「不登校でもイイじゃん」な元上司が教えてくれたこと
前職で吐くほどお世話になった上司・阿部さんが本を出版されました。
阿部さんの出版記念イベントにて。
左にいるのは、以前私のブログでも勝手に紹介したシンガーソングライターの風見穏香。鼻から手が生えるこのポーズは彼女がファンに強要してくるやつです。
そして右が阿部さん。
本物はこんなに半目でもへの字口でもなくもうちょいイケメンなはず。他の写真だと私が半目もしくは静止ポーズなのにブレているので許してツカーサイ。
まともな阿部さん。
「この本を私のブログで好き勝手に宣伝してもいいですか?」と阿部さんに伺ってOKをいただけたので好き勝手書きます。
書きたい理由はひとつ。
お世話になった阿部さんの力になりたいから
なんて見え見えの建前は無視して本音の理由を言うなら「不登校の子・その親御さん・不登校経験者・ひいては不登校と関係なくても社会や組織に適応し切れず苦しんでいる方の心を軽くしてくれる本だと勝手に確信しているから」です。
そう思えるのは、不登校経験者でも親でもない私の原体験が大きいです。私が阿部さんのもとで働く前の人生で一番死にたかった2か月間、ずっと阿部さんの不登校ブログを読んで励まされて生きていました。
不登校生・親御さん向けのブログなんですけどね。わたし会社で「不登校生以上に不登校生」とか意味不明なレッテル貼られていたのでね。阿部さんブログが響いた理由がそこだと超複雑ですけどね。
Googleで「社会不適応」と検索してくるトップに出てくる私のブログ。かつては社会不適応者が社会適応できるよう支援する会社(勤続2か月)にいたのにギャップ萌え。社会不適応やら不登校やら人生つらいやら死にたいやらな方々に届けーと思いながら、自分なりに阿部さんの文章をゴリ押ししてみます。本は今から読むのでレビューは後日です。
褒め褒め上げ上げしすぎて阿部さんが逆に胡散くさい聖人君子ワナビーみたいに思われるのは避けたいので、私から見た阿部さん像を一言付け加えておきます。「わりとひねくれたおっさん」です。
では本題へ。
「誰かの味方=誰かの敵」ではないと教えてくれました
オトナの言うことなんて、けっこう矛盾ばっかりです。
「なんでもイイから夢中になれるものを見つけて欲しいわ」なんて言いながら、子供がゲームに夢中だと「ウチの子はゲーム依存だ」って嘆く。
ならばと、今度は夢中でマンガを描いたりすると「どうせ夢中になるなら、もっとマシなことしなさい」なんてお説教が始まる。
-『矛盾をなくす』(2011/10/04)
読み始めから「確かにー!」と惹きつけられた記事です。親になったことのない私は子供目線でこのブログ冒頭の文章に強く共感しました。 ほんとオトナったら嫌んなっちゃう。
ということで、この記事のオチは「オトナの言うことなんてどうせ矛盾してるし全部正しいわけじゃないんだから都合よく無視して良し」
には、まあならんわけです。
「なんでもイイから夢中になれるものを見つけて欲しい」というのは保護者としての本心でしょうし、「ゲームに夢中じゃ困る」というのも本心ですよね。
どうしても矛盾します。
「完璧な親」を目指すのであれば「なんでもイイ、と口にした以上、なにをやっても、どんなことに夢中になっても認めてあげる」か、もしくは「ゲームやマンガを除いたマシなものに夢中になって欲しい」と伝えるか。
ちょっとややこしいですが、そんな感じにすれば、矛盾はなくなり、子供も反論できず、より「完璧な親」に近づくことができるでしょう。
で。
果たして「矛盾のない、完璧な親」というのは、そんなにイイものなのでしょうか。
確かに。(あっさり寝返る)
「うちの母ちゃんは言うことが矛盾せず反論の余地もなく完璧なんだぜ、なんて自慢する子はいません、ってか自慢にも何にもならないです」の言葉には笑ったのですが、「むしろ矛盾しているくらいが、ちょうどイイんです」というこのブログのメッセージは、子供と親、双方の救済になり得ます。
不登校支援業界にいていろんな支援者と関わった所感ですが、「子供が不登校になるのは親が悪い、だから親が変わらなければいけない」と考える人は結構いる気がします。
学生時代や不登校支援を始めて間もない頃は私も思っていました。「子供の味方でいたい」という気持ちの裏には「だから親を敵にすることも辞さない」みたいな思いが多分ありました。
2か月で辞めた不登校支援の会社では組織の代表が「毒親」という言葉を公で使うぐらい、とにかく親への当たりがキツかったです。別の支援機関で「親のあなたが悪い」とボロカス言われてボロボロになった方も見ました。
私から見た阿部さんは
まずなにより「子供の味方」でいます。
だけど、親を敵にはしないです。
むしろ、やっぱり味方です。
だから阿部さんの文章は、敵味方なく親子ともども肩の力を抜かせちゃう感じです。それって結構すごいことだと私は思っています。
与えるべきは「気休め」ではなく「情報」だと教えてくれました
第6章 学校に行かない7つの選択肢
選択肢1 家にいる
選択肢2 通信教育・家庭教師
選択肢3 フリースクール
選択肢4 学習塾
選択肢5 転校
選択肢6 留学
選択肢7 カウンセリング
-『「不登校」は天才の卵』目次より
阿部さんのもとで不登校支援を始めたとき、最初に学んだことはカウンセリング云々ではなく「情報武装」、もっと言えば「最新で正確な情報をできる限りたくさん掴んでおくこと」でした。
全国のフリースクールや支援機関などをまとめたサイトは、まず古いものが多いです。電話をかけたら「おかけになった電話は……」なんてことも往々にしてありました。あとは「まとめただけなのでその機関の質に責任は負いません」なサイトもあるので何を信用していいか判断するのは難しいです。
この本では、最新情報かつ電話調査をもとにして選んだ良心的な機関を選んで掲載しているみたいです。
これって吐血レベルでものっそい価値があります。
それぐらい、本当に情報って大切です。
以下は私が働いていた頃の情報ですが
例えば、中学の出席日数ゼロで内申書が真っ白でも手続きすれば公立高校を受験できる制度が神奈川県にはありました。
例えば、HPには「受験時には通知表の提出が必要」と書かれている私立高校に電話をかけてみると「うちでは出席日数や内申点を重視します」という学校もあれば「参考程度に提出はしてもらいますが合否の基準は当日のテストが9割です」という学校もありました。(東京・神奈川すべての私立高校に電話して確認していました)
例えば、中学受験でも通知表の提出はありますが、合否は当日のテストと、面接でどれだけ今後のことを話せるかで判断するという学校がありました。
これらの情報が「不登校だった私が進学できる学校なんてない」と絶望する生徒、あるいはその親御さんの希望になったことが何度もありました。
カウンセリングが必要なケース(私はしません)やその他の処置が必要な場合もちろんありましたが、状況が好転するきっかけとして情報提供はとても有効でした。
「つらいのは今だけですよ」
「不登校でも大丈夫ですよ」
そんな声かけが相手の心を軽くする場合もありますが、気休めをもらっただけではきっとまたすぐに不安になります。「なにが大丈夫やねん(憤慨・困惑・恐怖)」てなります。
それよりも
「今からだとこんな選択肢がありますよ」
「こんな進路を歩んだ人もいますよ」
と、きちんと選択肢や事実を伝えることの大切さを阿部さんから学びました。ライターになってからも結構役立っているスタンスです。
と、こんな感じで。
不登校関係の本や支援は良質・悪質ひっくるめていろいろありますが、身内の贔屓目を抜きにしても阿部さんの支援スタンス・文章は本当にオススメできます。
少なくとも「不登校でイイじゃん」な上司でなければ、私は1年半も働き続けられなかったと思います。その言葉をかけられる人は絶対必要です。
不登校関係(当事者・経験者・当事者の家族・支援者)にはもちろんですが、仕事で病んでいた私の心にも響いたので、良ければ生きることに疲れた系の人も読んでみてください。そうじゃない方も遠慮なく。
購入はぜひ「Amazon<書店」で。
