真崎です

沖縄にいます

私が退職する日、そのキャバクラはつぶれました

 

5ヶ月ほどお世話になった朝キャバのお店をつい先日退職しました。

同日お店もつぶれました。 

 

 

 

「全員、平等に給料カットしてるから」

 

社長の女性が告げる。

顔は不機嫌。

私たち動揺。

 

 

え?

 

 

「これだけ働いてるのに、あんたもあんたも真崎も全然本指名とってこない。これって結構ありえないからね?普通これだけの期間頑張って働いて営業もしてたら指名客つくからね?お客さん来ない時も待ってる間にずーっと関係ないおしゃべりしてたり携帯さわって営業メールしてるのかと思ったらゲームしたり関係ないサイト見てたり。お客さんにちゃんと連絡先聞いてる?連絡先交換したお客さんにマメに連絡してる?ドリンク頼もうって努力してる?場内(指名)取ろうとしてる?結局お店はキャストの女の子にかかってるんだからね?あんた達がお客さん呼ばなかったらお金は入らないからお給料も払えないの分かるよね?もう私も支配人もオーナーからお給料もらってないからね?今月0だからね?だから減らしたから。払うお金ないんだから分かるよね?」

 

 

まくしたてる、社長。

 

私たちはただ聞くしかない。

わりと真面目な女の子の多いお店だったのでみんな素直に「はい、はい、すみませんでした」と小さな声で謝る。

 

私の隣にはこのバイトで生計を立てている女の子。誰よりも多くの日数出勤している彼女の給与は、ざっと計算しただけでも3万円ほどカットされていた。経済的にギリギリの生活をしていた彼女は、突然想定が激しく狂って本気で絶望した顔をしている。

 

 

これが、つい1~2か月前。

私はこの日に退職したい旨を伝えた。

 

 

 

***************

 

 

体験入店の時に思ったことは

「ずいぶんお客さんの少ないお店だな」だった。

 

 

かつてはその地域自体で朝昼夜キャバがもっと栄えていたようで、地域柄ガラの悪いお兄さま方が店で暴れて潰れて吐いて倒れて喧嘩して朝は道路に割れたビール瓶と出血多量のお兄さまが転がっていたりしたらしい。

 

「あの頃は盛り上がってたよね~」

そう常連と楽しそうに語る社長は一晩でテキーラ4本開けて営業が終わった瞬間崩れ落ちて頭を打って血まみれで救急車で運ばれたらしいけど記憶がないらしい。流血がデフォルト。

 

 

 

栄枯盛衰。

 

その街自体から人が減ったらしい。キャバクラに来る人も、来てお金をガンガン使う人も目に見えて少なくなり、ただでさえ貴重な新規のお客さんを取り合う世界になったそう。

 

私が働いていた店も同様で、まったくお客さんが入らない日も週4で出勤していたら1日ぐらいはほぼ必ずあった。

 

「お店大丈夫?つぶれるんじゃない?笑」

キャストの女の子たちとはいつもそんな話をしていた。支配人の男性も「いやー今日もだめだなー」ぐらいのリアクション。

 

「お店大丈夫なんですか?」と聞くと

「まあこれでも昔はすごく栄えていた店だからね。あの時の蓄えがあるから心配するな」と支配人は言う。店内に「危機感」らしき空気は漂っていなかった。

 

 

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私は、このお店が好きだった。

 

初めて足を踏み入れる水商売の世界で不安もすごかった私。顔にも色じかけにも自信なし。フリーランスになりたてのときに経済的安定を求めて「ライター1本で仕事できるようになるまでの我慢!修行!」と言い聞かせて飛び込んだ世界。

 

支配人の男性はとても優しかった。

お父さんのような人。

待機中によく話したりしていた。

 

社長の女性は美しかった。

過去にずっとNO1キャバ嬢だった人。

あまり話さず近寄りがたいけどたまに一緒に席につくとそのサービス力と色気にキャストの女の子たちも感嘆していた。

 

 

そして、そのお店では「お客さんに営業しなくてOK」「待合室で携帯さわっていてもOK」「出勤日数が多い人は時給アップ」というルールがあった。

 

上記ブログは、べたべたさわってくるお金持ちのお客さんをやんわり拒否してたら怒らせてしまって私が罪悪感から支配人に号泣謝罪した話。支配人も社長も「真崎が頑張ってるのは分かってるし、無理しなくてもいい」と言ってくれてとても助かった。

 

ほんとに働きやすかった。だからたぶん「ブスブスくそブス(立てられた中指つき)」な暴言にも負けず5か月間続けてこれたんだと思う。

 

キャバクラは理不尽なことがとても多い世界だと聞いていたけど、理不尽なことなんてなに一つない店だった。

 

 

***************

 

 

スーパー理不尽な給与の削られ方をされた死にそうな顔をしている後輩キャストと、とはいえ同じく理不尽な削られ方をされた私は、「今この店なにが起きているのか?」について真剣に話した。

 

「もうお店やばいですよね」

まあそういうことだった。

 

2週間で「誰も来ない日」が3回。

来ても最低料金の席料分しか出さない人が多い。

お客さんが来ても私たちのお給料で赤字。

場代なども入れたらきっと大赤字。

 

 

「…」

「…」

 

 

待合室にただよう、なんとも言えない空気。

 

その後輩とは、クソ真面目な性格や仕事への取り組み姿勢がとても似ていると感じていたので、あの時感じていたものもきっと同じだった気がしてる。合計2つ。

 

 

1つは、罪悪感。

 

「確かに私たち、全然営業してなかったし、お客さんも呼べてなかったし、待合室でずっと喋ってましたしね」

「言いかえせへんよね」

 

しゅん。

 

 

 

2つめ。

 

「…」

「…」

 

「でも」

「うん」

 

 

「納得いかないですよね」

「うん」

 

 

営業しなくてOKで待合室では携帯もおしゃべりもOK。そのルールはあちらから提示してくれたもので、「こちらが空気を読んで対応する」必要性はあったにせよ、それで怒られて、且つ減給理由に「そのペナルティもあるからね」と言われることには、納得いかない。

 

そして、減給も突然。

事前の予告もなく「こういう理由だから引いたよ」という説明のみ。

 

 

そして、それよりも。

 

 

「社長、私たちのこと全然見てないのに、「まったく頑張ってない」とか言わないでほしいですよね」

 

「うん」

 

 

朝出勤すると、いつもそこにいるのはお父さんみたいな支配人。社長は大体2時間後ぐらいにきて、作業部屋にこもって、閉店前には帰る。仕事があるから仕方ない。

 

ただ、その人に「まったく頑張っていない」と言われたら、こっちだってやはり言い返したくなる気持ちはあった。

 

その後輩とは一緒に席につくことが多く、どうやったらもっとドリンク頼めるか、延長してもらえるかなどを待合室でよく話したりしていた。実際けっこう体張って頑張ってドリンク頼めたり、お金持ってる人が来たらとにかく飲めるだけ飲んで閉店後つぶれるみたいな状況もお互いあって。

 

 

それは、社長の求める「頑張り」より小さなものだったのかもしれないけど。

 

勉強が苦手なりにちょっと頑張ってテスト勉強したのに点数が30点で「ほら全然勉強してないからこうなったんじゃないの」とお母さんに怒られる時の子どもの気持ちって、こんな感じなのかもと思った。

 

「私だって、がんばったもん」

 

ふてくされたくなる、そんな気持ち。

 

 

 

**************

 

 

そこから「頑張って」も、お給料は減らされた。

 

怒られた当初は「社長の言うとおりなところもあるし頑張ってみよう」と話して、お店の理不尽さに無断でとんだ子たちもいる中、私と後輩は慣れない営業メールなどを送ったりしてみた。

 

でもすぐに結果は出ず、お給料は減らされた。

 

 

モチベーションなんてほぼなくなっていた。

お金もほとんどもらえない。

頑張っても同じ。

 

 

それでも続けたのは、支配人がいたから。

 

支配人も、お店が苦しくてお給料をほぼもらっていない状態。心身ともに弱っているのがひと目で分かる状況の中、いつも私たちキャストのことを気にかけてくれていた。

 

「お前達が頑張ってるのは知ってるから」

「給料の件は俺からちゃんと説得する」

「力ないから無理かもしれないけど、ごめんな」

 

後輩と一緒に「支配人のために頑張ろう」と言っていた。

 

 

一方で、社長に対する不信感はお互い消えなかった。

 

「全然私たちと話さないのに」

「全然私たちのこと見てないのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんとは、

 

社長と仲良くなりたいのに」

 

 

 

私と後輩の奥底にあった気持ちは

たぶんこれだったと思う。

 

綺麗で強くて凛としていて

でも時々お店の経営不振で苦しんでこっそり泣いたり本気で悔しがっている姿も見ていて。

 

ほんとは、もっと話したかった。

あこがれや尊敬もあった。

 

近づき方が分からなかったけど

だけど力になりたかった。

 

 

 

 

お店がつぶれることは、私が退職する2週間前に決定したと告げられた。

私の退職日が最終日。

 

そのときにはもう私の出勤日数はかなり減っていて、残りあと4回ほどとなっていた。

 

 

*****************

 

 

「キャバクラだって、本気の「仕事」なんだよ」

 

