなにを?って感じだけど、わたしは頑張っていた。立派なライターになるために頑張ろう頑張ろう頑張ろうとがむしゃらに仕事をしていた。そしていろいろ省略して最終的には「ただこころ平穏に生きていきたい」に願望がシフトした。
ロクな計画もなくこの半年ほどふらふらやってきたけど、いろんな縁と人の厚意によって結果的にいま肩こりが解消して「このまま朝が来なければいいのに」と思う夜も来なくて漠然とした”何か”に怯えることなく飄々と生きてるってことは、人生の路線チェンジはひとまず成功中ってことでいいと思う。
本題。
しんどく生きていきたくないのでしんどく生きていかないための思考整理と対策をした。わたしはこころ平穏に生きるぞ。
— 真崎 (@masaki_desuyo_) 2016年12月27日
「もったいない」
「平穏とか言いだすには早い」
「若いうちに頑張ったほうがいい」
「もっと東京で経験を積んだほうがいい」
「いろんな人と出会って視野を広げたほうがいい」
移住前からちょこちょこと発信してきた「こころ平穏に生きていきたい(だから沖縄へ行く、だから仕事は無理せず減らす)」に対して、ときどきこういったレスポンスをいただく。
たぶん「こころ平穏に生きていきたい」という言葉の響きは「刺激の少ない環境と安全な人間関係の中で無理せず粛々と隠居生活したい」に近い願望を連想させているのではと思った。違ったらすいません。
でも、だとしたら、それはNO。
理由の代わりに部活の話をする。
SKET DANCE スケット・ダンス コミック 全32巻完結セット (ジャンプコミックス)(コミックセット)
- 作者: 篠原健太
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/08/02
- メディア: コミック
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上記、私がここ1年で大人買いした漫画。
いま私のこころをいちばん揺さぶる存在は「部活に熱中する高校生」である。
もちろん漫画なのでフィクションだが、青空エールにおいては「初心者で吹奏楽部に入って経験者たちの中で奮闘するも2年生でひとりだけコンクールメンバー落ちして号泣」まで状況が被っている(しかし漫画と違って号泣時に胸を貸してくれる野球部のエースは不在)ため、完読までに5リットルは泣いた。
今は、とてもいい精神状態。
毎日楽しいなと思えて、悩みもない。
仕事も楽しく、気持ちよく活動できている。
でも、圧倒的に、足りない。
私は元来、超スポ根気質なのだ。
「人生で一番充実していた時は?」
「それが”今”だと胸を張って答えられるか?」
自己啓発大好きな人たちに教えてもらったこの言葉を借りるなら、私の人生で一番充実していた時は
・中学のソフトテニス部時代
・高校の吹奏楽部時代
・大学のバレーボールサークル時代
・同じく大学の教育NPO時代
ダサく潔く、秒でこの4つの時期だと答える。
残念ながら今ではない。
今の日々を気に入ってはいる。
でも、目の前のボールや仲間や生徒と夢中で向き合って泣いて笑って感情ヨリドリミドリな毎日を過ごしていた、あの頃の「熱中する」という感覚を、今のわたしは持っていない。
もちろん部活は、楽しいことだけではない。
つらい練習もあったし仲間とも幾度となく言い争った。それこそ仕事と同じで「辞めたい」と漏らしたことも1度や2度ではない。
そう、つらかった。
めちゃくちゃしんどかった。
「もっと頑張ったほうがいい」
「いろいろ経験を積んだほうがいい」
善意で大きなお世話であるこれらの言葉通り、めっちゃ頑張って、いろんな経験を積んだ。
その結果、「優勝」や「入賞」などの成果、仲間と分かち合う感動、スキル面メンタル面での成長を得ることができた。
じゃあこの経験を仕事にも置き換えて。
去年の今頃、東京にいた頃のように。
つらくても頑張って、いろんな経験を積んで。
その先にある成果や感動をつかもう。
という話には、ならない。
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"目標を成し遂げるためには、やらなければならない事がいくつか出てくるね。それは大抵とても骨の折れることで、人はそれを努力と呼ぶ。"
”多くの人はここで辞めちゃう訳だな。壁が高すぎた、この道は自分に合ってなかったんだって。”
”私は、それでいいと思う。だって努力は苦しいじゃないか。それは皆同じだ。”
”問題なのは、イヤだと感じるかどうか。”
”夢への努力をイヤだなとか面倒だなとか感じたならば、もしかしたらその夢はそれほどやりたいことじゃないのかもしれない。だったらやめたっていいじゃないか。”
”キミは心の底から飛びたいと思っている。そういう人にだけピッタリの言葉があるよ。”
”努力を続けていれば、夢は叶う”
(SKET DANCE29巻、竹内先生から航空部の飛鳥への言葉)
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部活は、つらいけど嫌じゃなかった。
ボールを打つのは楽しかったし、楽器を吹くのも楽しかったし、とにかく上手くなりたかったし、試合でも勝ち続けたかったし、優勝しまくりたかった。
未来を見据えて努力を重ねる、その”今”自体が楽しくて仕方なかった。とても刺激的で、ただただ夢中だった。
”今、イヤなこと”を頑張るのは「熱中」ではない。
将来への不安、つまるところ金と社会的評価への不安を動機に自分をだましだまし、なんなら「わたしは熱中している」と言い聞かせながら仕事をしてきた反動はどこかでくる。
会社を辞める前と沖縄移住前、私にはもうきた。
”今”を犠牲にした将来に執着する価値はない。
部活をしていた頃は「こころが平穏云々」などと考えるヒマもないほど”今”に夢中だった。その状態こそまさに「こころが平穏」だったのではと思っている。だってあの頃、毎日こころが沸き立って喜んでいたの、今になって分かるもの。
だから、ここで、話を戻す。
私は、こころ平穏に生きていきたい。
つまり私は、猛烈に「今に熱中」しながら生きていきたい。