真崎
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「逃げずに頑張るのが正解」な空気は即刻地球外に排出されてしまえばいい
周りの人たちが病んでいる。
理由は仕事。
会社に行くのがつらくて顔から生気なくなっている人と立て続けに会って話したのだけど「ここで辞めたら逃げ癖がつくから踏ん張れ逃げるな」と会社の人から言われるそう。もちろん状況にもよるけど逃げずに頑張ることが正解みたいな空気は即刻地球外に排出されてしまえばいい。
踏ん張れ逃げるなと言う人や意見が間違っているとは別に思っていない。踏ん張って逃げなかった先に道を拓く人もいるかもしれない。表情から生気と希望が失せた友人の話を聞いていても「あなたのこれからを思ってあなたの為に」この言葉をかけている上司や同僚の皆さまの情や思いやりは感じる。
危惧することはふたつ。
選択肢が「逃げずに頑張る」ただ一択
あるいは「逃げずに頑張る」か「死ぬ」かの二択になることである。
大げさな話ではなく、仕事がつらいけど辞めることもできず(会社が辞めさせてくれない・辞めた後の生活や世間の評価を考えると怖い等)八方ふさがりで自死を選択した人たちが身近にいる。
自分の命と心よりも大切な仕事や会社などこの世にあるはずもあっていいはずもない。とても悲しくてやる瀬ないからこの記事を書いている。
辞めることが絶対正しいとは思っていない。ただ「逃げる」という選択肢を知ってほしい。逃げた先が暗闇とは限らないことを知ってほしい。その上で、世間・他者の目に対する不安や恐れからではなく自分の素直な心の声を動機に未来を選択してほしい。
そんなことを願いながら書く。
『「忙しい」は心を亡くすと書くから使いません』有名な広告会社の人事が言って、学生の頃すごく感動したその言葉の解釈は、社会人になって、「心なんか亡くさないと仕事がありすぎてこなせない」に変わった。
新卒入社した会社で休みなく病むほど働いていた友人が言っていた言葉。
友人の言葉を聞いて「確かに」と納得した。
2か月で病んで辞めた会社に勤めていた時は私も「心が不感になればもっと楽に働けるのに」と思っていた。悲しい苦しい辞めたい死にたい、そんな自分の心の声にすら「なんで自分のことしか考えられないんだろう」と罪悪感が湧いて、心さえ亡くせばもっと仕事に集中できて人の為に働けると思っていた。
なんとかって名前の有名な精神薬を飲めば服薬中は感情を殺せると聞いていた。感情が亡くなればもっと働きやすく、もっと生きやすくなるかもしれないと思った。今思えばそんなことを考えてしまう精神状態はとても不健全なのだけど、とにかくあの時あの瞬間だけでも楽になりたかった。
自分がどれだけ駄目な人間で今すぐ自分を変える努力をしなければいけないか。そんなお達しを日々受けながら、最終的には泣きながら「変わりたくない」と上司に伝えて辞めた。引継ぎ期間に上司がポロっとこぼした「あなたは仕事を投げ出して逃げる」という言葉に、最後まで感じることを止められなかった私の心はヒリヒリした。
悩み落ち込んで退職を考えているときに「このまま辞めてもあなたの為にならない」などと言われる人もいるが、そこに関しては一部だけ私も同感。ネガティブな理由による退職は確実に私の心に嫌な後遺症を残した。世間知らずで生真面目な優等生ほどそのダメージは多分でかいのではと思う。
「自分がつらいからって我慢も努力も継続もできずに逃げた私はなんてダメ人間なんだろう。こんな私は今後社会で必要とされないのではないか」
退職による不都合な出来事がなにひとつ起きたわけでもない段階から、私は勝手に自分を責めて積極的に自信と居場所を失くすことを選んでいた。
もう少し脅迫めいてくると、「辞めたら人生終わるぞ」とか「ここで使えないお前はどこに行っても使えない」とか「辞めるなんて本気で気が狂ってから言え」とか言われますけど、気が狂ってからじゃ遅いし、辞めた途端にむしろ人生始まることもあるからね。
— 佐々木ののか | Nonoka Sasaki (@sasakinonoka) 2016年3月6日
あれから2年半。
「辞める=逃げる」とするならばあれから更に2回逃げて一部友人からのあだ名が「不適合」になりつつも、病んで泣いて死を想ったあの頃に比べてすこぶる元気に生きている私。後遺症はきれいに完治したしどうにかなるよアレ。
気分屋で衝動性が高く好奇心旺盛で飽き性、やりたいことが週単位で変わってしまう上にやりたくないことだと途端に動けなくなって苦しくなる諸々欠陥人間な自分をかつては責めることしかできなかったけど、今はそんな自分に合った生き方・働き方をウロウロしながら見つけようと思っている。
「逃げて逃げて人様に迷惑かけまくっているお前は何様だー」なんて声が聞こえると言い返す言葉もないしただただサーセンなんだけど、逃げないなら逃げないで病むと仕事しなくなるので更に迷惑かけた気しかしない。どう転んでも迷惑な存在な私、代わりと言っては恐縮だけど「逃げずに頑張るのが正解」の生ける反例にはギリなれると思っている。
要は、ちょっと開き直っている。
もちろんあれから何度も悩んで立ち止まった。もともと悩みやすいので精神状態の振れ幅は今もある。だけど、逃げて逃げて環境を変えてたくさんの人と出会い話す中で、少しずつ自分の思考に変化が起きた結果この状態にたどり着いたのだと思う。
思考が変化できた要因はたぶん以下。
1. 周りに逃げた人がいっぱいいた
3年以内に退職した人を早期離職者として、20代の早期離職者たちに取材をする仕事を請け負った私。さっそくSNSで早期離職者の募集をかけてみたところまあ引くほど応募きたわマジかよ友人各位。
もちろん退職理由も十人十色。キャリアアップや夢の実現のために辞めた人もいれば、仕事内容が合わなかったり人間関係で心を壊したりした人もいる。
そして退職後の生活も千差万別。転職に成功して楽しく働いている人、独立して野望燃やしている人、とりあえずバイトしながら食いつないでいる人、バイトしながら好きなことしている人、旅に出た人、ブロガーになった人、実家に帰って療養している人、資格の勉強をして専門的な仕事に就く人など。会社辞めてウルトラハッピー状態に誰もがなっているわけではないけど、それは会社に残っても同じことが言える。
思えば、これだけいろんな人に囲まれていたから「自分が思っているよりも生き方や働き方は多様なのかもしれない」と視野を拡げられた気がする。
2. ちょっと悟ってる人と話した
なんか悟ってる人がいて、その人と「逃げる」に関して話したことがあった。
子曰く「今生きていることといつか死ぬこと以外は全部不確実だから、正解みたいな顔して「逃げるな」「逃げたら終わり」「逃げ癖つくぞ」とドヤってる人の言ってることなんか全然正解じゃない。その人に相手の未来は分からないし、自分がどうなろうが他人は責任を負ってくれない。どんな立場であろうと他人の言葉を鵜呑みにしないほうがいい」
子曰く「無理して頑張っている人ほど「自分はこれだけ無理して頑張っているのになんでお前は頑張らずに弱音吐いてんだ」って人にも無理して頑張ることを強要する。本当にその人が望んでやっていることならそうならない。自己犠牲の精神でやっている人は他者を巻き込んで傷つける」
子曰く「本当に自分のこと考えている人もいるだろうけど、自分の人事評価を下げないために止めてくる人もいる。そんな人の言葉で消耗しなくていい」
(内容は違うけど似たようなことをつぶやいている方がいました)
それこそ友だちが最近「ここで頑張れないお前はどこ行ってもダメ」って言われたらしいですけど、本当に相手のためを思ってるならまずそういった言い方をしないので無視して良しです
— 鈴木 梢(あこ) (@aco220) 2016年3月6日
このとき浮かんだのは、病んで辞めた会社で浴びていた罵声。当時は上司や代表の言う言葉だから全部正しいし受け止めなきゃと思い込んでいた。でも悟ってる人のおかげで「あ、別にあれ全部正しいわけじゃなかったやつや」と思えて楽になった。
仕事ができないからバツ。
すぐ退職したからバツ。
何度も退職したからバツ。