社長が、私と後輩に減給を告げて叱責したとき、こんなことを言っていた。

 

 

「プロなんだよ。席についている時だけ楽しく話してればいいってもんじゃない。待機室でも営業メール打ったり、休みの日でも電話かけたり、女の子たちのそういう努力があって初めて成り立つ仕事なんだよ。

 

 

私悔しいよ。

 

みんなもっとできるって。

 

 

私にできることがあったら教えたりするからさ、がんばろうよ」

 

 

普段あまり話さない社長が

感情をむき出しにして伝えてきた。

 

 

減給説明は理不尽でいやな気持ちになったけど、その社長の言葉は、私の胸にストレートに伝わってきた。まんまとこころを動かされた。

 

私にとって朝キャバはあくまで副業で、別に高い給与は望んでおらず、待機しているだけでも時給が発生するので「むしろお客さん少ない方がラッキー」という気持ちでいたことは、事実。

 

 

でも、これは「仕事」なんだ。

 

社長の想いがつまった「仕事」なんだ。

 

 

社長の話が終わったあと、私は自分なりに真剣に考えて、社長のもとに退職希望の旨を伝えにいった。

 

正直、副業としか思っていませんでした

座っているだけでお金がもらえる仕事だと思っていました

 

でも、それじゃダメだと思いました

やるなら「仕事」として向き合いたい

 

 

だけど、私の「仕事」はライターでした

 

ライターで本気でやっていきたいと思っているのに、朝キャバのバイトに甘えていて、結局どちらも「仕事」として中途半端にしていました

 

こっちの方がお金稼げるから、どこかで朝キャババイトをセーフティネットみたいに思っていました

 

 

頑張りたいのは、本業の方です

 

だから、けじめをつけて辞めさせて下さい

 

 

 

というのを

気付けば嗚咽交じりで話していた。

 

 

 

社長は真剣な目をして聞いてくれて

私が話し終えたあと、言った。

 

 

「真崎、ライターだったのね」

 

そこからか。

 

 

「分かった」

 

 

ライター、頑張りな。

 

あと1か月ちょっとぐらいだけど、最後、いっしょに頑張ろう。

 

 

 

さっきまで怒っていた社長の顔は

ものすごく優しい笑顔になっていた。

 

 

 

****************

 

 

 

 

 

 

 

その後も、やっぱり減給はあって。

その度に後輩と愚痴り合って。

 

悔しくて、悔しくて。

社長に「自分が頑張っている姿」を見せたくて。

結果残したところを見せつけたくて。

 

 

お客さんへの営業電話もかけて。

浴びるほどテキーラ飲んで。

席を盛り上げて延長と場内指名とって。

 

 

 

 

 

このときは確かかなり酔っていたけど。

 

でもほんと、もはや意地で。

 

 

 

 

 

実際酔っぱらってたから、幻覚かもしれない。

 

 

 

 

 

最終出勤日。

 

そして、お店最後の日。

 

 

「真崎。最後までありがとな。またマッサージしてくれ」

 

そう言って笑ってくれた支配人に、深々と頭を下げる。

この人のおかげで、最後まで働けた。

 

 

 

私が帰るとき、社長はまだ他のお客さんの席について楽しそうに接客していた。

 

いつも綺麗だけど

最後の日だからか、格段に綺麗にしている。

 

ちゃんと挨拶したかったけどできそうにない。

そう思ってお店を出ようとした。

 

 

 

「真崎」

 

 

接客中に、社長が呼び止める。

 

こんなことは普通ありえなかった。

 

 

 

社長の元へいく。

 

社長は、とても美しい笑顔をしていた。

 

 

 

 

 

「真崎。最後まで、本当にありがとう」

 

 

 

 

聞いた瞬間泣いた。

 

泣いて、おもいっきり頭を下げた。

 

 

 

 

そして、私の朝キャババイトは終わりました。

 

いっしょに、そのキャバクラも終わりました。

 

 

 

真崎

 

 

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26歳、ライター。本気の悔し泣きをしました -「LIGブログ1日編集長ハッカソン」備忘録-

 

 

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「LIGブログの勝手に1日編集長ハッカソン

に参加してきました。

 

上記ブログにも書いたのですが、参加理由を140字以内でまとめると「バイト先の会社のエンジニアさんが主催するハッカソンのテーマが私の大好きなLIGという会社の「LIGブログ」で記事作成というもの且つ「最優秀作品はLIGブログ掲載」ということで、出るしかないしなんなら勝ちたいし即決だし結論LIGさん好き」みたいな感じです。

 

 

出ました。

備忘録もかねて勝手にレポート書きます。

 

「本気の悔し泣き」は大学4年生以来でした。

自分がまだこんな泣き方できたというのが新発見でした。

 

 

参加者30人以上、全員凄い人に見えてこわい

 

 

このイベントでは「エンジニア」「デザイナー」「ライター」「カメラマン」という4種類の専門分野の人が集まってチームを組むのですがまあ皆さん揃いも揃ってMacBook。開始前に各自でPC開いて開いてカタカタやってる姿がすでにデキる感溢れていてお腹痛くなりながら負けじと富士通のUltrabookカタカタしました。

 

 

「ものすごく賢そうな中学生ぐらいの子」がまさかの小学4年生でした。PCを開きつつ微分積分の本を読むその少年はすでに大学院レベルの数学内容を理解しているらしく「将来は数学学者になりたい」とのこと。この子がすでにコンテンツとして最強レベル。お腹いたい。

 

 

現実逃避でLIGブログを見ている間にイベント開始となりました。

 

最初に「コンテンツ制作講座」や「E2D3  ※今ハッカソンで使用必須のグラフ作成ツール」 に関するレクチャーなどひと通り受けたあと、いよいよハッカソンに突入します。

 

 

最優秀賞のカギは「アイデアソン」と「チーム編成」だと思っていたのでこの瞬間に賭けていました

 

 

私の目標は「最優秀賞」と「LIGブログ掲載」でした。

 

そして、その目標を達成するために重要な要素の8割を占めているのが「アイデアソン」と「チーム編成」の時間であると思っていました。

※アイデアソン:特定のテーマについてグループ単位でひたすらアイデアを出してまとめるワーク

 

今回のハッカソンのテーマが「おもしろブログ記事作成」である以上、最優先事項は「どれだけ面白い切り口で面白い文章展開の記事が書けるか」だと考えていました。

 

 

で、ここはなんかすごい傲慢な感じになるのですが、その時点で私は「私が考えた切り口と構成と文章展開で記事を書かせてくれるチームをつくること」に注力することにしていました。

 

上手く言えないのですが、「入賞を狙う上でこの点は外してはいけない」と強く思う自分がいた感じです。我の強さと負けず嫌いが全開になっていました。

 

だから「このテーマだったら面白い記事になりそうだし一緒のチームでやりたい」と思ってもらえるアイデアを出すことに午前中は全力を注ぎました。そうして出来たチームだったら私が全体のディレクションをさせてもらえる可能性が高いと思ったからです。 

 

 

1日前の誕生日を持って処女歴26年になりました。

せっかくなので活用することにしました。

 

イデアソンで出たそのアイデアを前でプレゼンする時、予測できる周りの反応は大きく3つで「興味持つ」か「全力で引く」か「無反応」で、結構賭けだったのでした。

 

その結果、プレゼン時の空気的には「全力で引く」と「無反応」がほとんどだった気がして猛烈に消えたかったです。

 

 

そして、私含めアイデアを発表した9人が前に並び、他の参加者の方が「このアイデアで(あるいはこの人と)やりたい」と思うところに並びにいく時間。

 

 

とっても不人気でした。

処女カミングアウトした上に滑ってる感満載ですごく帰りたかったです。

 

 

おひとりだけ来てくれました。

 

「勉強会だと思ってこのイベントに来てみたらまさかのハッカソンだったので「帰ろうかな」と思っていたけど面白そうなこと言ってる奴がいると思ったから残りました笑」

 

奇遇。

私も「帰ろうかな」って思っていました。

 

 

絶望しつつも人が来てくれたことにまず安堵、そしていろいろ諦めたくはなかったので、プレイベントで一緒に仮チームを組んだハイスペックエンジニアさんを「まじ来て下さいもうほんとまじで来て下さい」と泣き落とし。ご加入決定。

 

そして、飛行機で人が倒れた時にCAさんが医者を呼ぶレベルで「デザイナーさんはいませんかー?どなたかデザイナーさんはいませんかー?」と叫んでいたところ、私と裏腹に大人気だった隣チームから、「僕が貢献できるところだったらどこでもいいので」と抜けて来て下さったイケメンがご出現。神様ってイケメンなんだなと思いました。

 

 

 

4人、揃いました。

 

 一時はどうなるかと思ったのですが、私が考えたテーマに沿って、このチームで記事を作成させてもらえる運びになりました。

 

そして、本当に本当にありがたいことに、私以外の3名が揃いも揃ってめちゃくちゃハイスペック且つどんだけってぐらい優しい方々でした。

 

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右4人がチームです。

おひとりがチーム名を「まっさら」と名付けてくれたのですが、おそらく私の恋愛経験を形容してくれたものかと思います。

 

チームも無事決まったところで、作成開始です。

 

 

鰹を3枚におろしたりしました

 

 