中高大学時代のアツくて青臭いあの青春を、アラサーなこのタイミングで遠慮なく再現したい。何かに打ち込んで目標もって頑張って、できれば仲間と泣いたり笑ったり感動を分かち合うみたいなことを超したい。
その”何か”は仕事だったり会社だったりスポーツだったり人それぞれ違う。
不定期でやってくる「あれもしたいこれもしたいもっとしたいもっともっとしたい」なブルーハーツ月間に突入してる
— 真崎 (@masaki_desuyo_) 2017年1月17日
わたしの「熱中できそうなことリスト」は増える。
スポーツに仕事にその他活動に、「ここに第2の青春かけてみたいな」と思えるものがたくさん浮かび上がる。
今もウズウズしている。帰国したらすぐ動く。
本当の意味で「こころ平穏に生きていく」ために、今年は「若いうちに頑張って」「いろんな経験を積む」を、全力で楽しく実施していく所存です。
真崎
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ひとりじゃ人生つまんない
メリクリ2016。
まさか今年のクリスマスをセブ島で過ごしているなんて、去年のクリスマスに女の先輩と渋谷でラーメン食べて解散したのち浮かれた誰かの吐瀉物踏んでた1年前の自分が聞いたら生きる希望になると思う。
ほんとは今晩セブ発台北経由25日沖縄着の航空券を取っていたんだけど潔く破棄。年末に1件東京で仕事を入れたので26日に直行便で成田着、ワーカホリックに今年を終えましょうね。
いまは現地時間のPM7時。
セブの日本人女性カメラマン宅でそれぞれ仕事してる。ふたり少し離れた空間で黙々とパソコン作業。締め切り原稿1つクリアしたのでご褒美ブログ執筆なう。
クリスチャンが9割のセブにおいて、クリスマスは家族でお祝いする行事。クリスマスキャロルが流れる頃には君と僕の答えもきっと出ている日本のソレとは全然雰囲気が違うやつ。
「リゾート地のセブに行くなら現地のすげーリア充っぽいクリスマス事情を記事にしましょうよ」なんて話を渡航前に担当編集さんとお話したりしてたけど、もうね、それ俄然ジャパン案件。
タイトルの話になるよ。
沖縄移住や長期セブ滞在を気分でふらりとこなせるのは独身彼氏なしのフリーダム非リアが成せる技。
一人でふらふらして内省する時間なんかほんと大好きだしこれからも積極的に確保していきたい次第ですけど、だがしかしそんなものは「好きな人たちといっしょにいる日常の土台」ありきでいいんです。
「ひとりじゃ人生つまんない」
なんでそれが今年の気付きかって、2014年11月からぬくぬく寄生していた池袋のシェアハウスを抜けて沖縄移住したのが2016年6月だから。
大学時代からの友人たちと過ごしたシェアハウス。居心地の良さはそれはもうそれはもうそれはもうだったわけで「ここに住んでたら寂しい気持ちもなくて恋人いなくてもいいかな~って気持ちになるよね」なんてゴロゴロしながら話した当時は本当に住人全員フリー素材。
家にいる誰かと一緒にご飯を食べてテレビを見て筋トレして真面目に語り合って悩みがあればお互い聞き合う。ひとりの時間が欲しければ自室にこもる。あれはいま考えると絶妙なバランスで欲求充足できる暮らしだった。端的に言って最高でした。
で、沖縄移住後さびしくて病んだ。
移住3週間目に入居が決まったのは宜野湾市のシェアハウス。3LDKのマンションにはすでに男性ふたりが入居中、そこに私も加わった。
池袋時代と同じく名目はシェアハウスなんだけど、感覚的には1人暮らし×3。家に帰ればそれぞれ自室にこもるので「誰かと一緒に生活している」という感覚は薄かった。
当初は外でもあまり友達がいなかったので余計にどんどん沈んでいった。そこからあくせく行動して素敵な友達がたくさんできて楽しくなった沖縄生活。
「あ、でも、これまだ違う」
そう思い始めたのがいつだったかは忘れた。
外の生活が楽しくても、家に帰ればひとり。ひとりの時間は好きだけど、思い出すのは池袋シェアハウス。家にはいつも心許せる誰かがいて「人といたければいる」「一人でいたければ自室にこもる」を選択できた。寂しがりやの私が選ぶのは圧倒的に前者が多い。
そうそうコレコレこの感覚。
これが私の生きる道。パフィー
最終的に死ぬときはみんな独りダーみたいな小難しい話は置いといて、やっぱり私の人生っつーか日常のベースには好きな誰かがいてほしい。「この人と一緒にいたいな~」って思える人と一緒にいる生活をしたい。ひとりで過ごす気楽さや自由さはたまらないけど、誰かと過ごす生活だって酸いも甘いも楽しいじゃんね。「そんな甘いもんじゃねえよ」ってんならそれすら味わいたいですなうなう。
とにかくどっかでそんなことを思い始めた矢先にシェアハウスの家主から「年末か年明けにこの家引っ越します~」なんて言われたもんだからおったまげ。「でもこれはいいタイミングだな」と思ったわけです。
すでに私の中で「一人暮らし」の選択肢は消滅済み。あるのは「別の楽しげなシェアハウス」もしくは「パートナーと同棲」だけで、まずは前者で様子を見つつ積極的に後者の環境にうつるための行動あるのみダーなんて思ってたら中期セブ島お仕事案件がきて現状コレです。
私の半径5000メートル以内には「誰かの深層心理を掘りたいカウンセリング厨」みたいな人もいっぱいいて「真崎さんは本当にパートナーほしい・作りたいと思っているの?」「本当は男の人に対してすごく抵抗感があるんじゃないの?」「どう?どう?ん?」と問われてはなんかイラッとする!なんてやり取りも幾度となくあり、そのたびに一応ちゃんと自分の心と向き合ってみるわけです。
で、これまでの話を踏まえた私の結論は
「ほしい!作りたい!抵抗ない!」
の、(脱)非リア三原則。
年齢的・精神的な焦燥感とかは特にないので「今すぐとにかく誰かを捕まえて悪魔の契約結びたい」みたいなことは一切なく、好きな誰かといっしょにいることで人生もっと楽しくなる予感しかないからその方向性でトライしたいやつ。シェアハウスもいいけどわたしは誰かと家族になりたいよ。焦ってもいいことないけど、今から自分でできる行動は積極的にしましょうね。
そんな決意のブログをクリスマスイブにぼっちで綴ってるあたり矛盾。つらくなんかない。泣いてるはずもない。
明日のクリスマス当日もお仕事がんばるね。
皆さまメリーメリークリスマス。
真崎