成果残す前に辞めるなんてバツ。
会社の中ではそうやってあらゆる自分にバツをつけていたけど、それも会社や社会の枠の中で勝手に抱いた思い込みだった。会社を辞めていろんな人と会う中で、そのバツを自分で取り除けるようになった。
あ、2つで終わった。
でも、うん、そんな感じ。
感情的な語りで希望だけ見せるのは反則だと思うので「とはいえ辞め方や辞めた後の生活が不安で……」とか諸々の懸念がある人は法律とか転職に詳しい人に相談してみてください。私は弁護士さんとキャリアカウンセラーさんに社会保障について相談していました。よければ私が信頼できる人を紹介します。
「逃げずに頑張るのが正解」だと言われて信じてそのまま働き続けて頑張るのも一手。状況が好転することもあり得る。私も一度あった。
ただ「逃げるな頑張れって言われたから」と会社や上司に自分の苦しみの責任を押し付けながら病みを抱えて会社に残り続ける、あるいは自死を考える精神状態なら、たぶん退職したほうがいい。特に後者の人はお願いだから生きてほしい。
「逃げずに頑張るのが正解」ではない。
仕事で自分を壊さないでほしい。
そんな話です。
辞めてもいいと思うよ。
真崎
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人生を輝かせる3つのキーワード「感謝・誠実・たけし」について
目次
・たけしありがとう
・感謝なんて
・誠実さのおかげで
・感謝すごい
・たけしありがとう
たけしありがとう
まずは、たけしについて。
彼氏ですか? いいえ友達です。
それ以上でも以下でもない、ただのたけしです。
大学時代からの友人であるたけしは、現在ライフプランナーとして某外資系保険会社で働いている。入社から2年間1日も休まず全国を飛び回って人と会い「『月に2件契約を取れたら御の字』みたいな保険営業の世界で『毎週3件の契約獲得を100週間継続』という超偉業を達成した」という彼の逸話は過去にブログでも紹介している。
ライティングにも営業にも使える「状況設定力」というスキル ~宮川大輔の話はなぜすべらないのか~ - 真崎ですよ
過去ブログでは名前を出していないが、「ライティングにも営業にも使える『状況設定力』というスキル」を教えてくれたのが、たけし。
会うたびに前髪が後退している気がすること、コテコテの関西人で私に対するボケのフリが友人の中でも随一めんどくさいこと以外は文句の付けようもない、ただのウルトラハイスペック他者貢献男子で、昔から純粋に尊敬している人物のひとりである。
とりあえず、「たけし(前髪後退)」だけ頭に入れていただいた上で続きをどうぞ。
感謝なんて
取材どー٩( ᐛ )و
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年1月13日
「あなたには感謝の気持ちが足りない」
2年間で3社を転々とした会社員時代の中でも、ある時期に何度も言われていたこの台詞。聞くたびに自責の念に駆られると見せかけて心の奥底では正直最もウンザリしていた言葉がこちら。
この言葉をいただくときに指摘されるのは「私は諸々の仕事でいっぱいいっぱいになっている」「そんな私に周りの人はとっても協力してくれている」「私は自分に必死で周りの配慮に気付けていない」「周りも忙しい中サポートしてくれているし自分だけが忙しいみたいな顔するな」「本来ならもっと感謝の気持ちを伝えて行動でも返すべき」「そんなんじゃ周りから人が離れる」など。
誰かになにかしてもらったとき素直に感謝の気持ちを伝えてきたつもりだった。本当にありがたいと思っていた。だけど私には「感謝の気持ちが足りない」らしく、「もっと感謝しろ感謝を伝えろ感謝を行動で示せ」と逐一言われていた結果、私の中で「感謝=タスク」になった。「感謝しろ」と言われる度に心が閉じて、「ありがとうございます」というありがたい響きの無機質な音を口から垂れ流していたのがこの時期。「感謝を他人に強要することは暴力」が当時の経験から得た教訓。
心が荒むと景色は荒む。
最も荒んだのは、みんな大好きfacebookのタイムライン。
もうどんだけーってぐらい日々感謝。エビデイエビナイエビウェア感謝。仕事で失敗したことや人間関係のトラブルがあったことまで投稿の最後には感謝感謝感謝。いやいや嘘つけーって都度ツッコむ私。文字の裏側から溢れるエネルギーは「悲しみ」や「怒り」なのになんで「感謝」なんて綺麗な言葉で感情コーティングするの変だよ気持ち悪いよなにこの感謝至上主義な雰囲気ーって眉間にシワ寄せながらスマホスクロールしてたんだから不健康。
ある界隈で人気のあった方のセミナーに行くと、そこでも感謝の大切さについてのお話。その方は、日々の「ありがとう」の回数を首から下げたカウンターで数える取り組みをされており、どこかのタイミングで、空気も含めてこの世のすべてに感謝できるようになったらしい。インスパイアされた参加者はカウンターを買って「ありがとうを数えること」に挑戦していた。私はしなかった。その人は好きだったけど感謝のくだりはまったく腑に落ちなかった。
フリーランス安藤美冬さんの本には「ホテルにこもって5万回『ありがとう』を言った」というエピソード。「ありがとう」を5万回言えば人生変わる、その教えを素直に実践された安藤さん。すごい。だけど、やらない私。
人に言われて、あるいは世間の「感謝が大事」な雰囲気にのっかって「感謝」や「ありがとう」を言うことがとにかく嫌だった。別に自分が自然と感謝したいタイミングで言えばいい。言いたいから言う、煽られたら萎える。それは「ありがとう」も「バルス」も同じこと。
こんなひねくれた思考により、確かに私はなにかに対して感謝することは少なかったかもしれないなと今になって思う。
誠実さのおかげで
取材同行どー٩( ᐛ )و
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2015年12月7日
2015年、大晦日。
京都の実家に帰った私は、学生時代からの仲間の皆さんと大阪に集まり、2015年の振り返りなどを行った。そこにたけしはいた。
たけしが話し出すと、みんなの意識がたけしにグッと集中する。「たけしの面白い話が聞ける」「たけしのタメになる話が聞ける」という期待から、聞き手の姿勢をググッと前のめりにしてしまう。そんな存在感。
このときたけしは、一冊の本を紹介してくれた。
- 作者: ロンダ・バーン,山川紘矢,山川亜希子,佐野美代子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2013/02/09
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た「この本は、簡単に言えばめっちゃ感謝する本」
出たな感謝。
身構える私。
「『引き寄せの法則』がもっと簡単に、もっと分かりやすく。あなたの人生が変わる28日間の魔法のレッスン」な本書を開けば、そこに出てくるのは「28日間の『感謝実習』」である。
いかに感謝が大切で、感謝が人生を豊かにして、感謝が多くの幸福をもたらしてくれるのかが本書で熱弁され、感謝の重要性が頭に刷り込まれる。その上で読者は本書から提示される「感謝の課題」を実践することを求められる。
1日目は「朝一番に、自分が人生で感謝できるもの10項目のリストをつくる」、2日目は「『魔法の小石』を用意して、夜寝る前に小石を握りしめながら『今日の最高の出来事』を思い出して、ありがとうを言う」といった具合に課題は毎日出題され、28日間ですべての課題が終了する。
Amazonレビューの評価も高い。
コメントもすごい。
「偶然とは思えない奇跡が起きました。収入が倍以上になったり、あり得ない臨時収入が1度に50万円あったりと、金銭面での変化が大きかったです」
「この本に書いてあることを数日実践したところ、信じられないような願いが叶いました。片思い成就です」
「お金も不思議と回るようになってきました。家族との関係もよくなってきました」