チームに鰹をさばける人がいました。

写真はハッカソンの様子です。

 

 

他のチームの皆さんがワーキングスペース内で記事作成や開発に精を出される中、私たちのチームは4人全員でまず上野の町に繰り出しました。

 

私を主体とした記事テーマだったので、30万の超高画質カメラで大量に写真をばっしゃばしゃ撮っていただきながらアメリカ横丁を散策。

 

 

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「私、被写体として最悪の素材かもしれない」

 

撮っていただいた写真たちを見ながら思いました。

自虐ではなく、いちライターとしてそう思いました。

 

とても美人なわけでもなく、かといって女を置き去りにした芸人感を出すわけでもない、中途半端でどちらかというとなぜか不快。そんな所感。

 

「今考えている記事テーマで私の写真をたくさん使ったら絶対ただただイタい記事になる」と感じたので、ちょっと大きめの方向修正を提案。皆さんの「いいですよ!」がとても爽やかでした。

 

 

 

で、帰ってきて、ハッカソンしました。

 

 

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ハッカソンって楽しいですね。

 

 

 

ここから記事作成を開始

 

200枚近い写真を撮っていただいて、お腹もいろいろいっぱいになったところで、いよいよ記事作成開始です。

 

私は写真選定をした上で文章を考え始めました。

他の方は、写真を編集してくれたり、私が書いた文章を片っ端からコードで入力してくれたり、今回の必須課題である「E2D3を用いた見せ方新しめのグラフ」の開発をしてくれたり、鰹を焼いてくれたり、なんかもういろいろ本当に皆さんすごかったです。

 

なので、そんな皆さんに甘えて、本当に私の思う通りの形の記事ができるようたくさん要望つけたりさせてもらいました。大体全部形になって返ってきたのでその度感動しました。

 

 

12時から開始して終了は18時50分。

 

買い出しや料理を行っていた私のチームが記事作成を開始したのは15時でした。かっつかつでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

すべて完成せずに終わりました。

 

 

詳しくは書かないのですが、運営ルールに沿うと「審査対象外」となるかもしれない形での提出となりました。

 

 

 

終わった瞬間涙が出ました。

 

 

泣きながら他チームの記事を読んで投票しました。

 

いろんな記事を読みながらずっと心臓がバクバク鳴っていました。

すべて完成しているチームを見たときに「審査対象内の時点で負けた」と絶望感を感じていました。

 

 

あの時の自分の心情はたぶんすごくいろんなものが絡まりすぎていて今でも上手く言語化できません。

 

ただ

「最優秀賞取れない」

「LIGブログ掲載のチャンスがない」

という気持ちではなかったと思います。

 

 

たぶん、単純に「文章記事作成において誰にもどのチームにも負けたくなかった」という気持ちでした。

 

 

やるなら勝ちたかった。

ただ「1番」になりたかった。

 

そんな気持ちでした。

 

 

そんな気持ちになったのは、本当に何年ぶりだろうってぐらい、ただただ勝ちたくて、ただただ誰にも負けたくなくて。でもすでに「不戦敗」を突きつけられていて。

 

 

悔しくて。

悔しくて。

悔しくて。

 

 

懇親会前に会場から出て、涙が止まるまで外に出て気持ちを落ち着けていました。

 

 

あの時は、本当にチームの方たちのこととか全然考えられなかったなと思います。エンジニアの方は、終わって懇親会が始まってからもずっと、ひとりでずっと黙々と、未完成だった部分の開発を進めてくれていました。

 

そして完成させてくれていました。

本当にありがとうございました。

 

 

 

太ももを審査員の方に見せつけた結果発表と表彰式

 

 

懇親会の後、結果発表がありました。

 

 

賞の数は全部で5つ。

 

2つの賞の発表を終えた後は、運営の代表の方からLIG社員の方に発表者が変わりました。

 

liginc.co.jp

 

顔写真が表示されない。

 

執行役員で人事部長のそめひこさん。

LIGブログの中では、部屋を砂まみれにされていたり、肝試しに行かされたり、「世界一即戦力な男」の菊池さんに悪口言われたりされている方です。

 

 

賞の内容は

 

〇LIG賞

:「いいオフィス」1日利用券

 

〇最優秀賞

:長野県のゲストハウス「LAMP」宿泊(交通費・朝ごはん付)

 

〇LIG特別賞

:LIGブログ掲載

 

 

この賞の順番で発表されました。

 

 

運営の方が発表した2つの賞は完全に審査対象外と分かっていたので普通に聞けたのですが、ここからはもう苦しい感じでした。

 

いろんな気持ちが高ぶって手に力が入って、短パンの裾を掴んだ手を握りしめて気付けばだいぶ捲り上がっていたらしく、そめひこさんに「短パンの裾を上げて太ももを見せつけないで下さい」と注意されました。

 

 

万が一、億が一

私たちの記事が賞をいただけるのであれば

 

“どうか最初の2つの賞で呼ばれませんように”

 

めちゃくちゃ祈りました。

賞の並びは「3位」「2位」「1位」の順番だと思っていたからです。

 

 

 

 

そして、まず「LIG賞」は

 

 

 

違うチームが呼ばれました。

 

ちょっとホッとした自分がいました。

 

 

 

 

 

そして、最優秀賞は

 

 

 

 

 

 

 

私たちのチームでした。

 

 

呼ばれた瞬間また涙が出ました。

 

 

安堵、驚愕、歓喜、悔しさ、

 

それがどんな感情を表した涙だったのか、ちょっとうまく説明できません。

 

 

最優秀賞をいただきました。

 

それは、やっぱり、とても嬉しかったです。

本当に嬉しかった。

 

 

 

そして一方で、「でも」が続きました。

 

 

私が最も欲しかった

「LIG特別賞」

 

 

 

 

 

 

 

「今回は、受賞チームはありませんでした」

 

そめひこさんの言葉は

意外にすっと私の中に入ってきました。

 

 

どのチームも素晴らしいものをつくってくれた。

でも、今回は「LIGブログ掲載」は賞品であるはずだけど、今ハッカソンのテーマは「バズるおもしろ記事」をつくることで、今回提出された記事だとおそらくバズらない。

 

せっかく載ったのに反応がない。

それだと本来「賞品」のはずなのに嫌なものに変わる。

 

私たちのチームの記事は、タイトルを見れば俺や男は反応すると思う、が、読んだ後シェアをしようとは思わない。

 

 

「厳しいかもしれませんが、今回はそのようにしました」

 

 

むしろ優しいと思いました。

 

もちろん「LIGブログブランド」があるわけなので、大会とはいえ、へたに記事を掲載することはできないだろうと思いますし、そめひこさんの総評は「まじでごもっとも」だと感じたので、なんかもういろいろ納得でした。

 

 

自分の現在地は「ここ」なんだなと思いました。

 

 

 

で、初ハッカソンが終わりました

 

 

そんな初ハッカソンでした。

途中で飲んだレタスビール全部目から出たんじゃないかって感じになりました。

 

 

ほんとにチームに恵まれました。

私のただのちっぽけのアイデアを真剣に受け止めてくれて、めっちゃハイスペックな感じで、私では絶対に無理だった記事クオリティを短時間で実現させてくれました。

 

「自分がつくりたいものをつくらせてもらえる」ということがこんなに嬉しいことだと思いませんでした。

 

読んで下さっているかは分かりませんが、3名のチームの方々、本当に本当にありがとうございました。

 

 

 

で、1日経った今

 

 

 

やっぱり結構悔しいです。

 

ライティングで「勝ち負け」という表現は当てはまらないかもしれませんが、今に限ってはそんな気持ちです。

 

どこかでまたそんなイベントがないかと「ライター ハッカソン」で検索しているのですが、今のところ同イベントしか出てこないので誰か開催して下さい(他力本願)。

 

 

とりあえず

 

秋のどこかのタイミングで

ひとりでしっぽり長野県ゲストハウス「LAMP」にお泊りに行ってこようかと思います。

 

 

真崎

 

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 今年の4月にフリーランスのライターになってからまず最初に思ったことは『LIGで記事を書きたい』でした。

 

 

 

だって

 

 

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好きで。(言葉はいらない)

 

 

 

 

私はもともとwebメディアやブログ記事を読むのが好きだったけど、そうでない友達も「LIGブログは知ってるし読んだことあるわ」という人がほとんど。上記の各記事はどれも反響が大きくSNS上で相当拡散されていましたし秒速で結婚の記事とか「またあなたですか」なぐらい流れてきました。

 

 

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私のPCのデスクトップは、ライターになった時から変わらず「世界一即戦力な男」でありLIG社員である菊池良さんです。

 

LIGさんでは「社員さん」がコンテンツそのもので、菊池さんをはじめ、ブログに登場する社員さん一人ひとりのキャラが立っていて面白く、ブログ読んでて気づいたら「ファン」になっていました。その辺のジャニーズJr.的な人よりよっぽど好きです。

 

 

 

そんなLIGさんに、偶然のご縁もあって、ライターになって初期にオフィスにお伺いしまして、あわよくば「ああそういうことならぜひこちらで書いて下さいよ」みたいなことを100分の1ミリくらい期待していたのですが、ンマーだめでした。

 

応募条件は「2年以上のライター/編集経験」だったので「じゃあ出直してきます」となり、ここから私のライター修行人生が始まりまして

 