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お母さん、お父さん、沖縄のお友達を紹介しますね。
拝啓 お母さん お父さん
娘です。
ふたり向けのタイトルをつけつつ「子どもの個人ブログは親が侵してはならない領域です」と内心警笛を鳴らしながらこのブログを綴ります。
とはいえ、母にTwitterアカウントがばれ監視が始まりネットに疎い父まで私の名前でエゴサしていると聞いた日からもう全て手遅れ。せめて少しの後ろめたさでも感じながら読んでもらえると幸いです。
お元気ですか。私は元気です。
沖縄に移住してから半年が経ちました。
なんなら今はセブにいます。
先日ちょっと嬉しいことがありました。
今回はその報告になります。
以前、沖縄移住をテーマにエッセイを書きました。
初めての連載。
初めてのNewsPicksピックアップ。
憧れの作家から「めっちゃおもろい」のリコメンド。
とても嬉しく思い出深いこちらの記事、約1万字の力作をカンタンに要約すると「友達ほしい」の5文字になります。
友達だらけの東京から縁もゆかりも皆無の沖縄に移住して、最初の1カ月半はわりと病んでいました。理由はあんまり人と会ってなかったからです。
キレイな海に美味しいご飯、暖かい気候にオシャレなカフェなどいろいろひとりで堪能するも、圧倒的に何かが欠けた毎日。
「あ、これ友達ほしいやつや」
そう気付いた7月後半から、積極的に人と会いイベントに参加し「沖縄で友達少なくて寂しいので積極的にかまってください」と恥を忍んで各所で言い回りました。
たくさんの優しい方々にホクホクかまってもらいました。たくさんの優しい方々のおかげで沖縄生活が楽しくなりました。
どんな方々か、と聞かれたら
たとえばこんな方々です。
セブ島上陸前の11月下旬。
私が個人的に大好きな皆さんをお誘いして、ハマヒガ島のオシャレ施設でお泊りBBQを開催しました。
今回は当日レポとして「こんな皆さんといっしょに沖縄生活をぬくぬく楽しんでいるよ」とお友達と戯れる誰得記事をお届けするつもりです。だって嬉しかったんだ。両親含めてまだ離脱しないでください。
会場はハマヒガ島のオシャヴィラです
今回お借りしたのはこちら。
こちらを初めて利用したのは、東京から女友達が沖縄旅行にきたときでした。アラサー女のリアルな旅行模様とともに、ヴィラもしっかりご紹介しています。
つまり最高な感じです。
今回のメンバーを紹介しますね
こちらは、通称「みなみの家」ご夫妻。
旦那さんが通称「みなみのヒゲ」さんで、奥さんが通称「ピノ子」さんです。
おふたりが運営する「沖縄移住ライフハック」というメディアは移住前から読ませてもらっており、1度仕事でお会いして以来すっかり大好きになりました。
どのくらい大好きかと言えば「私の結婚願望を500倍にしたご夫婦3選」という自分でもタイトルが気持ち悪すぎて半永久下書き保存中のブログ記事において堂々の第1選目に書かせてもらったくらいのガチなやつ。私のあこがれど真ん中なご夫婦です。
(フォトウェディングを業者に頼まず、自分たちでやってみた | 沖縄移住ライフハックより引用)
↑
これやりたい。
今回のBBQ企画も、私が「みなみの家ご夫妻が好きすぎて遊びたすぎるので何かしましょう」とウズウズしながらお声かけしたのが発端でした。怖くたって傷ついたって好きな人には好きと伝えるAqua Timez世代です。
みなみの家ご夫妻に対する一方的な好意を語りだしたら余裕でブログ1本分にはなるので泣く泣く割愛します。しかし好き。
写真左奥の、フリーライター・クダカさん。
手前の女は地縛霊なので無視してください。
泡盛が大好きで「泡盛マイスター」という資格を持ち各所で泡盛やお酒の記事を書かれている泡盛ガチ勢。沖縄ブロガーイベントでお会いして「泡盛の美味しい飲み方を教えてください」と一度いっしょに飲ませてもらった仲です。
こちらはクダカさん手作りの泡盛サングリア。
ピンク色でフルーツたっぷり、女心を盛大にくすぐるこちらのお酒はみんなにひと通りきゃあきゃあ騒がれたのち「おしゃグリア」と命名されました。
このように、美味しい泡盛と飲み方の布教活動に余念がないクダカさん。沖縄の飲み会には必ずひとりいてほしいタイプの泡盛お姉さんです。
こちらは、ショウさん。
沖縄ブログ(個人的)御三家のひとつ「OKINOTE」の管理人をしているお兄さんです。
普段はをアイコンにされていて、実物のショウさんを見られる機会はわりとレア。実物を見れば見るほどスピッツの草野マサムネさん、要はとってもさわやかお兄さんです。
今回の写真もほとんどショウさんプレゼンツ。
機材も本格的で写真へのこだわりがハンパない方です。カメラマンとしてイベントや取材で撮影することも多く、1度の撮影で取られる写真は1000枚にものぼるとのこと。
「今回もショウさんがいて下さって助かります」とお伝えすると「ああ、撮影要員ですよね^^」とさわやかに卑屈なことを言う感じも個人的には大好きです。
マサムネさんの右隣、かわきたさん。
動画をつくっているお兄さんです。
この日も遅くまで会社でお仕事されていましたが、主に私とヒゲさんによる「午前3時になってもいいのでぜひ来てください」という思いやりゼロの人権無視コールに応じてくれたので感謝と懺悔しかありません。
共通の知り合いからかわきたさんの存在を教えてもらい、Facebookを見せてもらったら目に入ったのがこちらの絵。
見た瞬間ハワワとなってしまい「とりあえずこの人に会わせてください」と知人に詰め寄ったのはずいぶん前、数か月後に偶然ご一緒する機会があって繋がりました。
触発されて私もノートに絵を描いては「どうすれば人間の関節がこの角度に曲がるんだろう」と絶望しています。
自分にないものを持っている人はもれなくリスペクト。かわきたさんの動画や絵を拝見してはスゴー!スゴー!と語彙力低めな感想が漏れ出しています。
最後は、ちゅーこ。
大学時代に大阪で知り合った友達で、私より1年ほど先に沖縄移住しています。昔から美容に気を使っていたちゅーこ、いまは「飲む化粧品 天然青パパイヤドリンク」を売る会社で働いています。
彼女こそ私が沖縄移住するきっかけになった張本人。私が仕事で死んでいた今年2月のタイミングで2年半ぶりに突然連絡をよこして「沖縄住もかな」「ええやん真崎に沖縄合ってんで」とたぶらかした女です。