「理想通りのパートナーと出会い再婚しました。住みたかった街に転居し、収入が4倍に。時間に追われる生活から一転し、愛するパートナーとすべてに余裕のある生活で、素晴らしいもの価値観あるものに意識がシフトし、現実がどんどん良い方へ変化しています」
「絶対読んでください」
絶対読みたくない
と、普段なら確実に思うところである。
なにこれとっても胡散臭い。
「これを1分間つけているだけで腹筋運動300回分の効果があるんだぜジョディ」「すごいわアレック!」「毎日つけて生活するだけで2週間もすれば引き締まったボディラインを手に入れられるんだぜジョディ」「すごいわアレック!」「今なら脂肪をバーンしてくれるスペシャルなボディクリームもついてくるぜジョディ」「すごいわアレック!」みたいな、深夜に外人がやってるコント顔負けのテレビショッピングを観てるときの、あの気持ち。
学生時代のキラキラ感の反動で「アンチ自己啓発」を発病していた私。「ザ・マジック」の説明なんか読んだら、本来なら興味を持つどころか「ああああああ」と全力で本から逃げるところである。
でも、今回は違った。
「お、じゃあやろう」と素直に思った。
理由を考えた。
簡単だった。
たけしが紹介してくれたからだ。
お世辞や建前、大げさな話ではなく、私はたけしほど信頼と人望に厚い人物を見たことがない。本当に。
学生時代にそれほど仲良くなったたけしとフリーランスになってから初めてふたりで会ったとき「保険の営業かけられたらどうしよう」な猜疑心も正直あった。たけしの話ではないが「かつての友人にBtoC商材の営業をかけられて悲しかった」という声を四方から聞いていたからである。
結局、たけしが私に保険の話をしたことは一度もない。
私の近況を聞いて、困っていることを聞いて助言してくれて、人と繋げてくれた。「力になれることがあったらなんでも言って」は口約束ではなく、求めたら力を貸してくれる。しかもわりと迅速に。しかもわりと誰に対しても。
本人も無理に頑張っている様子は見せず、気持ちよく人のために自分の時間と力を使ってくれるので、素直に頼ることができ、素直に尊敬も感謝もできる。
とにかく引くぐらい誠実(失礼)な男である。
そんなたけしが「良い」と言うのだから
きっと「良い」に違いない。
非常に単純な話。
卑屈さこじらせていた私が、中でも抵抗感の強かった「感謝」の実践にすんなり取り組もうと思えたのは、すべてたけしの誠実さ、そこに対する絶大な信頼のおかげであった。
感謝すごい
打ち合わせどー٩( ᐛ )و
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年1月19日
そして現在私は「28日間の感謝実習中」である。
ひとりじゃ続く気がしなかったので、シェアハウスの住人を巻き込んで5人で挑戦しているところ。「感謝アレルギー」だった私が、書かれている内容を妙に疑ることなく、ここまでは素直に吸収・実践できている。
その結果、Amazonのコメント欄も引くレベルで申し上げるといやまじで感謝すげえわ今まで悪かったほんとごめんありがとう。
早い段階からいろいろ起きた。
具体的には、仕事・恋愛・経済面・SNSやブログに関することで、いいことがドドドドドドッと起きた。急に仕事が増えた。思わぬ嬉しい依頼がきた。臨時収入が入った。デートのお誘いが増えた(驚愕)など。いろいろ急に変わった。びっくりするくらい一気にきた。なにこれ怖い。「なにこれ怖い」って何度も言った。
課題のため毎朝「感謝している10項目リスト」を作成しているのだけど、それだけでも非常に気分が良い。もしかしたら今まで見逃していたことに気付けるようになっただけかもしれないけど、嬉しい出来事が増えてとりあえず幸せな感じがする。
「感謝をしたいと思ったときにすればいい」と思ったけど、それ自体間違いとは一切思わないけど、意識的に「感謝をしよう」と思わなければ見落とす感謝が世に溢れていた。いわゆる「当たり前」と思い込んでいるやつ。
そこに感謝が生まれると、ロジックは上手く説明できないけど、なんだか平穏な精神状態になる。これは本当。「空気に感謝」の意味は分かった。
- 作者: ロンダ・バーン,山川紘矢,山川亜希子,佐野美代子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2013/02/09
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感謝。
おすすめ。
って、私がすすめても
たけしのような誠実さがね。どうもね。
よーし誠実になるぞー。
たけしありがとう
デートどー٩( ᐛ )و(取材)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年1月17日
ということで
たけし、ありがとう、ありがとう、ありがとう。
※3回言うのがポイントらしい(ザ・マジック)
たけしは常々「人と家族ぐるみでずっと付き合っていきたい」と言っている。ライフプランナーという仕事をしているのも、お金や保険・その他もろもろのサービスを通して、多くの家族を長期的にサポートし続けられるから。
たけ「大学時代からの女友達が去年結婚して、旦那さんも紹介してもらってんねんな。今は夫婦のサポートをさせてもらっていて、お金とか悩みの相談を聞いたりしてる。で、彼女最近出産してんけど、落ち着いたらすぐ連絡くれてめっちゃ嬉しかってん。結婚・出産とか、人生の中の大切な時に俺が何かサポートさせてもらえて、その家族とは俺が考えていためっちゃ理想な関係を築かせてもらってる。そんな風に関われる人をもっと増やしたいかな」
お金のプロフェッショナルで、保険以外にも結婚資金から携帯代まであらゆるお金の相談にのってくれて「節約したお金を家族のために使ってほしい」と恥ずかしげもなく言うやつ。さっき電話したら「真崎の携帯代めっちゃ下がる方法あるからあとでシェアする」とのこと。今から仕事らしいけど早く終えてシェアしてほしい(自分本位)。
特に対象を絞ることもなく、別に保険の営業をするわけでもまったくなく「人生かけて家族ぐるみで付き合っていける・サポートしていける人」と出会うため、今日も全国飛び回っている。今は名古屋。
ということで。
いろいろ書いたけど
つまりは「たけしありがとう」な記事でした。
真崎
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フリーライターになって10か月。「私フリーランス向いてない」と思った理由
パソコンを開くも気付けばネット廃人になっていて家で作業すると捗らないからカフェでも行こうかと思っても着替えて化粧して準備する工程がめんどくさくて腰が上がらずダラダラと北朝鮮のニュース観ているこの瞬間にいつも「私フリーランス向いてない」と思わされる
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年1月14日
「あれ、今日わたし呼吸しかしてなくない?」みたいな日がフリーランスになってからの10か月間で幾日かあった。今日もそうなりそうだった。朝7時に目覚ましをセットしたはずなのに私の意識が覚醒したのは11時。ちょっとiPhoneサボってない?スヌーズサボってない?私が起きるまでタントンテントン鳴らすべきじゃない?
で、気付けば13時。
時空飛び越えた。
今晩20時から予定があったので、かろうじて重い腰を上げることができた私はいま恵比寿のスタバにいる。パソコンと電源とwifiがあればどこでも仕事ができる。フリーランスだぜーノマドワーカーだぜー私の仕事はここからだぜーウェイウェイなんて気持ちはコーヒーと同様瞬時に冷めた。今週末締め切りの原稿をゆったり仕上げるはずだった私はよしもとばななの小説をゆったり読んだ。読了。ちょっと寝た。起きた。
「フリーランス向いていない」
Twitterに冗談半分で書いたその言葉が何故かこのタイミングで私を揺さぶってきた。
そういえばなんでフリーランスになったんだっけ?
この10か月どうやって生きてきたっけ?
そもそも私本当に生きているっけ?