 

 

 

 

 

巡り巡って3か月半後。

 

まったく違う会社でライターをすることになり、ハイスペックな編集長であるパイセン、通称「ハイスペック編集長パイセン」から上記のようにビシビシご指導いただきながら毎日記事を書いたり学生や社会人にインタビューする日々です。想像以上に楽しかです。

 

 

 

 

 

で。

(鼻息荒め)

 

 

ここからがもう運命というかなんというかで。

(瞳孔開きめ)

 

 

 

今務めている会社でエンジニアをしている方が、今週9月12日に「ハッカソン」というイベントを開催するとの情報が入りまして。

 

ハッカソン:ソフトウェア開発分野のプログラマやグラフィックデザイナー、ユーザインターフェース設計者、プロジェクトマネージャーらが集中的に共同作業をするソフトウェア関連プロジェクトのイベント(wikipediaより)

 

ハッカソン:エンジニアさんとかその他専門分野の皆さん何人かでチームを組んで2~3日くらいの短期間でみんなで協力して新しいなにか開発しようよ!みたいな(真崎より)

 

 

 

 

で、その方が主催するハッカソンが、これ。

 

 

 

 

e2d3.connpass.com

 

 

 

 

 

まじですかと。

 

 

 

これ私の大好きなあのLIGブログに関わる企画ということで相違ないですかと。

 

 

さらに私が題名を見て思った予想が正しければ大好きなあのLIGブログで編集長ってことなのであの場で記事書ける的なやつで相違ないですかと。

 

 

 

「パイセン、これ参加しますわ」

 

紹介してくれたハイスペック編集長パイセンに告げて、真崎、人生初ハッカソンに参戦が決まりました。26歳になりたてほやほや翌日開催でアグレッシブな1年になりそう。

 

 

 

で、先週プレイベントに参加してきました。

※プレイベント参加しなくても当日参加できます

 

「野田クラクションベベー」さんは例外なくLIGブログで好きになって応援していた方です。イベントは参加されないけど会場でTシャツ販売してはりました。

 

 

 

前述の通り、今回のイベントは「ハッカソン」なので、チームを組んでひとつの作品を創り上げることになります。

 

今回は「エンジニア」「デザイナー」「ライター」が1チームとなり、チームで1日編集長となって「LIGブログに掲載する面白記事」を創ります。

 

一番最初に貼ったような記事がいわゆる「面白記事」というやつで、あんな感じで自分たちが記事の主旨から設定からなにからなにまで決めて、丸1日かけて1つの記事を創ります。

 

 

エンジニアさんは、開発してくれます。

デザイナーさんは、デザインしてくれます。

ライターは、書きます。 

 

技術的な意味分からん難しいことはすべて専門分野お二方に任せるので、せめて自分は精一杯面白い文章と記事の構成考えるところで貢献したいです。自分で「面白い」とか言った瞬間笑いは死ぬので謙虚に頑張ります。

 

 

 

 

このハッカソンはチーム対抗戦。

 

題名にも書いた通り

優秀作品はもれなく

「LIGブログに正式掲載」

と言われているので、真崎、俄然、やる気。

 

 

真剣に「チャンス」と思って挑みます。

やるならいいもの創りたいし勝ちたいです。

 

 

e2d3.connpass.com

 

 

絶賛参加者募集中らしいです。

 

好評につき増員中とのこと。

 

 

主催者の方に「エンジニアさんとデザイナーはともかく、もし「ライターじゃないけどLIGブログで記事掲載とか興味あるし文章書いてみたい」という方がいたら参加できますか?」とダメ元で聞いてみたら「全然いいよ(親指を立てて)」とのことでした。

 

そんなにガチガチの雰囲気ではなく、気軽に参加できる感じです。ライターじゃなくても「文章書くの好き」「面白いこと考えるの好き」みたいな方は楽しめる気がします。

 

 

ですので、もし興味のある方がいたら

いっしょにこちらのハッカソン出ましょう。

 

ぜひぜひ。

出ましょう。

 

 

 

出ましょ。(しつこい)

 

 

こんなに興奮してるの丸出しで記事書いたのとか久しぶりです。引いた方とかいたら恐縮なのですが今は胸の高鳴り優先な感じです。ハフー

 

今週土曜日、9月12日です。

 

ぜひ!

 

 

真崎 

 

 

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人を神様にするとしんどい3つの理由

 

 

クククク…

 

俺の見てきたやつら

みんなそうだった

 

 

酒だったり

女だったり

神様だったりする

 

 

一族

王様

子ども

 

 

みんななにかに酔っ払ってねぇと

やってらんなかったんだな

 

 

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進撃の巨人』17巻

ケニーが遺した最後の言葉。

ここ2~3巻での人類&調査兵団の進撃具合が素晴らしい感じです。

 

 

 

 

『人を神様にするとしんどい』

 

という記事を書こうと思っています。

 

 

さらに大切な前提として、ここでいう「神様」とは「聖書において人々の信仰対象となっている存在」ではなくて「絶対的に正しい(けど本来絶対者ではない)存在」という認識でお願いしたいです。

 

聖書の神様は「絶対者」であり絶対に正しい存在とされています。「絶対的に」ではなく「絶対」であることが、今回の記事タイトルの神様との違いです。

 

 

「小さい子にとっての親御さん」

みたいな感じです。

 

私にとって特に母は畏怖の対象でした。母の言うことは絶対正しいと思っていて、母に認められることが私にとってはとてもとても大切なことでした。この「絶対正しい」「この人に認められることが全て」の対象となる人をここでは「神様」と置くことします。

 

 

恋人

教師

上司

経営者

権威者

トップ営業マン

人事

著名人

歌手

カウンセラー

自分らしく生きている人

 

 

今まで見てきた「神様」の例です。

誰かが誰かを「神様」としていた例です。

 

 

かくなる私自身はどうかというと、「親」という存在はちょっと特別すぎるので例外として、人生の中で少なくとも2人の人を「神様」にしていました。神様が神様であったタイミングは別々です。

 

で、いつかのなにかの記事にも書いた記憶があるのですが、そうやって人を神様にしたことで得た唯一の教訓が『人を神格化しない』でした。その理由は「人を神様にするとしんどいから」です。

 

 

ネット上で誰かが誰かを神格化する様子をとても複雑な気持ちで眺めながら、「じゃあなんで人を神様にするとしんどいんだろう」と改めて考えてみることにしました。

 

 

そしたら、3つ理由が出てきました。

 

あくまで私の経験に基づくものですが、以下です。

 

 

1. 「自分の言葉」を話せなくなる

2.  正誤善悪の基準が「神様」になる

3. 「神様」が「神様」でなくなった瞬間に畏怖尊敬の念が憎しみに変わる

 

 

 

私の事例を使って、1つずつ説明してみます。

 

 

 

 

1. 「自分の言葉」を話せなくなる

 

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「神様」がいたときの自分が書いた文章は、今読み返すと吐き気がして読めないです。

 

 

ひとりの「神様」は、自分の意にそぐわない他者に対して非常に否定的且つ攻撃的な方でした。その「こういう奴はおかしい」「この組織のやり方はまったく本質的ではない」そんな否定的且つ攻撃的なアウトプットを見ていました。

 

「そんなに言う?」

こころのどこかで少し思っていました。

 

でも、そんな疑問を持つことよりずっと大切なことは「「神様」に認められること」でした。

 

 

 

私がしたことは

批判的且つ攻撃的な文章を書くことでした。

 

 

その人と普段話したりその人が紡ぐ言葉を読んだりすることで、その人が持つ信条は大体つかむことができました。だから私は、その人の思想に合う、その人が共感して喜んでくれそうな言葉をその時期にたくさんたくさん紡ぎました。

 

熱い教育への想いから、「神様」の思想にそぐわない考え方や他者の批判まで、たくさんたくさん書きました。

 

 

「神様」は、私がそういうアウトプットをすることで私を肯定する言葉をくれました。この考え方ができるなんてさすが真崎だと言ってくれました。とても嬉しかったです。

 

そんなことを繰り返すうちに、あの頃の自分は「自分の言葉」を話せなくなっていました。私が本当に素直に感じていることを上手く外に出せなくなっていました。あの頃の話をすると「あの時の真崎の文章ちょっと変だったよ」と言う人もいます。

 

あの時の自分は気付いていなかったと思います。

でも、当時の文章を今読むと、それは「自分の言葉」ではなく「自分の言葉と見せかけた(「神様」に認められるために「神様」の思想をなぞった)他人の言葉」な感じがとてもします。

 

とても感覚的な話ですが、前者の文章の場合、内容はいびつでもネガティブでもポジティブでも一応「自分の言葉」なので、読んでいて恥ずかしくなるけど吐き気はしません。

 

後者は、やっぱり気色悪いです。

 

 

 

ちょっとややこしい話になりますが、誰かの意見に対してこころから共感あるいは同じ意見を持っている場合のアウトプットは、今回のソレとは異なります。

 

一見すると、どちらも同じ内容かもしれないです。

 

 

が、もうこれは感覚的に

 

「自分の言葉」かそれでないかは、読むと分かる気がします。

 

 

 

 

2. 正誤善悪の基準が「神様」になる

  

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これは、最悪「死」に繋がると思っているので個人的にもわりと怖いやつです。