秘部全開なおっさん犬の写真をよく送り付けてきます。
当初病みつつも私が沖縄で生存してこられたのは8割方ちゅーこのおかげ。人生と暮らしに抜け漏れの多すぎる私の世話を縁の下で焼き続けてくれている、この世で一番「現地妻」という言葉が似合いそうな愛しの友人です。なお和歌山産の元ギャル。
もちろん沖縄でお世話になっている方はもっとたくさんいますが、今回はこんな(個人的にウルトラ豪華な)メンバーでお送りしますね。
なおここまでで既に2581字。
執筆開始から2時間。
私の大好きな皆さんの紹介を終えて、半ばやりきった感もあるので
当日の様子はサクッと軽めにお送りしますね
人生は有限。
トリップショットヴィラズ・ハマヒガではBBQセットと鍋セット(焼き台や土鍋だけでなく各種食器・調味料・種類豊富なお鍋など)をお借りすることができるので、まずは食材だけがっつり買い出し。
2万円超えの食材とお酒を買い込み「これ大丈夫?買いすぎじゃない?食べ切れる?飲み切れる?」と心配の声があがります。
だいじょうぶ。余裕でした。
精力的にお肉を焼いてくれるヒゲさん。
精力的にお鍋をしこむちゅーこ。
精力的におつまみやおしゃグリアをしこむクダカさんとピノ子さん。
精力的に撮影を進めるショウさん。
精力的に動く皆さんのおかげで準備はサクサク進み、到着から30分で
乾杯!(私の貢献度ゼロ)
ホテルのオシャテラスで、波音と波風が最高のオプション。オリオンビール片手にみんなで肉をつついて洋楽に体を揺らすひと時は、もう幸福感みちみちでした。
おしゃグリアに焦点をあてて後ろをぼかせば私でもギリおしゃ感出るの、ショウさん天才。クダカさん、泡盛をピンクにしてくれてありがとう。
BBQが終わったら、室内に入って第2ラウンド。
BBQのシメが鍋って斬新。
ただ意外とイケるもので、そろそろほろ酔いな面々でノンストップにがっつきました。
「誰がエビとカニ食べる?」
もちろんフェアにじゃんけん。
私はBBQで2個しかない貴重な巨大ホタテを盗み食いした罪でじゃんけんに入れてもらえませんでした。仁義なさ。
確かピノ子さんが勝った気がしますが、酔ってたので記憶は曖昧。
ホテルの窓際にはマッサージチェア。
いいポジション。
すっかり酔っ払いのヒゲさんがおもむろに着席、ゆるりとマッサージを堪能し始めたので
足つぼ。
イラストが余裕の表情でサイコパス感出てるけど、その裏ではわりと阿修羅っぽい顔になっています。
このあと、おしゃグリアのクダカさんもマッサージ。血行をよくするツボを盛大に押しました。
普段は二日酔いにならないらしいクダカさん。翌日の朝、頭を抱えながら「絶対あのマッサージでアルコール回った」と苦悶の表情。ごめんなさい。
夜0時に到着したかわきたさんにも、来てくださったお礼にマッサージ。
「鉄かな? この肩甲骨は鉄かな?」ってくらいのコリ具合。患部に肘をあてて【ピー】キロの全体重をかけても「スイマセン、効かないみたいです…」とのこと。
おっけー、私の手には負えない(投了)
こういう時、下心丸出しのおじさんたちをあしらいながら健全にオイルマッサージするバイトを学生時代にやってきて良かったなと心から感じます。
お母さんから「お願いだから辞めてくれ」と日々説得されたあの頃が懐かしい。
そんな感じで、夜は更け
迎えた朝は
盛大な二日酔い。
門にもたれながら「無理、吐く」とうめく図です。
大量に買ったお酒もおしゃグリアも全部消費し切ったので当然といえば当然。私はもちろん、皆さまハマヒガの朝に合わないグロッキーな表情をされていました。
そんな中、淡々と朝ハマヒガ写真を撮影するショウさん。そのプロ意識に感動通り越して「ほんとに人間?」ってなりました。
せっかくオシャレなホテルでおしゃグリアを飲みながらオシャっぽい企画をやったので、最後にオシャな写真でも撮ろうってことで、こちら。
もうね、これすっげー無理した。
オレンジデイズかなってくらい爽やかな写真の裏で、ものすごい頭痛・吐き気と戦ってた。
長くなりました。(4028文字)
そんな感じで、沖縄の各種皆さまと楽しい日々を過ごしています。
お母さんお父さんに沖縄生活の一端を知ってもらって「ああ、とりあえずいい人に囲まれて楽しく暮らしているんだな」と思ってもらえたら幸いです。
とりあえず、わたしは沖縄で元気にやってます。
とはいえ今はセブです。
真崎(娘)
セブ島南部、海の上で暮らす「バジャウ族」の子どもたちが可愛すぎて悶えた。
「今日バジャウ族が住む村に行くんです。来ます?」
セブ島に住む日本人のフリーカメラマン女性・まゆゆにそう誘われたのは、セブ島到着から1時間後。
午前6時の会話でわたしの意識は朦朧としていたのだけど、彼女のお誘いで一気に覚醒した。
到着早々、セブ島の民族と交流できるなんて。
「行きます」
当然。
「で、バジャウ族って?」
しかし無知。
「セブ島の日本人レポーターといっしょに『セブスタチャンネル』っていう番組配信をしているんです。この番組で、バジャウ族と一緒に生活する日本人青年の取材を以前させてもらって」
と、上記の動画を見せてもらった。
この動画を見て分かったのは
・バジャウ族は海の上に家を建てて暮らしている
・海にもぐって魚や海藻などの食糧を採って食べる
・そこで生活する「ヒロム君」という日本人がいる
・村には子どもがいっぱいいる
・かわいい
です。(小並感)
せっかくなので村に行く前に予習をしておこうと「バジャウ族」でググると、1番目に出てきたのが「ヒロム君」のはてなブログだった。
このブログを読んで、バジャウ族について知ったことをさっくりまとめると
・マンバリンという地域の海沿いに家を建てて住む部族
・「無国籍の漂流民」と呼ばれている
・現地人でも「バジャウ族」と関わる人は少ない
・というか、関わることを避けている
俺がバジャウ族と一緒にいるって事をフィリピン人に話すと
『マジで!?あんなやつらと一緒に寝てんの?やめとけよ、、、』
『あいつらは汚いし臭いし仕事もしないで物乞いばかりしている』
『ドラッグ中毒のやついっぱいいるし、物盗むやつもいっぱいいるしあいつらのことは信じるな』
など、あることないことネガティブな事ばっかり言われ俺までバカにされる事も少なくない。