実は死んでたとかないっけ?(よしもとばななの世界観から抜け出せない)
そんな考えが頭をぐるぐるし始めたのでブログを書くことにした。フリーランスになった理由と「向いていない」に反応した理由。たぶんオチは「フリーライターになってよかったー」とか書いている気がするけど。それにしても、やっぱり文章書いていると落ち着くね。
私、昨日からめっちゃ文章書いてんなあ(それが仕事)
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年1月5日
「正社員じゃないとこの世の中食っていけない」
1年前の自分は確かにそう思っていたわけで、何度か会社を辞めようと上司に相談したときも結局「でも正社員じゃなくなるのが怖い」とかほざいて最終的には会社に縋り付いていた。暗くて不景気で言いたいことも言えないこんな世の中で「正社員」のカードをみすみす捨てるなんて自殺行為。
そんな価値観はある日の晩、簡単に崩壊した。
ダンスのインストラクターだった同居人に「ダンス教えて」と頼んで、その日の晩に私はシェアハウスで踊り狂った。踊って踊って笑って笑って楽しくて楽しくて幸福感に包まれた私は会社を辞めることにした。
私が何をすれば嬉しくて楽しくて幸せなのか、私の身体とこころはちゃんと知っていた。
踊ることと書くことが無条件に大好きなんて小学生のときから知っていた。正社員のカードを失くすことではなく自分のこころに嘘をついて生きることのほうが私にとっては自殺行為だった。そんなことに踊り狂ってから気付いた。2日後上司に思ったことをそのまま告げて退職希望の旨を伝え、1か月後にフリーライターとなった。そしてたまに踊った。
数字に追われて電車では疲れた顔で云々ってサラリーマンを揶揄するような言葉はよく聞いた。この本にも出てくる。会社辞めるのは自由だけど、その人が「あんた達それで幸せなんですか?」なんて会社で吠えるなんてスカッとするどころかお門違いだと思ったよ。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2015年12月31日
「好きなことをすることが幸せだ」とともに「2年間で3社辞めている私はおそらく組織不適合だ」という仮説の豪華2本立てにより、私はフリーライターという働き方を選んで仮説検証を開始した。間違っていたらまた仮説を立てて別の道を歩んでみよう、なんて思えるこころの余裕ができていた。
ただ、「フリーランス」って言葉はなんか嫌だった。
「私は自分のやりたいことをして自由に生きていますよフフン」というドヤ感が貼り付いているようで、実際私も「会社を辞めて自分のやりたいことを仕事にしているなんて真崎すごいねー」なんて何度も言われた。違う。そんなにキレイでもカッコいいものでも本当にない。
フリーランスという言葉に懐疑的だった私の目に飛び込んでくるのは、フリーランスや個人事業主のドヤってる文章で、私はなんだかイライラしていた。なぜこの人種はわざわざ会社員を見下すのか、なぜ自分の働き方をいちいち正当化して誇示してくるのかとイライラしていた。イライラをそのまま文章にしたりした。
今はそんなイライラはなくなっている。
あれはなんだったんだろう。
私も大人になりました。(今年27歳)
ライターになった私は、あらゆる場所で「ライターになったので仕事ください」と言い回った。どこに行っても言った。
世は大ウェブメディア時代。「とりあえず文章を書いてくれるライター」のニーズはたくさんあったので、いただいた仕事の話は全部受けた。1記事1000~5000円の原稿を日々せかせかと書きながら、生計を立てるために朝キャバで働いた。キャバクラ収入のほうが多かったけど、ライターとして自分が書いた文章でお金をもらえたことはすごく誇らしかった。
そんな感じでしばらく生きた。
タイトルと小見出し降りてこい。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2015年12月25日
「フリーランスに向いていない」に反応した理由を考えたら3つ浮かんだので書いてみる。
1つ目の理由は、人恋しさ。
取材や打ち合わせがなければ基本的にはひとりで作業をしている。オシャレなカフェで好きな音楽を聴きながら自分のペースで仕事、なんて響きはカッコイイけど私には寂しいだけだったのですぐ飽きた。シェアハウスに住んでいなければ孤独に負けて男に依存する生活をしていたと思う。嘘です。
で、内勤でライターができる会社に入った。
バイト。
バイトは今も続けさせてもらっている。
会社に行けば好きな人たちに会える。チームで話しながら仕事ができる。そんな嬉しさはフリーランス生活たった4か月でも随分ご無沙汰に感じられた。いろんなバランスが会社のおかげで整った。
2つ目の理由は、管理能力のなさ。
フリーランスは、年金や健康保険のお金を自分で手続きして納めなければいけない。あんな面倒くさい作業を一身に請け負ってくれていた会社ってなんと偉大なんだ。
私の管理能力のなさは会社員時代もしょっちゅう指摘されていたこと。1つやれば1つ忘れる、やることが増えると頭がパンクして真っ白になる、「え、ここミスる?」ってとこでミスる。書いているだけでため息が。
直近で私を脅かすのは言うまでもなく「確定申告」である。「とりあえず領収書を切りまくれ」と友人に言われて切りまくった領収書がいま私の部屋でもっさーて積み重なってる。チリツモ。
で、これどうすんのーて。
ちゃんと勉強しようと思ってホームページで調べるわけなんだけど「えー確定申告は源泉徴収された地金や予定納税で納めた税金の過不足を精算する手続きでーえっとー青色?白色?なにこの色分け?てか還付申告ってなに?えーと申告のための書類作成と提出はーなんかよく分からんしとりあえず『進撃の巨人』読も」みたいな流れを日々繰り返してエレンも毎日巨人化してる。
会社に守られていてもミス多数だった私が個人でこんな複雑な手続きをこなすなんて母親発狂。知らん間に脱税してたって展開はナシでって言われている。娘は頑張るよ。
私が就職に困らないようにと高校から付属に入れてそれなりの私立大学を卒業させたのに全然就職に役立ててないと母は思っているかもしれないし私も学歴を意識したことはほぼないけど蓋を開ければ多分私は相当学歴に助けられているところがあるはずで本当にありがとう両親。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2015年12月20日
そして、3つ目の理由。
フリーランスをやっていて一番つらかったこと。
それは「お世話になっている人からの信頼を失った瞬間の絶望感」だった。
各原稿には提出の締め切りがある。ライターになった当初、ある会社で言われたことは「ライターさんに必要なスキルは、クオリティの高い原稿を提出することよりも、まず締め切りを必ず守ること」と言われた。だからそれだけは気を付けようと決めた。
決めたわりには、駄目だった。
最初に自分のキャパを考えずに仕事をガンガン入れて朝キャバもして~と過ごしていたら思ったより余裕がなく日々締め切りに追われることになった。締め切りを守れなかったことも今まで何度かあった。怒られた。謝った。反省した。
ありがたいことに、締め切りを破ったことで縁が切れた仕事はなかったけど、少なくとも信頼の量は減る。「縁が切れないのは相手の厚意と運。甘えるな」はっきり言われている。承知しました。
めちゃくちゃお世話になっている人の仕事から請けた期限が守れず「正直がっかりしました」と連絡がきたときは、胃が締め付けられて吐きそうになった。
その方が私の熱意と真っ直ぐさに賭けてくれていたのは伝わっていた。それをあっさり裏切ってしまった。あちらの失望感がメールの文面からありありと溢れていた。とんでもないことをしてしまったと蒼白になった。
震える手でその方に電話をかけて震える声で謝った。メールで伝わってきた失望感は電話からは伝わらず、その方は怒っていたけど同時に心配してくれていた。「頑張っているのは知っているから、無理なら無理ってちゃんと言ってくれればいい」と。ありがたさと申し訳なさでえぐえぐと泣きながら、私はもう一度だけチャンスをもらえた。
あれは夏前の出来事だったけど
いま思い出しても心臓がバクバクする。
誠実であること、人との約束を守ることは、簡単なようでどうしてこうも難しいのだろうと、人からの信頼をひとつ失くすたびに自問自答して自己嫌悪に陥る。