 

 

善悪の判断は先ほどの項目とも少し通ずるところがあるので、この項目では特に「正誤」にフォーカスを当ててみます。

 

 

「神様」は絶対的に正しいわけなので

「神様」の言うことは正しくなるわけです。

 

 

だから、仮に「神様」が自分を否定する言葉を吐いた場合、その言葉は正しいので、結果的に自分まで自分を否定しなくてはいけなくなります。

 

 

 

存在否定をされたことはないですが、アイデンティティを否定されることがとても多かった時期はありました。スキル的な面ではなく人格や思想面です。

 

私が必要以上にネガティブな受け取り方をしていた可能性はありますが、要約すれば「私という人間のこうこうこうこうこうこうこうこうこういう考え方やそもそものスタンスが人として駄目で、こうこうこうこうこうこうこうこうこういうところを直さないとこれから誰からも信頼も協力もされなくなるし傲慢で滑稽な生き方になる」的な言葉を「神様」はくれました。

 

 

「神様」は、「すごい人」でした。

 

信頼も尊敬も協力も周りからたくさん得ていました。

力も持っていました。

 

そんな「神様」の言うことなのだから

私にとってすべては「神様の言うとおり」でした。

 

自分の人格やスタンスを変える努力をしなければ、私は「駄目な人間」のままなんだと思っていました。

 

「駄目な人間」だから、変わらないと生きていけない奴なんだと思い、自分は最悪な奴なんだと思い、自分を変える努力をしなくてはいけないんだと、強く思っては涙が止まらなくなる、みたいな日々を過ごしていた時期がありました。

 

 

 

結局、相も変わらず傲慢かもしれないですが

 

今は「なんでそれが全部正しいと思っていたんだろう」というふうに思うようになりました。

 

 

反抗とかではなくて、「その人が言うのだから正しい」という思考フローに違和感を持つようになった感じです。

 

 

「人が神様になると、たぶん信者は思考停止する」

 

そんな仮説が、自分の中に生まれました。

 

 

 

「神様」がいる環境においては、おそらくその「正しさ」に従うことはとても大切で、その通りに自分を変える努力が必要だったんだろうなと思っています。

 

だけど、もっと広い視野で見た時に、私が生きていく上で、人が生きていく上で、それが本当に絶対「正しい」のか、ということ。

 

 

それは、切り分けて考える必要性を感じました。

 

というか「ちゃんと自分の頭で考えてみる」必要性を感じていました。

 

 

 

別に思考停止が悪いということではなく、ただただ「とても危険なこと」だと思っています。

 

「神様に「あなた生きている価値ないよ」的なこと言われたから私生きている価値ない」となんの疑いもなく思ってしまう、その構図を見たことがあり、似たような状態に私も陥りかけたことがあります。

 

誰しもその人自身の「正しさ」や「信条」を持っていると思っています。その価値観自体には本来「正しい」「間違っている」というものはないというのが私の持論ですが、相手が「神様」になるとそれが無条件で「正しい」になるので怖いという話です。

 

 

 

3. 「神様」が「神様」でなくなった瞬間畏怖尊敬の念が憎しみに変わる

 

 

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これは、人によってパターンがいろいろかもです。

 

新興宗教系の物語を見ると、例えば、「教祖」的な人が信者を騙してお金取ってて警察に捕まったとか、なんかこう「化けの皮」が剥がれる瞬間的なシーンがあったりします。

 

その時の信者の反応、という感じです。

 

ある物語に描かれる信者たちは

 

絶望したり

無気力になったり

気が変になったり

それでも信じ続けたり

 

 

 

私の場合は、相手が憎くなりました。

 

 

言ってることとやってること違うやん

「責任持って真崎を守る」って言ってたやん

めっちゃ無責任やん

責任放棄やん

嘘やん

全然「正しくない」やん

 

 

「神様」だから、崇高な想いがあって、私や人のことを変わらず大切にしてくれて、正しくて、立派で、だからついていこうと思ったのに、全然違うやん。

 

 

 

あくまで私の考えですが

あえて言い切りの形にすると

 

 

 

「神様」じゃなくて「人」だから

 

たぶん、いろいろ、変わります。

 

 

 

ブレたりします。

逃げたりします。

言ってること変わったりします。

投げやりになったりもします。

好きを嫌いになったりもします。

やるがやらないになったりもします。

今生きてるけど死にます。

 

 

「神様」は、聖書的に言えばですが(解釈間違ってたらごめんなさい)、絶対に変わらない愛を万人に注いでくれる存在であり、すべて正しくブレない存在であり、永遠にいなくならない存在です。

 

 

その時点で

本来「人」は絶対「神様」にはなれないはずです。

 

 

なのに、勝手に「人」を「神様」にして、その人が変わることに怒り憎しみを覚えるというのは、なんというかとても滑稽だったなと、あの頃の自分を思い返して思います。不毛です。

 

 

「人を憎むこと」は、めちゃくちゃエネルギーいります。

 

その人を恨んで、その人のいろんなことが上手くいかなくなるよう願っていたと思います。あの時たぶん同時に自分自身のこころをゴリゴリ傷つけていたと感じています。

 

 

不毛です。

おすすめしないです。

 

 

 

  

そんな感じで

「人を神様にするとしんどい」

と感じています。

 

 

逆に言えば、誰も神様じゃないから「絶対正しい人」とかいないです。

 

 

そう思ったら、ちょっと生きやすいとか

 

なんか、そういうのあったらいいなって思っています。

 

 

 

真崎

 

 

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科学が好き、開発がしたい、でも私にはその「適性」がありませんでした -就活を「適性戦」と語った理系大学院生の葛藤-

 

 

masaki-desuyo.hatenadiary.jp

 

要約すれば

 

・大学時代で自己分析は終わらない

・社会に出てから初めて知る「自分」もいる

・たとえ最初の会社が合わなくても、後から方向修正はできる

・そういう意味で、自己分析も就活も大学時代に必ず完結させる必要はない

 

という、経験に基づく真崎の仮説記事です。

 

就活という内容柄なのか、いつもより多めにメッセージをいただきました。(投稿時から「なにを甘いことを!」「辞めた企業に迷惑をかけておいて!」という反応がくる想定をしており、メッセージが来るたびにビビっていた)

 

 

そんな中、ひとりの大学院生からお問い合わせフォーム経由でメッセージ。見覚えのあるその名前は、以前に某ランチ会で出会った理系大学院生女子でした。

 

 

そのメッセージ(約3000字)を読んで。

 

1回読んで、考えて、もう1回読んで。

それを5ターンぐらい繰り返して。

 

 

そして、思わずその子に連絡しました。

 

電話番号を聞いて電話。

ブログ関係でこんなことしたのは初めて。

 

 

「この文章、そのままブログに載せていいかな」

 

快諾。ありがたい。

 

 

ということで、以下にその子がくれたメールをほぼ原文のまま掲載しました。改行や太字、表記の仕方で若干の編集を加えているが、内容はその子がくれたそのままです。

 

余計なイメージ抜きで、彼女がくれた文章をそのまま真っ直ぐ読んでほしいので、今回の記事における私自身の言葉は以上にしておきます。おおまかな文章の主旨はタイトルに込めてみました。

 

 

 

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真崎さん 

 

以前の女子会でお会いしたMです。

ちょっと引っかかることがあって、真崎さんの記事を読みました。長くなってしまったので、面倒になったらスルーしてもらって構いません。

 

 

「自己分析は就職活動が終わっても社会人になっても終わらせるべきではない」

私も激しくそう思います。

 

私は高校生のころ、世界飢餓がなくせるような植物の発明がしたいという大言壮語を吐きながら、生命科学部に進学しました。大学に入ってからその夢はあっという間に断たれましたが、それでも食品の研究が諦められなかった私は、限界を感じた生命科学の分野を飛び出し、農学分野の大学院へ進学。

 

自分は研究者になるということしか頭にありませんでした。その夢を持っていることが誇りでした。

 

 

ところが、いざ就活をしてみると、研究開発職とした枠を設けている会社にはひとつも通りませんでした。納得のいかなかった私は自身で適性検査を申込み、人事が見るような個人の適性資料を読み込みました。

 

読み込むまでもなく、自分には研究開発職という「新しいものを世に送り出す職がいかに向いていないか」が、そこにははっきりと示されていました。代わりに適性があると診断されたのは、顧客と密接に関わる職やサービス業でした。

 

学部時代に行っていた、学祭の運営スタッフや、公文式でのアルバイトといった経験が、研究よりも楽しいと感じていた私には、当たり前で残酷な結果でした。

 

完璧に別のものとして考えていて「研究はやりがいあるけど辛くて、イベント運営や接客はやりがいもあるし楽しい」が当たり前になってしまっていた。それを仕事に置き換えたら、研究開発に適性が出ないのは当然だったように思います。「働いてもみないで、適正なんて分かる訳ないだろ!」とも思いましたが笑。(もちろん頭が足りていなかった可能性もおおいにあります笑)

 

 

「やりたいこととできることが一致しない」

 

この悩みでどれほど悩んだか分かりません。

なのに、企業は枠で囲われた職でしか応募を受け付けず、他の職との併願もかなわない。自分の人生を決める選択に、どうしてこんなに早く決断を下さなければならないのかと、とても苦しい毎日を過ごしました。