(【驚愕】松田大夢がセブ島で一緒に生活してる『リアル半魚人バジャウ族』って何!? セブ島のバジャウ族のその実態とは - 🌏松田大夢のクソバカ地球滞在記🌏 より引用)
「バジャウ族の住む場所は、セブ島でもディープ中のディープなところです。海外からセブ島にきて5時間後にバジャウ族の村に行った人は、たぶん真崎さんが初めてだと思います」
トライシクルという人力チャリタクシーに乗ってガタゴトと揺られながら、まゆゆが話す。初めてかもだって。照れるね。///
突如出現、プリケツ全裸ボーイ。
「子どもが多いですね」
マンバリンの町を走りながら聞く。
「性の知識や避妊・中絶などの技術が浸透していないですからね。性行して子どもができたら産む。1家族の子どもの人数も多いですし、平均寿命も65歳くらいなので、セブの平均年齢って20いくつかなんですよ」
「若っ」
そんな話をしているうちに、トライシクルが止まる。
「着きました」
着いた。
バジャウ族の住む、海の上の村。
子どもたちがたくさんいた。
みんな興味津々な顔でこちらを見ている。来る途中でガンガン物を売ろうとしてくる女の子に出会って戸惑ったこともあり、どんな風に関わったらいいかなと考える。
すると、ひとりの女の子が手をふってきた。
反射的にニッコリ笑って手をふり返した。
超うれしそうに照れた笑顔を見せてくれた。
連れ帰っていいかな。
「What's your name?」
かわいらしいハイトーンの声で聴かれた。
「I'm Mutsumi」
「ム?」
「Mu tsu mi」
「ム チュ ミ」
「Mutsumi」
「ムチュミ」
連れ帰っていいかな(2回目)
左の金髪ボーイがヒロム君。21歳。
この日は村にあるヒロム君の家でカレーを作ってみんなで食べる予定だったので、さっそくお宅訪問のはこびになったのだけど。
「この板のうえを渡って行きますよ」
おうふ。
高所恐怖症&平衡感覚のわるいワテ。しかも板は場所によってガタガタ揺れる。なんなら「たまに抜けたり折れたりします」らしいから神様ご加護をください。
板の橋、下からの高さはたぶん2mくらい。怖すぎ。
下には海。でも、水は黒い。
都市開発の影響でゴミがたくさん流れてくるようになったらしい。10数年前までは澄んでいた海が真っ黒になってしまったそうで、悪臭もする。
親切なバジャウ族ボーイの手をがっしり掴みながら、震える足で歩を進める。そしてたどり着いたヒロム君のおうち。
激オシャ。
ヒロム君のセンスよ。
家には、ヒロム君の親友・デンジくん(26)と、妻と子どもたちがいた。
いちばん仲良くなったのは、ジュマイリン。
まゆゆたちが取材をしている間、ボーっと座っていたわたしに話しかけてくれた。言葉は理解できなかったけど、ずっと鼻のひだり横をツンツンしている。
あ。
同じところにホクロがあるね。
「おー!セイムセイム!」とわたしも鼻のひだり横をツンツンする。すると恥ずかしそうに妹のほうを向いて笑っている。なんなのみんな。かわいすぎかよ。連れ帰っ(以下略)
右の女の子はカイラ。ジュマイリンの妹。
ふたりで手を出しながら私に向かって「イーチ、ニーイ、サンシーゴ!イーチ、ニーイ、サンシーゴ!」と1から5までの歌を嬉しそうにうたってくれた。
せっかくなので私から「ローク、ナーナー、ハチキュージュウウウウ!!!」と続きを教えておいた。10のテンションはちょっと情緒不安定ぎみに。子どもたちが素直に「ジュウウウウ!!!」ってやる姿を見てこころが痛んだよね。
バジャウ族の子どもたちはとってもキュート。カメラを向けるとみんなすぐにポーズをとってくれるの。
はあああああん (深めの吐息)
わたしは沖縄のコザで子どもと関わるボランティアをしているのだけど、そこで出会う子どもたちは最初にもっと警戒心を見せてくる。
「目の前のおとなは誰だろう。興味はある。でもどう話しかけよう。話しても大丈夫なひとかな。どう関わったらいいかな」
そんな声が聞こえてきそうな様子で、なじみのあるスタッフに「ねえ、この人だれ?」と聞く。こちらから話しかけると俯いて返事の歯切れが悪くなる。1日かけて関わったら、ようやく警戒心をちょっとといて次から話しやすくなる。
バジャウ族の子どもたちは、最初からガンガン絡んでくる。
名前を聞いて、歌をうたってきて、遊びに誘ってくれて、ハグや抱っこを求めてくる。何をするときもすごく嬉しそうで楽しそう。
子どもがたくさんいる場所には活気がある。
無邪気な子どもたちには、人のこころを元気にしてくれるパワーがある。
貧困や差別。きっと問題もたくさんあるかもしれないけど、少なくとも昨日わたしが見たバジャウ族の村は明るい声と笑顔がたくさんあった。
もれなくオッサンも笑顔。
言葉は分からずともわたしに「これココナッツワイン。飲もうよ。もはやイッキしようよ」って言ってるのは分かった。4杯イッキした。
お祝いの日なので昼間からのお酒も無礼講ってわけな。おっけー(たぶん違う)
新郎新婦の顔があまりにも強張ってて微笑すら見せないので「なんなの。望まれない結婚なの。愛なき政略結婚なの」などまゆゆといろいろ勘ぐってしまった。
違った。ごめんなさい。
「新婦は結婚式で笑顔を見せてはいけない。これがバジャウ族の掟なんです」とヒロム君が教えてくれる。誰得のオキテー!と思ってしまったけど、そういうもんなんだね。とりあえずちょっと安心した。
そんな感じで、バジャウ族との時間は終了。
楽しかったな。
また行きたいな。また子どもたちと遊んだりオッサンとココナッツワインのイッキしたりしたいな。
満たされた気分で、帰りもトライシクルに揺られる。
そして、ふと振り返る。
ついてくるプリケツ全裸ボーイ。
またね。
あと10年後には隠そうね、その陰部。
真崎
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Twitterやってます。
よかったら見てってください。
LINEブログやってます。
はてなブログより更新頻度高め。
お仕事(ライティング)の依頼やブログ感想
私に絡んで下さる方向け
日本を出て8時間、台北でとりあえずタピオカ吸ってる。
台北なう。
桃園国際空港に到着したのは現地時間の午前10時。台北で乗り継ぎを行いセブ島を目指す。次のフライト時間は午前1時55分。待機時間は15時間55分。7000円をケチって自分の首しめてる。