フリーランスは、会社にいた時以上に「私」が試される感覚がある。会社にいたとき以上に「『私』が仕事を任されているんだ」と強く感じる。相手の期待も失望もダイレクトに私へと届く。感情の振れ幅が大きい私は、その度に激しく喜び、激しく落ち込む。
去年むちゃくちゃお世話になった編集さんと今年もいっしょにがっつりお仕事できることになって嬉しすぎてワケが分からなくなっていた@トイレ。
— 真崎 @沖縄🌴 (@masaki_desuyo_) 2016年1月13日
「フリーランスに向いていない」
そう感じた理由を3つ書いてみた。
もはや理由になっていないけど書いてみた。
逆に言えば、それ以外はわりと「フリーライターになって良かった」と感じることばかりだった。
昨日、お世話になっている編集さんと電話でお話して「今年も真崎といっしょに面白いものをつくりたいです!!」と言われたとき、感動して泣きそうになった。トイレで。「私も一緒にいいものつくりたいです!!」と大きな声で返した。トイレで。
こんなどこのすね毛かも分からない私を、立派なライターとして育ててくれようと真剣に向き合ってくれる編集さんたちがいる。一緒に仕事をしようと言ってくれるキラキラビジネスパーソンな皆さまがいる。それが本当に嬉しくてありがたくて、すくすく伸びたい私がいる。
1989年9月11日生まれは組織不適合の宿命を背負っているらしいのでフリーランスを選んだのもきっと正解。誕生日には抗えない。諦念しか出てこない。
なにより、書くことは楽しい。
それは私の中の私が「間違いないわ」つって未だに明言してるからきっとそう。
結論、私フリーライター向いている。
私がそう思うからきっと向いている。
予想通りでしかないオチに関西人ならどん引き。
なにより私が引いてる。
とりあえず、引き続きライターがんばります。
ぜひお仕事ください(初心忘れず)。
真崎
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クリスマス前、最後の希望。アプリ版ワンコインランチで池袋デートしてきました。
700円から1200円のランチをワンコイン(500円)で食べられる『ワンコインランチ 東京』の存在を知って、私の下心が全力で疼いた結果生まれた自主企画『池袋ワンコインランチデート』。要はこのランチ本を使って男性とデートをする企画である。
私の職業上「今度記事にする企画なんだけど手伝ってくれん?」と自然に異性をデートに誘えて一緒にお店選びや美味しいランチを楽しめる上にコスパ最強(重要)なこの企画。
第一回こそ気になる異性が不在だったのでシェアハウスの同居人に同行を願ったが、この記事がそこそこ話題になって「自分も真崎さんとデートしたいです!!」と各方面からお誘いの声が上がる夢のような展開もあるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に企画を実施した結果、まあたくさん来たわ女子各位からのお誘い。想定外のモテ期来たわ。
その方々とは個人的にランチをしつつ、一向に男性各位からのお誘いが来なかったこちらのデート企画は驚きの第一回打ち切りの危機を迎えていた。
が
ワンコインランチを発行している『一般社団法人 元気UPプロジェクト』の代表・貝原大和さんから突如連絡。
貝原さん「ワンコインランチ、今アプリ版も出てるんだよね。今度はアプリの宣伝口実にデートしてきてよ真崎」
よろこんで。
現在ワンコインランチは、マイナビと提携して『マイナビ学生の窓口』という「学生の皆さんの生活をあらゆる面からサポートしますよ」な趣旨のアプリ内にワンコインランチコーナーを併設しているらしい。登録もワンコインランチも学生でなくても使えるので今回の企画でも問題なく使用できるとこのこと。
時はクリスマス直前。
このタイミングで貝原さんからお声がかかったのは偶然ではない。きっと今がその時なんだ。きっとそうだ。
そんなわけで、時間は空いてしまったけれど
『第二回 池袋ワンコインランチデート』を実施することにした。
‹‹(´ω` )/›› ‹‹( ´)/›› ‹‹( ´ω`)/››
相手を募集してまた女性しか来なかったら悲しい。
第一回と同様今回も自分からオファーをかけよう。
いま気になるカレを誘おうか……
それとも憧れのアノ方を誘おうか……
ドキドキするな……
でも勇気を出したいな……
私、怖いけどがんばって誘ったよ……
今回のお相手は……
シェアハウスの同居人。
名はけんぞー(26歳)。
あっれーデジャヴ。
この展開も内輪ノリ感も見たことあるわで何ひとつ進歩のない自分に今年一番の恐怖感じてる。
結局ここ一番の勇気なんて出ないまま、日夜顔を合わせては「車」「新幹線」「「ナダルリバース・レボリューション☆」」などと低次元なやり取りをしている彼に声をかけた。(ネタ元:ナダルリバース・レボリューション)
悪天候の中彼氏彼女のいない男女ふたりが「私らなんでデートしてんねやろな」「な」「もうすぐクリスマスやな」「な」と歩く図たるや。頬を流れる水が雨が涙か判別不可能。
気を取り直して、お店選び。
ランチ本をパラパラ見ながら選ぶのも楽しいけれど、スマホでさくさく探すのも便利で悪くない。
「地域から探す」で豊島区の中からお店を探す。
いちばん掲載店数多いのは千代田区らしい。
真「あ、ここ良くない?」
け「お、ここええやん」
真「ほなここにしよ」
ということで、こちらのお店に決定。
席数11席でこじんまりとした店内は隠れ家感満載で内装も非常におしゃれ。入った瞬間カレーのスパイスのかおりが鼻孔をくすぐり秒速で空腹になる。
ワンコインで食べられるメニューは決まっているので、アプリを見せながらすぐに注文。そして出てきたランチはこちら。
名物「たきびカレー」(実際は800円くらい)
見た目もインパクト大なこちらのカレー。
311東日本大震災の際に考案されたメニューで、消化によく体にも優しいスパイスや薬膳がたくさん入っているらしい。
玉ねぎが、トロットロ。
もうめっちゃ美味しい。
このパリパリの食材も、たぶん玉ねぎを揚げたものだと思われる。パリパリのままでも、カレールーに浸かって少しシナシナした状態でも、どっちも美味しい。
付け合わせのピクルスのかおりを感じる同居人。おそらく9分9厘なにも感じていない。
リーフサラダにはなにもかかっておらず、ビネガーやオリーブオイル、岩塩などをお好みでかけることができる。オリーブオイル×塩の組み合わせが最強でもはや草だけで満たされる。
美味しいランチを堪能しながら考える。
一応、これデートなんよな。
真「なあ」
け「ん?」
真「なんかデートっぽいことしよ」
け「デートっぽいことってなんやねん」
真「私が聞きたい」
け「ごめん」
デートっぽいことを話し合った。
真「吊り橋効果試したい」
け「不安と好きを勘違いするみたいなやつやっけ?」
真「それ。もしかしたらお互い好きになるかもやで」
け「たぶんないけどいいよ、なにするん?」
ホラー映画鑑賞。
一番怖い話と有名な「雪山」。
こちらのお店は電源とwifi完備で、ランチ時間を過ぎるといい具合に店内が空いてくるので、端っこでこっそりパソコン広げてイヤホン共有して本気の鑑賞会をば。
もうね、普通にすっげえ怖い。
吊り橋効果とか絶対ない。
雪山で遭難した4人が幽霊にひとりずつ狩られていく恐怖心が恋心に置換されていくとか絶対ない。
真「これはミスった」
け「これはミスった」
真「デートでホラー見るん辞めるわ」
け「そもそもこのシチュエーションでホラーは間違ってることに気付くべきやったな」
真「……」
け「……」
気を取り直してデザートでも。
フレンチトーストとジンジャーアイス。
出てくるメニューはすべて絶品でした。
隠れ家的なお店だけどこれはファンつく。仲良く分け合って食べたよ。(真:け=8:2)
そんな感じで池袋ワンコインランチデート終了。
今回の学びは「ホラー映画で吊り橋効果は期待できない」。
いやー学んだ。
「真崎はまずデートの場数を踏め」
26歳、いろんな意味で依然ピュッアーな私は、引き続き実直に実戦を重ねていこうと思います。
ワンコインランチデートに興味を持ってくださった方
よかったらランチしましょう。
いろんな意味で真崎空いてます。
そして今回使ったワンコインランチのアプリ。
ダウンロードしたら30日間無料で使えます。
特に東京に住んでいる人にはもう絶対おすすめ。
ダウンロードはこちら。
真崎