 

それを証明するかのように、私が内定をいただけた会社は、仕事を事務職とも技術職とも区別せず「総合職」で採用を行っていた会社でした。どの職に就くのかは研修次第ですが、今はどんな職でも構わないと思っています。やってみることでしか分からないことがきっとあると思うし、技術職に就けなくとも研修を含めた配属までの時間で、自分ともう一度向き合いながら覚悟を決めていけばいいと考えたからです。

 

 

 

それでも、私の頭の中にはまだ『理系』というフィルターがかかっています。

 

本当に科学が好きで、理系であることを誇りに思ってしまっている。世界を回している技術は紛れもなく理系の力で、自分は農学の分野でその最先端と興奮を知っている。

 

 

アナライザーでもリサーチャーでも何でもいい。

 

「自分は技術者として生きたい」と叫んでいる自分も確かにいるんです。

 

 

現在就職を決めた会社には、研究職は存在しません。就職浪人をする勇気がない自分には、技術者でありたいという想いを叶えるためには、アカデミアに残るか、就職する業界を変えるしか道はありません。(食品業界の求人はもうほぼ終了しているので)

 

それでも食品業界に就職を決めたのは、技術は世界に還元されていかなければ意味がなく、自分は一般の人とより近い場所で、その還元作業を仕事としなければ身が持たないということを感じたからです。(それが、研究がしんどいと感じる理由なので…食品にこだわる理由はさらに長くなってしまうのでやめておきます)

 

食品メーカーで研究開発ができれば一番良かったのですが、世の中頭のいい人多いですから(笑)、そう簡単にはいきませんでした。就職活動のからくりも、就活を終えた今でもよく分かりません。

 

ただひとつ言えるのは『就活は「適性戦」である』ということです。ある程度の能力と足を使って人に出会う努力、残りは適性でほぼ決まります。だから、胸はってこれをやってきたと思うことがどれだけあっても、叶えたい夢があっても、理不尽な結果も当たり前のように降ってくる。

 

 

(ここからは超個人的な独断と偏見で綴られている私の意見です)

 

でも、私みたいな想いをする人が少ない、もっとマルチなタスクをこなす職種が将来生まれれば良いと思っているし、それを受け入れる会社や社会が創られればもっと良いと今は思います。

 

今までは考えもしなかった「いっそのこと起業してしまおうか」なんて考えも今ではありだと思っています。経営者に向いているかは別ですが(笑)。

 

結局そのためには社会勉強なので、企業に入るのが一番の近道かと考えています。昔に習うのもありだなと思って、今は歴史の本なんて読んだりしています。

 

 

学生時代に何をやっていようが、ダメなときはダメです(笑)。

ここまで科学が好きで、叶えたい夢がハッキリしていても、レールが敷かれているわけではない。常に自分に素直になって考えて行かないと、見えてこないものがたくさんあると思います。

 

 

真崎さんのこの記事は、最初からやりたいことを見つけないとやっていけないのか、自分の可能性を最初からひとつに縛らなければ社会に出られないのではないかという悩みを持つ人に、非常に勇気を与えてくれる記事だと思います。

 

真崎さんに、内定をもらった2社で迷っているとお話したとき、親身に聞いてくれた真崎さんの顔が、記事を読んだときに浮かんできて、思わずコメントしてしまいました。

 

何かの参考になれば幸いです。

 

M

 

「就活と自己分析は大学時代に終えるべきなのか」 2年で3社退職した社会不適合者なりに今考えること

 

 

 

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のあと会った。

まともに話すのは約2年ぶり。

 

 

「元こじらせ就活生」を探し求めて

 

masaki-desuyo.hatenadiary.jp

 

先日の記事にも書いたのだが、現在アルバイトではあるがとあるベンチャー企業でライターとしてお世話になっている。

 

そちらでは主に就活サイトの記事執筆に関わっており、詳細は省略するが「こういう企画の記事を書きたい」と提案してOKをいただき、現在いろんな就活生や就活経験者の社会人に声をかけている。

 

 

そして、一人目を捕まえた。

それがのあ。

 

 

のあは同じ年。

出会いは大学時代。

大学生向けキャリア支援セミナーのアシスタントを一緒にしていた仲である。

 

のあととても仲が良かったかと聞かれたら多分「そうでもない」と答えるのだけど、個人的に彼女のことは「精神的双子」だと思っていた。むしろそう呼んでいた。「ねえ精神的双子」と呼んでいた。

 

 

全体的に「似ている」と感じていた。

 

最初は「キラキラした空間」「イキイキした人たち」に憧れて自分もその場所に身を置きたいと思っていたところ。根本的に自分に自信がないところ。不器用なところ。彼氏ができないところ。後ほど生まれた「キラキラ」に対する違和感。就活の時に見ていた業界。その業界を見ていた動機。その動機が生まれた背景。そしてその業界の企業選考でズタボロになったところ。挙げ出すとキリがない。

 

お互い自分に自信がなくてなにかがひん曲がっている感はあるのだけど、のあのひねくれ方は時にわりと鋭い視点と指摘を生み出す。

 

一緒にアシスタントをしていたセミナーではそれこそ「キラキラした意識高い人」が多かったのだけど、それに対してのあが発信した『このセミナーを受けた直後のキラキラオーラって、ときに人の心をえぐるほどの鋭さを持っているし、若干空気も読めなくなっているかもしれない』という言葉には個人的に大共感。

 

 

のあがこのような「キラキラに対する疲れと違和感」を獲得したのは、就活でたくさんたくさん苦労したからだと思う。

 

私が知り得る中では、たぶん一番大変な想いをしていたんじゃないかと。

 

 

今回は、その「こじらせ就活」に関して当時の状況や心境をインタビューすべく彼女にアポを取った。

 

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(彼氏できない女ふたりが)

カップルの聖地である)

横浜で会った。

 

 

就活時代と社会人時代が正反対のふたり

 

漠然と「のあが就活で苦労していた」ということは知っていたのだけど、その詳しい内容を聞いたのは今日が初めて。なかなかに壮絶でとりあえず「よくぞ生きてくれていた」と思った。

 

そしてもうひとつの気付き。

 

私とのあ。

就活時代と社会人時代の話がまるで正反対だった。

 

まずは就活時代。

正反対っぷりをざっとまとめる。

 

私の醸す若干の「キラキラ感」「どや感」を感じてちょっとイラッときた方は、後でいろいろ逆転するのでどうか気長に見守っていただきたい。

 

 

〇就活が始まる時の気持ち

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:後ろ向き(やらなきゃ感)

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:前向き(内定いっぱい取ったるでウヒョヒョ感)

 

〇同じインターンの選考を受けた結果

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:1次選考で落ちる

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:300倍の倍率をくぐって合格

 

〇就活開始後の選考の様子

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:最初の段階でほぼ落ちる

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:ノリと勢いでとりあえず面接までは進む

  (当初面接はボロボロだった)

 

〇当初志望していた業界

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:人材・教育業界

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:人材・教育業界

 

〇内定をもらった業界

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:電子機器等の卸売業界

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:教育業界

 

〇受けた企業数

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:約60社(説明会参加約100社)

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:約10社(説明会参加約15社)

 

〇内定承諾・就活終了時期

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:2012年1月末(卒業2か月前)

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:2011年4月(その後内定を辞退して就職浪人)

 

という感じ。

 

 

補足すると、私の2回目の就活は、7月に某企業の社長からスカウトをいただいて同じく教育業界の会社に就職する形で終了している。

 

 

そして、社会人時代を比べる。

 

〇業種

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:営業事務

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:営業

 → 不登校専門カウンセラー

 → 不登校専任講師・生徒管理・イベント運営

 → フリーランスのライター

 

〇勤続期間

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:1社目の会社で4年目

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:1社目の会社で2か月

  →2社目の会社で2か月

     →3社目の会社で1年半

     →フリーランス半年目

 

〇状態

f:id:ai-en-house:20150829192836j:plain:成果も順調に上げ良好

f:id:ai-en-house:20150829192747j:plain:1社目「は」

   2社目「死にたい」

   3社目「本当にごめんなさい」

   今「あー、うんうんうん」

 

 

 

なぜこうなった

 

 

私とのあが人材業界を目指していた理由は酷似していた。

 

要約すると

・人が輝くサポートをしたい

・イキイキキラキラした人達と一緒に働きたい

若気の至りである。

 

しかし、業界も志望理由も同じながら、待っていた結末はお互いまったく違うものになっていた。

 

 

のあの就活エピソードから、印象的だった言葉を抜粋する。

 

最初は人材系、その後は主に不動産を見ていたけど全然選考に受からなかった。それで4年生の8月頃に1度冷静に考えてみたの。そして、その時思ったのが「私、バリバリの営業職向いてないと思われて落とされてるのかも」ということ。

 

その仮説に私は共感した。

 

 

大学生向けキャリア支援セミナーで一緒にアシスタントをしていたと書いたが、そのアシスタントの中で役割は分かれている。

 

私は、受講する大学生に直接関わっていく人。

のあは、裏方で空間づくりや事務系に従事する人。

 

最前線で花形なポジションではなく、目立たないけど粛々と組織をサポートしてくれる「縁の下の力持ち」的なポジションは、のあにぴったりだと思った。

 