で
とりあえず、さっきまでタピオカ吸ってた。
ランチには台湾料理の牛肉麺をチョイス。ドリンクには半額になっていたタピオカミルクティ。普段なかなか注文しないタピオカ系飲料、何も考えず飲んでいたら最後にゴロゴロがたくさん残ってしまった。
仕方ないから1個ずつ吸い出す。各ゴロにピンポイントでストローを当ててズッ!と吸うとズコッ!とすごい勢いでタピオカが口にとんでくる。楽しい。ズッ!ズコッ!ズッ!ズコッ!を20ターンくらい繰り返した結果無事に全て吸引完了。歓喜に満ちながらトイレに駆け込んだ。牛肉麺とタピオカミルクティの相性。
「セブ島記事楽しみにしています」
そんな嬉しいメッセージをたくさんもらった。あざますあざます。ありがたすぎてまだセブ島着いてないのにブログ書いてるよね。
でも、聞いて。
ここに到着するまで、すでにいろいろあったんだ。
ブログ記事に昇華する以外にこのやる瀬なさを鎮魂する術が見つからない。1つずつ回想してみましょうね。
1. いきなり1.5kg分の荷物を破棄
ピーチなめてたー。
だってジェットスターだったらいつもそんなに厳しく荷物の重量チェックされないんだもん。
保安検査場の入場前、ピーチのお兄さんに止められて荷物を測りに乗せる。総重量11.5kg。
「10kg以上だと機内持ち込みはできません」
おっけー。じゃあ観念して預けましょうね。
なんて余裕ぶっこいてたら手荷物預けるコーナーで「当日の手荷物預かり料金は、クレカのお支払い以外受け付けられません」とお姉さん。あはっ。ウケる。クレカとか持ってないから。
クレカとか持ってないから!涙
絶望的な気持ちでキャリーケースを開ける。引っ越しの際に「いるもの or いらないもの」のトキメキお片付けを実践した結果、このカバンに入っているのは私のこころトキめかす精鋭物資たち。なにが悲しくてこのトキメキを手放さないといけないの。
オヨヨヨヨと半泣きで1.5kg分の愛しいアイテムたちとサヨナラした。なんとか重量チェッククリア。
2. お気に入りスキンケアを破棄
ピーチなめてたー。(2回目)
だってジェットスターの荷物チェックで引っかかったことなかったんだもん。
例の荷物チェックベルトコンベアに乗せられて2回チェック。そして「カバンの中を見せてもらっていいですか?」オーケー何もやましいものはないよ。液体類は全部ジップロックに入れているよ。
「この容器、100mlを超えているので持ち込めません」
ダメだったー。
容器は120mlとかだし中身はもう半分くらいだし大丈夫かなーなんて思ってたらもう容赦なく撤収。いやそりゃ当たり前。ピーチさんが当たり前の仕事してるだけ。悪いのは全部あっしです。浅はかで愚かな自分を死海に浮かべたい。
お気に入りの洗顔料・化粧水・乳液がいきなりなくなった。どうなるの私のセブ島スキンケア事情。
3. みんな、その紙なんなの?
なんとか無事に台北到着。
とりあえず入国ゲート行こう。
すでに行列の入国ゲートに並ぶ。空港のフリーwifiがサクサク繋がることに気をよくしてルンルンとスマホをいじりながら自分の番を待つ。
そして、自分の番がくる直前。気付いた。
みんな、なんか紙持ってる。
慌てて後ろを振り返る。ひとりで並ぶお兄さんも持ってる。勇気を出して話しかけた。
「その紙って、なんですか?」
「ああ、入国カードですね」
「それってどこでもらいました?」
「飛行機の中でもらいませんでした?」
寝てたー。
「大丈夫ですよ、あそこで書けます」
そう言ってお兄さんが指さすのは大行列の向こう側にある記入台。
台北空港に到着して入国審査に並ぶも自分の番がくる寸前になって「あれ、なんか皆さんパスポートといっしょにカード持ってない…?」と青ざめ後ろにいた方に「あのカード持ってます?」と聞くと「入国カードは必要ですよ」と言われ半泣きで列を離れて入国カードもらって記入しているのが今です
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年12月3日
あれ、なんか私ずっと半泣きじゃない?
記入して行列に並びなおし、30分後に無事入国。
やったね。
いちばん安くセブに行けるコースを選んだ結果、台北での乗り継ぎ待ち時間14時間。どうしよう。なにしよう。いまはお土産屋さんの前で立ち尽くしています。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年12月3日
14時間じゃないよ。15時間55分だよ。
見知らぬ土地でこの膨大な時間をどう持て余そうかと考えながら、とりあえず5000円を台湾ドルに換金。本日のレートは1台湾ドル=3.56円です。
ここで、やっぱり大好きTwitter。
私の情けないつぶやきに対し、こころ優しいフォロワーさんたちがいろんなアドバイスをくれるわけ。
外には出られないんですよね?空港に本屋があれば日本語の本がありそうですが、あとはひたすら仕事・・・?( °_° )
— ヒトミ⭐クバーナ@海外×社会×ライター (@hitomicubana) 2016年12月3日
ゴールドのクレジットカードだたらラウンジ使えるよー
— Taka chinen@マーケ&アウトドア (@takachinen) 2016年12月3日
鼎泰豊ってお店がおすすめですよーhttps://t.co/KosSGihVwX
— よっこ (@yokoko33) 2016年12月3日
本店だと少し混んでるので支店がおすすめですよ。私は台北101店に行ったのですが20分ぐらいで入れましたーここの小籠包は本当に美味しいので是非食べみてください~【参考】https://t.co/Wfhtaznbly
台北駅の方に行かれるのなら、地下街にマッサージ屋さんがあれこれあるのでぜひ。 https://t.co/SwODlucYuP
— Suni@🇵🇭🇲🇾マレーシア (@suni) 2016年12月3日
あと、お土産屋さんでカラスミ買ってくとセブの日本人に喜ばれるかも。
ありがたやー。
皆さまのやさしさでぬくぬくしながら空港をさまようこと約1時間。スカイトレインとやらに乗りたかっただけなのにビックリするくらい見つからなかった。最終的には出国ゲートから徒歩1分のところにあったっていうね!よくある!