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「自分が悪い」と自責の念で苦しいときは一旦他人のせいにしてみる
「人のせいにしてはいけません」という学級目標を小学生のときに共有し「自責の人であれ」と大学時代の先輩から叱咤激励され「他人は変えられない変えられるのは自分だけ」という心理学に心から共感し、身の回りで起こる事象すべてを「自分の責任」と表面的にでも捉えるようにしていた私が今から推奨するのは「たまには他人のせいにしよう」というもの。
今回このメッセージを届けたいターゲットは「『自分が悪い』『自分がダメだ』『自分が変わらなければいけない』と思い込んで自分を変えようと思うほど苦しくなって動けなくなるそんな自分が死ぬほど嫌い」という方であり、少なくとも「上司のせい会社のせい政治のせい社会のせい親のせいだ」などと普段から健康的に他責の愚痴を吐けている方には必要のないメッセージになる予定。あとは「私が悪い」「いやそんなことないよ」「ううん私が以下略」な状況を特に変えたくない方にも不向き。
「他人のせいにする」
この言葉だけで激しく抵抗感を持つ人や「他人のせいにしていても問題は解決しない」という素晴らしい正論を述べてくださる人もいると思う。が、とりあえず最後まで読んでいただけると非常に幸い。正しいだけで何も解決しない綺麗な言葉よりは多少建設的な意見ができればと。
まずは、このメッセージを書きたくなった背景、自責の念に押しつぶされて死にたかった頃の私の話から書いてみる。
自分が悪いから変わらないといけない、でも体が動かない
子ども教育の世界で生きていこうと決めたのは、大学4年生のときのこと。
ある教育系の活動の中で将来に悲観的だったり学校来てなかったりネグレクト受けてたり手首切ってたりする子ども達と関わるうちに「こんな子ども達に寄り添って彼らが希望を持って生きていけるよう支援できる大人になろう」と決意。そして当時から人の生死に敏感だったため「誰も死んでほしくないから頑張る」とも思っていた。
「人のせいにしてはいけません」
「自責の人であれ」
「他人は変えられない変えられるのは自分だけ」
総じて「起こり得るすべての事象を自分の責任と捉えて行動すること」は、当時の私を構築する大切な信条のひとつであった。
そして、教育業界へ就職。
1社目はいろいろあって2か月でクビになったものの、転職で不登校業界へ滑り込む。
その会社で起きたことは以下の記事の通り。
端的にいうと、仕事でやらかした。
そこから社内で最低な評価をいただくようになり「傲慢で自分を過信して欺瞞に満ちたあなたは今すぐ変わらないといけない」と日々ありがたい言葉を重役クラスの皆さまにいただくことになる。
全部自分が悪いと思った。
まじで自分クソだなと思った。
本気で「変わらなきゃ」と思った。
でも「変わらなきゃ」と思うと頭も体も動かなくなって、変わるために仕事外の時間で努力しようと勉強や自己改善的な何かの準備していたのに手につかず固まったまま気付けば朝という日が続き「車に轢かれたい」「電車に飛び込みたい」と願いつつ行動に移せない自分を責めながら会社に通った。誰も死んでほしくないが自分は死にたかった。
上記ブログは「『変わりたいと思えませんでした』と言って会社を辞めた私は、上手く社会に適応できないなりに自分らしく自分を生きていこうと思いました」という美談オチ。
しかし、現実はそんなに美しくない。
仕事を辞めて身体は楽になったけど「自分が悪いのに変わるための努力もできず『変わりたくない』なんて思ってる自分は最低だ」という気持ちはべっとりと心に張り付いたまま。
そして、間もなく3社目に転職。
2社目で働いていたときから3社目の社長の不登校に関するブログを読み「こんな人と一緒に活動したい」と思っていたので、採用が決まったときはもう夢みたいな気持ち。
3社目でもこじらせた。
詳細は割愛するが、とにかくいっぱいいっぱいで仕事でもよく失敗して当然ご叱責は受けてその度に激しく落ち込んで「やっぱり自分はダメなんだ」と悩んだ。
2社目の時と同様「自分が悪いし出来が悪いから成長できるよう努力しなきゃ」と家に帰って残った仕事に取り掛かるも、頭がフリーズしてPCを開いて画面を見つめて動かないまま気付けば数時間泣き続けている、そんな日もあった。
再び激しく自分を責めた。
やっぱり変わらなければと思った。
でもどんなに強く自己変化を望んでも、自分も状況もまったく変わらなかった。
ターニングポイントは入社4か月目。
上司に「退職したいです」と告げたときのこと。
「『自分が悪い』と自分を責めて落ち込んでいるときほど実は内心で他人を責めている」
退職したい理由を話すとき、もう退職するしいいやという開き直りと、この上司はたぶん受け止めてくださるという信頼もあり、そのとき思っていたことをすべて話した。
それは「自分が悪いから」「自分が迷惑をかけるから」というものではなく、ここに書くことも憚れるほど自分本位で好き勝手な本音、というか愚痴だったと思う。その本音を出すことが怖くてその話し合いでもパニック状態だったけど、上司が「大丈夫、いいよ、言ってみな」と言って聴く姿勢をつくってくれたので言えた。
結果的に、それで楽になった。
自分でも驚くほど気持ちが変わった。
自分自身の心も楽になり、上司も業務内容を配慮してくださるようになり、その後数か月は仕事も楽しく絶好調という状態が続いて「働くって楽しい!!!」と初めて思えるように。めでたし以下略。
しばらく経ってから、このときの話を上司と話す機会があった。
真「あの話するまで、自分責めまくって頑張ろうとしたけど全然変われなくて。話してからびっくりするぐらい楽になったんです」
上司「内容はどうあれ本音を言えてよかったね。それを言ってくれるのを待ってた。あのときのキミの状況だと『自分を責めている』というのは、実は正しくない。『自分が悪い』と自分を責めて落ち込んでいるときほど実は内心で他人を責めているんだよね」
ああ、それ間違いないですわ、と。
上司のその言葉は驚くほどスッと私の中に染み込んでいき、現在の私の価値観を構築する上でも重要な存在になっている。
長い自分語りになってしまって恐縮だが、ここからその上司の言葉を自分なりにかみ砕いて説明していきたい。
「他人のせいにする」のではなく「他人のせいにしている自分の本音に気付く」
「自分を責めている」というのは、実は正しくない。
上司の言葉はその通りで、振り返ればあの時完全に私は「自分が悪い」と表面的に思おうとしていたその心の奥底で「私のつらさや苦しみを分かってくれない上司や会社が悪い」と思っていた。事実ベースで語りにくい話だが、おそらく間違いない。
そうすると、変わらなきゃと思っているのに変わるための行動が取れなかったこともつじつまが合ってくる。もし変わってしまったら「自分が悪いから変わらなきゃ」を認めてしまったことになるからである。
それは、都合が悪い。
だって悪いのは自分じゃなくて周りのはずだもの。
これまでの自分の人生を振り返っていても、本当に「自分が悪い」「自分に責任がある」と思えていたら、他人に相談することも含めて必ず問題解決のための行動を起こしていた。「自責の人であれ」とはおそらくこういうこと。私の周りでもすべてを自責と捉えて行動し続ける人たちがいて本気で尊敬している。
ただ、そんなに強くないきっと人もいる。
他人や環境のせいにしたくなる・してしまうことは全然不自然でも悪いことでもないと思う。
しかし「人のせいにしないこと」が美徳であり正しいことだと教育やら何やらで固定概念化しているのか、他人や環境に対して不満を持っている自分が悪いと思い込んでしまい「周りのせい」に硬くフタをして「自分のせい」にすり替えてしまう。
自責の念で苦しくて動けなくなっている人の中では、このような現象が起きているのではないかと思っている。
それは、きっと苦しい。
自分の本音がかき消されているから。
自分の中の自分が必死で叫んでいるのに、自分自身がその声を無視して社会適応用に取り繕った「自責っぽいもの」を自分の意思だと勘違いしているから。
自分が悪いのに変わるための行動ができない。
心の奥底では周りが悪いと思っている。
その先になにがあるのは「自分も他人もまとめて全員嫌いになる」という不毛な結果ではないだろうか。誰も得しない感がすごい。
だから、まさにいま自責の念で苦しいと感じている人には「他人のせいにすること」というよりも、「実は他人のせいだと思っている自分の本音に気付くこと・認めること」を問題解決のきっかけとして提案してみたい。