 

そして、のあもそう思ったらしい。

 

人材系や不動産系は入社時に「バリバリの営業職」に就く可能性が非常に高い。よくよく考えたら自分は総合職(営業の可能性大)よりも一般職(事務全般)の方が適性に合っているのではないかと思ったのあは、途中で方向性を大転換して一般職求人を見るようになった。

 

その後すぐに就活が上手くいったわけではないが結果的に無事一般職で内定をもらい、その会社で4年間働き続けている。

 

今は営業事務として営業の人のサポートをしているのらしいが、「ノルマなし」「数字なし」「でも営業成果には密接に関わる」というポジションが非常に性に合っているらしく、彼女の働きぶりは社外でも好評価を得ているとのこと。

 

あの時「自分は一般職が合っているのでは」と思って正解だった。

 

確かに。

 

 

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一方の、私。

 

 

2回目の就活で子ども教育業界に行ったのだけど、その時自分の中にあった「仕事」に対する想いや自己認識はこのようなものであった。

 

・こころになにか抱えている子どもに寄り添いたい

・その子の状態や人生が前向きになる支援をしたい

・勉強を通して自信をつけてほしい

・この情熱があればなんでもできる

・休みなんてなくても問題なし

・学習指導も営業もその他マルチタスクなんでもこい

・私は本気で人のために身を粉にできる

・私は相手の心を感じられる感受性を持っている

・私はいかなる状況でも相手に寄り添える優しさを持っている

・私は相手の成功のために全力を尽くせる

 

思い出せる限りではこんな感じだったと思う。

拳は下ろしていただきたい。

 

 

「周りも私にそれを期待している」

「周りも私をそのように見ている」

そう感じていたし、そう受け取れる言葉を何度もかけてもらっていて全力でその気になっていた。

 

『この業界・この仕事こそ自分の天職』

 

そう信じて疑わなかったのだ、あの頃は。

 

 

 

そして、結果は前述の通り。

 

こんなはずじゃなかった、が。

 

 

 

『私の就職活動は「失敗」だったのか』という問い

 

先程書いた10個の項目。

感受性は強いが、それ以外は全体的にズレている。

恐ろしいほどにズレている。

 

 

なぜそうなったのか考える。

 

のあは就活の途中で冷静に自分の適性の仕事ひいては「自分自身の特性」と向き合えている。その結果長い目で見ても「成功」と捉えて相違ない形で就活を終えた。

 

 

では、私は冷静ではなかったのか。

 

あの時冷静に向き合ってもっと「自分自身の特性」をしっかり考えられていれば、子ども教育の道に来ずに、自分に合っているなと感じる「フリーランス」なり「書く仕事」なりの道を最初から選べていたのだろうか。

 

 

 

結論は、たぶんNO。

 

 

というのも。

 

あの頃私が持っていた「自分自身」に対する認識では、あの判断がベストだったとしか思えないのである。

 

あの時は、教育の活動に夢中だった。

 

どれだけ忙しくても平気だったし、仲間と一緒に日々子どもの成長や学習指導、事業展開について頭合わせて考えて足動かしてって日々が楽しくて仕方なかった。生徒が勉強にのめり込んだり受験勉強を頑張ったりする姿を応援し、受験合格の発表には嬉しすぎて号泣。

 

 

あの時は、その道しか考えられなかった。

 

そして、想いも適性もピッタリだとしか思えなかった。

 

 

で、学生を卒業して、あの頃の仲間と離れて「社会人」になって引き続き頑張っていこうと思って、折れて、立ち上がって、折れて、立ち上がって、苦しくなって、考えて、気付いて、立ち止まって、立ち上がって、今に至る。

 

 

2年間の社会人生活を通して

たくさんのリアルな「自分」に気付いた。

あまり向き合いたくなかったけど、でももう目を反らせないところまで来ていた自分の特性や考え方。

 

・人が「前向き」になることに関心がない

・「勉強を通して自信をつけたい」と思っていない

・私にとって「休むこと」は非常に重要

マルチタスクが本当に無理(ADHDだと言われた)

・「人のために」はそんなに頑張れない

・体育会系はまじで無理

・納得行かないことに従えない

・思っているよりも優しくない

・やりたいことしかやりたくない

・想像を絶する組織不適合

(よく分からないけど、とにかく苦しかった)

 

 

これは、私が「社会人」となって働くようになってから初めて気付けたこと。たぶん、学生時代の自分では、どんなに頑張って自己分析しても掘り出せなかったんじゃないかと思う。たぶん。

 

 

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(真崎のPCデスクトップ)

 

 

「就活」も「自己分析」も大学時代に完結する必要はない

 

もはや半ば自己擁護なのだけど、そう思う。

 

迷惑をかけてしまった3社の皆様にはほんとにほんとうにほんとに恐縮すぎる言葉なのだけど、各社に勤めて得た経験や感覚を通して、私は「自己分析」を継続していたのだと思う。働かなければ分からなかった「自分」が私の場合はたくさんいた。ここに辿り付くためにこれらの経験が私には必要だった。

 

 

新卒でベストマッチした会社に入社することが「就活の成功」だとするならば、私の場合は大失敗。

 

 

でも、必ずしもそうある必要はないのではないかと。

 

働くことで「新しいなにか」に気付いたなら、そこで方向修正して、もしかしたら何度も何度も方向修正することになるかもしれないけど、自分のスピードで「就活」も「自己分析」も進めていってもいいんじゃないかと、今、私は思うわけです。

 

 

そんな話をしたら

「うん、ほんとそうだよ笑」と、精神的双子。

 

 

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すげー優等生なまとめ方すると

 

就活でこじらせたのあも

社会人生活でこじらせた真崎も

 

いま、とりあえずそれなりに楽しくやってます

 

 

みたいなところです。

 

真崎

 

 

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生きづらい系女性シンガーソングライター「風見穏香」が死にかけながらワンマンライブに挑戦する理由

 

 

 

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風見穏香と出逢ったのは昨年の7月頃。

 

 

当時不登校支援の活動に従事していた私に大学時代の友人から連絡が入った。「私の友人で不登校支援の活動をしたいって言ってる子がいるんだけど真崎のこと紹介していい?」とのこと。

 

「いいよ、誰?」

「風見穏香さん。しーちゃん。知ってる?」

 

えー。

うそー。

 

知ってるもなにも、私が属するコミュニティ界隈では軽く有名人なあの「しーちゃんさん」じゃないですかーて。

 

 

【シンガーソングライター風見穏香】

 

ということで、風見穏香はシンガーソングライター。

 

年齢は一緒。

就活や会社勤めの経験はなし。

みんながスーツを着て就活に勤しむ中で、彼女は卒業後も「うたうこと」を続けていくと決めていたようで、周りに対する劣等感と闘いながらもその意思を貫き通したとのこと。

 

出逢ったことがないのに私が彼女を知っていたのは、彼女がCDを出したり路上ライブをしたりコンテストで入賞していたりする様子が度々facebookの仲間内でシェアされてきていたから。

 

私は大学時代にとある企業の大学生キャリア支援に関わっていたのだが、彼女もそのセミナーの受講生だったらしい。そのセミナーで出来た大学生コミュニティのみんながこぞって彼女を応援していた記憶がある。

 

シェアされてくる「しーちゃんさん」の投稿において、彼女はいつもパーにした手の親指を鼻につっこんだポーズでニコーと笑っていた。見せかけではなく本気で鼻の真ん中ぐらいまで挿していた。

 

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彼女文章を見ると「応援してくれると嬉しーちゃん」の文字。CDのジャケットは満開の笑顔で飛び跳ねる姿。

 

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「私、たぶんこの子苦手なタイプだ」

アングラ真崎お得意の思い込みスタート。

 

明るく天真爛漫で誰からも愛されて応援される。

遠くから眺める「しーちゃんさん」はそんな人で、それがなんだか羨ましくて、あんまり投稿を見たくなかったので「シェアしてくる人のfacebookアカウント全部凍結されろ」と思ったり思わなかったり。まあ私も人生に悶々していた時期ということで。

 

 

想像以上にこじらせていた実物

 

会った。

 

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第一印象は「思ったより弾けてない」。

もちろん(私的には)良い意味。

 

しかしそもそも私には彼女が「不登校支援をしたい」という動機がまったく分からない。CDも渋谷タワレコのインディーズチャート上位ランクインして今から「シンガーソングライター」としてさらに飛躍していこうという時なのではないのか?