で、ランチを食べてトイレに行って
トイレットペーパーが切れなくて -2017 冬ー
紙を切る部分が日本とちょっと違う。壁に垂直に設置されたペーパーを巻きだして、ちぎる時には手前のギザギザに紙を寄せてブチってやる感じ。手前に寄せたら紙がくちゃっと折り重なって妙に強度が増す感じ、伝わる? 伝われ。
そんなこんなのここ6時間。
しばらく歩き回ったのち見つけた電源ありのティーショップでひと息ついています。空港内にキレイなシャワールームがあるらしいから後で行こうかな。
ティーショップで、何を飲もうかね。
店員「#&€%♪○*」
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年12月3日
真崎「おうふ」
店員「メニュ、メニュ」
真崎「おけ、ジャスミンプリーズ」
店員「#&€%♪○*」
真崎「おうふ」
店員「トッピング、ドレ」
真崎「あ、ふぃっちいずべたー?」
店員「#&€%♪○*」
真崎「おうふ」#国際関係学部出身です
オドオドしながら、結局店員さんがオススメするままに味付けやトッピングをチョイスしていった結果。
「オ待タセシマシター」
タピオカドリンク(デジャヴ)
真崎
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3ヶ月間セブ島で働くことになった経緯ときもちを書くね
「あ、真崎さん。年内か年明けくらいにこの家引っ越して那覇あたりに住もうかと思います」
えー。
シェアハウスの家主から唐突な宣告。
彼の言葉はわたしの脳内で「ア、真崎サン。年内カ年明ケクライニアナタ住ム家ナクナルヨモケモケモケ」と瞬時に変換された。
翌日から、カフェに行っては「シェアハウス 住人募集」の掲示板をボーっと見あさる。仕事はしていない。
そう、仕事はしていない。
11月は自分でも驚くほど仕事を入れていなかった。体調精神不良ではなく「あれ?わたし最近仕事してなくない?」とある日突然気づいたパターン。自己管理と自律は変わらず苦手。来世はすっげーふてこいデブ猫になりたい。
さいわい10月までは頑張っていたのでわりと貯金はあった。1~2ヶ月くらい収入が減っても自分ひとりを養うくらいは問題ない。
よし、じゃあ仕事をせずのんびりしよう。
とも思ったけれど、仕事を入れず悠々自適にひとりでのんびり過ごす私の日々は「平穏」ではなく「退屈」になった。仕事で多忙な日々に心が死ぬことはあったけど、退屈な日々は私の生気をじわじわと奪うなんて初めて知った。どっちに転んでも穏やかなるスイサイド。
これは、なんか良くない。
家もなく仕事もしない未来が見える12月。
どうしようかな。
どうやって生きようかな。
えっ。
と声が出たと同時に「えっ」と返信。
お相手は東京時代にお世話になった編集者さん。どうもご無沙汰です。
セブ島に移住?
どゆこと?
「おれは、期間限定の移住体験企画みたいなものか、わりとガチ移住か、どういう感じのお話でしょうか??」
動揺につき返信メールの主語で誤字。
「2~3ヶ月くらいの移住になる」
その言葉のあとに本企画の詳細が続く。そして最後に「真崎さんなら移住とかいけそうかな?とか思い」で締め。移住ライターブランディング大成功。なお白目。
最初のメールが来てから詳細のやり取りまで、時間にしておよそ10分ほど。企画はなんとなく分かったけど、あちらでの生活などまるで想像がついていない。そのメールがきたのは11月14日。「出発は?」の質問に「早ければ12月いっぴから」のご回答。
返信は当然こうなった。
「どうしよう、行きたさしかない」
ほぼ即決。
なんでも無理くり因果で結び付けたくなる性癖につき「あ、12月に家も仕事もなくなるのはきっとこのためだったんだ」なんて納得に至っている。
未知の暮らしをして未知の文化にふれて未知の景色を見る。未知の想像は「退屈」なんてカンタンにぶっ壊した。最初のメールを見たときから多分9割方こころが決まっていた。こういうお話があるからフリーライターの仕事が好き。
そんなわけで、明日から3ヶ月ほどセブ島に行ってきます。朝起きられるか不安だったので那覇のネカフェでスタンバイなう。
真崎
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私、文章書かないんじゃなくて書けないんです。
っていうタイトルの下書きが出てきた。
日付は2016年6月25日。
沖縄にきてからちょうど3週間になる頃。
移住前に東京で観ていた『私、結婚できないんじゃなくてしないんです』というドラマにかけたタイトルなのだろうけど、残念、ネタがもう古い。
でも載せる。
平穏:刺激=7:3くらいの日々を過ごしていた今のタイミングで過去の自分に殴り掛かられた気分になったので、ちょっと編集して表に出すことにした。
以下ちぇけらう。
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新卒入社した会社を、2か月でクビになった。
社長の思想とやり方に納得行かず感情的に反発して最終的にはロクに仕事もしなくなり利益も出さず会社にとってただの負債人材になったので、まあ当然と言えば当然のこと。
と、当時それほど物分かりが良かったワケもなく。
1週間ほどわりと荒れた。
「荒れる」を辞書で引けば「[類]2013年5月の真崎」と出るんじゃないかってくらい模範的に荒れた。危うくダークサイドに落ちそうだったけど「みんなで真崎を支えよう」という周りの愛あるチームプレーによって無事引き戻された。
落ち着いてから気付いた。
すっげー、ヒマ。
会社都合の解雇の場合、宣告から2か月間は会社からお給料をいただける。何をせずともお金が入る状態になった私は、1か月間ほどマジで何もせず横浜の安アパートに引きこもった。荒れた反動からか、積極的に外出して人と会う気力がほぼゼロになっていた。
落ち着いてから、絶賛引きこもりだった私はしばらく毎日文章を書いた。
入社が決まってからクビを言い渡されるまでの数か月間で経験した社長や周りの人との関わりの中には、良くも悪くも、今までに出会ってこなかった感情や気付きが溢れていた。
それら全てを文章にしたくなった。記録や伝達などの目的はなく「書きたい」という衝動に従って文章を書いた。
求心力ってなんだ。
教育ってなんだ。
良心ってなんだ。
正義って、悪ってなんだ。
憎悪をエネルギーに生きるのはつらい。