そこに気付いて、「他人のせいにしちゃいけない」と否定せずに認めることができれば、まず自責の念がちょっとだけ軽くなる。そしてその次に取る行動が変わる気がする。
私の場合は上司に思っていることをぶつけた。理解のある上司で良かったと同時に、一見みっともなく自分本位な行動ながら本音を話してみる選択ができて良かったと思っている。あのまま自分を責め続けるよりは。
ただ、その行動のハードルは高い。
私は性格上わりと誰が相手でも言いたいことを言ってしまうのだけど、それが苦手な人だってきっといると思う。
組織の中で相談できる人をつくるのが個人的にベストだと思うけど、それが難しい場合でも、他人のせいにしている自分を認めた後に取れる行動はある。
① ノートに愚痴を書きなぐる
どうせ誰も見ないので溜まった不満を延々と書きなぐってみると案外すっきりすることがある。
② 小さな破壊行動
イライラが募ったときに、その感情と一緒に新聞紙やトイレットペーパーを「ふんっ」と思いっきり破くと感情が消化されて気持ちが楽になる。これは心理学の先生に教えてもらった。ビリギャルのさやかちゃんも勉強でストレスが溜まったらいらないお皿を袋に入れて割っていたらしいので効果あり。
③ 外部機関への相談
労基やカウンセリングなど、外部で第三者の専門家が相談にのってくれる機関もいろいろとある。ひとりで上手く気持ちを処理できない場合はそういった機関頼るのもアリだと思う。
少なくともこのような改善手段は浮かぶ。
完全に解決するかは分からないがやってみる価値はあるはず。そのまま自分を責め続けるよりは。
「他人のせいにするなんてそんな」と思うならぜひ自力でと思うのだけど、それで苦しくて消えたくなるなら一旦他人のせいだと開き直った方がだいぶ健康的。周り的にもたぶん助かる。
まとめに入ると
・自責の念で苦しいときには「もしかしたら自分じゃなくて他人が悪いと思っているのかも」という可能性を疑ってみてほしい
・もしそうだったとしたら、とりあえずその気持ちを自分で否定せずに一旦認めてみてほしい
・その後は、直接当事者にぶつけるなり社内や社外の第三者に相談するなりノート書くなり新聞破るなりお手洗いにこもってトイレットペーパーを引きちぎるなりしてみてほしい
・すると、もしかしたらほんの少しだけでも気持ちが軽くなったり状況が改善したりするかもしれない
・しなかったらなかったらすみませんその時は私のせいにしてください
真崎
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「まだ26歳」「もう26歳」
「I'm not a girl, not yet a woman」
「私は少女じゃない、でもまだ大人じゃない」とはよく言ったもので、18歳だか19歳だったかの私はそのタイトルに大共感しながら毎日この曲を聴いていた。友人との喧嘩、組織での対立、リーダーの孤立感、失恋、母親との衝突、将来への不安。ちょっぴりセンチな気分になっては静かな地元の街を散歩しながらこの曲を聴いて泣いた。
「私は少女じゃない、でもまだ大人じゃない」
なんて。
そんな美しい思春期の日々とどこかみずみずしかったあの頃の自分を6年だか7年だか前に置き去りにして、先月私は26歳になりました。not yet a woman なんて憂うもんならもはやただの現実逃避。
いやー26。
きたかー26。
え、26?
うそ、26?
まじで、26?
気のせいじゃない?
それなんかの間違いじゃない?
ダニエル・ラドクリフと間違ってない?
26という響きに自分自身が動揺している。かつての私が想像していた26歳の図と現在の私があまりにも剥離しすぎて実感が一切湧かない。26歳ってもっと大人っぽくて格好良くて凛として颯爽として飄々としてカツカツしているイメージで。なんなら10年前に描いた私の未来予想図ではすでに2児の母の予定だったんだけど、あれは「カ・ン・チ・ガ・イ」のサイン?
26歳。
改めて考えてみる。
出演依頼をいただきテレビに出たけどアゴしか映らなかったあの出来事は記憶に新しく、結局収録中ひとことも発さず菩薩のようにニコニコしていた私。そのとき交わされていた激論の中で印象的だったやり取りがある。
私と同年代の美人社長さんが出ていて、その人が仕事を辞めた理由を語った。どうやら「先輩社員のオバサンたちが痛々しくて「こんなオバサンになりたくない」と思ったから」という退職理由らしい。50歳手前のベテランアナウンサーを前にまったく引かずに「オバサンの痛々しさ」を語るその女性。美人。ベテランアナの完璧な笑顔が怖すぎる。
しかし、そこはさすがベテランアナ。
素晴らしい切り返し。
その美人社長の近くに座っていた16歳の天然おばかキャラ芸能人Nちゃんに話をふる。
アナ「でもNちゃんにとっては、あなたもオバサンじゃない?ねえNちゃん?」
N 「うん」
社長「…」
真崎「…(流れ弾を被弾)」
想像もしていなかった。
16歳の子にとっては、26歳もオバサンなのか。
前職まで小~高校生と関わることが多く、生徒からは基本的にあまり「人生の先輩たるお姉様」みたいには見られず同じようなノリとテンションで話すことが多かったから油断していた。実年齢に関わらず「私若い」ってちょっと思ってた。
まじか。
突き付けられた26歳の現実1つ目。
2つ目。
この前大学時代の友人とお酒を飲んだのだけど、その人はもう社会人4年目。昇級して部下もいるらしい。そうか。確かに私の同級生の多くが2012年に大学を卒業して就職したので、真面目に仕事を続けていればもう4年目になるのか。
かたや私。
ピカピカの大学5年生に進級したため同級生より社会人のスタートは1年遅い。社会人になってから3社に「新人」として入社して昇級も部下がつくこともなくキャリアが浅いうちに辞めている。そして現在、ライター界でもバイト先の会社でもまた「新人」からのスタート。その結果「新人歴3年半」という不思議な経歴を手に入れた。
私の中で「新人」と「26歳」が結びつかない。
気持ち23歳で自分の年齢が止まっているような気がしていたのは、そんな原因もあるのかもしれない。
が。
ライターの仕事を始めてから幾日か経った頃、ドカンとご叱責をいただいたことがある。その時の言葉を思い出す。
「あなた、25歳でしょ?」
その言葉は凄まじい焦燥感を駆り立てた。
勝手に「新人」の看板掲げて「皆さま私は新人ですでその辺りどうかご理解よろしくお願いします」と自己防衛に走ろうとしていた自分の存在に気付く。
それは、私とて本意ではない。
そのときは25歳。
そこからさらに年を重ねて、現在は26歳。
その年齢が「社会人」の枠の中でどのような評価を受けるのか突きつけられた。「社会人である以上年齢なんて関係なく誰もが自覚と責任感を持て」なんぞと言われましたら話はそこまでだがしかし、それでも「年齢や若さを理由に甘い顔をしてもらえる確率」は年々低下している、そんな感覚は正直ある。
一方。
同じ年のフリーランスで芸術分野の活動をしている友人がいてつい最近話した。お互いの仕事での話、悩んでいること、凹んでいること、それでも応援してくれたり個人的に仕事を依頼してくれたり時には仕事の関係内外に関わらず本気で叱って育てようとしてくれる人達がいるのは、本当にありがたいねということ。
そして、その後、お互い続けた。
「「これ、30歳になったらそうはいかんよな」」
実際30歳がどんなものか分からないし、30歳の方々に対して喧嘩売っているわけではない。要約すれば「26歳の私たちは正直まだ「若さ」という恩恵を受けている」とお互いが感じていたということだ。ただそれも「ギリギリ」であり、当然今も未来もその恩恵に甘えているわけにはいかないと私も彼女も激しい焦燥感を覚えている。
「まだ26歳じゃない」
「もう26歳でしょ?」
お互い、両方、言われたことがある。
この年齢だとこう、という絶対的な評価はない。
それは大前提。
それでも、頭の中に、ぐるぐると響き渡る。
「まだ26歳」
「もう26歳」
そんな、26歳。
ちなみに。
26歳になったときに「うおーアラサー」と叫んでみたら「え、26歳だったらまだアラサーではなくない?」と言われた。
四捨五入して30歳ならアラサー
ではないのね。
26歳になって最初に知ったトリビア(死語)でした。
真崎
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