 

 

出逢って20分で理由が分かった。

 

「私ちょっとだけ不登校だったんだよ」

 

まじかー。

すげー意外だわー。

 

(現在彼女のことは「しーのすけ」と呼んでいるので以下「しーのすけ」で)

 

しーのすけが不登校になったのは小6の時。

期間にすると1か月ほどだったらしい。

 

なにか決定的な出来事があったわけではなく、でも小さな頃から「私はなぜここにいるんだろう」と哲学的こじらせ状態に入っていたらしく、小6のある給食時間に突如涙が止まらなくなったらしい。それを機に不登校。家で「死にたい」と暴れていたとのこと。

 

彼女は少しだけ就活をしたらしいのだが、ひとりひとりの個性が消えて表面的な部分で人間が選別されていく様子に激しく違和感と憤りを覚えたらしい。安易なことは言えないが、不登校になった時もこれに通ずるなにかがあったのではないかと思っている。

 

こころを失くして働くロボットみたいな人が増えて、こころのある人ばっかりが苦しんでつらい思いをしている気がしていて。そんな人たちの支えになりたくて、「そんなことないよ、私も一緒だよ」って伝えたくて、こうやって歌っています。

 

 (2014.10 不登校ベントライブより)

 

 

「私もいっしょ」

 

シンガーソングライターとして順風満帆にやってきたのかと思っていたけど、違った。

 

人目が気になってまず人前で歌えない。

路上に立って泣きながら歌う。

そんな自分に負けたくないとギターを持って旅に出たものの、結局歌えずに泣きながら帰ってくる。 

 

そんな感じで、でもなんとか必死にここまでやってきたとのこと。人前で歌えるようになったのもほんの3年前くらいだったらしい。

 

 

話は戻って、不登校支援のこと。

 

 

「だから、そういう子達の気持ちがすごく分かるんだよね」

「私はそういう子達を救いたい」

 

 

『分かる』『救う』

 

「支援側が使う頻出単語で真崎が嫌いなものTOP2」

いきなり口にしたしーのすけ。

 

今となっては「言葉の定義と捉え方は人によって違うんだ」と知ったので前ほど気にならないけど、その時は「えっ」と反応してしまった。その言葉を聞くと「自分に不登校の経験があるから「分かる」とかただの自己陶酔の勘違いだし「救う」とかどの立場からの何様言葉だよ」というテキストが自動的に脳内を巡りだす輩系女子真崎。

 

だけど、引き続き話を聞いているとその感覚は消える。しーのすけはその想いのもと不登校の子と関わる活動も細々行っていた模様。話を聞いている限りその生徒はしーのすけにこころを開いているんだろうと伝わった。

 

言葉は不器用だけど、まっすぐで思いやりがある人。

そんな印象。

 

 

話の最後の方に言っていた。

 

「でも「救いたい」とか言ってるけど、結局たぶん私はいちばん「私」を救いたいんだよね。もはや生徒からも救われてるわ笑」

 

なんとなく、信頼できる人だと思った。

 

 

人として好きだなと思ったのがこの時。

 

そして、「シンガーソングライター」として惚れたのがこの時。 

 

 

不登校イベントのライブで会場号泣

 

 

当時運営に関わっていたイベントに出演してもらった。

不登校当事者の小中高生、不登校ではないけど様々な事情を抱えた若者、保護者の方々の前で歌う。

 

 

最初に歌ったのが、『ひとでいたい』という曲。

 

勉強なんてできなくていいから

深い悲しみ分かるひとでいたい

 

常識なんか知らなくていいから

つらいつらい痛みは分かるひとでいたい

 

立派になんてなれなくていいから

淡い淡いやさしさ分かるひとでいたい

 

器用な人になれなくていいから

痛い痛い悔しさ分かるひとでいたい

 

(ひとでいたい  / 風見穏香)

 

 

会場から「ズズー」と音が聞こえる。

 

あちこちからズズーズピースプーズゾゾーと音が聞こえる。

かくなる私もズゴゴゴーてなってる。

 

親御さんに連れてこられたのか一番後ろに座りながらずっと俯いていた女の子の顔が、どんどん上がってきたのを見た。拍手なんて全然してなかったけど、気付くと遠慮がちに手を叩いていた。それを見てまたズゴゴる私。

 

そして、引きこもり状態だったという来場者の若者の方が、後日しーのすけのライブにひとりで足を運んだらしい。

 

 

それって、私的には「ものすごいこと」で。

 

本当にすごい。

 

 

すごい歌上手いとかカリスマ的魅力があるとかって感じは全然ないんだけど(ごめん)しーのすけに多くのファンと応援者がつく理由は、なんかこの時とても分かった。

 

友達だから、みたいな生ぬるい理由ではなく

「プロのシンガーソングライター」としての彼女をガチで応援したいと思った。

 

 

現在「負けるもんかっ!」全国ツアー中

 

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そんな彼女が8月5日に新曲を出した。

曲名は『負けるもんかっ!』

 

 

そして現在しーのすけはマイカーを運転しながらインストアライブで全国行脚している。山口で嵐に巻き込まれたらしいが大丈夫だろうか。

 

 

そして9月27日には

『負けるもんかっ』ツアーファイナル

~できるできないじゃない!「やる」んだ!~

ということで、150人規模の会場でワンマンライブを決行するらしい。

 

この規模でのワンマンは初めてらしく、彼女にとってもかなり大きな挑戦であることは最近の彼女とのやり取りで非常によく伝わってくる。

 

「真崎。毎日不安で死にそう」

「奇遇やな。私も消えたい」

 

そんな感じ。

 

私はともかく、しーのすけの場合は日に日に近付いてくるワンマン当日に向けて爆発しそうな不安と日々闘っている模様。朝は基本的にお腹壊してるらしい。

 

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風見穏香がワンマンライブをやる理由、風見穏香が応援される理由

 

しーのすけは、いつも「自分」と闘っている印象がある。私の目の前で「このままの自分じゃだめなんだ」と自分自身を叱咤している姿をよく見る。いつもなにかに挑戦しては凹んで自分を責めて「あーーー」と言いながら、日々もがいてなにかに抗っている気がする。極限の不器用さを誇る私から見ても最高峰の不器用さ保持してる。

 

 

正直、最初は「しんどそうな人だ」と思った。

 

私も人との比較や自己嫌悪でしょっちゅう消えたくなっているのだけど「このままの自分じゃだめだ」「自分に負けている場合じゃない」みたいな気持ちが芽生えることはあまりない。

 

それは、自分を追いつめているんじゃないのか。

それで、自分は大丈夫じゃないのに人に「大丈夫だよ」だなんて言えるのか。

 

そんな風に思っていた。

 

自分に勝つも負けるもないだろうよと。

もっと楽にかまえられた方がいいんじゃないかと。

もっと自分を受け入れた方がいいんじゃないからと。

その方が「人のため」の歌をうたえるんじゃないかと。

 

 

 

 

 

そんな考えが、少し前から変わってきた。

 

 

「しーのすけの「生きづらい感じ」がしーのすけの魅力な気がしてきた。だから当分生きづらいままで頑張って生きてくれ」

 

そんなことを伝えたら「おい!笑」と笑っていた。

 

 

しーのすけの歌を聴けば聴くほど、この歌は誰にでもない「自分自身」に必死に歌い聞かせている気がしてくる。

 

「負けるもんかっ!」て声を出して

そう自分はできると信じて

たとえどんな困難な状況も「私は勝つ」と決めたんだ

 

できる

やれる

負け顔なんかするなよ

 

笑って

吹っ切って

楽しんでこう

「よっしゃ行くぜ!!」って

 

(負けるもんかっ! / 風見穏香)

 

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いつも

負けそうで

吐きそうで

めげそうで

挫けそうで

逃げ出しそうで

死にそうで

(上記あくまで真崎予測で)

 

 

 

でも、なぜか、やっぱり歌う。

 

自分を鼓舞するように歌う。

闘うように歌う。

 

 

最初に歌を聴いた時といっしょの感覚。

 

そんな姿を見て、よく分かんないけど

なんか好きになって、応援したくなるんだと思う。

 

 

「しーちゃんがんばれ」

「しーちゃんいつも応援してるよ」

「しーちゃんの歌いつも聴いてるよ」

「しーちゃんの姿に励まされているよ」

「しーちゃんに負けずにがんばるよ」

「しーちゃん体には気をつけな」

「しーちゃん無理しすぎないでね」

「しーちゃんCD買ったよ」

「しーちゃライブ行くよ」

「しーちゃんがんばれ!!!!」

 

 

たぶん、なんかそんな感じ。

 

 

今回のワンマンライブも

「自分に負けないため」に挑戦しているのだと思う。

 

「誰かのため」にでもあるのかもしれないけど

たぶん「自分に負けないため」だと思う。

 

とても不思議なのだけど

その感じが「誰かのため」に繋がってしまう人だと思う。

 

そんな彼女を応援しに多くの人が集まるのは

しーのすけが不器用でも一生懸命歌って生きてる姿が

 

「しーちゃんのために」っていう

「誰かを応援する」ことの価値や喜びを誰かに与えている結果なんだと思う。

 

 

たぶん。

 

うん、たぶん、きっと。

 

 

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【ということで、9月27日ワンマンライブ行きませんか】

 

真崎とともに。(オプションのつもり)

 

たぶん今もツアー回りながら、すでに本番まで一か月を切ったワンマンライブに対して不安とか恐怖とかなんやらかんやらで「あああああああああ」ってなっていると思います。先日は「おおおおおおおおおお」というメールが来ました。 

 

でも「できるできないじゃなく「やる」」「勝つと決めた」みたいなので、そんな「生きづらいけどなんか踏ん張ってる系シンガーソングライター風見穏香」を、知っている方も一見さん(使い方絶対違う)もぜひいっしょに応援しに行きましょうというお誘いを4902文字を費やして書いてみました。

 

こちらからチケット予約できるみたいです。

そういえばまだ予約してない(今気付いた)

http://szk614.wix.com/szk614

 

よろしくお願い致します。

 

真崎

 

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