感情も生き方も矛盾があってこそ人間っぽい。
人の語る「真理」や「本質」なんて所詮その人が正しいと思っているだけのイチ思想じゃないか。
頭を整理するように、タカタカと流れるように文字を打った。完成した文章は惜しみなく発信した。読んだ人から共感や肯定的な感想をもらえることが嬉しく、しばらくは夢中で文章を書いた。
文章を書くことにハマったのは大学時代。
当時大流行していたSNS「mixi」で、大学生だった私は飽きもせず毎日毎日それなりに長い日記を書いて発信していた。
内容は日常の些細なこと。どんな小さな経験でも「これはこんな風に発信したら面白い」と思ってネタに変えて言語化した。身内にはとても好評で、嬉しかった。
「私は、書くことが好きなんだ」と思っていた。
文章を書いている時間が幸せだった。
引きこもり初期段階も無心で書いた。
「雇われている以上は給与以上の成果を挙げなければいけない」「でもこんな仕事はしたくない」と泣きながら葛藤し続けた2か月間の会社員生活を思い出した。
他者と衝突して傷つけ合う苦しさを思い出した。
また外に出て、
また人と関わって、
また会社に入って、
またこんな苦しさを味わうくらいなら。
誰にも傷つけられない安全な家の中で、
平和で心穏やかな時間を過ごしながら、
こうして毎日好きな文章を書いて生活する。
それが、私にとっての幸せなんじゃないのか。
とっても安直に、そう思った。
「死にたい自分」はせいぜい2〜3時間で死ぬから寝る
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年6月14日
引きこもり開始から、数日後。
私は徹夜でドラマ『SPEC』シリーズを観ていた。
ドラマを2周観て、ドラマスペシャル『SPEC~翔~』を観て、映画『SPEC~天~』を観た。加瀬亮はかっこ良かった。
SPECシリーズをひと通り堪能した後は、ドラマ『ケイゾク』シリーズを徹夜で観た。SPECはケイゾクの続編ドラマなので順番が逆だったけど気にしない。どうあれ渡部篤郎はかっこ良かった。
SPECシリーズが終われば、今度はドラマ『リーガル・ハイ』徹夜観賞スタート。小美門弁護士なら、理詰めで人をマウントする前社長を論破してくれそうだな。なんて思いながら堺雅人に惚れた。
その後も『家族ゲーム』『夜行観覧車』など気になるドラマを全話観た。ドラマの次は、毎日むさぼるように映画を観た。
朝起きて、朝ごはんを食べて、映画を観て、映画を観て、散歩して、買い物をして、帰って、映画を観て、晩ご飯を食べて、映画を観て、お風呂に入って、映画を観て、寝た。
毎日4~5本は映画を観た。ただただ時間を埋めるように、次から次へと消費するように、とにかく映画を観続けた。
なんの映画を観たのか、正直半分も思い出せない。今でも思い出して胸がアツくなるのは『桐島、部活やめるってよ』くらい。
文章は、書いていなかった。
時間だけなら病むほどあった。毎朝文章を書こうと思ってブログ記事の作成画面を立ち上げていた。
画面を見つめ続けた。適当にキーを押した。押しては消した。諦めて画面を閉じて、また映画を観た。
「書いていなかった」じゃない。
「書けなかった」が正しい。
もっと厳密に言えば「書きたいことがなかったから、書く気も起きなかった」んだと思う。
あ、これ。
ちょっと悟った。
私は、刺激も危険も酸いも甘いも少ない平穏すぎる日常から文章を生み出せるほど、想像力も文才も、そして「それでも書く」という意欲もなかった。
「書きたい」という衝動の前には、必ず経験があった。
刺激的な経験をして、感情が動いて、その後にどうしようもないほど強く「書きたい」という衝動が発生して、夢中で言葉を紡ぐ。
超安全地帯にいる私に、文章は書けない。
書いても、魅力的になる気が一切しない。
書きたいなら、動け。
外に出て、人とふれあい、様々な経験を積み、何かに没頭し、何かに違和感を覚え、協力し、衝突し、喜び、悲しみ、怒り、歓喜し、絶望し、たくさんの感情に出会い、
そして、そのあと、やっと書け。
そう言われたような気がして、「まじかい」と軽く絶望した。
自分でも理解や説明ができないワケ分かんない感情に出会うとナニコレーつってドキドキするし、久々にそんな感情に出会えてナニコレーつってワケ分かんないままぶわあって話聞いてもらえて毒素抜けた感がすごい
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年5月24日
最近ブログ更新頻度が比較的多めなのは、たぶん沖縄に来たから。沖縄という初めての環境の中に、驚きと気付きが満ち溢れまくっているからである。
移住してきてたった3週間だが、笑顔弾けるスーパー嬉しい出来事から心打ち砕くウルトラファッキンエピソードまで、なんだかとっても日々いろいろ。
この場所で受ける刺激が、私の書く意欲を後押しする。ブログはもちろん、結果的に沖縄に来てからのほうがたくさん仕事の原稿を書いているけど、今のところ特に悩むことも追われることもなく捗っている気がする。
「書く」は私にとって、仕事であり、ライフワークであり、自己救済手段でもある。
軽く死にたくなるような経験も、「書く」においてのみ「軽く死にたくなったエピソード」としてプラスに昇華できる。
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ってところで、下書き終了。
たぶん締めの2~3文が思いつかなかったか、書いているうちに「あれ、これなんか違うわ」となったんだろう。そんな記事で溢れ返るわたしのお蔵。
約5か月ぶりにこの記事を読み返して「じゃあ書かなきゃいいことじゃん」とも思ったけど、やっぱりそれは違う。
書きたくなるほどの経験と文章がセットになってやっと「あーこれ。生きてるー」と感じるタイプなので、書きたい衝動が起きないときはたぶんヒマすぎてそのうち枯れる。
おかえりなさい旅の時間。結局、また行ってきます - まるで呼吸をするように、旅をしていた - g.o.a.t
夢に旅に恋愛に。
エモ要素がふんだんに詰め込まれた友人の記事。
いーなー。こういうの、いいなああ。
なんか、そういうの足りてない。
自分がいる場所は関係ない。
どこにいたって、動かなければ退屈だ。
真崎
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